107,修学旅行⑥
前髪が長く眼鏡を掛けた内気そうな少年が、落ち着きの無い様子で女性の顔を伺うようにして座っている。可愛らしい顔をしている彼女の醸し出す空気は冷たく、足を組んでテーブルにある資料を取って眺めていた。
その女性の横には、刑事らしきスーツをきた男性がいる。そんな人に囲まれ、少年は少し怯えた顔をしていた。
「お前が、今犯人だと疑われている奴の親友?」
「ち、違う! あの子は犯人なんかじゃない!」
彼女の冷静な声に、その少年は思わず立ち上がって強気にそう断言する。だが大きな声を出してしまった事にハッとし、申し訳なさそうに座る。
「だが、彼は行方不明。彼が今どこにいるか知っている?」
「それは、分からないです。でも、優しくてあんなにいい子がそんな事するわけない、と思います」
気弱そうに見える少年だが、ハッキリとした口調で答えた。見た目によらず肝が据わっているように見える。
事件は今から1週間前。
人気のない橋の下でバラバラにされた遺体が見つかった。
近くには小汚いダンボールや荷物が散乱していた。近所の人によると、ここにはホームレスが1人住み着いていたらしい。その顔と遺体の顔が一緒であることが分かり、それがホームレスの人だと判明した。
死因は包丁か何かで心臓を一突きされたからのようだ。亡くなった後に、それぞれを刻んでいったらしい。
その事件現場は人など滅多に通らず、目撃者もいなかった。
そんな事件の犯人とされる人の友達という役が陽斗だった。登場するのは今のワンカットくらいだ。本当にちょっとした役だった。
ちなみに奈那は若くしてあらゆる事件を解決する探偵の役だ。このドラマの主役である。
そんな数少ないやり取りを外から見ていた人達は、驚いた表情で陽斗を見つめていた。何故なら、全く浮いていないから。演技の評判がいい奈那といるのに、その存在ががっちりとその風景に溶け込んでいる。違和感がなかった。
本当に素人なのか、そう問わざるを得なかった。
そして、撮影の時はいつも真顔でいる監督だが、今はその顔には笑みが浮かんでいた。
「彼が事件前に変わった様子はなかった?」
「特に、ありません。本当にいつも通りでした」
奈那の抑揚のない声色。陽斗は伏し目に答える。
「どこに行ったとか、何もわからない?」
「······分かりません。連絡しても既読すらつきませんから」
陽斗の表情は揺れていた。友人を信じたくても疑ってしまう自分がいる。認めたくないけど認めれない。混乱していてそんな友人を信じれない自分に嫌悪していた。
(すごいすごいすごい!)
演技をする最中、奈那の心は嬉しそうに踊っていた。
目の前にいる陽斗が、本当にその役にしか見えなくて周りの風景と空気感と、全てとピッタリと揃っている。
セットのはずなのに、偽物のはずなのに、本当の世界のように感じる。
この瞬間は、いつでも鳥肌がたつものだ。
久々だった、この感覚は。
陽斗という1ピースのおかげでこの世界が出来上がった。
だが、だからといって陽斗がこの場で目立っている訳でもない。脇役としてちゃんとここにいた。
流石だと、奈那は思う。
それと同時に、やっぱり演技は楽しいと改めて実感した。
そうして、無事にカットがかかる。
陽斗はその瞬間、現実へとハッと戻された。
「君、中々やるじゃん!」
「演技上手いね!」
皆が口々に陽斗を賞賛する。
素人だと聞いてきたのに、中身はとんでもなかった。奈那と演技で張り合える人なんて、トップレベルの人達か才能のある人しかいないのだから。
「よし、決めた。台本を急遽変更する」
陽斗が無事に撮影を撮り終えほっとしている中、聞き捨てならない声が聞こえてきた。
「こいつをこの事件の犯人にしよう」
監督がニヤついた笑みで、陽斗を指差す。
「······え?」
周りは呆れ半分、諦め半分といったような顔で、特に慌てる様子もなく監督の指示を聞いて動き出した。恐らく、このような突拍子の発言はよくあるのだろう。
その場で固まったように動かないのは陽斗だけだった。
「え、ちょ、待って下さい! これで終わりじゃないんですか!?」
「君をもっと撮りたくなったんだ。ごめんな、付き合ってくれ」
監督は陽斗の否応なしに、勝手に事を進め始める。
「次、いつなら来れる?」
「えっと、今、修学旅行中なのでその後ならいつでも······って、俺の話聞いて下さい!」
「分かった、それなら奈那経由で連絡するからよろしく」
監督はニコニコとした笑顔でそう告げると、陽斗が止める暇もなく早々と行ってしまった。
1人ポカンとして突っ立っている陽斗。混乱して上手く整理ができていない状態だった。
そんな彼の様子とは真反対の、嬉しそうな声が掛けられる。
「お疲れ様!」
奈那が固まる陽斗の背中をポン叩く。そちらの方を振り向くと、眩しいほどの笑顔をうかべた彼女がいた。奈那は陽斗とまだ演技し合えるという事実がとても嬉しいのだ。ライバルであり、尊敬している人でもあり、もう出来ないと思っていたから尚更彼女の心は喜んでいた。
「うん······。奈那もお疲れ」
「顔白いよ? 元気出して!」
「無理だよ! こんな緊張するところにこれ以上いたくないよ······」
陽斗の顔は暗かった。もう終わったと思って安心しきっていたのに、こんな仕打ちが来るとは。チョイ役だからという事で出たというのに。
「陽斗、もう諦めよ! これは開き直るしかない!」
「······はあ、まじか」
もう決まってしまった事だから逃げれない。陽斗はため息をつくことしか出来なかった。
***
「はあ·········」
とあるバス内で、頬杖をつきながらため息をつく少年がいた。いつも明るい彼がこんなにも沈んでいるわけを、その場にいる皆が知っていた。
「陽斗、なんでそんな暗いんだよ。ドラマに出れるんだろ? 最高じゃん」
「奈那ちゃんと共演出来るなんて羨ましいわ」
「ため息つくなら俺と代われ」
どんよりとした雰囲気の陽斗だが、皆は不思議そうに、羨ましそうに見つめてくる。そりゃあ普通の人なら飛び跳ねて喜ぶ。だが、陽斗は事情が違うのだ。
本当の事を知る白石と成美は陽斗が心配だった。なぜ彼はこんなにもいろんな事に巻き込まれるのだろうと、2人は思っていた。
「そうなんだけどさ、心臓に悪い」
「陽斗がビビるなんて珍しいな」
寧ろいつも楽しそうに困難に向かっていく陽斗がこんなにも弱気なのは初めて見て、市原は内心驚いていた。
「俺だってビビるよ。想像してみてよ。演技力の高い人達に囲まれて、しかも厳しいことで有名な監督で、そんな中で演じるなんて不安しかないよ」
「まあ、それはキツイな」
「無理そうなら"鬼才"と言われた俺が行ってやるよ!」
そんな陽斗に、担任である太陽先生がドヤ顔でそう名乗り出る。
「太陽先生は無理でしょー」
「先生浮いちゃうよ」
演技に才能があると言われていたそうだが、実際に彼の演技を見た生徒はいなかった。この場に誰もそれを信じる人なんていなかった。
太陽先生は否定された事が心に堪えたのか、悲しそうにうずくまってしまった。
「まあ、今日はとりあえずそれを忘れて遊ぼうぜ」
未だ憂鬱な様子の陽斗に、市原が元気付けるようにそう声を掛ける。
そう、今日は修学旅行4日目。
そして、今日は────────
「おい、見えてきたぞ!」
そんな中、1人がはしゃいだように声を上げる。彼が指を指す方向には、華やかな世界である夢の国がひょっこりと覗いていた。
そう、色んなキャラクターがいて、ジェットコースターなどの乗り物がたくさんある遊園地だ。
昨日あんな事があり、陽斗は中々切り替えられずにいた。
だが次第に姿を現していくお城や建物を見て、陽斗の心が踊り出す。
今は忘れよう。
そう思った陽斗の心の中にはもう、これからの夢の国での楽しみで一杯になっていた。
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