お坊ちゃん、長兄に屈服する
「急で悪いんだが、見合いが決まったんだ」
辿り着いた兄の書斎で、涼介は長男の雅秋から理解不能な話を告げられた。
「誰のですか?」
目をしばたたいて尋ねると、雅秋がさも当然だと言わんばかりに声を張り上げてくる。縦縞が入ったグレーのスーツに、斜めの赤いストライプが入った品のいいネクタイを締めた兄が凝視してきた。
「お前に決まってるだろう。我が家に独り身はお前だけなんだから」
「嫌ですよ、面倒くさい。第一俺まだ大学生ですよ?」
涼介は兄の言葉を間髪入れず切って捨てたが、雅秋も引き下がってはくれない。
「大学生だろうと二十歳すぎれば立派な大人だ。実際問題、そんなことはどうとでもなるしな」
「嫌ですよ、絶対」
涼介は雅秋を見据え、今一度きっぱりと返事をする。だが、雅秋はまったく怯んだ様子もないまま、で、と話を進めてきた。
「相手なんだがな。お前もよく知った人物だ」
微笑みながら、写真を黒塗りの机の上へと出してくる。涼介は出された写真を目にしたとたん、眉間の皺を深くした。
「おかしいですよ。なんだって総本家である梅宮の愛娘と見合いなんかすることになるんですか?」
尋ねると、雅秋がかぶりを振った。
「詳しいことはよくわからん。だが、これは本家の意向だ」
やんわりとではあるものの、こちらの言い分をすべて拒絶するかのような兄の物言いに涼介は声を荒げる。
「だからって」
だが、雅秋はそんな思いなど意に返さず、さり気ない口調で主張を遮ってきた。
「それからな、あちら側の側近から今朝事付けがあったんだが」
雅秋の言葉に、涼介は目を見開く。
「碧さんが?」
声を弾ませ問うと、雅秋が片眉をあげた。
「お前、碌に話もしたことがない奴をむやみに信用するなよ」
雅秋が鋭い視線を向けてくる。どうやら雅秋は本家の側近である碧に対して、あまりいい感情を抱いていないらしい。だが、兄が碧のことをどう思っていようと、自分にとって彼は特別な存在だった。
『涼介君、だね?』
幼かったあの日のことが脳裏をよぎる。兄と同じくらいの年頃の少年が、声をかけてくれたのだ。以来、確かめるように首をかしげ頭を撫でてくれたその人物のことを、涼介は片時も忘れたことはない。
梅田碧。
彼はやること為すこと二人の兄と比較されふてくされていた自分のことを、初めて認識してくれた他人だった。
碧とはその後、一度も会っていない。たとえ再会することがあったとしても、きっと向こうは覚えていないだろう。それでも、あの時今にも押し潰されそうだった自分の心が彼の一言によって救われたのは紛れもない事実だ。何を言われようと自分にとっては、何よりも大切な思い出であることに変わりはない。
「そんなの俺の勝手でしょう」
即座に明後日の方角を見やると、雅秋がしばし見据えてきたあと小さく息を吐いた。
「まあ、いい。その碧から伝言だ。なんでもお前の見合い相手であるみのり嬢が、行方をくらましてしまったらしい」
「よっぽど見合いしたくなかったからじゃないですか?」
涼介はそっぽを向いたまま応えるが、雅秋の話も続いていく。
「そこで、だ。お前、見合い相手のよしみとしてちょっとそこら一帯を捜してきなさい」
なんでそんなこと、と涼介は目を剥いた。雅秋を真っ向から睨みつけ反論する。
「見合いをやめればいいじゃないですか。そうしたらすぐにも戻ってきますよ、きっと」
その言葉に反応したのか、雅秋が身体の動きを停止させた。
「面白い冗談だな。本家を敵に回す気か」
「本気ですよ」
低い声で問う雅秋へ、涼介は宣言する。
「涼介」
雅秋が諌めるように見つめてくる。両肘を机の上に立てて手を組むと、その上に顎をのせながら、わかっているはずだぞ、と諭してきた。
「お前も梅八家に生まれたからには、それがどんなに恐れ多いことか理解しているはずだろう。そして、事の重大性も」
「それは!」
静かな口調で語りかけてくる雅秋に、涼介は異を唱えかけ口をつぐむ。確かに自分は総本家である梅宮を守護する梅八家の一員だ。梅八家は梅宮を守るために存在する分家集団であり、側近格の梅田家は警察や防犯会社、判事や検事、弁護士に裁判長を、自分たち梅畑家は市の職員、市議会議員をそれぞれ担っている。ちなみに、梅木家は林業および土木を、梅森家はアミューズメント経営を。梅山家は農業および外食産業、梅林家は医療、梅沢家は杜氏及び酒屋を経営し、梅河家は水道業を一手に引き受けているのだが。
すべては梅宮のため、当主である梅宮美都子を助けるために存在している一族であり、自分もその末端にいる。だが、そうと理解していても納得できることとできないことがあるのだ。涼介は雅秋を見て、だけど、と呟き俯くが、そこへ雅秋の厳然とした声が降ってきた。
「みのり嬢をお捜ししてきなさい。いいな」
どんな反論をも認めぬ硬い声に、涼介は沈黙する。反撃する機会を奪われた涼介はしばし黙り込んだ後、溜め息を吐いて雅秋に応じた。
「はい」
敗北感に打ち拉がれながら、しぶしぶ頷く。せめてもの悪あがきだ、と仏頂面で書斎を後にして、閉じた扉の前で盛大に肩を落とした。




