106,修学旅行⑤
陽斗は成美に連れられ、とあるスタジオへと入る。
そこには懐かしい景色が広がっていた。
ドラマのセット、行き交うスタッフ達、目に入る光景全てが昔を見ているような感覚になる。
ぼんやりとそれを見つめていた陽斗に、横から声が掛けられる。
「あ、そいつが代わりをしてくれるやつかー?」
堂々とした歩みで、男性が1人こちらへとやってくる。陽斗はその姿を見た瞬間、目を見開いた。
「あ、監督! こんにちは。こちら、今宮陽斗君です」
「こ、こんにちは! 今日はよろしくお願いします······」
「わざわざ来てくれてありがとう。助かったよ」
陽斗は緊張した面持ちで、差し出された手を恐る恐る握る。
目の前にいる男、監督は陽斗が芸能界でお世話になった人だった。この人は演技や製作の事になると厳しいで有名だが、それは逆に優しさでもあり、皆は彼を尊敬している。
陽斗もこの人に多くを教わり、大きく成長させてくれた。本当に感謝しかない。
それに、この人はとても鋭い。僅かな変化などもすぐに気付くので、隠そうとしてもこの男にはすぐ察知される。
だから、陽斗は冷や汗が止まらない。今まで全くバレなかったし、バレたといっても冴木と白石の2人だけだ。本性を知る人達からは「全く分からない」と褒められたが、監督の前では全く意味をなさないもののように思えてならない。普通を装ってはいるけれど、頭はパニック寸前だ。
「これ台本な。来てもらってすぐで悪いけど、台詞覚えてもらっていいか?」
「ひゃい!」
緊張のあまり、陽斗は噛んだ上に声が裏返ってしまった。思わず大きな声を上げてしまったので、周りの人が微笑ましく笑っている。恥ずかしさで陽斗は少し顔を赤らめて俯く。
「もう少し肩の力抜けよ。じゃあ、よろしくな〜」
監督は陽斗の肩をポンと叩いてその場から去っていた。
「ふううぅ〜〜」
ひとまず緊張から解放された陽斗は、安堵のため息をつく。あの人に見られると、隅々まで見られている気分になる。特に今はそう感じ、気を張らないとやっていけない。
「早く監督さんの名前言っておくべきだったね、ごめんね」
「いやいや、いいよ。気にしないで。俺、この場所に戻ってこられて嬉しいし! ありがとうね、奈那」
「ありがとうはこっちだよ。それに、陽斗を連れて来たのは私の勝手だから······」
満面の笑みでお礼を言ってくる陽斗に、奈那は照れたように顔を背ける。
そんな笑顔で言われたら、こっちはもう何も言えなくなる。陽斗はいつだって優しくて、いつも元気をくれて、とても、とっても、大好きだった。
そんなんだからいつも女の子を虜にして、彼が知らない所で争い合って。心をたくさん揺さぶられて大変な恋だった。本人は何も知らないだろうけど。
「とりあえず、セリフ覚えなきゃ! 手伝ってくれる?」
少し物思いに耽っていた奈那は、その言葉でハッとして顔を上げる。
「うん、もちろん」
奈那は笑顔で答える。
これからは、改めて友人としてどんな時でも彼を助けようと、奈那は心の中でそう思った。
次第にスタジオ内が慌ただしくなっていく。
出演者が現場へと入り、スタッフもあちらこちらへ忙しそうに動いている。段々と緊張が張り詰めていく。
そんな中、1人の少年が端の方で真剣に台本と向き合っていた。緊張しているのか表情が固い。皆、彼が代役で来た一般人だと知っている。そりゃ、いきなりこんな所に連れてこられたら緊張する。そんな彼はどこか初々しい雰囲気があって、思わず笑みが溢れる。
だが、皆は知らない。本当は、彼は『身バレ』の恐怖で震えていたのを。
周囲にいる多くのスタッフ、現場へと次々に入ってくる出演者。陽斗の周りには芸能界の頃の顔見知りしかいなかった。
このドラマの監督の出演作にはよく出してもらっていたので、スタッフとも仲が良い。出演者も皆、会った事ある人ばかりだ。覚悟はしていたが、もう逃げ出したくてたまらない。
陽斗はこの現場に来てしまった事を、さっきは「嬉しい」と言ったが、もう早速後悔し始めた。
陽斗が冷や汗をかく中、ついにドラマ撮影が始まろうとする。
セットの中に立つ出演者。それを天井から眩しいほどの光が照らす。
そのまわりには多くのスタッフや関係者。
その光景が、目の前にある景色が、心の片隅にあった映像と重なる。
陽斗は思わず台本から目を離し、その光景をずっと眺めていた。
そうして休憩に入ると、そんなピリピリとした空気は一切なくなり、暖かい雰囲気へと一変する。その切り替えがこの現場ではキッチリと出来ていた。
改めていい現場だと陽斗は思った。
自分の作品には一切手を抜かない監督、それに一生懸命応える役者とスタッフ。お互いにぶつかり合い、そして認め合う。
陽斗はこの場所がとても好きだった。
「陽斗くん、次だけど大丈夫?」
スタジオの端の方で座っていた陽斗に、監督が声を掛ける。
「は、はい! いけます!」
陽斗の引き継いだ役は1話しか出ないちょっとした役。だが、気付いたらもう自分の出番が回ってきたようだ。ボーとしていた陽斗は慌てて立ち上がる。
監督らと最終的な確認をし、周りのスタッフや出演者に励ましの声を掛けられながら陽斗は久々のセットの中へと入った。
緊張するかもと思っていたが、いざ始まろうとすると心も頭も落ち着いていた。ふわふわした気分でもなく、いつもの平常心だ。
「陽斗、よろしくね」
同じくセットの中に立ち、陽斗の前にいる奈那がこちらへニコッと笑いかける。
陽斗は初めての出番でいきなり奈那と演技し合う。
奈那は演技が上手く周りからの評価も高い。最近はドラマや映画に引っ張りだこであり、将来は芸能界を引っ張っていく女優になると言われているほどの実力を持っている。
だから周りのスタッフらは少し心配していた。そんな彼女と一般人の彼。文化祭のミュージカルで話題を集めていたが、それとこれは違う。本当の舞台でやっている人達は経験も違うし技術も大きく差がある。
監督が許可したとはいえほぼ初心者だという陽斗が浮いてしまうんじゃないか。皆はそれを危惧していた。
だが、そんな不安は木っ端微塵に消える事となる。
今から始まる、陽斗の、"青羽瞬"であった彼の演技に魅せられて────────
読んで下さり、ありがとうございます୧(୧ˊ͈ ³ ˋ͈)




