王都へ -2
街道沿いの野営地での休憩を終えて、あたしたちは再度馬車に乗り込んだ。休憩前と同じように、あたしが乗って、ハルトムートさんが乗って、最後にゾランさんが幌の外を覗けるような位置に乗る。十分に寝たのか、今度はハルトムートさんは瞼を閉じなかった。
「それで兄ちゃん、さっきの話の続き!」
「そうそう、教えておくれよ」
馬車に乗ったおじちゃんやおばちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんが楽しみにしているのがうかがえる。野営地ではみんな話しかけてこなかった。体のあちこちを伸ばすのに終始していたからだろうか。ぐーっと上に伸びて、屈伸運動をして、腰を回して。縮こまった体が伸びて、とても気持ちいい。
その間にゾランさんとハルトムートさんは手分けして、王都の方向から来ていた商人とか冒険者とかに、街道の様子をうかがっていた。結果は問題なし。野営した時に遠くから狼の遠吠えが聞こえたくらいだそうだ。
なんであたしがそんな事を知ってるかっていうと、二人が御者さんに話していたのを興味本位で聞いたからだ。他に長距離の乗合馬車はなかったので、御者さんは馬たちを休めるのに専念していた。草を食んで水を飲んで、馬たちも元気になったみたいだ。これからもよろしく。
「さっきの?」
ハルトムートさんは不思議そうに首をかしげて、あたしとゾランさんを見た。
もしかしてあれは寝言だったのだろうか。あり得る。ハルトムートさんだし。
「陛下のお言葉を賜った、って言ってただろう」
「ああ、あれか」
ハルトムートさんの中では、あれで済まされるようなことらしい。それは、さっきのハルトムートさんの発言に対してなのか、それとも陛下から言葉を賜ったってことなのか。後者だったらどうしよう。いやこの人ならあり得る。
「エリーナだって、もうすぐ陛下から賜るよ」
「あたし?!」
え、なんで。
そもそも会う予定なんてないよ。
「王立魔法学院は、ペルガメント王国が今でこそ運営母体だけれど、開校に際しては当時の王様のポケットマネーで行われたそうだよ。学院の場所は王様直轄地、まあ王都だからそれは当然すぎて誰も気にしなかったけれど」
うんうん、と馬車の中の人達が楽しそうに聞いている。
あたしも楽しい。
王立魔法学院は、あまり内部の事が分からない。学生たちはあまり外に出てこないし、入学も難しいしで、庶民に情報が出回らないのだ。卒業後は師匠も言っていた通り、宮廷所属の魔法使いだったり、そのまま魔法学院で先生だったり、灯火、漣、微風、大土の魔法使いになったら、それぞれの地で一生尊敬されて過ごすわけだから、気軽に学院時代の思い出話なんて聞けない。
あたしの師匠は結構気安く話しかけてくれる人たちに囲まれているけれど、それは師匠の出身地に帰ってきているから。あの人たちは師匠の幼馴染だ。だから、気安いだけ。
「だから入学式では王様が全員にお言葉をくれるんだよ。ぼくの時の入学生は四十人くらいだったかな。だから王様近い近い」
「すげぇなあ。陛下、なんて言ってたんだい」
「なんだったかなあ」
おじさんの質問に、ハルトムートさんは馬車の幌を見上げた。
ハルトムートさんが、あたしと同じ十二才の頃。何年前だろう。確か師匠と同じ年のはずだから、二十年くらい前だろうか。確か師匠それくらいの年だったはずだ。
「もう覚えてないけど、多分頑張って勉強するように、とかだったと思うよ」
それでも、陛下直々に励むようにと言われたら、頑張る子も多いんじゃないだろうか。あたしも頑張れそうだ。
同じことを思ったのか、馬車に乗ってるおばあちゃんやおじいちゃんやおじちゃんやおばちゃんから、あたしに頑張るようにとエールを送られてしまった。
「後は、卒業パーティに、陛下がいらしていてね。ソフィー様いたかなー、そこまでは覚えてないや。その時に、少しお話したよ」
「へぇ、なんて言われたんだい」
「内緒」
「つれないこと言うなよ」
「言うさ。お仕着せの言葉じゃなくて、あれは、ぼくにくれた言葉だもの」
ハルトムートさんは、うっすらと笑った。
これが年頃のお嬢さんならはにかむようなとか形容されるんだろうけれど、生憎ハルトムートさんは男性だ。真っ黒な髪の毛は長くて、つやつやさらさらしていて、肌は冒険者だっていうのに白くて、年齢が分からない顔立ちをしているけれど、それでもはにかむような、は、違う。なんか違う。
けれど、それは大切な思い出を噛みしめているような顔だった。
パパとママと、旅芸人の一座にいた頃、こういう顔をして色んな昔話をしてくれる人をたくさん見た。みんなでたき火を囲んだ、野営地の夜。いろんな思い出話の中に、あの顔はあった。
だからきっと、それはハルトムートさんにとって良い思い出なんだろう。それならきっと、素敵な事だ。
「ねぇ、それはハルトムートさんにとって、素敵な言葉だったの」
「そうだよ、エリーナ。
あの頃ぼくは、自分で言うのもなんだけれど色んなところから求められていた。ぼくのやりたい事なんて大人たちにはどうでもよくて、ぼくをどう上手く使うかってことを皆が話したよ」
そう言って笑うハルトムートさんを見て、馬車の乗客たちは顔を見合わせた。きっと、陛下が何を言ったのかがなんとなく分かったんだろう。陛下は、そんなハルトムートさんになんて言ったんだろう。
やりたいようにやりなさいとか言ったのかな。
だってそうじゃない。国内でも有数の魔法使い、それも百年ぶりだか何だかに現れた四色持ち――四つの元素全てに愛された魔法使いだ。そりゃハルトムートさんの気持ちなんて無視して、どう扱うかって考えるよね。良し悪しで言ったらハルトムートさん的には悪しだろうけれど。
多分陛下がハルトムートさんの側に立ったから、ハルトムートさんは今冒険者としてここにいるだろう。彷徨える四色なんて呼ばれて。
「王立魔法学院は、その名の通り卒業したら全員陛下の直属扱いになる。ぼくたちが忠誠を誓うのは陛下ただ一人――というのはまあ建前だよね。だって王権変わったら誓わないのかってなっちゃうし」
「誓わない人っているのかい?」
王様が引退して、王子様にその地位を譲り渡して。王子様が、新しい王様になって。その新しい王様に、魔法使いたちが忠誠を誓わない。それは、なんかその、いけない匂いがする。物語になりそうな類の奴だ。
「昔はいたみたいだよ。王様と一緒に引退した人」
「ああそうか、そうなるよな」
「新しい治世に、古い人間がいても、って事かしらねぇ」
頷き合う乗客たちに、あたしはこっそり懺悔した。ごめんなさい。あたしが悪かったです。言われてみればそうだよね! おじいちゃん魔法使いとかは、引退するいいタイミングかもしれない。
その後は、特にこれと言ったことはなかった。
盗賊も魔獣も出なかった。あたしはどうやら冒険活劇系の物語の主人公ではないようだ。大丈夫知ってた。そもそも冒険活劇系の主人公だったとしても、今それらの敵を倒すのはゾランさんとハルトムートさんだ。あたしじゃない。あれ、これどう考えてもあたし主人公じゃないじゃない。しまった師匠に言った言葉がおかしかった。これは覚えていたら手紙書くときに訂正しておかないと。多分忘れてるけど。
ゾランさんとハルトムートさんが主人公だとしたら、これは下手をすると触れられすらしないエピソードかもしれない。えーとなんだろう……まあいいや。あたしは吟遊詩人じゃない。
ほかの乗客の人達と、他愛ない話をして。ゾランさんとハルトムートさんの冒険の話を聞いたりして。馬車は予定通りの十日の行程で、王都へと到着した。
強いて何かあったことと言えば、途中の街にある宿での部屋割りについてくらいか。あたしとハルトムートさんは三人部屋でいいと言ったのに、ゾランさんはあたしを女の子扱いしてくれて、部屋を二つに分けるべきなんじゃないかって言ってくれた。二人とも大人だから、まだ子供のあたしの着替えとか見ても楽しくないだろうと思うんだけれど、そういうものではないらしい。楽しいとか、楽しくないとかじゃなくて、男と同じ部屋は嫌じゃないのかって。
「そんなに気になるなら、間についたて立てるとか、エリーナが着替える時はぼくたちは意識して背中むけるとかすればいいじゃないか」
「だからそういう気遣いって程度の話じゃなくてだな……」
「ありがとうございます、ゾランさん。次があったら気を付けるけど、お金もったいないし同じ部屋でいいんじゃないかしら」
我ながら、なんて貧乏くさい考えなのかしらとも思うけれど、まあ骨身にしみた貧乏一座のあれこれはそう簡単には抜けないわよね。仕方ない。
このやり取りは初日だけで、以降は三人部屋になった。運が良ければ間についたてを立てて、なければゾランさんがロープを張ってくれた。垂らした布を掻き分けてこちらに顔を出してくるのがハルトムートさんはことのほか気に入ったらしく、ちょくちょく遊んでいた。子供かしらこの人は。まあ、楽しいのなら悪くはないと思う。うん、楽しいことはいい事だ。
王都では、おばちゃんに教えてもらった雑貨屋さんに行った。……可愛いランプはなかった。雑貨屋さんで聞いてみたけれど、そういうものの取り扱いは、あまり王都でもないようだ。ですよね、別に可愛くなくても使えればいいですもんね。あたしみたいにこれから一生、少なくとも三年の付き合いってことはないですもんね。
三人部屋にしたことで浮いたお金で、王都の宿に二泊した。もちろんその分のお金は師匠が持たせてくれていたんだけれど、余った分はお小遣いにしなさいとゾランさんもハルトムートさんもあたしにくれた。二人が一回仕事をしたら得られるお金と比べたら本当にお小遣いなんだろうけれど、あたしには結構な金額だった。
「本当にいいんですか?」
「いいよいいよ。学院に入っちゃったら、お金稼ぐのなんて無理だもの。ノートなんかは学院がいくらでも支給してくれるけどさ、ヴィムに手紙を書くための便箋だって封筒だって買わないといけないんだ。いつもヴィムはそれを見越して、少し多めに持たせてくれるんだよ」
ぼく達に、って、ハルトムートさんは続けた。
師匠は、あたしの手紙を楽しみに待っててくれるだろう。ワイアットの手紙をいつも楽しそうに読んでいたから。きっとあたしからの手紙だって楽しみにしてくれるはずだ。
あたしも手紙を書こう。沢山は書けないかもしれないけれど、書けるときは手紙を書こう。二人からもらったお小遣いを使って。
「これは、ぼくからの餞別。
学院の図書館には、卒業してしまったら手に入らない魔導書がたくさんたくさんある。今はまだわからなくても、時間があったら図書館に行って、写本するといい。エリーナは確か、火と水の適性があるんだろう? それならその二つを中心に書くんだ。
君が、学院を卒業した後。その写本は君の財産になる。ともしびの魔法使いにならなかったとして、その写本は君の財産だ」
あたしが生まれる前に、外国から紙の製法がペルガメント王国へと入ってきた。それまでの羊皮紙と比べ、一枚の値段が安くなり、ノート一冊の値段も安くなった。安くなったといっても、庶民にはまだまだ手が出ない。
そのノートを、一冊、ハルトムートさんはあたしにくれた。
「ありがとう、ハルトムートさん。師匠にも言われたわ、別にともしびの魔法使いにならなくてもいいって。学院を卒業できれば、道は無数にあるって。
あの時は、なんてことを言うんだろうって思ったけれど、そうね。ハルトムートさんの話を聞いて、あたし、ともしびの魔法使いにならない道も考えてみることにするわ」
「それがいい。
道を決める権利はぼく達にあるはずだ。当人にあるべきで、周りに流される必要はない。
それはこのぼく、彷徨える四色が体現している」
灯火の魔導師である師匠に弟子入りさせてもらったのだから、ともしびの魔法使いにならなければいけないと思ったけれど。そうじゃないのよね。あたしは、あたしが、納得できる道に進むべきで、師匠もそれを望んでくれているのだろう。
学院時代の友達がハルトムートさんなら、王宮に友人が封じられるかもしれない未来を、苦痛を師匠は見ていたんだろう。側近くで。
だからきっと、あたしにはそうならないようにと言ってくれたんだろう。師匠は街に封じられている訳ではきっとない。あの人は自分の意思であそこにいるんだろう。
あたしは、あたしは違う。ともしびの魔法使いになりたくて、師匠の所に行ったわけじゃないんだ。だから、あたしは、違う未来を選んでもいいって師匠は言いたいんだろう。
それを考えて考えて考え抜いたうえで、ともしびの魔法使いになることは、きっと、誰も止めない。三年考えてから、決めてもいいといってもらえるのは、あたしの心を凄く軽くしてくれた。
あたしは灯火の魔導師ヴィムの三番目の弟子。
四人のともしびの魔法使いがいなければ守り切れないあの街を、たった一人で守り切ってみせている、現在最年少の魔導師の弟子。
なのに宮廷魔法使いとか、ねぇ、それもとても、物語的じゃない?
さあ次は入学試験だ!
試験内容がさっぱり浮かばないですが
20190810 誤字修正しました
あと少しルビを振りました。