入寮 -1
入学試験を終えて、あたしたちは大広間の外に出た。まだおひさまは高い。お昼前か、お昼の後か。きっとそれくらいだ。少なくとも、そんなに外れてはいないだろう。
王都でも、朝と、昼と、夕方に教会の鐘が鳴った。あたしたち庶民は時計なんて持っていない。時間は太陽を見てなんとかなく把握するか、それか教会の鐘に頼るか、後は、自分の体内時計を信じるかだ。意外と体内時計が頼りになるって、冒険者の人達は言うけれど、多分彼等は洞窟とかにもぐるから発達しただけだと思う。
多分だけれど、この王立魔法学院にも教会の鐘の音は届くはずだ。聞こえていないってことはまだお昼になっていのか、もしくは大広間には聞こえないようになっているのか、あたしが聞き漏らしたかのどれかだろう。
ワイアットと久しぶりの再会を喜んでいたら、庭園の中央で手を叩く音がした。
「さて、再会を喜ぶ気持ちも分かるが、そろそろ寮へと移動しよう。寮母さんが首を長くして待ってくれている。
男の子たちはこっちについてきて」
「女の子たちはこっちよ。ようこそ、王立魔法学院へ」
先輩たちにそう促されて、あたしたちは庭園の反対側にある、寮へと案内されることになった。
学院長先生が言うには、今年の合格者というか受験者は二十二人。市井のっていうか、魔法を見に来たら魔力があることが分かって、合格者になってしまった子たちが七人。で、合計二十九人らしい。やっぱり、ハルトムートさんから聞いた人数よりは、半分とまではいわないけれど少なくないかな。あたしたちが特別に少ないのか、それともハルトムートさん達の時が多かったのか。まあ、考えても分かることじゃないか。あと分かったからって言って、なにがどうってこともない。
庭園にいた新入生のうち、半分くらいずつに分かれて男子寮と女子寮に向かう。それほど、人数に差異はない、ような。気がする。実際の数はまだよくわからないけれど。
寮は四角い石造りの建物で、手前が女子寮、奥が男子寮だ。どちらも庭園に面してドアがあって、そのドアの上に庇がある。その庇は男子寮の玄関まで続いていた。そこから本館というか、ハルトムートさんが言うには図書館塔まで庇は続いている。
雨の日でも、濡れずに学校に行けるのはとてもありがたい。けれど嵐みたいに横殴りの雨の日だったら、濡れるよね、あれ。
寮の玄関は、可愛いというより少し古めかしい印象だった。玄関ポーチには三段ばかりの階段があって、ドアの背は高い。前の方の子たちはわいわいとざわめきながら、寮に入っていく。あたしは、順番待ちの間にその古めかしい建物をしげしげと観察していた。
「……あれ。なんで、あんなところに魔法が刻んであるんだろう」
ひとつは、ドアの上。半円型の明り取りのガラスは一見すると綺麗なステンドグラスなんだけれど、その模様は魔法陣だ。意味はさっぱり分からないけれど、師匠の持ってた本に書いてあったのに似てる。
「あら、わかるの?」
「師匠の家には、魔法が刻まれたものが沢山あったの。それに似てるなって」
師匠も師匠のおじいさまも、それはもう面倒くさがり屋さんで、色んなものに魔法を刻んで楽に暮らせるようにとしてある。例えば野菜棚。保存期間を伸ばすための魔法を刻んで、買い出しに行く回数を減らしたりとか。鞄に魔法陣を縫い込んで、多めに入るようにしたりとか。
「ふふ、中に入ればわかるわ」
先輩は笑う。
うー気になる! けれど、そんな簡単にわかるものなのかな。
見れば、玄関ポーチの階段にも、ドアにも刻まれている。入口に刻む魔法って、なんだろう? それも、学校で習うのかな。だとしたら楽しみだ。
あたしは後ろの方にいたし、ドアは大きくなくて一度に沢山は入れない。だからしげしげと玄関を眺めることが出来たけれど、それでもあたしの順番は来た。
「うわ、広い!」
「そう。玄関に刻んであった魔法は、これ。今度探してみるといいわ。色んなところに刻んであるから」
「ええ、楽しみにします!」
おそらく建物を建てる時に刻んだのだろうとは思うけれど、もしかしたら後から増築するのと同じ要領で刻み込んだのかもしれない。一度刻んであるものに後から刻むのは難しいって師匠は言っていたけれど、既存のものに後から刻むのについては、ええと、確かそれほどでもないって言っていたような。とはいえ師匠のあれはほとんど言い訳を口の中で言っていただけだったから、よく聞こえていなかったのよね。
「皆さん、よくいらっしゃいました。歓迎いたします」
全員が中に入り、ドアが閉められた。そこは少し広めのホールになっている。
ホールに、一人の女性がいた。グレーの髪の毛をアップに結いあげていて、足首が隠れるほどのロングワンピースの上からグレーのガウンを羽織っていた。おばあさんではない。若くもないけれど、師匠よりは上かなってくらい。
「私はこの寮の寮母を務めさせていただいております、イレーネと申します。マダム、ではなく、レディ・イレーネと呼んでちょうだいね」
どうやら、まだ独身のようだ。名乗った時は真面目な顔をしていたけれど、そのあとレディと呼んでと行ったときは、にこにこと笑っていた。きっと冗談が好きなタイプの人なんだろう。
「私はこの一階、玄関ホールの横に私室を持っています。大体はそこにいるから、何かあったらそこに来るように。出かける時は、分かるようにドアに札をかけておきますからね」
「お、レディ。学生さんたちみんな揃ったかい」
「そのようです。
皆さん、彼はサルバトール。この寮での食事全般に対応してくれます。食堂は一階の奥、ホールにあるこの壁の向こう側が厨房になります」
レディ・イレーネはついてきなさいとあたしたちに言うと、踵を返してホールの奥へと歩を進めた。玄関ホールの右横にレディ・イレーネの管理人室。ドアの上半分はガラス窓になっていて、レディが在室しているかどうかは一目瞭然だった。師匠のお店のように、ドアの窓にはカーテンが付いていて、きっとレディが不在の時はあのカーテンは閉まり、不在の札もかかるのだろう。
レディの管理人室の前を通ると、右手に階段。そのすぐ向こうが、食堂だった。
六人掛けのテーブルが二つくっつけられて十二人掛けになってる大テーブルが三列。その内、一番右側のテーブルにだけ、花の活けられた花瓶が置いてあった。
「あなたたち新入生はあの花瓶の置いてあるテーブルを使ってください。席は決められていません。が、十二席しかありませんので、うまいこと時間をずらすなどして使用してください」
「レディ、今年は十三人だそうですから、椅子をひとつ移動させれば全員でテーブルを囲めますよ」
「あら、そうなの。それじゃあ、真ん中の列が三年生で、彼女たちのほとんどは外で修業をしていますから、こっそり一脚移動してしまいましょう」
レディ・イレーネの言葉に、あたしたちをここまで案内してくれた三年生の一人が笑いながら、椅子をひとつ移動させてくれた。それは向い合せに並んだ十二の椅子の横、テーブルの短辺に置かれる。
「さてそれでは部屋の案内をしましょう、と言いたいけれど。まずはお昼ご飯にしましょう。お腹空いたでしょう?」
わぁっと大きくはない歓声が上がる。入学試験は朝の喧騒が落ち着いた頃から始まり、なんのかんので今は昼前だ。お昼の時間は過ぎてるかもしれないけれど、そんなに凄くはずれていない、はず。つまり何が言いたいかというと、あたしたちはお腹がペコペコなの。魔法を使うと、お腹凄い空くのよ!
食堂の左奥、あたしたちのテーブルから離れたところに、厨房のカウンターがあった。白い服を着たサルバトーレさんが、カウンターから半身を出して手を振っている。何人かが振り返していた。違う、多分そうじゃない。
「食事は、朝昼夜と三食準備します。前日の夜に申請すれば、ランチボックスを用意します。実習で外へ出る時なんかは利用することになるわ」
「でもレディ、実習に行くようになるのは、大分先の話よ」
「ピクニックに行ける許可が出るのも、半年は先の話ですしねぇ」
「レディ、そこの庭園でピクニックとかもできますか?」
「ああ、いいわね。晴れてる日なら、してもいいと思うわ。
けれどお部屋に持って帰ってひとりで食べたりはやめましょう。せっかくだもの、食堂で皆さんで食べた方が美味しいわ」
ねぇ、パパ、ママ。魔法学院て凄いわ。三食ご飯が食べられるの。外に出る時は、申請すればランチボックスですって。あたし、それだけでここで頑張って行けそうよ。しかも中庭にある庭園でピクニック! 今度のお休みの日、それがいつかは分からないけれど、その前日にお友達が出来たら、誘ってやってみよう。きっと、とても楽しいわ!
「食事は今、一生懸命手を振ってくださっている、サルバトールさんのいるカウンターから各自受け取って、学年ごとに決められたテーブルであれば、好きな席て食べてくれていいわ」
レディ・イレーネがゆっくりと手を動かしてサルバトールさんのいるカウンターを指し示した。だからあたしたちは、そちらに向かって動いていく。一列に並んで、サルバトールさんからワンプレートのランチを受け取った。
プレートにのっているのは、皮がカリッと焼かれた鳥のもも肉に、薄く切られたライムギのパン。甘く煮られた豆類に、野菜のピクルスと、それから白いドレッシングのかかったサラダ。
美味しそうなランチプレートをお盆に乗せて、その隣に置いてある大きめのマグカップにも手を伸ばす。そこに入っているのは赤いトマトのスープ。
むしろこれで美味しくなかったら驚きだ。どう考えてもこれは美味しい。だって匂いも美味しそうだもの!
「エリーナ、こっちこっち」
テーブルに先についていたスーリエが、あたしを呼んでくれた。一人で食べるのは寂しいから、ありがたくその隣の席にお盆を置く。
テーブルのあちこちでは、何人かずつキャッキャと話が弾んでいる。どこから来たのか、とか、どんな魔法が得意か、とか。
けれどまだ全員がテーブルにはついていないから、もちろんあたしたちも含めて、レディ・イレーネたちに意識を割いている。話はするけれど、まだランチには手を付けない。
「この建物、外から見た時より広いわよね!」
「ああ、玄関の所に魔法が刻んであったわ。先輩に聞いたのだけれど、建物の色んなところに刻んであるんですって」
「すごいわ! 魔法の刻んである建物なんて!」
先輩から聞いた話を、スーリエにしたら喜んでいた。分かる、その興奮あたしもとても分かる。
スーリエの声に、近くにいた子たちにもこの話が伝わって、テーブルはこの話で持ち切りになった。聞こえているのだろう、レディ・イレーネが笑ってる。あーこれきっと、毎年ある会話なんだろうなあ。うん、わかる。新一年生はそりゃついついその話になるわ。
「さて皆様、いただきましょう」
全員がお盆を手に、席に着くことが出来た。……全員が着いているということは、あたしたちより先に大広間を出た市井の子たちも、寮にいるということだ。そういえば彼女たちは、ここに入学できるんだろうか。記念に見に来てるだけの子だと思っていた。そうであるなら、いきなり今日から寮での生活とか、寝耳に水だと思うんだけど。本人もそうだろうし、親御さんだって。あたしだって両親にやらかしたけれど、あたしには覚悟があった。この子たちは違うんじゃないかなって少し思うから、後で話を聞いてみようっと。
先輩たちも、レディ・イレーネも別のテーブルに座っている。その前には、あたしたちのお昼ご飯と同じメニューが乗ったお盆。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
師匠に聞いたのだけれど、これはとても簡略化された祈りの言葉だという。教会ではもっと長く祈りの言葉を捧げる。それが市井に出た際に、最大限簡略された言葉なのだとか。
そんな事はともかく、あたしはランチプレートにフォークを突き刺す。まずはサラダだ。ドレッシングがアクセントになって美味しい。食べたことのないタイプのドレッシングだ。あたし、割と色んなところを旅したことがあるような気がするんだけど。これはあれだ。きっとあれだ。あたしが食べたことないような、お高いドレッシングなんだろう。
初日からとってもついてるわ! パパとママの手紙に書こうかしら。……やめておこう。そんな悲しい手紙はなしだ。
「このピクルス美味しい!」
「もも肉も、皮がぱりぱりよ。流石よね、ここは元々離宮だったというし、今は陛下の個人的な学院なんでしょう?」
「だからご飯もこんなに美味しいの?」
軽くあぶられたライムギのパンにもも肉を乗せてかぶりつく。タレなのか、肉汁なのかわからないけれど美味しいものが、口の中に溢れて! あたしの食べ方を見て、パンにはさんでみたりする子も現れる。でも誰も、それがはしたないとか言わない。美味しいご飯の前には、マナーなんてないも同然なのだ。
まあもしかしたら、そういう事を気にする人がいないだけかもしれないけどね!
20190811 誤字修正しました。
エリーナの一人称間違ってるところ見つけてしまった…
遅くなりましたが、評価とブクマ、ありがとうございます!