ごほうびをください
ここは東の亡国、紗里真の城下町。
ボロくなっていた城下壁の修理が始まって1ヶ月と5日目。夏から秋に傾きはじめた空は、だんだんと高くなっているように見えた。
ここに来て、随分時間が経ったような気がする。
砂漠生まれの俺は、炎天下での作業なんてへっちゃらだと思ってたのに、東の国のこの湿度には正直、参った。
俺の生まれた南の国は、昼は暑いけど夜は涼しいし、湿度も少ないから過ごしやすい。でもここの夏ときたらとにかくジメジメしてて、30度ちょっとの気温でも異常に不快感があるんだよな。
四季ってものがある国は、どこもこんななのか……
もちろんホームシックになったわけじゃないが、ちょっとだけ、南の国の気候が恋しく思われる。
しかし俺の人生設計に、こんな東の果てで大工仕事を一ヶ月もやるなんて予定はなかったはずだ。
一体どうしてこうなったのか、俺にももうよく分からない。
最近じゃ本業の盗賊稼業も働いてないし、まっとうなカタギの人間になってしまったような錯覚さえ覚える。いや、どこまで行っても俺が盗賊団の跡取りであることに変わりは無いんだけどさ。多分。
「みんな、今日までお疲れだったな! 存分に飲んでくれ!!」
今日をもって城下壁の大きな修繕が終わって、大工や土工達は打ち上げ会が始まる前からすごいテンションが高かった。
紗里真の王女だった飛那姫ちゃんが、宝物庫から用意した報酬の大きさと、大仕事を終えた後の爽快感が手伝ってるのかな。
俺は仕事が終わって、一度世話になってる大工のおっさんの家に戻ったものの、夜になってこの貸切りの酒場に連れ出されることになった。
でも、実は楽しく飲む気分じゃなかった。
その理由は、この1ヶ月あまりのボランティア的無報酬労働にある。
惚れた弱みで働くだけ働いて見返りなしか、とかそんなケチくさいことを言うつもりはないんだけど、やりきった今、飛那姫ちゃんに喜んでもらえてうれしい気持ちが8割。のこり2割は……俺だってなんかご褒美が欲しかったと思っちゃうんだよね。
「マルコ、ご苦労だったなぁ。お前、うちで働かないか? いい大工になれるぞ」
隅の方のテーブルに座っていた俺は、仕事を手伝っているうちに仲良くなった大工のおっさん達にあっという間に囲まれた。
酒は強い方だけど、こう次から次へと注がれると、さすがに酔いそうだ。
「お前北の人間なのか? 余所から来たのにこんなに熱心に働いてくれて、みんなお前には感謝してるんだぞ」
「いや、俺は南の人間なんだけど……母親が北の出身だから、この金髪と青い目はそのせいだよ」
「そうだマルコ、お前うちの婿になれよ。そんでもっと大工の勉強しろ」
「俺のところに弟子入りしてくれてもいいぞ?」
気のいいおっさん達は仕事中は無口なのに、酒が入ると饒舌になる。
大工って人種は嫌いじゃない。ここで仕事していてカタギの仕事も悪くないなぁなんて、思ったりもしたけど。さすがに転職する気はないよ。
「残念。気持ちはうれしいけど、俺ココロに決めた人がいるから婿は無理だし弟子にもなれないんだな、これが」
「ああ、あの姉ちゃんか」
「すげえべっぴんさんだもんなぁ」
飛那姫ちゃんはたまに顔を出す以外、現場をうろちょろすることは禁止していたので、一部の大工にしか面が割れてないはずなんだけど。やっぱりチラッと見ただけでも、印象に残る容姿なんだな。
「お前の彼女なのか?」
「もう結婚の予定とかあるのか?」
おっさん達は俺を勧誘することから、からかうことに方向転換したらしい。酒を片手に口々にそんなことを言い始めた。
「結婚の予定もなければ、彼女の予定もないんだよね……」
自分で言ってて、せつない。
おっさん達は笑ったり目を丸くしたりして、俺の背中をバシバシ叩いた。
「なんだお前、今流行りの草食系ってヤツか? 情けねえなあ」
「流行ってないし……」
「そんなに好きなら、付き合ってくださいって言えばいいじゃねえか」
「言ってるし……」
「え? 何? じゃあもうフラれてんのか?」
「それ、傷つくから言わないで欲しい……俺、彼女の喜ぶ顔が見たくてこの1ヶ月間がんばってきたのに……無報酬なのはいいとして、優しい言葉のひとつも欲しかったなって思うんですよ」
おっさん達は、なんだか少し静かになって、俺を哀れむような目で見始めた。
いや、もういいから。そっとしておいて欲しいなぁ。
「お前いいヤツなのになぁ……」
「友達で終わるタイプってやつか」
否定出来ないけど、好き勝手言い過ぎだって。
「まあでもお前、こんなに頑張ってるんだし、いつか認めてもらえるかもしれないよな」
「そうだマルコ、めげずにがんばれ!」
「俺の嫁さんもそうだったけどな、女は押して押して最後にイエスって言うまで押せばいいんだぞ」
参考になるんだかならないんだか、人生の先輩達に慰められて、俺はもう何杯飲んだか分からない位までになってきた。
あーそろそろ止めておかないとまずいかな、と思い始めた時、酒場にいるおっさん達全員から歓声があがった。
酒場以外の飲食店から、差し入れが届いたらしい。
きれいどころ達がテーブルやカウンターに新しい料理や酒を並べて行く。
あっちの料理もうまそうだなぁ……と思ったけど、今は立たない方がいいかもな。足がもつれそうだ。
見れば料理を配っているお姉さん達の中に、美威ちゃんの姿もあった。
あれ? 手伝いに来てるんだ……と、思ったら。
「マルコ、飲み過ぎじゃないのか?」
すぐ後ろでそんな声が聞こえた。この声はもしや……
「ひな……え? ダメじゃないの? ここに来ちゃ」
思わず名前を呼びそうになって口元を押さえた俺は、明るい薄茶の瞳を見上げた。
俺の女神、飛那姫ちゃんが目も覚めるような青いタンクトップ姿でそこに立っていた。
「明日ここを立つんだから、最後くらいかまわないだろ。私だって、少しくらいみんなを直接ねぎらいたいと思ったんだ」
ごとん、と唐揚げが大量に乗った大皿をテーブルの中心に置くと、彼女はそう言って酒場内を見回した。
いつも思うんだけど、どこにいても何を着ていても彼女は目立つ。放ってるオーラが普通の人と違うせいなんだけど、本人に自覚がないのでタチが悪い。
ここに来たら、まずいんじゃないのかなぁ……身元バレたらどうするんだろ。
そう思ったけど、おっさん達もかなり酔いが回っているのか、飛那姫ちゃんをあまり気にしていない風に見えた。
俺の隣に座っていたおっさんがガタンと席を立つと、飛那姫ちゃんにそこに座るように言って、違うテーブルに移って行った。
ぽんと小さく肩を叩かれたけど、気を利かしてくれたってことかな?
「おお、俺たちもあっちで飲むか」
「マルコ、邪魔したな」
大工のおっさん達はそう言いながら、みんなテーブルから立っていってしまった。
心遣いはありがたいんだけど……
「なんだ? 私嫌われてる?」
ちょっと落ち込みそうな飛那姫ちゃんに、俺は慌てて手を振った。
「違う! ちょうど話が終わったところだったの!」
「……そうか?」
怪訝な顔で俺を見る彼女は、薄暗い酒場の照明の下でいつにも増して綺麗に見えた。こんな女性を見て惚れない男がこの世にいるんだろうか。いいや、いないね。
どれだけ暴言を吐かれてもいい。この目や唇が放つ色香の前ではなんら気にならなくなる。
ハイドロ号にいる時から、彼女のまとう強烈なフェロモンに抗ってきたけど、こうやって側によるとふんわりいい香りがして、くらっとするんだよね。
ああ、もっと近づきたいなって思う。これってある意味、中毒か?
「……それで、大工ギルドには報酬を払ったけど、お前には何にもなかったろ?」
なんだか飛那姫ちゃんの声が、薄いフィルターの向こうから聞こえるような気がする。大分酔ってるな、俺。
「だから、少ないかもしれないけど、これ」
そう言って、飛那姫ちゃんが差し出した手のひらを俺はじっと見つめた。
そこには金色に輝く、消しゴムくらいの大きさの塊が乗ってた。
金塊、だよね?
「……これは?」
「だから、報酬。正直、あんなに働くと思ってなかったから……正当な利益として、受け取っておけよ」
「……」
小さいものの、相当な価値がありそうだ。気持ちはありがたいよ……でも。
俺は金の塊を見て、大きなため息をついた。
「なんだよ、いらないのか?」
「……そうじゃなくて」
俺が欲しいのは、そういうものじゃないんだけどな。
そう続けようと思って、言葉を飲み込んだ。
飛那姫ちゃんはテーブルに突っ伏した俺の目の前に、金塊をコトリと置いた。
「えっと……だからその、お前大工でもないのに、手伝ってくれて感謝してるんだって」
(……え?)
俺は予想外な「感謝」の二文字に息を止めると、顔を上げた。
視線が合ったら、少しひるんだように目をそらして、飛那姫ちゃんは続けた。
「その……ありがとな」
ぶっきらぼうだったけど、本当の気持ちなんだって分かった。
うん、これ……まずいね。うれしすぎる。
「どういたしまして」
十分な報酬を受け取った俺は、へらっと笑ってそれだけ返した。
もっと他に言いたいこともあったはずなのに、頭回らないから、まあいいか。
「向こうのカウンターにも料理が出てるけど、なんか取ってきてやろうか?」
ちょっと照れくさかったのか、そう言って彼女はテーブルを立とうとした。
「何食べたい?」
聞かれたのはあくまで料理名だったんだろうけど。
今すごく幸せ全開でハイテンションになってる俺の頭は、そんな普通のことも分からなくなっていたようで。
手を伸ばして彼女の左手を取ると、自分に引き寄せた。
「……飛那姫ちゃんが食べたい」
ぱくっと指に噛みついたら、目を見開いたまま彼女は固まってしまった。
数秒後。
悲鳴をあげて、飛那姫ちゃんは俺の手を振りほどいた。
酒場内に、いい音が響いた。
「……飲み過ぎだっ! バカマルコ!」
視界の向こうに、逃げるように酒場を出て行く飛那姫ちゃんと、残念なものを見るような視線を送ってくる美威ちゃんが見えた。
大工のおっさん達が、また俺を取り囲みにきた。
「マルコ……お前、バカなのか?」
「ありゃないだろ。こんな場所でストレート過ぎだ」
「デリカシーってものを学んだ方がいいぞ」
女は押せばいいって、さっき言ってませんでしたか?
俺は赤くなった頬を押さえて、恨めしげにおっさん達を見上げた。
でもまあ、いいや。
俺が頑張ったことで飛那姫ちゃんが喜んで、感謝してくれたってだけで、結果は上々だ。
(考えてみれば、誰かのためにここまで一生懸命になるなんて、生まれて初めてだよなぁ……)
いつでも適当に生きてきた自分の変化を客観的に見つめつつ、慌てて赤くなった飛那姫ちゃんの顔を思い出しつつ、俺はへらっと笑った。
『没落の王女』番外編でした。
内容は恋愛ものですが、本編に合わせてハイファンタジージャンルを選択しています。
本編は第2章から恋愛要素入り。