伸びた髪
「……髪。伸びてきちゃったな」
私は目の前で揺れる前髪を摘んだ
「……やだなぁ」
鏡の前で、私は思わずポツリとつぶやいてしまった
髪を切るのが嫌なわけじゃない。……短めよりかは顔がある程度隠せる長さの方がいいけど
そんなことよりも、床屋に行かないといけない点が、私にとってはすごくキツい
人との会話が苦手なのに……長い時間美容師の人と2人……喋りかけてこない人ならまだいいんだけど、運が悪いとSAN値が足りなくなる……
自分で切ろうと思ったこともあるけど、失敗したら取り返しがつかなくなっちゃうし……
「誰か気兼ねなく切ってくれる人いないかなぁ……」
そもそも友達がいない私にそんな人がいるわけーー
「湊に頼んだらいいじゃん」
「うわあああああああ⁉︎」
突然どこからか聞こえてきた声に、私は腰を抜かし、その場でへたり込んでしまった
「も、もしかして李華……さん?」
「ごめんね由布子さん!そんなに驚くと思わなくて」
見られてた⁉︎聞かれてた⁉︎湊さんの家じゃないのに⁉︎……もしかして
「り、李華さん。李華さんって地縛霊と言われる存在のように、その場所から動けないとかじゃないんですか?」
「私?私は地縛霊とは違う存在だよ?だから基本的にどこにでも行けるけど」
「じゃ、じゃあ私のこととかたまに見てたりとか……」
「う、うん。たまにだけね?」
私のアレとかコレとかこういった事とか、よりにもよって湊さんの元嫁さんに見られてる可能性が……
「も、もう生きていけません……」
「そんなに⁉︎生きてもらわないと困るから‼︎」
私は李華さんの能力のタイムリミットが来るまで、慰めの言葉をかけられた
♢ ♢ ♢
「いらっしゃいませぇ」
オシャレなところ……美容室って何でこんなにオシャレ仕様なところが多いんだろ?
私は李華さんに説得され、湊さんが働いている美容室へと訪れていた
「ご予約はされてますかぁ?」
「い、いえ……し、してないです……」
「そうですかぁ。では、そこのソファーでお待ち頂けますかぁ?」
「は、はい」
予約をしてなかったから、待つことになるのは予想通り
湊さんの姿は見当たらない……李華さんに今日は出勤日だって聞いてるから、多分休憩中なのかな?
あと……ソワソワする。美容室なんて初めて来た
独特な雰囲気があって、私はなんだか落ち着かなかった
……そもそも湊さんに切ってもらえるか分からない
あのダンディな男性かもしれないし、少し男勝りな雰囲気の美人なあの人に買ってもらうことになるかもしれない
女性の方ならまだなんとかなるかもしれないけど……ダンディな男性の方だったら、私が耐えきれずに店から飛び出てしまうかもしれない
「ありがとうございましたー!」
切り終わった女性が1人、店を後にした。手が空いたのは男勝りな美人女性だった
「女性なら……まあ」
内心大喜びの私。本当は湊さんが良かったけど……
「あ、終わったならこっち交代してもらえるかなぁ?」
「はーい」
え?交代しちゃうの?え?じゃあ私は……
「お待たせしましたぁ。1番奥のお席へどーぞぉ」
……この人は本当にほんっとに悪くないんだけど……最悪だ
「あ、え、あ……そ、の……えっと……」
帰らないと……どうせ途中で耐えられなくなることは目に見えてるのだから、迷惑かける前に出ないと……
でも……私の舌が緊張で上手く回らない
「……あ、その前に貴方に担当する美容師を呼んできますね」
「あ、え?あ……はい」
ダンディな男性は、店員専用らしき部屋に入っていった
「湊ー……くん。休憩は終わり。1番奥の方のお相手よろしくぅ」
「え?でも休憩時間的にまだ時間があるはず……」
「俺が休憩したいんだよぉ。お客さまのお相手が終わり次第、もう一回休憩入っていいからぁ」
「はぁ……分かりましたよ」
奥からダンディな男性と共に、見知ったイケメンさんが出てきた
「いらっしゃいませ……って由布子さん?」
「ど、どうも……」
「初めて来て下さいましたね。どうぞおかけ下さい」
私は湊さんに案内されるまま、席に座った
「……あれ?俺何してたぁ?」
「何訳わかんないこと言ってるんですか?早く休憩行って下さいよ」
「俺が休憩するのぉ?」
「自分で休みたいから湊さんと交代してって言ったんじゃないですか。記憶喪失ですか?歳ですか?」
「お客の相手しながら罵倒してくるのやめてもらえるかなぁ?……全然覚えがないけど、休ませてもらおうかなぁ」
ダンディな男性は店員専用らしき部屋へと入っていった
「どんな感じにしますか?」
「えっと……前髪はちょっとだけ切ってもらえると……」
「目にかからない程度ですか?」
「は、はい」
「後ろは?」
「後ろも……少しでいいです」
「分かりました」
ほんのちょっと切るだけで美容室に来るななんて思われてないかな……
「じゃあ切っていきますね」
「は、はい」
♢ ♢ ♢
私の髪を切り始めて2分。あんまりこういった場所に来ない私でもわかるぐらい、湊さんは丁寧に髪を切ってくれている
ただ……一言も会話がない
私のイメージ……というより体験談だと、美容師って客と話しながら切っているはず……
敷居が高くなるとそのシステム?サービス?みたいなのがなくなるのかな?
でも隣の女性美容師さんは、客とワイワイ話してるし……
単に私と喋ることがないのかな……
「……こんな感じでどうですか?」
後ろの髪も見えるように、幅広の手鏡で後ろを映し、前の鏡越しに見せてくれた
前髪は私の理想通り。後ろは……もう少し切っても良さそうな気がする
「えっと……後ろをもう少しだけお願いします」
「切った分と同じぐらいでいいですか?」
「……それの半分くらいで」
「半分ですね。分かりました」
湊さんは手鏡を直し、腰に付けたポーチから再度ハサミを取り出し、チョキチョキと音を立てて切っていく
変わらず会話はない。この室内に鳴る音は、ハサミの音と、隣で会話する2人の声だけ
「……湊さん」
「はい?」
しまった……思わず声をかけてしまった……
でも、せっかく反応が返ってきたんだ
「私と……話すことないですか?」
隣で会話する2人を見ていると、なぜか羨ましい気分になってしまった。普段なら絶対に湧かない感情……
多分……ううん。絶対相手が湊さんだからそう思えたんだ
「……ありますよ。ただ由布子さんってあんまり公共の場とかで話しをするのが得意じゃないみたいなので、黙ってたんですよね」
「え……私のため……ですか?」
「ため……うん。まあそうですね」
そっか……そうだった
湊さんはそんな細かい気遣いまで出来る優しい人だった
「……今日ご飯食べに行ってもいいですか?」
「え?今日ですか?」
「……最近話せてなかったので、ここで話せなかった分、少し話したいです。……ダメですか?」
「いいですよ。じゃあ仕事が終わったら連絡しますね」
……私にしてはすごい勇気を出した。その分断られたら心が折れてたと思う
勇気を出して良かった……
「はーい!それ私も行きます‼︎」
隣から元気な声で私達の話に入ってきたのは、男勝りの美人女性だった
「千夏が来る意味がわからんが」
「行きたいからです!」
「由布子さんは人見知りだからダメだ」
「え⁉︎人見知りなんですか⁉︎」
「は、はい……」
お客の髪を切るのをやめてまで、こっちの話に混ざる美人女性。お客が怒るんじゃ……と思ってたけど、娘を見守る優しいお母さんみたいな表情でこっちの会話を聞いていた
「人見知りなら仕方ないですね……じゃあ代わりに明日行きます」
「明日なぁ……」
……これ。もし湊さんがOKを出せば、明日はこの美人女性と2人きりになるということ……
私とは、あの……い、いやらしい雰囲気になったりしないけど、こんな美人な女性と……しかも自分の家で2人きりになる……
いくら湊さんが聖人君主とはいえ、何かいやらしい雰囲気になってしまうのでは……
私の頼りになるか分からない第6感が危険だと告げていた
「や、やっぱり大丈夫です!3人で食べましょう!」
本当は2人が良かったけど……明日2人きりで過ごされちゃ困る……!
私の思いついた最善策は、これしかなかった




