お嬢さま、謎を解く①
気もそぞろだったみのりは、やっとのことで一日を終える。既に警護車とともに碧は駐車場で待っていた。黒塗りのいかにも誰かを護衛していますというようなそれは、内閣総理大臣が使用している車種と同じものだ。碧は後部座席にみのりと紅を乗せると、運転席へと戻った。
「お嬢様お疲れ様でした。本日の授業はいかがでしたか?」
身体を後部座席へ向けながら普段と変わらないセリフを言う碧に、みのりはギクリと肩を竦めそうになる。今日の失態が走馬灯のように頭をよぎった。学生の本分でもある授業中に自分の妄想で席を立つなど、次期当主としてあるまじき行為。しかもこれから家出という最大ミッションを実行しようとしている身で、周囲から注目を浴びてしまった。そのことを碧に知られてしまえば、どんな嫌味を言われることか。みのりは咄嗟に判断し、何事も起きなかったように装いながら碧の言葉に返答した。
「別にいつも通りよ」
じっと見つめてくる碧の視線から逃れるように、みのりは隣に控えている紅へと視線を向ける。後ろめたさからなのか、いつもなら気にもしない碧の切れ長の黒い瞳に耐えられなくなったのだ。
「ね、紅。いつも通りだったわよね」
「……はい。お嬢様。普段通り?」
しばらくの間、車の中は静寂に包まれた。
(紅、それじゃあ何かあったみたいに聞こえるから!!)
だからと言って今、口を開けばそれこそ何かあったと言っているようなものだ。みのりはどうすることもできず、こちらを見ている碧へ視線を戻すだけにとどめた。時間が止まったような空気に、自然と身体が固くなる。それを解除したのは、無言のまま何かを探るように紅を見つめていた碧の溜息混じりの低い声だった。
「まあ、そういうことにしておきましょう」
そう言うと碧は何事もなかったかのように前を向き車は発進させた。
(今回は騙されてくれたってところね)
碧の視線から逃れたみのりは背凭れに全体重を預け、小さく息を吐き出した。功労賞の紅へ、笑みを向けると、不安気だった紅の顔に小さな微笑みが浮かぶ。
(本当に家出しようとしているんだわ)
エンジンの音は小さく、振動もない車は動いていないようだった。それでも窓から景色が流れていく。いつもとの違うその景色に、みのりは改めて実感させられた。
「そういえばお嬢様、古文書の解読はどのくらいできましたか?」
突然切り出された碧の言葉に、血の気が一瞬で下がる。
(どうしよう忘れていたなんて……言ってはダメよね)
昨夜、種と一緒に古文書も宝物庫から奪取してきたのだ。その後で、碧から古文書をきちんと読んでおくようにと言われていた。現代語とは違い独自の文字で記された古文書。代々の当主は幼い頃よりこれを習得させられてきた。みのりもその一人である。ただ当主になることに疑問を感じ始めた頃から、当主の証ともいえる文字の習得から逃げ出していた。碧も古文書を簡単に読み解けないと予測していたからこそ、昨夜のうちに言ったのだろう。自分だって重々承知していた。だから寝る前に開いてみたのだ。だが、部分的にしか読めなかったのである。後は学校でどうにかしようと諦めて眠ったのだが、起きたときにはすっかりそのことを忘れて今に至る。
(今日って厄日なのかしら、次から次へと……)
良い言い訳が見つからず、みのりは聞こえない振りをすることにした。不自然にならないよう外の景色に視線を向ける。バックミラー越しに感じる碧の視線から逃れることができたみのりは内心で安堵の溜息を吐いた。そのときである。みのりの視線があるものを捕らえた。
「見てあの人、すごい大荷物だわ」
主婦だろうか。後ろで束ねられている髪を振り乱しながら自転車をこいでいる。その自転車には前のカゴはもちろんのこと、ハンドルの両側にも膨れ上がったビニール袋が掛かっていた。それだけでは足りず後ろの荷台にはトイレットペーパや箱ティッシュが積んであるのだ。良くバランスが取れるものだとみのりは感心した。これは大道芸人にも匹敵するかもしれない。みのりは隣に座っている紅にも見せようと、彼女の方へ視線を向けようとした。だが呆れかえったような碧の溜息にそれは阻まれる。
「お嬢様、僕の話を聞いていましたか?」
今回は見逃してはくれないらしい。黒縁眼鏡の奥から覗く碧の切れ長の黒目と目が合った。
「も、もちろん聞いていたわよ。古文書のことでしょう?」
背中に変な汗を感じながらみのりは、必死に昨夜読んだ古文書を頭に浮かべた。
古文書には4つの文が記されている。その4つの文の通りにすれば黄金梅の実が生るはなのだ。しかし、みのりにはこの4つの文どころか1文すら読むことができていなかった。
『イニシエ カミ ツチ トキ アラワル』
今のみのりが解読できたのはここまでだった。文末の『アラワル』は『現る』のことだろう。つまり種を植えた後で何かが現れるということだ。みのりは読めた文字を合わせて、どこに植えたらいいのかを推測することにした。
(『イニシエ』は古、『カミ』、『ツチ』はきっと神社の土ってことよね)
梅願神社の次に古い神社で墨良神社という場所がある。そこは梅願神社との繋がりも深い。宝物庫がある梅願神社を除けば一番の古さでもある。1番始めの種を植えるのにこれ以上の場所はないだろう。
「種は墨良神社に植えるんじゃないかしら?」
今から行っても墨良神社なら間に合う。みのりは不安に感じていたことも忘れ、高揚とした気分になった。
(古文書を読む前から墨良神社だって思っていたのよね)
これは裏づけがとれたも同然だろう。幸先の良いスタートに頬を緩ませる。しかし外を眺めすぐにみのりは顔をしかめた。目的地である墨良神社ならば何度か行ったことがある。それなのに車から見える景色は見慣れないものだった。碧に限って迷うことなどはないと思いつつも、みのりはたまらずに口を開いた。
「ちょっと碧、私たちどこへ向かっているの?」
「果杷駅近くにあるホテルですよ」
碧はみのりの問いにあっけらかんと答えた。その言葉にみのりは耳を疑った。