適当でいいんだよ適当で
こんにちは。奈宮です。
今回は肩の力を抜こうって話です。みなさん色々大変ですが、頑張りましょう。僕も大変です。
店内は外の冷気が嘘のように暖かかった。
客が大勢いる。全部で50人はいるだろうか。外からでもワイワイガヤガヤといった雑然な音が聞こえてきたくらいだ。繁盛しているようで結構なことだ。
案内されたのは店の奥の方にある席だった。
すぐ隣では女性4人組が口を大きく開けて笑っていた。
席ごとに仕切りがあるので、座ってしまえば視界に入ることもないだろう。
「ふいー。疲れた疲れた」
そう言って竹宮はコートを脱ぎ始めた。「そこにハンガーあるぞ」椅子にそのまま置いてしまいそうだったので教えておいた。
「お、ほんとだ。サンキュー」
俺も暑さを感じてきたので、同じようにコートを脱いだ。コートは暖かいが、動きにくいので嫌いだ。
「いらっしゃいませ。こちら突き出しになります」
店員が頼んでもない妙な煮物みたいな物を出してきた。最近では突き出しがない呑み屋もあるらしいが、正直どっちでもいい。
「ご注文どうされますか?」
「とりあえず生一つ」
「俺はジンジャーハイで」
酒はジンジャーハイ1択だ。なぜならジンジャーエールがこの世で1番美味い飲み物だからだ。アルコールなど別に好きではないが、ジンジャーエールと混ぜるのなら飲んでやってもいい。
「で、最近どうなのよ」
竹宮はお嬢様口調―――ではなく普通に会話を切り出した。
「別に。普通」
最近。どう。
この二つの単語から相手の聞きたいことを把握できる人がいるだろうか。俺にはできない。
まあ仕事のことだろうなとは思うけど。
「おいおい普通ってことはないだろ。俺たち1年目なんだぜ?」
俺たちは二人とも大学を卒業していて、今年の4月から新卒として働き始めていた。
「そう言われてもなー。研修も終わって、本格的に一人でやる仕事ができてきたってぐらいしかないぞ」
「いやそれそれ。そこんとこ聞かせろよ。同期の友達の活躍を聞かせてくれよ」
正直、活躍はそんなにしていないだろう。
職場の俺はあまり馴染めていないし、仲がいい同僚というのもできていない。そういう意味では上手くいっていない。
「つっても何かしら失敗したり間違えたりしてるから全然一人前って感じじゃないんだけどな」
「木下ってスーパーだよな。そんな難しいか?」
「まあ、俺もそう思ってたよ。正直。でもなんだろうなー。細かいところがわかんないんだよな。例えば、『セロハンテープ無くなったから取ってきて』って頼まれたとするじゃん。で、俺はすぐに取りに行くんだけど、よく考えたら1個なのか纏めてなのかわかんねえな、ってなる」
「あー」
「とりあえず持ってきたとして、どこに置いとけばいいのかわからん。1個はあの、土台のとこにはめとくけど、他のはどこに置いとけばいいのか知らないんだよ。そういうのが多い」
「聞いとけよ」
「そうなんだけどさ。そんときはそんときで必死になってるから聞けなくなってる」
「なるほどな。そういうのはもう落ち着けとしか言えんわ。木下って馬鹿じゃねえし落ち着けば出来るだろそれぐらい」
「わかってんだけどなー。なんかできないんだよ。緊張するって言うか仕事だからちゃんとしないとって気構えてるっていうか」
「それならいいだろ。そう思ってるならやってるうちにできていくって」
「だよな。頑張るわ」
「おう」
社員っていってもまだ1年目だ。父親曰く、社会人は2年目までならミスしまくってもいいらしい。
早いこと一人前になるのが一番いいけど、誰もがそう上手くできるわけではない。高卒だから年下だけど、社会人二年目の先輩は今のチーフに認められているようだけど、俺と彼女は別人なので気にする必要も無い。
焦らず努力すればそれでいい。
女性店員がジンジャーハイと生ビールを持ってきた。
俺と竹宮はそれぞれ受け取ると、一口喉に通した。
「で、最近どうなのよ」
竹宮はジョッキを机に置いて言った。
同じ質問だ。もちろん仕事のことじゃない。とすれば、話題は一つしかない。
女だ。
ちょっと下世話すぎたか。女性関係。恋愛はしてるのかと竹宮は聞いているのだろう。
「まあ、変わらずだよ」
「ほんとかよ。わざわざ呼び出したんだ。なんかあるんじゃないのか?」
「いや、まあ―――」
竹宮の言う通り、ある。ありまくる。
むしろ最近はありすぎた。中学、高校、大学と友人たちの間で色恋の話題にとんと挙がらなかった俺だが、ここ半年は頑張ったと言えるだろう。
仕事以上に頑張ったかもしれない。
店員の女性に声をかけてみたり、同じ会社の女性社員を食事に誘ったり、マッチングアプリで何人かに会ったりもした。
その全てが失敗に終わった。原因は様々だが、結末は全て同じ。彼女たちと築き上げたものなど何一つなかった。
残ったのは「あ、俺はもうダメなんだな」という諦めだけだった。
これだけ何人もの女の人と関わって失敗したんだ。俺には誰かと親密な関係になることなど不可能だったのだ。
そう思った瞬間、人間関係が無価値に思えた。どうせ何にもならない。親しくなれない。友達なんてもうできない。俺には人間的な魅力がないからだ。だから恋愛もできない。
バカバカしいだろうか。
でも俺はそう思ってしまっている。
「どうやったら彼女ができるんだよ……」
バカバカしいのはこれだ。
何度失敗しても、自信を喪失しても、誰かと関係を築きたい。
「普通にしてたらいいんじゃね」
出たよ普通。なんだそれ。
「それで出来ないから悩んでんだよ」
「まあ、普通に適当にやってたらできるって。とりまさっきの店員に話しかけてみろよ。『お姉さん最近どうですか』って」
竹宮の話の切り出し方はそれしかないのだろうか。
それでも彼女がいるから俺よりは人間的な魅力があるんだろう。
「そんなことできるかよ」
「いやいやできるから。ちょっと話しかけるだけだろ。別に犯罪じゃないんだしいいじゃん」
「でもなー。そういうのってなんかキモイだろ」
「そうやって物事に壁を作るから彼女もできないんじゃねえの?」
痛いことを言う。
考えてみれば、俺は今までそういう、なんというか正道から外れた行為はしたことが無い。普通。何もかも普通。
たまにはそういうことをしてみるのもいいんだろうか。
「じゃ、注文ボタン押すぞ。はい押した」
「あ、おい」
文句を言おうと思ったが、その前に注文機を持ったさっきの女性店員がやってきた。
彼女は髪が金色で、歳も俺と近しいくらいだ。上か下かは分からないけど。
身長は俺よりも低い。細身で少し胸の当たりが膨らんでいる。マスク越しで顔の全容は分からないが、見える範囲でいえば可愛い。
こんな人に話しかける勇気なんて俺にはない。
「ご注文をお伺いいたします」
「だし巻きと唐揚げと、あとはこれとこれとこれお願いします」
竹宮が手早く注文を済ませた。女性店員が復唱していると、竹宮は俺の方を見て顔を女性店員の方に傾けた。
行け、ということなのだろう。
そんなことしたくない。でもやりたいという気持ちもある。
「お姉さん」
「はい」
ほんのりスマイル。店員なんだから当たり前だ。
「最近どうですか?」
竹宮がぶふっと笑ったのが聞こえた。多分、そのまんまんかよ、とか思っている。
別のこと言おうかとも考えたけど何も思いつかなかったんだよ。
「最近、ですか。ウイルス騒動も収まってきて、お客さんも戻ってきてますよ」
微妙に期待していた返答とは違っていた。俺は彼女自身のことを聞いたのだが、彼女はそうではなく店のことを聞かれたのだと思ったのだろう。
ちらと竹宮の方を見ると拳を前に出していた、行け行けということだろう。
「いいですね。接客好きなお姉さんも嬉しいんじゃないですか?」
「あー。そうですね」
「別に接客好きじゃねーよって?」
「……正直。忙しくても暇でも給料は変わりませんし」
「あはは。確かに。仕事もいいですけど、お姉さん自身はどうなんですか?」
「私ですか? んー……」
「ぶっちゃけ、彼氏は?」
「あー。いないんですよねー。一ヶ月前に別れちゃって」
対面の竹宮が行け行けと拳を振っている。わかったよ行くよ。行けばいいんだろ。
「一ヶ月前ですかー。振った?」
「振りました。浮気してるっぽかったんで。もうええわって」
「おー。カッコイイですね。俺も今彼女いないんですよ。ライン交換しませんか?」
今、というか今までいたことないけど。
俺は半ばヤケクソだった。
「すみません。そういうのはちょっと……」
なんでだよ、と言いたくなるのをぐっと堪えた。
そりゃそうだ。ただの客に連絡先を渡すわけが無い。キモイから。
「ですよねー。すみません」
「いえいえ。注文通してきますね」
お姉さんはそそくさと去っていった。厨房の方からだし巻き一つ、鳥から一つと声が聞こえた。
「おい」
ダメじゃねえか。
俺にしてはかなり饒舌に喋れたと思ったけど。
竹宮を睨んでみたが、竹宮は軽く手を叩いていた。なんだそれ。
「おめでとう。お前は壁を一つ乗り越えた。これを機に精進すれば彼女なんてあっという間だ」
「何言ってんだお前」
「真面目な話、あれだけ話せればいけるって。今回はたまたま向こうがそういうの苦手だっただけで。半々くらいで連絡先貰えると思うぞ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。適当でいいんだよ適当で。仕事も、恋愛も」
適当。
竹宮はそう言うけど、人生はそんなに簡単にいきやしない。今の仕事だって本当にやりたくて就いた訳じゃないし、恋愛にしても不誠実なやつが好きな人と結ばれるとは思えない。
そんなふうに思うのは全くもって見当違いで竹宮の言いたいこともわかる。
真剣に悩んだって何も解決しない。自分のやりたいようにやれ。
そんな感じだろう。