第21話 惨状
今回は短めです。っていうか短いです。
二人の今回の依頼は至極簡単だ。
ニルドネの街南門から出て徒歩で一時間ほど行ったところにあるオント洞窟。普段なら、魔物が出ると言ってもたかが知れたもので、稼業に慣れてきた冒険者が一人で入っても楽に帰ってこられるほどの場所だ。洞窟の奥にあるちょっとした池では美味しい魚が釣れることもあるので、食卓をちょっと豪華にしたい冒険者が釣竿を肩に担いでやって来ることさえある。
さて、今回の依頼はそんな平和なオント洞窟に異常繁殖したグリーンリザードを30体ほど討伐するという隆司とセランなら武器も装備せずにクリアできるくらいの難易度の依頼である。
しかし、現在の二人はと言えば、洞窟の外でがっくり肩を落としていた。
「ったく、全部隆司にやらせようと思ってたのによ……」
「あー……、やっぱりそうなんすね」
「そりゃそうだ。今回の依頼はお前の修行のために受けたようなもんだしな」
「だからって丸投げは勘弁です。鬼ですか。今度から絶対にやろうとしないでください」
「……検討はしておく」
「…………」
セランのいまいち信用できないセリフにジト目で睨んで、隆司は大きくため息をついた。
この人には何を言っても無駄だ。と、修行が始まってから何度も思った言葉が頭をよぎる。
二人してかなり気の抜けた会話をしているが、その顔はどことなく暗い。隆司など見た目からして疲弊しきっているのがわかる。どうやら相当消耗しているようだ。
しかしその消耗の原因はグリーンリザードとの戦闘によるものではない。その証拠に、魔物を倒せば自動的に誰がどんな魔物を倒したか記録してくれるギルドカードには何の変化もないのだから。
さらに加えて言うなら、いま隆司とセランが洞窟の外にいるのは無事に依頼を終えたからでもないのだ。
* * *
数分前。適度な緊張感を持って洞窟に乗り込んだ二人だったが、そこに広がる光景を見て絶句した。
まずおかしいと気付かされたのは臭いだ。鉄さびと生臭さが混じったような異臭。隆司が思わず鼻を塞ぐと同時にセランは辺りを見回していた。
「ひでぇな」
「う……そうですね」
セランの声を聞いて、隆司もあたりを観察する。薄暗い洞窟の中を見通すべく【暗視】スキルが自動的に発動し、視界を確保した。
その視界に真っ先に飛び込んできたのは緑色の鱗に覆われたトカゲ――グリーンリザードの死骸だ。しかし、その死骸には頭がない、まるで引き千切られたような跡が生々しく残っているだけだ。
その死骸から視線を外した隆司はなんとなしに首を探した。しかし、その目に映ったのは引き千切られた首どころの話ではなかった。
視界いっぱいに映ったのは数十匹のグリーンリザード。その死骸だった。
よく見れば、洞窟のあちこちに肉片や鱗が飛び散り、壁にはいまだ乾いていない血が滴っていた。
ぴちゃり、と踏み出した足が音を立てる。見れば、隆司の右足は血の海に踏み込んでいた。
「……――――ッ!!!」
突如襲った忌避感と背筋を貫くような悪寒に隆司は口元を手で押さえる。
きつく目を閉じ、歯を食いしばる。体内から上がってくる吐き気に耐えながら、隆司はゆっくりと息を整えた。
「フ――ッ、フ――……!」
それでもなお、今見た惨劇が頭から離れない。
まだ艶の残った手足が、肉の間から剥きだした白い骨が、鋭く尖った牙の間から滴る血と唾液が、洞窟の入り口から差す光を反射する目が、未だ死を経験したことのない隆司に具体的な形を伴って具現したのだ。
胸の内を渦巻く恐怖とむせ返るような死臭。
こんな場所にはあと一秒だっていたくないと思う反面、隆司の足は地面に縫い付けられたように動かなかった。
惨たらしい光景が何度も脳裏をよぎっては隆司の脳を侵していく。このままでは頭が、精神がどうにかなってしまいそうだ。
しかし、その思いを知ってなお、セランは隆司に手を貸さなかった。セランとてこの光景を見て何も思わないはずもない、初めて似たような光景を見た時には我慢もせずそこらじゅうに吐き散らしたものだ。だからこそ、これが『死』なのだと知っているからこそ、それを理解したからこそ、セランは中途半端に手を貸すわけにはいかなかった。下手に手を貸して、それで隆司が『死』を乗り越えたのだと勘違いしてはこれから冒険者を続ける上で必ず障害になる。かと言って、このまま何もしなければ、隆司の精神が持たないかもしれない。
セランは隆司を見ながら、手を貸し、支える頃合いを慎重に見計らっていた。
そもそも、この惨状自体は想定外のことだったが、これから自分たちはその手でこの光景を作ろうとしていたのだから目を逸らすことなどできるはずもない。これが冒険者という道を選んだ者の業なのだ。
それでも、この惨状は厳しすぎるとセランは顔をしかめた。
隆司もこれまでに魔物の死骸をたくさん見てきているとは言え、今までの死骸はなまじ隆司の手際が良すぎるせいでどれも比較的きれいな状態だったのだ。そういう死骸を見慣れてきた矢先にこれである。今までとのギャップも相まってその衝撃は計り知れない。
新米冒険者の通る道とは言え、今回の惨状はインパクトが強すぎる。そんな風に考えたセランは、今も胃の中身を吐き出さないよう懸命に我慢している弟子の姿を見つめ続けた。
(下手したら、隆司は冒険者を辞めたくなるかもしれねぇな)
と、弟子の今後を憂いながらセランは隆司の様子を見守った。
「ぐ……ゥッ」
隆司の呻きが洞窟の血に染まった壁に反響する。
様々な思いが頭の中を、心を渦巻き、隆司が押しつぶされそうになったその時。
――耐性スキル【恐怖耐性】を取得――
――特殊スキル【忌避緩和】を取得――
――補助スキル【調息】を取得――
――特殊スキル【感情制御】を取得――
「――……ぁ?」
瞬間、急激に冷めていく胸中の熱に隆司は愕然とした。今まで頭がどうにかなってしまいそうなほど暴れまわっていたというのに、まるで最初からそうであったかのように今の隆司の心中は平穏だった。
足元に転がるグリーンリザードの死骸に目をやる。
(なん、ともない……?)
それどころか、その死因を考えることができる程の冷静さを取り戻している己の心に、隆司は戸惑う。
――称号スキル【乗り越えた者】を取得――
――耐性スキル【混乱耐性】を取得――
「……っざっけんな……!」
「隆司? ……どうしたんだ?」
隆司の様子を尋常じゃないと感じたセランが慎重に声を掛ける。
しかし、隆司は答えない。
やがて、しばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた隆司は、その瞳に静かな怒りを宿したまま言った。
「俺は、迷うことさえできないみたいです」
「……おい、まさか」
自嘲とさえ取れる隆司の言葉に、セランは何かに気付いたようだ。隆司を落ち着けるために少し休もうと考えたセランは、隆司の腕を掴んで洞窟の外へ出た。




