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Gold Plum ー 西多摩地区鎖国国家地帯 ー  作者: 宿り木
第一章 はじまりの種 ~梅宮みのりの場合~(高木)
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お嬢さま、逃げる

 帰りのホームルームを終え、にわかに教室が賑わい出す。みのりは凝り固まった身体ほぐすため腕を伸ばした。


(これからが本番ね)


 帰りの仕度を済ませ、隣の席に座っている紅へと顔を向ける。


「紅、帰りましょう」


 帰宅する人や部活へ行く人などでごった返している廊下を、紅の先導を頼りにすり抜ける。ついてきていることを確認するためか、紅がときおりこちらを振り返った。


 しばらくして、カバンの中に入っている携帯が震えているのに気づく。歩きながらそれを取り出すと、みのりが声を発する前に少し慌てた様子の碧の声が聞こえてきた。


『お嬢様、バレました』


 碧の言葉に、みのりは頭の中が真っ白になる。軽やかに進んでいた足取りは、地面に縫いつけられたようにピクリとも動かなくなった。


『今、学園に当主直属の近衛が向かっております。急いで西門へ起こし下さい』


 耳に当てている携帯からは、碧の言葉が続いている。しかしそれは耳を素通りするだけで、脳まだ到達することはなかった。予期していたとはいえ、まだ大丈夫だろうと高をくくっていた。このままでは見つかってしまう。どうすれば良いだろうか。心の中を不安と焦りが埋め尽くしていく。


『お嬢様、みのりお嬢様? 聞いてますか?』

「えっ、えぇ……」


 思考のまとまらない脳内に響いた碧の声に、おざなりな返答をする。だが碧はそんなみのりの状態を予測していたらしい。息を吸い込むような音の後、彼の大きな声が鼓膜を震わせた。


『しっかりなさい、お嬢様。あなたはそれでも梅宮家の次期当主ですか』


 碧の言葉にみのりは我に返った。何かあるたびに碧はこの言葉を告げる。だからだろうか、この言葉を聞くと気合いが入った。もはや条件反射といってもいいのかもしれない。何を自分はぐずぐずと考えていたのだろう。今考えることは種を植えること。それだけだ。


「ふふふ、碧、私はその梅宮家を潰そうとしてるのよ。でも、ありがとう。すぐ行くわ」


 少し気恥ずかしくなり、みのりは碧の返事を聞く前に着信を切った。用済みになった携帯をしまおうと、カバンに手をかける。しかし、冷たくなった手が思うように動かない。そんな自分を助けたのは、紅の小さくて柔らかい手だった。碧の言葉で気持ちを切り替えたつもりだったが、身体はついていかなかったようだ。みのりは情けない気持ちを吐露するようにぼやいた。


「まだまだ、ダメね」


 紅の手を借りながら携帯をしまい、彼女へ微苦笑を向ける。紅は何もなくなったみのりの手を強く握り締め、口を開いた。


「大丈夫。お嬢さま、行こ?」

「そうね。早く行かないと、また碧に小言を言われてしまうわよね」


 自分は一人じゃない。それだけで自信が湧いてくるようだった。みのりは紅の手を握り返し、繋いだままの状態で大きく手を振る。そして彼女を引っ張るように歩き出した。その後ろから呟くような紅の声が聞こえてくる。


「大丈夫。兄さん、やっつける」

(それはそれで碧がかわいそうね……)


 紅の言葉に、しょぼくれる碧の姿を想像しみのりは頬を緩ませた。そのまま小走りしようとしたときだ。廊下の曲がり角から現国教諭の小越麻里が現れた。人がいるとは思わなかったのだろう。麻里の目は大きく見開いている。


「麻里先生、ごきげんよう」


 気が動転しすぎて下の名前を呼んでしまった。他の生徒も同じように呼んでいたから大丈夫だろう。みのりは礼を欠いてしまうかとも思ったが、形だけの挨拶をする。そして無言でお辞儀をしている紅を引きずるように麻里を置いて、その場を後にした。


 階段を1段飛ばしで駆け下りてそのまま外へ出る。まだ高いところにある日差しが顔を照らした。高等部は黄梅学園内で一番の高台にある。校舎へ入るためには長い階段を上りきらなくてはならなかった。ところどころ木々で覆われているが、高等部の入り口からは全ての施設が見渡せる。中等部、複合施設、初等部、部活棟やグランドなど様々な施設が隣接されていた。これから向かう西門は、初等部側にある門で高等部からは一番遠い場所に位置している。これだけの広さを誇るのだから移動するのだって容易ではない。そのことに気づき、みのりは少しだけ憂鬱になった。そんな様子に気づいたのか、紅が繋いだままの手を少し引いた。


「今はそんなこと言っている場合ではないわね。さぁ、お母様の近衛が来る前にここを去るわよ」


 みのりは気合いを入れ直すと、紅と一緒に走り出した。


「唯一の救いは、高等部からだと下り坂っていうことよね」


 春の若芽が生い茂る木々に覆われている道を小走りで進みながら、みのりは呟いた。


 ちょうど中間地に差し掛かる頃、前方に大理石でできている噴水が見えてくる。太陽の光に反射して水がキラキラ光っていた。その幻想的な風景を近くで見ようと、みのりは急いでいることも忘れ、紅の手を引いたままそちらへと向かう。


「この噴水って、初代様を模してるのかしらね」


 みのりの視線の先には、両手を広げて立っている白亜の女性の姿があった。髪は長く、天女のような服を纏っている。柔らかな笑みを浮かべている女性の両手からは、水が次々に零れ落ちていた。


「初代様?」


 何気なく呟いたみのりの言葉を拾うように紅が問いかけてきた。


「そう。黄金梅を作ったといわれている方よ」


 視線をそのままにみのりが応えると、紅がどこか嬉しそうな声を発する。


「似てる。少し、お嬢さまに」


 紅の言葉にみのりは目を丸くした。真意を確かめようと視線を移すと、恍惚そうに噴水を眺めている紅の姿が目に映った。


「再来なんてみんな言ってるから、多少は似ているかもね。でも、それを言ったらお母様の方が似ているんじゃないかしら?」


 視線を紅から、隣に建造されている銅像へ移した。そこには初代の夫であり一族の長でもある梅宮太郎と、みのりの母であり現当主である梅宮美都子の銅像が建てられている。


 梅宮家の当主を女性が務めるようになったのは、黄金梅を作り出した初代を夫である梅宮太郎が神聖視したことが始まりだったと言われている。みのりとしては残念で仕方がないが、あれから数百年経った今でもそれは変わっていない。


(次期当主が男性だったら、私が悩む必要はないのに…)


 みのりは2つの銅像を恨みがましく見つめた。銅像の姿になっても冷たく睨んでいるよう見える母の姿に、みのりは胃の中に重石を入れられたような気分になった。女性が当主じゃなかったら、自分たち母子おやこは普通の関係になっていただろうか。自分を次期当主になるためだけの器ではなく、娘として、個人として認めてくれていただろうか。そんな埒もないことを想像し、みのりは荒唐無稽な自分の考えに微苦笑を浮かべた。


(あり得ないわね。例え当主が男性だったとしても、お母様が変わるはずがないもの)


 自分の考えに入り込んでいたみのりの耳に、紅の声が聞こえてきた。


「ご当主様、似てない。お嬢さまと違う」


 断言するように話す紅の言葉にみのりは驚いた。なぜならみのりと美都子は良く似た顔立ちをしていると言われているからだ。年を重ねるたびにそれは色濃くなっていく。現に親戚からはそれが良いことだと言わんばかりに、会う度その話題を口にする。梅宮みのりという人となりではなく、直系の血を受け継ぐ存在なら誰でもいい。そう言われているようで、みのりはいつも気が滅入っていた。


「でも、皆は良く似ていると言うわ」

「中身違う。アタシ、知ってる。お嬢さま、ご当主様と違う」


 紅の言葉は、いつもみのりの心を温かくしてくれる。紅はもちろん碧もだが、2人は自分を見てくれている。それが何よりみのりの励みになっていた。


「ありがとう、紅。……いっけない! のんびりしてる暇はなかったわ」


 涙が零れそうになるのを誤魔化すために、みのりは慌てる素振りで紅の手を引っ張りながらその場を駆け出した。


 しばらくすると、緑色フェンスに囲まれた初等部が右手側に見えてきた。グランドでは男の子たちが遊んでいる。その中の1人がこちらを見ているように感じ、みのりは誘われようにフェンスへと近づいて行った。


 桜色のブレザーを脱ぎ、白いシャツとこげ茶色の半ズボンで駆け回る姿は、仔犬がじゃれているようで微笑ましい。しかしそれと同時に羨ましくもあった。こんなふうに学校に残って遊ぶなど、みのりはしたことがない。ましてや、あの少年のように友達に囲まれたことも。今は友達が欲しいと思うことはないが、初等部へ通い始めた頃はそんなことばかりを考えていた。フェンス越しで動かなくなったみのりの手を引っ張りながら紅が、窺うような声を出す。


「お嬢さま?」

「なんでもないわ」


 友達がいなくても、自分には紅と碧がいる。それだけで十分だ。過去を思い出して鬱屈とした気分になったが、左手から伝わる温もりがそれを消し取ってくれた。


「小さい子は元気ね」


 みのりは紅に向かって朗らかな笑みを浮かべ、西門へ向かった。

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