少年、お見舞いに行く①
外へ出るなり見えてきたのは母の軽自動車ではなく、父の大が乗っているシルバーの乗用車だった。
「パパだ!」
太一が喜び勇んで車内に飛び乗ると、こちらに笑みを向けている大と目が合う。
「おかえり、太一」
「ただいま。ぼく、パパが迎えにきてたなんて知らなかったよ」
「そうだったのか? でもパパが太一の荷物を車に持ってきたんだぞ」
大が、太一の隣を指差した。そこには、ランドセルと一緒に他の荷物が置かれている。太一はそれらを見て、自分が手ぶらで翔の家から出てきたことに気がついた。
「ぼく、ランドセルのことすっかり忘れてた。ありがとう、パパ」
太一より少し遅れて乗り込んだ一美が、呆れた様子でミラー越しに見てきた。太一が笑って誤魔化していると、場の空気が和むような大の柔らかな声が聞こえてくる。
「さて、準備いいかい?」
「ええ、お願いします」
車がゆっくり走り出す。窓から、手を振っている翔と律子が見えた。病院へ向かう道すがら、一美が先ほど律子と話していたであろう内容を延々と大に報告していた。
「しかもね、太一ったらりっちゃんに制服まで洗ってもらっちゃったのよ。今度何かお礼をしないと、いけないわよね?」
何がいいかしら、と続ける一美の言葉に大は答えず、やっと合点したと言わんばかりの声をあげた。
「ああ、だから太一は制服じゃなくて見覚えのないジャージなんて着てるんだな」
そうか、そうか、と一人満足そうに顔を上下させている大を、一美が諌めた。
「パパ、私の話聞いてた?」
「いやー、すまん、すまん」
苦笑しながら答える大の横で一美が溜息を吐いている。夫婦喧嘩に突入しそうな雰囲気を、やり過ごすべきか、それともどちらかを擁護して収束に向かわせるべきか。太一は真剣に悩み始める。失敗すれば、自分にも被害が及んでしまうかもしれない。太一が、やり過ごす方へと固まりかけたときだ。鏡越しに大の心底困ったような顔を見つけ、太一は父を擁護することに決めた。
「ねー、パパ、さっきママが話してたけど、ばぁちゃんが退院するって本当?」
不穏な空気などなかったように太一が口を開くと、大は安堵の表情を浮かべる。
「そうそう、そうなんだよ」
「じゃあ、ばぁちゃんの病気治ったんだね」
病院にいる節子は、病気ということもあってか、ひどく頼りなさ気に見えた。このまま、ここから出られないのではないだろうか。見舞いに行くたびに、不安を感じていた。それが解決されるのだ。
「詳しいことは今日、主治医の先生に聞いてみるけど。たぶん近いうちに退院できだろうって、この間先生がおっしゃっていたからな」
「そうなんだー。良かった。あ、でもばぁちゃん一人暮らしだよ。大丈夫?」
「一人暮らしなんてしばらくは無理よ。だから退院したら、うちに来てもらうことにするわ」
太一の憂いは一美の一言によって、喜びに変わる。
「本当? やった。ばぁちゃんと住める」
「当分は、太一と遊んだりできないぞ。って聞いてるのか、太一?」
大好きな祖母と住める。太一は、そのことだけで頭がいっぱいになった。しばらくして、節子が入院している市で一番大きな病院に到着する。
(ばぁちゃんと暮らせるんだ。嬉しいな)
太一は、鼻歌混じりに病院内をスキップしながら進んだ。
「太一、ふらふらしないで、ちゃんと歩きなさい。人にぶつかったら危ないでしょ」
一美の小言に、気分を害され内心で不貞腐れる。しかし、反抗しても良いことはないことはわかっていたので、素直に言われた通りにした。
「はーい」
代わりに、キョロキョロと辺りを見回す。待合室には、時間も時間だからか、ほとんど人がいない状態だった。それでも幾人かの具合の悪そうな人が目に入る。なんとなく罰が悪くなり、視線を電光掲示板の方へとずらした。刹那。太一は体に衝撃が走り、よろけてしまった。
「よそ見してると危ないぞ、ボウズ」
目の前に全身黒ずくめの格好をした男性が、こちらを見下ろして立っていた。前を見ないで歩いていたため、ぶつかってしまったみたいだ。
(どうしよう、怒られる)
年配の男性に怖い顔で睨まれ、太一は恐怖で固まる。一美が慌てた様子でやってきた。
「息子がすみませんでした。お怪我はありませんか? ほら、太一も謝って」
一美に頭をぐっと押され、前にいる男に謝罪した。
「ごめんなさい」
もしかしたら、拳骨が落ちてくるかもしれない。衝撃に備え、目を瞑って構えている太一に反して、快活な声が聞こえてきた。
「おう!」
驚いて顔をあげると、黒縁眼鏡の奥から優しげに笑っている男性と目が合った。その顔に安堵し、太一も口元をほころばせる。
(怖そうな顔だったけど、優しいおじちゃんだったなー)
颯爽と去って行く男性の後ろ姿を眺めながらそんなことを思っていると、突然一美に耳を引っ張られる。
「もうだからあれほど、ちゃんと前を向いて歩きなさいって言ったでしょう!」
周囲を気にしてか、小さな声で叱られる。それでも怖さの威力が変わらないから不思議だ。
「ママ、痛いよ」
たいして痛くもなかったが、そう言えば離して貰えると思った。だが、それは火に油を注ぐ形になってしまったようだ。
「嘘おっしゃい!」
一美が、烈火のごとく怒り出した。
「だいたい、太一はいつもそうなのよ。すぐ調子に乗って……」
もはや周囲のことも気にしていないようだ。大が宥めているが、聞こえていないのか、声もだんだんと大きくなっていった。
『調子に乗りすぎると失敗するかもしれないから気をつけてね!』
ふいに、今朝テレビで観たことを思い出した。
(占いの通りになっちゃったよ……)
潤みだしそうになる涙を必死で抑えながらしょぼくれる。一美の叱り声が止んだ。その好機を逃すものか。太一は、下から窺うように一美を見た。
「ごめんなさい」
「もう、しょうがないわね。でも、今日は罰としてママとずっと手つなぎの刑だからね」
拘束するかのように、手をつながれてしまった。高学年にもなって、母親に手を引かれるのは、かなり恥ずかしい。それでも太一は、鬼のような形相を見ないためにも、甘んじて従うことにした。




