不審者
「ハァ……」
弱々しいため息とともに、持っていた補充用の文庫本を本棚にそっと差し込んだ。なんだか、仕事が手に付かない。上の空というか。
俺は『まさやんの本屋さん』で、本棚の整理や補充をしていた。
今は、店内に客はいない。俺1人だけ。
加奈と気まずい空気になり、風花姉の喫茶店から逃げるように出てきて、もう2時間近くたつ。
店内の掛け時計に目を向ける。午後の3時になろうとしていた。加奈はまだ、帰ってこない。そのことに、焦りがこみ上げてくる。お、落ち着け、まだ帰ってこないのはちゃんと理由があるだろっ。
俺は、ポケットにしまってあったスマホを取り出した。もう何度見たか分らないメッセージ画面を開く。
『ちょっと加奈ちゃん借りるねっ! 心配しないで! バイト時間内には返してあげるから。そうね、お昼の3時頃くらいになるかも(?_?)』
風花姉から午後1時前に来たメッセージだ。
このメッセージを初めて見たとき、俺は戸惑うばかりで。まあ今もそうなんだが……。加奈は、風花姉の喫茶店で昼飯を食べた後、こっちに戻ってくると思っていたから。
なんで急にそうなったのか、理由を聞きたかった。でも俺は少し考えて、聞くのを止めた。原因は、きっと俺にある。だから―――、
『わかった』
と、そう短く返しただけ。
ポケットにスマホをそっとしまう。力の無い足取りでレジの方にある椅子に向かった。重い腰を降ろして座り込む。冷房の無機質な音が嫌に響く店内で、今日の自分の態度を思い返す。
加奈に対して、すごく冷たい態度をとっていた。午前の仕事中に加奈のミスを責めてしまったり、午後も風花姉の喫茶店で蒸し返すようなことをして。
「加奈をフォローしなきゃいけない立場なのに……」
俺は、なんでそうできなかったんだ。
『素直に可愛いって言えばいいじゃない』
「うっ……!?」
風花姉の言葉が、急に俺の頭の中で蘇る。なに考えてんだ、い、今は関係ないだろっ。
「……、いや」
そんなことない、よな。
「はあ~……」
ほんとは、分ってる。俺が、加奈に冷たい態度をとってしまった原因。
『まさやんの本屋さん』に来たお客さん、そして、風花姉。皆が口々にしていた事を、俺も素直に言えば良かっただけなんだ。そしたら、変にギクシャクすることもなく、加奈と普通に接してたはずだ。
加奈の装いを思い出す。膝丈の清楚なスカートに、ゆったりとした白のノースリーブブラウス。艶やかな黒髪は、淡いピンク色の小さなリボンでゆるく後ろに纏められていて。
ふわっとした優しい雰囲気。綺麗でいて、―――、『可愛い』。
「……、っつ」
胸が、高鳴る。
思わず首を左右に動かした。店内には、誰もいない、もちろん加奈も。そのことに安堵する。いやいや、今、ここにいないって分かってるだろ。
そう思っても、気になってしまって。今さら、加奈に面と向かって『可愛い』なんて言えるわけでもないし。というか、加奈が帰って来ていきなりそんなこと言ったら不自然だ。余計、接しづらくなるだけ。
ふぅ……、そういや、今って……。
また、店内の掛け時計を見てしまった。思わず目が見開いた。
なっ!? もうすぐ3時!?
鼓動が粗々しくなる。
どうする!? もうじき、加奈が帰ってくる。
視線を店のドアに向けた。すると、ちょうどそこに人の姿が。思わず喉が鳴った。
店のドアが開く。
と、とりあえず、お帰り、って言おう!
「加奈! おかえっ……!?」
俺の緊張が急激に高まる。
首が硬直して、動かない。というか、目がはなせない。だって今俺の視界、正面には、
野球帽のような、つばのある帽子を目深に被り、大きなマスク、そして、黒のサングラスをかけた、明らかに不審な人物が入ってきた。
おいおい、強盗犯みたいな格好すぎるだろ。
俺は突然の出来事に、レジカウンター内で身動きが取れなかった。そして、正面にいる不審者も。
でっかいサングラス越しに、俺をじっと見つめているような感じだった。
えっ、えっと、加奈なのか……? てか、怖い……!
俺の周囲には、何とも言えない張り詰めた空気が漂っていた。