第15話 ゴブリン退治と小さな狼 その1
錆びついた斬撃が、隆司の目の前を通過していく。
紙一重でゴブリンからの攻撃を躱した隆司は攻撃を空振りして戸惑っているゴブリンに向けて斬りかかった。
がっ、と鈍い音がしてもう少しのところで隆司の剣撃はゴブリンの装備していた革鎧に阻まれる。セランのように革鎧ごと断つのはまだ無理か、と考えたところへ、別のゴブリンが右から強襲を仕掛けてきた。
右から左へ薙ぎ払うように剣閃が走ることを【見切り】スキルが教えてくれる。
「ふっ」
と呼気を吐いてゴブリンBの薙ぎ払い攻撃を躱し、空振りの隙をついて刺突。今度は見事にゴブリンを捉え、剣の特殊能力のおかげか戦闘初心者にしては凄まじい威力の突き攻撃はゴブリンBの首を貫いて首の骨を両断した。
そして、ゴブリンBの首がぼとりと地面に落ちるのとほぼ同じタイミングでゴブリンAの首へめがけて一閃。
周囲に視線を巡らせて、自分の周りには敵がいなくなったことを確認した隆司は、やや離れたところで戦闘中のセランのもとへ駆けつけた。
「遅いぞ隆司」
「すいませんっ」
短く言葉を交わして剣を構え直した二人は、足元で怯え震えている一匹の動物を庇うようにゴブリン達の前に立ちはだかった。
犬のような狼のような姿をしたその動物はただでさえ小さな体躯を丸めるようにしているせいで余計に小さく見える。
「依頼にあった特徴とは違う気がしますけど……」
と、横目でその動物を見やった隆司。
「んなこと言ってる場合か、助けに入っちまったもんはしょうがねぇだろ! このまま見捨てるわけにはいかねぇしよぉっ」
焦ったような口調とは裏腹に余裕そうな表情で後頭部を掻くセラン。
「まぁ、もともとゴブリンは退治するつもりでしたから問題はないですけど」
「おう、そういうこった」
ほとんど二人を囲むように迫ってくるゴブリン達の中で、二人は場違いなくらい落ち着きはらって会話をしていた。セランはともかく隆司は最初こそ先日殺されかけた体験も相まってゴブリンに対して苦手意識を抱いていたのだが、前と違って余裕をもって対峙できていることに気付いてからはもはや怖いものなしであった。
それゆえ、なぜこんなことになったのか思い出す余裕さえ隆司にはできていた。
隆司の育成計画ハードシフト宣言のあと、隆司の抗議などどこ吹く風で歩き出したセランを追って行った隆司は、再び抗議の声を上げる前にセランが口元に人差し指を当てて静かにするように指示したことによって沈黙を余儀なくされた。
何事かと思って小さな声で尋ねれば、セランは何も言わぬままある一点を指差して見せたのだ。セランのさす場所へと視線を向けてみれば、そこには何かを追いかけて走り回る汚れた緑色の肌を持つ小人たちがいた。
そして追いかけられている小さな影に目を凝らせば、それは犬のようであることに気付く。
『迷い犬の捜索』、そんなクエストを受けていたことを隆司は思い出す。まさかと思ってセランを見れば、すでに《黒き王》の柄に手を添えていた。
「行くぞ」という短い声に隆司も短く返事をして左腰に佩いた片手剣に手をかける。それを合図にしたかのようにセランは一気に駆け出した。
ゴブリン達の行く手を阻むように躍り出たセランは先頭にいたゴブリン数匹を一瞬で屠り、小さな影を庇うように剣を構える。
隆司は隆司でゴブリンの集団の後ろから強襲を仕掛け、ゴブリン達の注意を自分とセランとに分断することに成功した。
そして、なるべく早く自分のところにいるゴブリン達を掃討してセランと一緒に子犬(?)を護るという作戦を実行したのだ。
「っていうか、セランさんならこの程度の数は瞬殺なんじゃないですか?」
いつの間にかセランと背中を合わせるようにして立っていた隆司は背後に向けて問いかける。すると、軽く笑ったセランが「そりゃそうだがな」とため息をついて見せた。
「隆司を鍛えなきゃだからなぁ、ここはお前に任せる」
空いた左手でサムズアップしながら、隆司に笑顔を向けるセラン。
戦闘中であるにもかかわらず余裕綽々な態度に、ゴブリン十数匹の相手を任された隆司は呆れるしかなかった。とは言え、師匠命令――若干横暴な気もするが――ということもあり、ふう、と短くため息をついてから目の前にいるゴブリン達に視線を向ける。
どのゴブリンも一様に醜悪な顔をしており、くすんだ黄金色の瞳で突然乱入してきた二人の人間を睨み付けていた。
とりあえず、と考えた隆司は視界内に収まっている五匹のゴブリンから片付けようと決める。そして、可能な限り手早く相手を観察し始めた。
手に持つ武器は全く手入れが行き届いておらず錆び放題で、切斬能力はほぼないと言っていい。力任せに叩きつけてくる打撃武器として使っているのであれば、下手なところに当たらなければ致命傷にはならないだろう。
一方で身に付けた防具は、自分たちで作ったのではなくどこかから奪ってきた物のようでサイズが合っていないものが殆どだ。とは言っても、防御力はきちんと革鎧のそれなので革鎧ごとぶった切れるような力もない隆司にはそこそこ問題だが。
また、ゴブリン達の動きはやや緩慢だ。先ほどまであの小動物を追いかけ回していたから疲れているのだろう。なんにしても疲れていて動きが鈍いなら今がチャンス、と隆司は判断した。
その時、
――特殊スキル【自己検査】の反映が完了。これにより、スキル取得時に自動で報告されます――
――通常スキル【観察眼】を取得――
頭の中に無機質な声が連続で響く。あまりにも無機質すぎて最初はそれが声と認識できなかったほどだ。
いや、それよりも、重要なのはその内容だ。突然のことでスルーしかけた隆司だが、スキルを習得したということに驚愕を表す。それに【自己検査】の反映ってなんだ? 自動で報告って?
驚きと同時に押し寄せてきた混乱に隆司は思わず「は?」と声を上げてしまった。
「? どうした隆司」
隆司の様子を訝しんで声を掛けたセラン。その声に言い難そうな微妙な顔をする隆司。しかし、戦闘中でもたもたしていられないこともあり、重要な部分だけを簡潔に答えた。
「【観察眼】ってスキルを覚えたみたいです」
「は?」
隆司の言葉にぽかんとしたセランは、次いで隆司の言葉の意味を理解してその顔を驚愕に染める。そして、何事か言おうと口をパクパクさせてから、思い直したように口を閉ざし、呆れたような表情でため息をついたのだった。
「覚えたもんはしょうがねぇ。とりあえずその話は帰ってからにして、コイツらなんとかしよう」
「はい……」
どことなくセランの呆れが伝播して隆司も乾いた笑い声を発しながら頷く。
そして、気を取り直した隆司は、目の前の相手に集中する。すると、さっき覚えたらしい【観察眼】のおかげか、相手の一挙手一投足がさっきよりも見えるような気がした。
勝手に発動してるところから見ると自動発動なんだろうなと考えながら、隆司は目の前のゴブリンの観察を続ける。
指先ひとつの動きさえ見逃さないようにとゴブリンに視線を向けつつも、隆司はその頭の隅で思う。戦闘が楽になること自体は嬉しい反面、特に何の苦労もなくスキルを習得してしまったことにどこかもの悲しさを感じる気がする、と。そんな複雑な心持ちでため息を一つ吐いて無理やりその微妙な感情を頭から追い出して戦闘に集中した。
まずは目の前のゴブリンの首をはねる。狙いを誤らずゴブリンの首を切断した隆司は、次に右側にいる驚いたような表情で武器を取り落しているもう一匹の頭に向けて回し後ろ蹴りの要領で右足を振り抜いた。
ごきゃっ、という音と共にゴブリンは大きく吹き飛ぶ。
――通常スキル【格闘術(脚)】を取得――
無機質なアナウンスを聞き流しながら、隆司は足蹴にしたゴブリンを一瞥する。恐らく頭蓋が割れた上に首の骨がずれているから確実に死んでいるだろうと結論付けて、その奥にいたもう一匹のゴブリンに唐竹割りをお見舞いしておいた。続いて隆司は現在の位置関係的に自分の背後にいるゴブリン達の方へ振り向く。
続け様に仲間を三匹もやられて驚愕よりも怒りの方が勝ったのか、闘志むき出しで自分の方に走り出したゴブリン達に隆司は特に何の感情もなく四匹目の処理にかかった。
こちらに走り出していた二匹のゴブリンがその小柄な体格の割に大きく跳躍し、隆司に飛び掛かってくる。空中で得物を振り下ろしてくる二匹のゴブリンを一瞥した隆司は、【敏捷強化[中]】の効果による新人冒険者にしては高すぎる敏捷力でその下を潜り抜けると、予想外の躱され方をして戸惑いながら降下中のゴブリン達を振り返りざまに横に薙いだ。一匹は上半身と下半身を分断したが、もう一匹は大きめの革鎧に当たって少しバランスを崩しただけだった。だが、着地の時に足をくじいたらしく、立ち上がるのに苦労していたので、隆司は後顧の憂いは立つためしっかりと首をはねておく。
新人の冒険者にしてはやけに容赦のない思い切りのいい戦いを繰り広げる隆司を見て、セランは「肝が据わってるなぁ」などと呑気に考えていたが、隆司にしてみれば先日殺されかけた相手であるため容赦や手加減などする気になれなかったのだ。それに加えて、やはり先だってゴブリン達に殺されかけたのが教訓として頭の中にある隆司にとって敵対的なモンスターに手心を加えるという発想は出てこようはずもない。
やがて、新人冒険者特有の――というにはあまりにも迷いのない動きだったが――大立ち回りを演じてゴブリン達を殲滅した隆司は、どっと疲れた表情でセランのもとへとやってきたのだった。
「おいおい、どーしたその顔は?」
「あれだけグロテスクな惨状を初見で受け入れられるほど俺の神経は図太くありませんよ……」
自分で生み出した惨状を指差しながらそう言って、本当に疲れたと言った感じで座り込む隆司。その姿を見てセランが多少驚いていたことも疲れ切った隆司は気付いていないのだろう。
セランの驚きの理由と言えば、隆司の今の服装だった。ところどころに小さな汚れが見て取れるが、殆ど返り血を浴びていないのだ。あれだけあっちに行ったりこっちに行ったりと大立ち回りを演じていた割には、と考えてセランはふと隆司の先ほどの戦闘を振り返る。
首をはねては蹴りを繰り出し、その奥の相手の脳天をかち割ってはすぐに大きく移動した。その後も似たような動きで終始やっていたから、戦闘経験のなさによる冷静さの欠如かと思っていたが……。
「隆司、お前最初から返り血浴びないように大きく動いてたか?」
頭の中だけでぐるぐる考えていてもしょうがないと思ったセランは、未だに疲れたように項垂れている隆司に尋ねた。すると、顔を上げた隆司は、どこか気まずそうに、
「あ、やっぱりばれましたか」
と一言。隆司は内心で「返り血で汚れることを考えなければもっと早く全滅させられたはずだ」と怒られるのを覚悟したうえでの自白だった。しかし、隆司の予想に反してセランの反応はなかなか良好のようである。「ほぉ、なるほどなるほど」と何事か納得したようにうんうん頷いているセランを見て、隆司はこの上なく嫌な予感を覚える。
そして、
「戦闘中に返り血の心配する余裕があるならもうちょっとハードに仕上げてもいいよな」
にこやかに放たれた悪魔のような一言に、隆司はもう何も言えずに項垂れることしかできなかった。