第7話 初仕事……のその前に
「くっ……」
現在隆司はとてつもない恥ずかしさと悔しさに頭を抱えていた。
意気揚々とギルドを出たはいいが、そこでそもそも異世界人である隆司には件の『薬草』がどんな形をしているかすらも分からないことに気付いた。これはいけないと思った隆司は一瞬の迷いもなく踵を返してギルドの中へととんぼ返り。クラリスのいるカウンターに脇目も振らずに一直線に向かうと、何かあったのかという顔で目をぱちくりさせているクラリスにどうしたのかと尋ねられた。
『薬草ってどんな形なんですか?』
と、尋ねた自分がバカだった――と隆司の胸は後悔でいっぱいだ。なぜなら、薬草など冒険者にもなっていない子供にだって判別できるものだったらしく、隣のカウンターで隆司の問いを聞いた他の冒険者が思いっきり笑ったのだ。それはもうギルド内に響くほどの大爆笑だった。目の前のクラリスですら「あらあら」といった感じで苦笑い。
「せめて『この辺りの薬草はどんなものですか』と聞くべきだった……」
それなら多少の言い訳はきいただろう、などと後悔しても今更なのは言うまでもないが。
さて、隆司がギルド内の笑い者になったと言っても、クラリスはしっかりと受付嬢としての職務を全うしてくれた。隆司が恥ずかしさのあまりしどろもどろになりながらなんとか言い訳をしている間に、恐るべき速度で、これまた恐るべき完成度の、薬草の絵を描いてくれたのだ。
精密精緻なその絵は色さえ付ければ本物と見まがうほどのものだろう。
ギルドの給料がどれくらいかは知らないが、絵を描いて生活した方が儲かるんじゃないだろうかと思わなくもないが、それは置いておくとする。
嘲笑と爆笑と冷笑の中なんとかギルドを出た隆司は、クラリスが教えてくれた薬草のよく採れる場所を目指して歩いていた。しかし、その途中で採取した薬草を入れておく袋も何もないということに気付く。どうしたものかと考えた結果、とりあえず月風亭に戻ることにしたのだった。
「一応、冒険者になれましたとガーランドさんに報告しておこう」
後悔と恥ずかしさが未だ尾を引いている隆司は、ため息とともに呟いてなんとか迷わず辿り着いた月風亭のドアを開ける。
「いらっしゃ……おや、おかえりなさい」
そう言って隆司を迎え入れたのは見も知らぬ女性だった。
「は?」
思わず疑問符が飛び交う光景に隆司は目を疑う。
美人。
まさにその一言が似合う女性だった。金糸のような髪に緑碧玉の瞳、整った顔立ちはどこかで出会ったことがあるような不思議な既視感を覚えさせた。
「あれ? もしかして、アルとサラのお母さん、ですか?」
「えぇ、そうよ。アリアというの。あなたはリュウジさんでしょう?」
はい、と返事をして隆司は一人で納得する。なるほど、二人は母親に似たんだな、と。むしろ父親に似なくてよかったと思う、ホントに。
隆司がそんな失礼なことを考えているとはつゆ知らず、アリアは隆司に微笑みを向けて言った。
「冒険者にはなれたの?」
「あ、はい。それをガーランドさんに報告しようと帰ってきたんです」
「あら、そうなの。じゃあ、呼んでくるから食堂で待っていて」
そう言ってカウンターを離れると、アリアはどこかへ行ってしまう。一人取り残された隆司は、言われた通り食堂へと向かった。
お昼のピークが過ぎ去ったあとなのか月風亭の食堂は閑散としていた。一つ二つテーブルは埋まっているが、どのテーブルも食事をしているのではなく、飲み物を片手に歓談しているような状態だ。
「そう言えば腹減ったな」
思い出したように呟いた隆司は、しかしお金が無いのでもうしばらく我慢することにする。ぐぅ、と隆司のお腹が抗議するように鳴くが今は無視だ。
「ほら、食っていけ」
よく通るバリトンと共にテーブルに置かれたのは何とも力の付きそうな肉料理だった。声の方に視線を向ければ、そこには微笑みを返すガーランドの姿。
「無事に冒険者になったんだってな。おめでとさん」
「あ、ありがとうございます」
お礼を返した隆司は目の前の料理に目をやる。
「食えって。冒険者になった祝いと思ってくれりゃいい。ほら、食え」
渋る隆司に断わる隙を与えないようにぐいぐいとすすめるガーランド。しまいにはガーランドのすすめと料理の誘惑に負けた隆司の方が折れて「いただきます」と手を合わせた。
「もしかして、もう依頼を受けたのか?」
「はい。南の平原に薬草を取りに行くんです」
「ほう」
隆司の言葉にどこか嬉しそうに「そうかそうか」と頷くガーランド。そこでふと、何かに気付いたような顔をして、
「どうして戻ってきたんだ? さっきの様子だと昼飯を食いにってわけでもなさそうだし、報告にしたって依頼を終えてからでもいいと思うが」
と、隆司に尋ねた。
隆司はそれもそうなんですけど、と苦笑いして見せ、理由を話す。
「まあ、冒険者になったって報告しに来たのが一つと、薬草を入れる袋が無いもんで、どうしたもんかなぁと。ガーランドさんならその辺のこと分かるかなと思いまして……。できればそーゆー袋とか鞄とかをタダで手に入れられるようなとこを教えてもらえれば。……ご存じの通り、俺、お金ないんで」
「ほう、なら、ここに戻ってきたのは正解だ」
言うと、ガーランドは「ちょっと待ってろ」と言い残し、どこかへと去っていく。若干の置いてけぼり感を覚えた隆司だったが、すでにガーランドは姿を消している。何をしにどこに行ったのかは隆司にはわからないが、言われた通りとりあえず待つしかなさそうだ。早く食べないと料理も冷めてしまうし。
ガーランドという話し相手がいなくなると、隆司は周りが一気に静かになったような錯覚に陥った。実際はそんなことはないはずだが、別のテーブルで大きくない声で話す声が隆司の耳に入ってくる。
「おい、それより聞いたか」
どこか深刻そうな声音で話を変えたのは神経質そうな男だった。その声に反応を返したのは、男の向かいで酒を飲む大柄な男だ。
「なにをだよ。またジスカが女にフラれたって話か?」
「あ、そうなのか……って違う。東にある『ニルドネの森』の噂だよ」
「あん? ……あぁ、モンスターが大量発生してるってぇヤツか」
モンスター、という言葉に隆司も反応する。ちらりと男達の方へ視線をやって、二人の話に耳を澄ませた。
「ゴブリンって話だぞ、どうも。あのずるがしこい奴らが東の森を占拠してるらしい」
「ふぅん、けどよぉ、ゴブリンなんざザコじゃねぇか。俺達が心配するような相手でもねぇだろうよ」
神経質そうな男の言葉を特に気にも留めてない様子で酒をあおる大柄な男。その様子から見るに、自分の腕に相当な自信があるんだろう。
「そりゃそうかもしれねぇがよ……」
「おめぇは心配しすぎなんだよ。もちっと楽しい話をしろよ、酒がまずくならぁ」
大柄な男は自分のグラスに酒をなみなみと注ぐと再び一気に飲み干した。それからは隆司が聞いても分からない話を始めたので、隆司は再び料理を食べることに集中した。
「リュウジ、待たせたな」
そして、しばらく料理を食べながら待っていると、ガーランドが何かを持って戻ってくる。
「これを持ってけ」
そう言って机に置かれたのは、ナップサックだった。
「これは……?」
「昔俺が使ってたものだ。多少古いがかなり丈夫に作られてるからまだしばらくは使えるはずだ」
「い、いいんですか?」
「あぁ、もちろん。俺はもう使わないだろうからな」
「ありがとうございますっ!」
がたんと椅子を鳴らして立ち上がった隆司は、嬉しさのままに礼を言って頭を下げた。それを見たガーランドは小さく笑うと隆司の肩に手を置いて「頑張れよ」と激励してくれる。
「その中にはいくつか麻袋も入れておいた。うまく使え」
何から何まで至れり尽くせりな今の状況に、隆司の感動はとどまるところを知らない。そのガーランドの優しさに、隆司は思わず涙が出そうになった。
「さぁ、さっさと飯を食って初仕事行って来い」
ガーランドにそう促された隆司は、元気良く返事をして椅子に座り直すとあっという間に料理を平らげる。そして、
「行ってきます」
ガーランドにそう言って、月風亭を出たのであった。