第4話 決意(なし崩し)
百地隆司は朝に弱い。というか寝起きという状況に総じて弱い。低血圧のおかげか寝起きの状態から完全に覚醒するのはかなりの時間を必要とし、そこに寝起きの体力をつぎ込むせいか他の事柄は一切合切が意識の外にはじき出される。例えば、さっきまで見ていた夢の内容だとかそういうものである。
「んあー、なんか、夢……見てたような……?」
回らない頭でうんうん唸りながら思い出そうとしたが、それはほどなくして徒労に終わった。今までにも寝起きの状態で夢の内容を思い出せた試しがないので無駄だと悟ったのだ。
「まぁ、いいか」
なんとか覚醒しきった頭でそう結論を出して、隆司はベッドから出る。そして、覚醒したとは言え未だに覚束ない足取りで窓際まで移動すると、寝ぼけ眼のままで外を見やる。
「あー、そうか。異世界に来たんだっけ」
まるで何でもないことのようにそう呟いた隆司は、自分の口から当たり前のように出てきた『異世界』という響きに思わず苦笑してしまう。まだ一日しか経っていないというのに、自分はすでに順応しているのかと呆れるばかりだ。
「ふぅ、まぁ、くよくよするよりはマシか」
と、適当に思考を終了させてズボンのポケットに手を入れ、そして気付いた。
「あー……、携帯は家に置いて出たんだっけ」
ただの散歩だからすぐに帰ってくるとタカをくくっていたあの時の自分のうかつさに後悔しながら、隆司は部屋を見回す。
「時計はない、か」
呟いた隆司は今一度外に目をやり、太陽の位置と明るさから朝の六時くらいかと推測する。昨日早く寝たせいで随分早起きしたなぁと頭の中でぼやいた隆司は、その時ぐぅとお腹が鳴ったのを聞いて自分が空腹であるということを自覚する。
昨日たらふく食べたというのにもう食事を要求してくる貪欲な自分のお腹にため息をつく隆司であった。
特に身支度をする必要もなかった隆司は着の身着のままに部屋を出る。そして、昨日アル少年に案内された道のりを一階へと降りるための階段の方へと進んでいく。途中で隆司と同じように早起きをした何人かの客に軽い挨拶をしながら階段を下りる。入口すぐのカウンターの前を通過して食堂へ行くと、食堂奥に設置されたカウンターの向こう、厨房のあるスペースでは昨日隆司を圧倒した褐色で禿頭で左眼に傷の大男こと、この宿『月風亭』の店主兼料理人であるガーランドの姿があった。
すでに食堂の中に散見される客たちの注文を受けてせっせと調理をしているガーランドを見た隆司は、
「全然似合わないなぁ」
と、小さな声で呟いていた。
実際のところ、ガーランドのことを一目見て宿屋で料理を作っている人間であると誰が想像できるだろうか。どちらかと言えば、街の外やダンジョンを駆けずり回って凶悪なモンスターたちと戦闘三昧と言われた方が説得力があるというものだ。故に、隆司の抱いた感想は至極当然と言えたし、また、月風亭を訪れたことのある全ての人間がガーランドという人物に対して似たようなイメージを抱いているのも当然のことであると言えた。
「まぁ、お父さんは元冒険者ですからね」
ふと聞こえた声に視線をやると、そこには昨日も見た金髪碧眼の小動物系少年、アルフレッドがいた。どうやら食堂のテーブルを拭く仕事の最中のようで、満面の笑みで隆司を見ながらもその手は休むことなく動いていた。しかも、どこをどういう風に拭いているかを手許を見なくても完全に把握しているようで、その動きには無駄やよどみが一切なかった。
すごいな、と素直な感想を抱いた隆司は先ほどのアル少年の言葉について聞き返す。
「ガーランドさんって元冒険者なのか?」
「はい、そうですよ。お母さんから聞いた話だとそれなりに腕の立つ冒険者だったみたいです」
「へー。でも、冒険者をやめたんだ?」
「それはほら、あの左眼ですよ。とある冒険の途中でモンスターから受けた傷らしいんですけど、それが原因で冒険者をやめることにしたみたいです」
言いながら腰を下ろしたアル少年。その正面に座った隆司は、「なるほどねぇ」と返事をして頷いた。
「にしても、何で宿屋?」
「それはここがお父さんの実家だからですよ」
「あぁ、そういうことか」
「はい、冒険者をやめてこの街に帰ってきてこの宿で食堂を任されたって言ってました。もともと料理は得意だったらしくて、昔いたパーティでもよく料理当番をしてたみたいです」
「はぁー、人は見かけによらないってことか……」
カウンターの向こうで真剣に調理をしているガーランドを見ながら、隆司は感嘆の声を漏らす。それを聞いてアル少年は「あはは」とどこか苦笑いのように微笑んだ。
その時、
「アル? そこで何をしてるの?」
聞こえてきたのは優しげな声。アル少年と似た声の質だったが、今聞こえたその声にはアル少年には無いお淑やかさや控えめさのような雰囲気が感じられた。
「あ、姉さん」
「もう、何やってるの。お客さんに迷惑かけちゃダメでしょ」
アル少年が姉さんと呼んだ少女は、金髪碧眼のアル少年に負けず劣らずの美貌の持ち主だった。腰の辺りまで伸びた金髪は窓から差し込む陽光に照らされてキラキラと輝き、瞳はアル少年と同じエメラルドの虹彩を湛え、花の妖精と並べても劣らない整った目鼻立ちは、道ですれ違えば十人中の十人が振り返るだろうと思われた。
「別に迷惑はかけてないよ、姉さん。僕はただリュウジさんと話をしてただけなんだから」
「あら、そうなんですか?」
アル少年の言葉に、少女は首をかしげて隆司に問いかける。
「……あ、あぁ、ほんとだよ。ガーランドさんのことを聞いてたんだ。どうして宿屋をやってるのかとかね」
少女の可憐さに見惚れていた隆司は少女の問いに一拍遅れて返事をした。
「ほらね、姉さん」
「えぇ、そうみたいね。ごめんね、勘違いしてしまって」
「別にいいよ。姉さんの早とちりには慣れてるから」
アル少年のちょっとした生意気な態度に「もう……」と頬を膨らませる少女。隆司がそんな二人の様子を微笑ましく見守っていると。
「リュウジ、朝食は食っていくか?」
野太い声。後ろを振り返ってみれば、ガーランドがカウンターの向こうから声を掛けてきていた。
「あ、はい。……って、俺お金ないって昨日も……」
「出世払いでいいって昨日も言ったろう。心配するな」
「ありがとうございます」
隆司がガーランドの優しさにお礼を返すと、すでに隆司の分の食事が準備されていたらしく食事の乗った皿がカウンターに置かれた。
「サラ、運んでやってくれ」
「はい、お父さん」
アル少年の姉――サラは静かに返事をしてカウンターへ向かうと、これまた静かな動作で隆司のもとまで料理を運んできた。
「どうぞ」
「ありがとう。……えっと、サラ、でいいのかな?」
「あ、はい。私はサラと言います。こっちは弟のアルフレッド……って弟のことはご存じなんですよね」
「あぁ、俺は隆司だ。よろしく」
お礼と一緒に遅ればせながらの自己紹介を済ませてから「いただきます」と手を合わせる隆司。今日も今日とて美味しそうな料理に隆司が舌鼓を打っていると、
「ははっ、相変わらずいい食べっぷりだな。作り甲斐がある」
そう言って、ガーランドが厨房から出てきた。料理を食べながら目だけで辺りを見回した隆司は、今までいた客がすっかりいなくなっていることに気付く。どうやら隆司がアル少年たちと会話している間に食事を終えて出て行ったらしい。
そんなことを頭の隅で考え終わる頃には、それなりの量があった隆司の朝食は全て隆司の胃袋に収まっていた。
「ごちそうさまでした」
と食べ始めた時と同じように手を合わせてから水を飲み干す隆司。ふぅ、と一息つくと、そのタイミングを見計らってガーランドが声を掛けた。
「お粗末さま。……今日は、これからどうするんだ?」
「んー、どうしますかねぇ……」
ガーランドの言葉に腕を組んで考え込んだ隆司だったが、特に思いつかずうんうんと唸るだけで終わってしまう。
「あ、なら僕らと一緒に教会に行きませんか?」
「教会?」
アル少年の突然の提案に隆司はすかさず首をかしげる。何をしに行くというのか、その理由が全く思い至らなかったからだ。
「えぇ、神様にお祈りに行くんです」
アル少年の代わりに姉のサラが答える。どうやらサラも教会に行くらしい。
「どうですか、リュウジさん?」
「神様、ねぇ」
アル少年の再度の誘いに、教会へ行くか否かを考えながら、神様なんてものの存在に懐疑的に呟いた隆司。しかし次の瞬間、隆司の頭にわいた疑問はあっという間に到底無視できないほどの大きさに成長して、隆司の心を支配した。
「……、神様?」
あれ、あれ? と首を左右に傾げた隆司は、何か大事なことを忘れている気がしていた。とても大事なことだった気がするのだが……。
「リュウジさん? どうかし……」
「あーーーーっ!」
アル少年の心配げな言葉を遮って、隆司は大きな声を上げて立ち上がる。その反動で椅子が後ろに倒れたが、隆司に気にしている余裕はなかった。
隆司は昨日見た夢で『神様』を名乗る存在に出会ったことをはっきりと思い出して、愕然としていた。なんで今まで忘れていたのだろう、と。
「どうしたんだ、リュウジ?」
ガーランドの訝しむような声が、驚く隆司を落ち着かせてくれる。ゆっくりと冷静さを取り戻してきた隆司はガーランドの言葉に応えるべく口を開いた。
「えっとですね、昨日、寝る前にいろいろ考えたんですけど、俺『冒険者』になることにしました」
昨日の夢で見た自称神様のことなどどう話せばいいか分からなかった隆司は、ただ端的にそれだけを伝える。
隆司の突然の決意に目をぱちくりとさせるアル少年とサラ。ガーランドは「ほぅ」と感嘆に似た吐息を一つはいて、顔に似合わない優しげな笑みを隆司に向けた。
隆司は三者三様の反応を見ながら、言葉を続ける。
「そ、それでですね……。できれば冒険者ギルド? の場所を教えてもらえるとありがたいんですけど……」
と、三人を見た。すると、
「なら、俺が案内してやろう。サラとアルは午前中も宿の仕事があるが、俺は昼時までは比較的ヒマがあるからな」
ガーランドが黒い肌とは対照的な真っ白な歯を見せながら隆司にそう言った。それを聞いた隆司はほっと安堵する。
「少し待ってろ。厨房の後片付けをしてくるから。それが終わってからギルドに案内してやる」
「あ、ありがとうございます!」
言って、厨房へと帰って行ったガーランドの背中に、隆司は感謝の思いを込めて頭を下げたのだった。