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正午の希望~もしも過剰摂取を繰り返しているメンヘラが優しいヒーローに救われたら~

作者: 東山琉生

「もうお酒がねーぞ!! …………どうしよう。どうしよう。どうしてこうなった。なにかなにか……」


 六月中盤。ホープはすっかり空っぽになったウイスキーの瓶を見て、すっかり不安に染まっていた。

 地毛が明るい青──空のように明るく、対照的に顔の彫りはそこまで深くない。姿はもう何日間変えていないか忘れた、はじめて自分で買った青と白のパジャマ。

 伸びて脂とかゆみがひどい髪をぽりぽりかきむしり、ホープは慌てて睡眠薬と精神安定剤、抗うつ剤を飲む。規定容量ではない。三〇日分しか処方できないと法律で決められている薬を、三〇錠ずつ飲んだ。


「ああ…………もう寝よう。そうしよう。そうしたほうが良いに決まってる。つか、ボトルボトル……」


 ベッドの上から動きたくない。携帯電話は充電済みから二~三ヶ月動かしていない。代わりにタブレットを見ている。猫の動画だ。それを見ることと、酒を飲むこと以外に娯楽はない。


「あひゃ? なんでこんなに溜まってるの? 軽く見ただけで二〇本はあるんですが!? 色もおかしいし……。どうやって処分すれば良いのこれ。あー…………冷蔵庫にまだワインが入ってたはず。飲んで忘れよう」


 ようやくベッドから立ち上がる名目ができた。

 ひとまず身体をずらしてみる。

 単純に痛い。


「……痛い。痛いよ」


 されど動こうとする。さらなる痛みが彼女を襲う。


「……痛い」


 足が地面に付き、同時に足が吊ったことを知る。


「……痛い」


 左足を前へ動かす。骨折でもしているかのような痛みである。


「……誰か」


 そのまま倒れた。そういえば、先ほど睡眠薬を飲む前、さらに過剰摂取していた。


「……助けて」


 なので身体が動かない。金縛りである。


「……なんていっても助けは来ない」


 もう寝てしまおう。


 *


「……やべーなこの部屋。まァ他人の生き方に講釈垂れられるほど偉くねェけどよ」


 ──誰かいる!! 誰かがいるんだ!! どうやって逃げる!? いや、なんで家まで入ってこれた!? 鍵閉め忘れたのか!! ……死んだふりしよ。


「なんだこれ。……え? しょんべん?」


 ──男の子の声だ……。怖い。誰か……助けて……。父ちゃん、母ちゃん……。あっちに帰るときは成功したときって決めてるから、アナタたちには負担かけたくない……。


「トイレに流しとくか……。結構な量だな」


 ──怖い怖い怖い。怖いんだ。人なんて怖いんだ。人すら怖いんだ。


「いやでも、女の子のしょんべんをオレがトイレへ流すってどうなんだ? 変態みてェだな。いや、学校から鍵渡されたからって家へ入ったオレはすでに変態? もうわけわかんねェな……。とりま、捨てとこう。罪滅ぼしみてェなもんだな」


 ──やばい。お腹痛くなってきた。五分以内にトイレへ行かないと、この歳で漏らすはめになる。


「くっさ!! 普段なに食ってんだ!? 酒の量見る限り、まともに飯も食ってねェのか? でも、本じゃうつの人は食わないか食いまくるかのどっちかって書いてあったしな……」


 ──うん。これは悪い夢。そうだね。たぶん二年間を体験した夢なんて見たことある人いないでしょ。


「…………なァ。正直にいってくれ」


「え……ゴホッゴホッ……おえええええ──!!」


 そのころにはすでに、ホープの意識は飛んでいた。


 *


「ああ、目ェ覚めたか」


 なぜかゴミ掃除をしている少年がいた。髪は真っ白。肌は真っ白。筋肉量は多い。腕まくりをしているため、毒々しいタトゥーが垣間見える。


「とりまパンツは替えといた。あとパジャマもな。ケツも拭いといたから安心しろ。ゲロの処理もしといたから、身体動くんなら動かして良いんじゃね? 動かねェんなら仕方ねェけど」


 こちらを見てきた。なんとも優しげな笑みを浮かべるものだ。

 目は真っ赤だ。いや、泣いて晴れたとかいうわけではない。もともと色素が抜けているのだろう。


「ま、ベッドまわりはきれいにしといた。オレはちょっと一服してくらァ」


 ベッドの上に置かれた酒瓶と薬のシート、カッターはすっかりなくなっていた。

 そしてベッドまわりもそうだ。パソコンしか置かれていない。


「…………お酒は?」


「あとで飲もうぜ? おまえ飲みすぎ。ちょっと控えたほうが良い。吐くことくせになってるんだろ?」


「…………幻覚にしちゃ、随分厳しいね」


「そりゃそうよ。幻覚じゃねェもん」


 そういい、そそくさと少年は家の外へ出ていった。

 ホープは掛け時計を見る。時刻は一二時ぴったりだ。何時間連続で起きていたのだろうか。


「ああもう、寝むればすっきりするはず。あの子が幻覚か否かってね」


 不思議と眠くならない。酒と睡眠薬がないと人間という生き物は眠れない構造になってしまったのだろうか。むしろ眠ろうと思えば思うほど、ホープの緊張心は高まっていく。


「ってことは……これが恋なのか!? ……いや、女子中学出身だし、同年代の男子と話したの人生初かもしんないけど」


「なーにわけわかんねェこといってんだ?」


「そうさ……。まさか漏らしたのを掃除してもらって、あの瓶を捨てた人なんているわけないじゃないか。というわけで、精神安定剤を食おう」


「変にいじるわけにもいかねェし……ああ、まどろっこしいのは嫌いなんだよ。オレだって経験皆無のチェリーじゃねェんだ」


「えーと、安定剤安定剤……。ん? 幻覚が近寄ってくるぞ? かっこいいな。男前だし、目の色が良い。たまには良い幻覚も見られるんだね」


「褒められて光栄だ」


 柔らかい感触だった。わずかに彼の匂いがした。

 唇が溶けるような感覚だった。

 それでいて、強引ではなかった。

 あくまでも、この場の主役はホープなのだ。


「ちょっとは目ェ覚めた? 覚めねェんなら何度だってやってやる。良い幻覚でなく、良い現実だってわかるまで。……なにいってんだオレ。めちゃくちゃ臭せェセリフいっちゃった。ワリィ」


 顔色変えず、ケロッとした表情で、少年はじっくりホープを見据える。


「オレはシエスタ。勉強教わりに来た」


 この時点で、ホープの現実は幻想を上回った。目の前にいる、高身長で顔立ちが整っていて、筋肉質で不良風な目つきと顔つきをしている少年が、シエスタという名前の現実であると、ホープは知ったのだ。


「…………え、あの、え、あ、え。す、すみません」


「なんで謝るんだ? 謝るのはこっちのほうだ。勝手に侵入して悪かった」


「あ、そ、その……え、あ」


「やっぱ人と関わるの嫌? だったら仕方ねェ。帰るわ」


「え……ちょ、ちょ、ちょっとまって」


「ああ、待つよ」


 このとき、ホープが病院の先生・カウンセラー以外と会話したのは半年ぶりだった。

 いや、半年以上は経過しているだろう。なので距離感がわからないのだ。


 ──というか、こんなイケメンが家に来るなんてはじめてなんですが!?


「え……ゲホッゲホッ!! おえっ!?」


「水飲め。ほら」


 シエスタはホープへウォーターボトルを投げ渡す。ホープはそれを後生大事に抱きしめるかのように、一気飲みした。


「つか、あれだな。自己紹介が足んねェんだな。名前はシエスタで、性別は見りゃわかるけど男。なんか白いのは先天性のアルビノってヤツの所為で、この見た目で舐められるのが嫌だから鍛えてる。そして素晴らしいほどのバカ。先生に一〇〇年にひとりのバカっていわれちゃうくらいに」


 シエスタは苦笑いを浮かべた。


「んで、勉強しねェとやべーから勉強教わりに来た。そんでワリィけど、一年生のときの試験順位見るまでホープの存在知らんかった。だから初見だなオレら。……あー、知らねェ子と話すのって案外緊張するな。しかも酒抜き。ちょっと煙草吸ってくる」


「ま、まってくだひゃい!!」


「ん?」


「ひとりでいたくないでしゅ……。ろ、ろれつが回らない……」


「えー……」シエスタはちょっと機嫌が悪そうに、「オレ結構人見知りだからさ、ヤニで気分変えてェんだよね。ここで吸ったら部屋臭くなっちゃうよ? あと健康に良くない。ふ、ふ、ふく……なんとかが健康に良くねェとかなんとか」


 ──心臓バリ痛い。てか思考がまとまんない。……煙草? 煙草ってなんだっけ? あれ?


「もうご飯くさっちゃったかな……」


「え?」


「え? ……あっ!! えと、あの、その、なんでもないです……。ウチのことは放っといてください……」


「なら外で吸うし、なんなら帰ったほうが良いってことなの?」


「えっ!?」


「うーむ……。やっぱ本に書いてあることだけじゃ足んねェんだな。いや、あれか、思考がまとまってねェのか。それこそムズいなァ……。精神解析のヤツ呼べば解決すると思ったけど……。うーん……」


 シエスタは箱を取り出した。そして……名前が出てこないが、火をつけるものを取り出した。

 これもまた名前を失念したが……いや、なにもわからない。そもそもなにを咥えているのかもわからない。


「あ……ワリィ。勝手に吸っちゃった。さっきから換気扇マックスにして窓開けてあるから、たぶん匂いそこまでこもんねェはず。あー……思考をまとめる方法かー。オレもバカだからわっかんねェだよなー。寝るかヤニかのどっちか? うーん」


「それはとても素敵?」


「へ?」


「……え? あれ? それを吸っても良いですかっていおうとしたのに──」


「ああ、良いけど」


 シエスタは頭をかしげながら、ホープへそれを渡す。

 思い出した。これは煙草だ。そして火をつけるものはライターで、シエスタが広げているのは携帯灰皿だ。


「あ……」


「んん? 煙草吸ったことある?」


「え、ないです」


「おいおい……」シエスタは苦虫でも噛み潰したかのような笑顔で、「じゃあやめときな。中房のとき調子乗って吸い始めたんだけど、マジで体力落ちるからよ。走るの嫌になっちゃうよ」


「……」


 そうシエスタが忠告したころには、ホープは父親を思い出して煙草を吸った。


「父ちゃんがよく吸ってたなぁ……。たまにもらったっけ」


「へー。じゃあなれたもんだと?」


「い、いや、そういうわけではないです……」


「別にチクったりしねェんだけどな……。まァ良いや。さっき気絶してる間に飯買ってきたから、吸い終わったら食おうぜ」


「どんな職場があるとなります?」


「へ?」


 ──さっきからおかしい。口に出した言葉と意味が一致してない。というか、眠くなってき……。


 *


 シエスタはレイノルズ病院を一旦出て、学校へ電話をかけていた。


「おい! ホープのお母さんとお父さんはいねェのかよ!? あの子倒れちまったぞ!? まずはご両親へ連絡を──は?」


 シエスタの身体から力が抜けた。嫌な抜け方だった。脱力感である。それが事実であれば、ホープの希望はどこにもない。


「……間違いねェんだな? わかった。あの子はこちらで面倒見る」


 シエスタは手短に電話を切り、見えないなにかを見据える。


「誰にもいえねェな……。勉強教えてもらおうと無理強いしたオレに責任があるかもしんねェし、オレが出向かずあのまま放置してたら死んでたかもしんねェ。あー、くそ。やっぱこの世に神なんていねェよ。政府のアホどもは大っ嫌いだけど、宗教なんて捨てちまったほうが良いに決まってらァ……」


 そしてシエスタは病室へ戻っていく。なにかを失ってしまったであろう、ただただ不憫な優等生のもとへ。シエスタのような不真面目でいい加減な人間では理解できないし、ホープのような生真面目でしっかりしている人間でもわからない、これからへ。


 *


「なァ、レイノルズ病院へ救急搬送された患者のカルテ調べてくんね? オレじゃ聞き出せねェんだよ。ああ、友だちだよ。いやいや、女じゃねェって! 友だち友だち! つか、そんなことどうでも良いんだよ。頼んだぞスーパーハカー」


 いまだホープの治療は終わらない。これがもし家族であれば経過を教えるだろうし、致命的な損傷を受けてなければ看護師が状況を知らせてくれるだろう。


 では、なぜホープは六時間が経っても音沙汰がない?


 最悪の事態が起きている。そう考えるのが妥当だろう。


「…………!!」


 シエスタは、呼吸が止まったような感覚に襲われた。

 救急搬送された患者は五人。名前も載っている。そんなカルテへは、こう書かれてあった。


『意識不明。おそらく過剰摂取によるもの。また、記憶障害、言語障害、身体障害が起こる可能性が極めて高い』


「なぜ、ウチは平等社会で根元をしているんですんだよ?」


 すべては脳にたいする損傷からはじまったものだった。

 およそ一年間に及ぶ異常な過剰摂取と、質の悪い酒の大量接収。

 かろうじて彼女を人間足らしめていたものは、彼女が目を覚ましたことで終焉を告げた。


「どこから理科でウチはここにしてるの? アナタは誰? 機体が溺れてない。また、身体もうつろわない」


「終わったな……」


 医者は小声でつぶやいた。


 まず、言語能力は幼児言葉よりも聞き取ることが難しいところまで来ている。

「一人称」「二人称」くらいは覚えているようだが、それ以外はまったく発音できないし聞き取れない。彼女のなかではまともに発音しているつもりであるため、余計に怪訝そうな顔を強めるだけだ。


 そして記憶能力。

 きれいさっぱりすべてを忘れたわけではないだろう。だが、認知症が進んで家族の顔すら思い出せなくなり、当然友人の顔など覚えているはずもなく、簡単な単語も話せないだろうし、知能テストをすれば確定するだろう。彼女はもはや四則演算もできないと。一桁同士の掛け算も満足にできないだろうと。


 極めつけに身体能力。

 身体能力自体は、同年齢の者とくらべてやや劣る程度のものだ。つまり、歩くことや走ること、手を動かすことなどは理論上可能である。しかし、理論の世界の話しだ。身体へ命令を飛ばす脳が不可逆な損傷を負っている以上、投薬治療やリハビリで治る可能性は極めて低い。


「親とは連絡がつかないのか? 戸籍上、両親はいるはずだぞ?」


「それが……ロスト・エンジェルスの離島に住んでいらっしゃるようで、こちらから連絡するのは困難を極めるんです。そこで彼女の属している学校へ連絡を要請したところ──」


 そんななか、誰かが入ってきた。慌てた表情をした、アルビノの不良少年といったところか。


「……なァ。連邦の法律では、こういう状況に陥った患者がいたとき、医者の裁量が最優先されるんだよな?」


「そうだが? たとえ大統領であろうと、我々の考えが最優先される。キミの聞きたいこととは──」


「安楽死、させるつもりだろ?」


 アルビノの少年は医者を睨みつけ、しかしどこか暴力に怯えるような目つきだった。


「最悪の場合はだ。その最悪とはなんだと思う? レイノルズ病院でも手のうちようのない状況のことだ。レイノルズ病院はこの国でもっとも医療技術の充実した総合病院。ここは最後の砦。砦が破られたとき、死ははじめて救済となる」


「ヘッ……ああ、そうかい」


 開き直ったのだろうか。焦りを隠せていなかった表情が、どこか天に身を任すような、いい加減なものへと変わった。


「なら、最悪の場合を起こさなきゃ良いんだろ? まず、おめェらの飼い主様からの親書だ。レイノルズってのはこの国でもっとも高貴な血が流れてるってヤツらが名乗る名字らしいけど……まさか連絡先に該当者がいるとは思わなかったぜ。ほらよ」


 録音データらしい。シエスタはそれを流す。


「アネキ、困っちゃったぜ。ホープって子、知ってるべ?」


『……ワタシ、食事中なんだけれど』


「アネキは薄情じゃねェから、きっとオレを助けてくれるって信じてる」


『要件をいいなさいよ。まずは』


「ホープが入院した。しかもアネキの家族が持ってる病院で安楽死させられそうだ。詳しいことはあとで話すから、アネキの声でいってくれ。あとで署名用のデータも渡す。それにサインしてくれよ」


『……アナタ、相当参ってるわね? ワタシとアナタの派閥の考えは一致してるけれど、合致にまでは至ってない。そのボスがそのボスへ頭下げてるのよ?』


「んなもんどうだって良いんだよ。あんな学校の名誉なんて一メニーにもならねェ。なー、頼むよー。アネキが好きなアニメのフィギュア譲るからよー。ほら、あれだよな。ツンデレな妹が結局兄と結ばれる的な?」


『……どうしてそれを知ってるのかしら? ピアニッシモちゃんにバレただけだと思ってたけれど?』


「そりゃピアニッシモとも仲良いからな~」


『わかったわよ!! その話しは内緒!! けれどフィギュアはもらう!! その代わり認めるわよ!! レイノルズ病院はただちにホープ氏への最終的措置を取りやめなさい!!』


 録音はそこで切られた。そしてシエスタは署名を見せつける。

 紛れもない、レイノルズ家の人間──キャメル・レイノルズによる署名だ。彼女はまだ一七歳の歳だが、レイノルズ家の決定にはかなりの影響を持っている。彼女は家を継ぐことが決まりつつあるからだ。


「……アネキにも困っちまうよ。でも、オレが求めてんのはそこじゃない。これが大人の社会ってんなら、子どもにだって対抗できる方法があることを示してやったぞ。アネキもオレも子どもだけど、その子どもの言葉でもうホープを殺すことはできねェはずだ」


 医療学では助からない、いや、生かしておくことがその者にとって途方も無い損失になると試算された人間を生かすために、この少年はレイノルズ家をも動かしたのか? 

 また、説得の方法も見事だ。非常に苦しいはずの自分を押し殺し、映画のチケットでも譲ってもらうかのように人の生き死にを決めた。

 ただの不良少年ではない。勝機があるから、こんな大胆な行動がとれるのだ。


「……わかった。所詮、我々は元王族の飼い犬だよ。彼女の安楽死適用は取りやめよう。だが、キミになにができる? どんな魔法を使おうとも、不可能なものは不可能なんだぞ?」


「けッ、オレのスキルを知らねェみたいだな。まァ無理もねェ。オレだってあの学校に入らなきゃ、しょうもねェチンピラやりながら鉄砲玉として死んでた。でもな……」


 少年の手には、電流のような現象が巻き起こっていた。そう、少年のスキルは、この国でしか発見されていない、あるいは認められていない、希少なものだ。


「この建物でホープの命をつなぎとめてるのが、電気で制御されてるのはわかるぞ? オレは電気創造・操作のスキル持ちだ。この分野だけなら、世界でも最強っていわれてんだ」


 シエスタ。この世に存在するありとあらゆる電気量を生み出し、操り、微小な雷を起こすこともできる魔術師だ。その異例づくしのスキルは、この国ロスト・エンジェルスに知れ渡っている。


「オレはバカだ。最近まで小等部レベルの文字も読めなかったし、正直電気がどんなものかってのもよくわかってねェ。でも、この分野だけは自信を持っていえる。オレより上はいねェってよ。さァ、つまんねェ運命変えてやろう」


 シエスタは患者へ近づき、そのすべての束縛から解放されて安楽を受け入れる少女を見つめる。


「そうだな……。辛かったんだな。オレにはわかんねェ世界だ。あんな辛そうな顔しかしてこなかったヤツが、ほとんど死ぬと決まれば幸せをつかめる」


 シエンタはホープのデコへ手をかざす。


「じゃあ……その幸せを現実に変えてやる」


 シエスタに難しいことはわからない。なぜデコに手をかざしたら、とてつもない情報が脳内に共有されるのかもわからない。ブラウザのタブを消していくように、ホープに課せられた致命的なウイルスが鮮明に現れる理由もわからない。

 だから、やることはさっぱりとしたものだ。


「なぜ、誰が洗うの? アナタはいちいちどこなの? せっかちへ頼んだのに、どこまで止めてるんですだ?」


「へッ、なんで誰かが現れたの? アナタはいったい何者なの? せっかく楽しいのにどうして止めるの? ……っていいてェのか。そうだな。オレのエゴだ」


「エコロジーでおめえはなんでなにをなぜ……。この情報を遠いところへ話しをしよう」


「エゴでアナタは人の行動を止めるの? この状況を止めないで、離して。……止めねェよ。なにがあっても止めねェ。さァ、あと一回くらいは話せるだろ? いまのうちに楽しんどけ。本音で人にものを申せる快感をな」


「海岸はなにを買うことができる。もう話しでしよう。最適な頃合いをさせれば、アナタはウチを恨む…………………………」


「快感を貪ることはいけないことじゃない。もう離して。最後なのに殺されるなら、ウチはアナタを恨む。……よし。第一フェーズクリアだ。恨まれようと構わねェよ。オレはオレが正しいと思ってるから、おまえをこっちの世界へ救い出そうとしてるだけだ。さァ……すこし時間を置こう、脳に負担がかかってる」


 暖房が起動してあるとはいえ、額から汗を垂らして、ワイシャツが水遊びのあとのようにびしゃびしゃになるわけの温度ではない。

 シエスタにとっても最大級の苦難であるのだ。顛末を知っている物語を見て、それでもその終わり方になるのかすこしばかり不安になるように。


「言語能力は……そうだな。オレが一服終えたらある程度復活するはずだ。けど、記憶が復活してない。だから、わかることは一人称くらいと簡単な言葉くらいだろう。……一応いっておく。なにがなんでも政府の役人を介入させるな。この子へ変な記憶を埋めつけさせようとするなよ?」


 集中治療室にわずか設けられた椅子に座り、シエスタは煙草を咥える。


「……とかいっても、記憶の復元なんてしたら、また死にたくなるだけだ。かといって別の記憶を植え付けるわけにもいかねェし……記憶を解析した限り、ホープが幸せだった時期なんてない。そのときまで戻したら、見た目高校生の二歳児か三歳児の完成。……ああ、クソ。頭がワリィと面倒くせェな。他人に聞いちまったほうが早ェか」


 そんなわけで電話である。適材適所という単語くらいは知っているシエスタは、こんな場面で適切な処置をとれる人を思い出し、速攻で電話をかける。


「先輩、お疲れちゃん。この前フィギュアとアニメのディスク全部くれてありがとうな。とまァ、世間話したいわけじゃないんだ」


『なんだい? このピアニッシモ先輩に頼るということは? キャメルちゃんの口説き方は教えないぞ?』


「アネキはそういう目で見られねェよ。先輩からあの話し聞いて以来、オレが間に入ったら焼き殺されちゃう気がするし。んでさ、精神操作大好きの先輩に聞きてェんだ」


『人聞きが悪いな。あのようなスキルは、男女のいざこざを操って酒のつまみにするために使うんだ。それ以外には使わない。なんだ? キミもアタシに操られて女のケツ追いかけたいのかい?」


「先輩って人格破綻者じゃん? だから、ホープっていうオレと同い年の子にもツバつけてたはずだ。その子の性格をくんね?」


『構わんが……』即答し、『キミもわかってるんだろう? ホープくんの人生は憎しみと苦しみだけで構成されている。自分への憎しみ、他人への苦しみ。それを植え付けてなにになる?』


「ああ、なにになるかわかった」こちらもあっさりといい放ち、「どーせクローンでも造って政府へ提供するために、思考を電子化してるんだろ? そんだけの価値があるもんな? 先輩は最低のカス人間だけど、オレやアネキがどうなって行くかは知りてェはずだし、ホープの研究だってはかどらせたいはずだ」


『人間観察こそ最高の娯楽だ。では、情報を送ろう。もちろんタダでとはいわんが……』


「あー、りょーかい。アニメの話し付き合うよ。先輩もよくわかんねェよな。アンタほどの人って、あんな願望しかねェもん見ねェんだぜ? 自分の手で願望なんて手に入るもん。まァ良いや。近いうち、そちらへ向かうよ」


『ここまで鈍感だと、アタシ自身も誰かに操られている気分になりそうだ』


 電話が切られ、同時に情報が転送されてきた。


「よくわかんねェ人だなァ、マジで。……さァ、オペ──っていうの? まァなんかそういう響きのヤツやるか。ああ、先生方……」


 シエスタは制服の内ポケットから拳銃を取り出し、安全装置を一瞬で解除すると、目が泳いでいる医者へそれを向けた。


「正直に話せ。ホープになにを入れようとした?」


「な、なにも……」


「ふーん」


 引き金が引かれた。悲鳴と動揺が走る。


「あのさー、オレがバカなのは否定しねェし、もう治んねェもんだと思ってるけど、その分人の感情には敏感なんだぞ? いま、目ェ泳いでたヤツ、除去の手間増やしやがったお仕置きだ。大丈夫、足撃たれたくらいじゃ死なねェのは医者のアンタらが一番わかってんべ?」


 ため息をついて、今度は周りをキョロキョロ見渡し、幼児退行してしまった──そしてこれから記憶を復活させるホープと向かい合う。


「兄ちゃん誰? ここどこ? ウチなんでここにいるの? 父ちゃんと母ちゃんは?」


「父ちゃんと母ちゃんは仕事が忙しいんだ。ここは身体の悪い部分を治すところで、兄ちゃんが嬢ちゃんの悪いところ治したる」


「そうなんだー。兄ちゃんかっこいいねー。ウチね、いつか兄ちゃんみたいな人とチューしてみたいなー」


「そう遠くない未来にできるよ。さァ、髪をこうやるんだ」すくい上げる動作をする。


「こうー?」


「そうそう。良い子だね」


「頭なでてくれるの? 頭痛いんだ。お熱あるのかな?」


「そうなんだよ。悪いお熱が嬢ちゃんを食べようとしてるんだ。だから兄ちゃんがそれを追い出してやる。よし……」


 電気信号を操る。いってしまえば狂気の世界だ。人の脳に電磁波を浴びせて、正気に戻そうとしているのだから。


「……そうさ。全部オレのエゴだ。この子がどんなに絶望を見続けてきたとしても、オレはオレのエゴでそれを追い出してやる」


「んー? なんの話しー?」


「なんでもないよ。よーし……」


 埋め込むものはふたつ。

 言語能力を完全に復活させる、数万ページにも及ぶ辞書のデータ。

 ピアニッシモから受け取った、ホープが学校へ行っていたときの記憶。

 そこにシエスタの記憶はない。そしてシエスタは、自分との出会いとちょっとした会話を復活させるつもりもない。


「また、やり直せ。今度はひとりぼっちじゃねェ。オレがなんとかしてやる。そう決めたんだ」


 人格の復元と言語データ。その作業は一分とかからなかった。

 体力を大幅に消耗したシエスタは、その場に寝転ぶ。


「へへッ……ホープ、今度はゲロとヤニが混ざったファーストキスなんてやめようぜ。男前っていってくれたこと、オレを拒絶しなかったこと、すげェ嬉しかったよ。そんだけだ……」


 別に死ぬわけではない。ただ眠るだけだ。

 されどシエスタは、まさしく死人にでもなったかのように、いびきひとつかかずにその場で寝始めた。


 *


「……はっ!? 学校行かなきゃ!! って……なんで病室にいるの、ウチ」


 ホープは原因を考えてみる。

 考えた。なにも思い出せない。


「……ってことは学校行かなくて良いってこと? やったー!!」


「よォ」


 そうやって個室の病室でひとりはしゃいでいると、誰かが入ってきた。

 白い髪。白い肌。赤い目。筋肉質な身体付き。不良風な髪型と目つき。


「え……あの……ど、どなたですか?」


「シエスタってもんだ。とりまお菓子食おうぜ」


 屈折のない笑顔でシエスタは菓子の入った紙袋を差し出す。

 このときをもって、ホープに希望が芽生えはじめる。


やばい。なんか九時くらいからはじめて長編にしようと思ったら、短編としてうまくまとまっちゃった。

というわけで載せます。反応が良いか、新しく内容思いついたら連載版作るかもね~。

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