第12話 修行開始
「おはよう、起きたのかリュウジ」
「あ、おはようございますガーランドさん」
食堂に入るなりガーランドに声を掛けられ、あいさつを返す隆司。昨日はガーランドも一緒になって飲み食いしていたはずだが、酒が残っているような様子はない。相当酒に強いのだろうか。
「食事なら待ってろ。すぐに用意するからな」
「お願いします」
そう言って席についてから、自分がツケで食事をしようとしていたことに気付く。あ、と思った時にはすでにガーランドは厨房に入って調理していたので、声を掛けるのは後にしようと考えて隆司は大人しく待つことにした。
するとそこへ、
「お、リュウジじゃねぇか。起きてたのか」
と昨日あれだけ酒をかっくらっていた人物とは思えないほど元気な声を響かせながらセランがやってくる。
「おはようございます、セランさん」
「おう、おはようおはよう」
適当な感じであいさつを済ませたセランは、厨房で調理をしているガーランドに注文を済ませてから、隆司の向かいの席に座った。
「昨日も言ったが今日は昼から動くぞ」
席に着くなりそう言ったセランの表情はいまだに少し眠そうだ。事実、さっきから何度もあくびをしている。
「はい。今日は何をするんですか?」
すかさず返した隆司の質問に、セランは「んー」と唸ってから、
「ま、今日は様子を見るってことで、まずは武器の扱いだな。お前、武器に関しては素人なんだろ?」
そう言って隆司を見やる。その視線に応えるように隆司は「はい」と頷いた。
そこへ、
「そら、食事ができたぞ」
ガーランドが二つの皿を持ってやってきた。
テーブルに置かれた皿の上には、ホットドッグのような食べ物が二つずつ乗っている。見るからに美味しそうだ。そこに寝起きの空腹も手伝っているのだから、隆司とセランの二人が一も二もなくかぶりついたのは当然と言えた。
一心不乱にホットドッグを頬張る二人。その結果あっという間にホットドッグは消え去り、後に残ったのは付け合せのサラダも綺麗に平らげられた木製の皿だけだった。
「ふぅ……食った食った」
食後のコーヒー(みたいな飲み物)を飲みながら、セランは幸せそうに溜息をついた。隆司もそれに釣られて吐息を漏らしたのだから、ホットドッグはさぞ美味だったのだろう。
「さ、行きますか」
食後の休憩もつかの間、セランはそう言って立ち上がる。
「え、もう行くんですか?」
「当然だろ。お前、寝ぼけてんのかしらねぇが、もう昼時だぞ」
セランの言葉に「あれ?」と首を傾げる隆司。そんなに寝てたのか、と思って内心苦笑した。
そんな隆司の心境などは知らないまま、セランが続ける。
「さっさとしねぇと時間がなくなっちまう。ほら、行くぞ」
「は、はい!」
返事をした隆司は、自分の部屋に戻るセランに続いて自室へ入った。
すぐさま準備に取り掛かる。革鎧――と言っても胸当てのようなものだが――の装備に手間取りながらもなんとか装備を終え、次いで昨日セランから貰った疾風の指輪と大地の腕輪を装備する。最後に剣を腰から下げて準備完了。アイテム類が入ったナップサックを持って部屋を出た。
「ヤバい、ワクワクしてる」
これから何をするのだろう、これから何が起きるのだろうと好奇心が暴れているのを感じて、思わず顔がにやける。心を落ち着けるために一度深呼吸してから一階まで降りると、そこにはすでに鎧を着こんで準備万端なセランが待ち構えていた。
どうやらガーランドと話をしていたようで、隣には褐色肌の大男が立っている。
「お、来たな」
隆司の姿を確認したセランがそう言って、笑みを向ける。
「なかなか似合うじゃないか」
と、ガーランドも笑顔を作った。
似合っていると言われても、隆司には自分の姿を見ることはできないので歯がゆいだけなのだが、せっかく褒めてくれているのだからと、隆司は素直にお礼を言っておく。
「うし、行くか」
「はい」
セランの言葉に滲み出るワクワク感を乗せて返事をした隆司は、待ちきれないとばかりに目を輝かせた。
* * *
ニルドネの街近郊。隆司とセランは街道から少し外れた辺りの平原に腰を下ろしていた。
「ここでやるんですか?」
「おう、今日はな、とりあえずお前に剣術の基礎を叩きこむ」
「た、叩き込むんですか……」
おう、と返事をするセランは宿を出る前の隆司に負けず劣らずワクワクしているようで、どんなふうに鍛えてやろうかというオーラがひしひしと伝わってくる。
「そら、早速だ。剣を構えろ」
セランの言葉に「え」と戸惑う隆司。構えろと言われてもどう構えていいか分からない隆司は、仕方なくいつかどこかで見た剣道の構えをして見せた。体の正中線に重ねるように剣を真っ直ぐに立てた構え、しかしセランはと言えば「なんだそれは」と言いたげな渋い表情で隆司を見ていた。
「何かおかしいですか?」
たまらず聞いた隆司に、セランは腕を組みながら指摘する。
「構え自体はおかしくねぇ。正中線を守るって理屈は分かるが、全体的になってねぇ、スキだらけだ。……まぁ、こればっかりはしょうがねぇかなぁとは思うんだがな」
後頭部をがりがりかきながらため息混じりにそう言ったセランは、次いでおもむろに《黒き王》を抜き放つ。
「とりあえず、やってみるか」
「へ? やるってなに……を!?」
隆司の疑問が届く間もなくセランが隆司の目の前に飛び込んでくる。突然消えて現れたようなセランの挙動に隆司は不意を突かれて動きが固まってしまう。何より、セランが隆司に向けた殺気とも呼べるような濃密な気配に隆司の体は完全に硬直させられていた。
冷やかな、ともすれば体全体にのしかかるような重さを感じさせる殺意。躱し、防ぐという防御行動すら否定されているような圧倒的な死の気配は、隆司の頭から『動く』という選択肢そのものを排除していた。
そんな中にありながら、隆司は冒険者になる時のテストに似たようなものがあったことを思い出す。あの時は剣を構えたおっさんと『にらめっこ』していただけだった。その後に聞いたクラリスの話を真面目に受け止めるなら、アレは新人冒険者がどれほどの精神力を持っているかということのテストだったようだが、今隆司が感じている本物の殺気を前にすればあの程度のレベルに耐えられたからと言ってなんの足しになるというのか甚だ疑問だ。
眼前で発せられる濃く、重い殺気は、まるで液体のように目から侵入し、耳から侵食し、鼻や口から這い上がり、皮膚から染み込んで体内を駆け巡った挙句、脳の隅々にまで浸透して隆司の体から自由を奪っているようだった。
そうであると感じてしまうほどに、隆司の体は全く動かなかったのである。
そして、なんの躊躇いもなく《黒き王》が振り抜かれる。
それを知覚した瞬間、隆司の視界は黒い剣閃にのみ集中した。
――あ、死んだ。
などと、ひどく冷静かつ何の疑いもなくそう結論付けた隆司は、迫りくる漆黒の刃を注視し続ける。その刃はこのままの速度で走り続ければ確実に隆司の首を切断するだろう。スローモーションのように見える風景のおかげで剣閃がより明確に近づいてくるのがわかる。しかしその一方で隆司の頭の中では目まぐるしくこれまでの思い出のようなものが浮かんでは消えていた。
これが走馬灯ってやつかと自分の状況を客観的に分析した隆司は、
「ふむ、とりあえず死んでみるか?」
という、到って軽い感じで放たれたセランの言葉を最後に意識を手放した。
* * *
一時間後、隆司はそれはひどい悪夢を見た時のように冷や汗をびっしょりかきながら飛び起きた。冗談にしても面白くない悪夢に鼓動が早鐘を打つようにドクドク鳴っている。
「はっ、今のは夢?」
そう言って夢であることを確認しつつ、隆司は自分の首が切り落とされていないかを確認して「ふぅ」と安堵の息を漏らした。
「とりあえず一回死亡だ」
背後から聞こえた声にひやりとする隆司。恐る恐るといった感じで振り返ると、そこには手頃な岩の上に腰を下ろしたセランの姿があった。
「ほんとに素人だったんだな」
「……昨日そう言ったじゃないですか」
「いやぁ、てっきり謙遜かなんかだと思ってたからな」
そう言って「はっはっは」と笑ったセランはゆっくりと腰を上げて、隆司のそばに歩み寄る。
「ほれ、立て」
言葉と共に差し出された手を取って隆司はゆっくり立ち上がった。
「さっきのは夢じゃなかったんですね……」
「おう、ちょっと本気でやった」
隆司の呟きに、からかうような笑みを浮かべながら返すセラン。そんなセランを半眼で睨みながら、隆司は思い出すように言った。
「……死んだと思いました」
「けど、ちゃんと見えてたろ」
「え?」
「俺の剣、ちゃんと見えてたろ、目で追ってた」
あ……、と隆司は一時間前を思い出す。そう言えば確かに見えていた。体はついてこなかったが、見ることはできていたのだ。
「とりあえず、それで十分だ。それに今日は戦い方を叩きこむだけだ。俺を倒せとかスパルタなことは言わねぇよ」
倒される気はねぇけどな、と継いで笑うセラン。
それを見た隆司は、このさわやかに笑うナイスミドルが先ほどのような鋭い殺意を放てるのかと内心で恐れ戦いていた。気さくな親戚のおじさんといった雰囲気のセランが、物理的な拘束力すら伴っていると錯覚するほどの気配を纏っていたという事実に、セランへの認識を改める。
そして同時に、生き残るには、この世界の全てを見たいと願い、それを叶えるためには、生半可な力では到底不可能だと再認識した。
拳を握りしめた隆司は、まっすぐにセランの方を見る。
「ん?」
不思議そうな顔で隆司を見やったセラン。どうした、と問いかけるような視線に応えるように、隆司は口を開いた。
「これから、よろしくお願いします!」
平原に、隆司の声が響き渡る。「うおっ」と目を丸くしたセランは、隆司が頭を下げるのを見て、「大げさな奴だなぁ」と苦笑い。
そして、
「おう、任せろ。じゃあ、まずは俺の剣を受け止められるくらいにはなれよ」
不敵に微笑んだかと思うと、ゆらりと《黒き王》を抜いた。それと同時にさっき隆司を襲ったうすら寒い感覚が体中を撫でる。
「……え?」
ひやり、と冷たい汗が背筋を伝う感触。
「ちょっ、いきなりそれは無理ですよ! スパルタはやらないって!」
慌てた様子で抗議しながら、先ほどの光景を思い出して後ずさる隆司。そんな逃げ腰を見逃すセランではなく、じり、と隆司が開けた距離の分を確実に埋める。
「大丈夫だ。ちゃんと手加減はしてやる。優しいだろ?」
「そういう問題じゃないですよ! まず威圧するのをやめてくださいっ!」
じり、じり、と退く隆司を同じくセランが追う。二人の距離は一向に変わらない。
「戦闘訓練だぞ? 実戦で敵に同じことを言うのか、ん?」
「それはそうですけど! もっと難易度を落としましょう! 俺はまだ死にたくないです!」
じりじり。後退しながら必死の訴えを続ける隆司に、セランは不敵な笑みを浮かべた顔で迫ってくる。
まるで魔王だ、などと半ば本気で考えながら、隆司はなおも後退を続ける。
「大丈夫だって。殺しやしねぇから」
「そのセリフ完全に悪役ですよ! わざとやってますよね!」
ふはははは、と楽しそうに笑うセランに呑気にツッコミを入れる隆司。はたから見たら芝居の練習でもしているように見えただろうが、一時間前の恐怖体験をした隆司からすれば、誰でもいいから間に入ってきて一度落ち着こうと促してほしかった。
しかし、
「うおわっ?」
地面に転がっていた拳大の石に足を取られて尻餅をついてしまう隆司。それを好機と見たのか足早に近付いてきたセランは、にやりと歯を見せながら《黒き王》を大きく振りかぶった。
「え、ちょ、セランさん……?」
「これで死亡二回目だ、リュウジ」
ふっとセランからの威圧感が抜けたかと思うと、セランは軽い動作で右腕を振り抜いた。
* * *
その夜、月風亭。
宿に帰ってきた二人は、汗を流すためにすぐさま井戸へ向かった。この世界の風呂は王族や貴族といった上流階級の人間が個人で持つもののほか、上等な宿にのみ存在するような高価なものらしく、熱い湯をなみなみと張った湯船に浸かって疲れを取るなどというのは一般の人間にとってはとんでもない贅沢とのことだった。
なので、隆司はとりあえず汗にまみれた体を濡れたタオルで拭くだけに留め――修行疲れで一刻も早く休みたいということもあり――早々に食堂で食事をとって机に突っ伏していた。
セランはと言えば、井戸の近くに設置されている小さな個室が複数連なった小屋の個室の一つに入って行った。あとで隆司が聞いた話では、そこは言わば簡易の風呂場、或いはシャワー室と呼べるようなものであり、浴槽こそないものの水をセットすれば頭上からシャワーのように流れてくるようになっているのだとか。その後セランが「まぁ、冬場でも冷水使うのはきついけどな」と言いながら、冬場は宿でお湯を買って体を洗うのだと教えてくれた。
そして、疲れた様子など微塵もなく食堂にやってきたセランは、そこで突っ伏していた隆司の正面に座って適当な食事をした後、隆司を伴って自室のある二階に向かった。
疲れで体が軋んでいるような錯覚さえする隆司は、足を引きずるようにしてセランの後を付いて行く。
その道中、今日の修行を振り返るようにセランが言った。
「二十七回死んだな」
「う……まったく手加減なしなんだもんなぁ」
あの後、起きては気絶を繰り返し、日が暮れた頃合いで帰ってきた隆司とセラン。その間、隆司はセランの剣を一度も受け止めることはできなかった。
「まぁ、躱せるようになったのは驚いたがな」
「え、あぁ、それは俺も驚いてます」
そうなのだ。隆司はセランの剣を受け止めることこそ一度もできなかったが、後半、特に最後などは手加減していたとはいえセランの剣を悉く躱し続けていたのだ。
「最後は俺もちょっと本気出しちまったしなぁ」
と嬉しそうに呟いたセラン。内心でこれからが楽しみだと考えながら、明日は何をしようかと次の隆司育成計画に思考を割いていた。
「明日は朝から出るか。五日じゃ時間が足りなさすぎるしな」
「あ、はい……」
と、セランの言葉に覇気のこもってない声で返事をした隆司。気絶しては魔法で生み出されたらしい水を浴びせられて無理やり叩き起こされ、再び気絶するまで訓練。この繰り返しで疲弊しきった体では元気のなさも頷けるものだった。
「ははは、フラフラだな」
「えぇ、ちょっともう……無理です」
「まぁ、部屋でゆっくり休め」
「そうします……」
そう言葉を交わした二人は、それぞれ自室へと入っていった。
ばたり、と後ろ手に扉を閉めた隆司は覚束ない足取りでふらふらとベッドに向かう。そして、ベッドの脇へとやってくるとそのまま倒れこむようにベッドに突っ伏した。
夢の国からやってきた睡魔を頭の隅に感じながら、今日の修行を思い出す。
そして、
「まさか、こんなのが明日も続くのか……」
と、ため息混じりに呟いてから手をこまねいていた睡魔の誘いに乗ったのだった。