第9話 初めての弟子入り
「ってわけで、街のかなり近くにゴブリンどもがウロウロしてた。さっきも言った通り、リュウジもその場にいたから好きに確認取ってくれ。……とまぁそういうわけだから早めに対処した方がよさそうだ」
ギルドに到着して早々、ギルド中の視線を一手に引き受けたセランはそんなものはどこ吹く風で足早に歩を進め、一番ヒマそうにしていたクラリスのいるカウンターまで行くと、戸惑うクラリスに落ち着く時間も与えず早速報告を開始したのだった。
そして、セランからの報告を受けたクラリスは、「もうそんなところにまで……!」と驚愕をあらわにしながら立ち上がる。そのままギルドの奥の方へ行くところを見ると、恐らくギルドマスターとかそこら辺の偉い人に報告に行ったんだろう。
ちなみに、セランが報告をしている間に隆司は別のカウンターで依頼達成の報告をしており、セランの言う通り上薬草を届けたら、300ジールだった報酬が約三倍の800ジールになったので目を丸くして驚いていた。上薬草を2,3本採って来ただけでこんなに上乗せされるのか、と。
やがて、他の依頼の報告も終えたらしいセランは、次の依頼を受けるために掲示板の前にいた隆司に声を掛けた。
「なんだ、もう次の依頼を受けるのか?」
「あ、どうも。……いえ、どんな依頼があるのかなぁ、と」
ギルドに入った直後にセランが視線を独り占めしたのを見て、もしかしてスゴイ人だったのかなと気付いた隆司は、失礼にならないように当たり障りのない無難な反応で返す。
「どうした? 突然よそよそしくなったように感じるのは気のせいか?」
鈍感そうな見た目に反して非常に敏感に相手の機微を感じ取るセランの観察眼に図星を突かれて唸った後で、隆司は正直なところを話す。
「いや、周りの会話聞いてると、セランさんってすごい人らしいじゃないですか。ちょっと気後れしてるっていうか……」
言葉尻を濁しながらセランの顔を伺った隆司は、次の瞬間額を襲った衝撃に上半身をのけぞらせた。倒れそうになる寸前のところで踏ん張ろうとした隆司。しかし、急だったこともありあと一歩のところで踏ん張ることに失敗してしまう。そして、重力に従って尻餅をついた隆司は額と腰に手を当てて「うぐー」と痛みに呻いた。
しかし、次の瞬間、
「いったいなぁっ! 何すんですかっ! 首が吹っ飛んだかと思いましたよ今!」
痛みに呻いていたのもつかの間、すかさず立ち上がった隆司はセランに向けて猛抗議する。
若干涙目になりながらセランに視線をやった隆司はその視線の先に、右手を伸ばし、手をひらひらと揺らしながら隆司を見るセランの姿を認めた。
――デコピン。
隆司が直感的に導き出したセランの攻撃方法はそれだった。奇しくもそれは正解で、周りで見ていたギャラリーたちはその威力に驚きを隠せないでいるだろう。
そして、その脅威の威力のデコピンを受けた隆司本人も額を押さえながら『人を吹き飛ばしかねないほどの威力を持ったデコピン』に驚愕していた。
しかし、そのデコピンを放った本人はどこか嬉しそうにこうのたまうのだった。
「お、よそよそしいのがなくなったな。そんな感じで喋れ。俺は堅苦しいのが大嫌いだ」
ぐっと親指を立てながら爽やかな笑顔を見せるナイスミドルに一瞬で毒気を抜かれた隆司は、大きなため息を吐いてから「分かりました」と力なく返事をしたのだった。
* * *
掲示板の前から場所を変え、ギルド内にあるラウンジのテーブルについた隆司とセラン。異世界人ゆえに何を頼めばいいか分からなかった隆司は飲み物の注文をセランに任せて待つこと数十秒。ビールジョッキのような形の、背が高い木製のコップが二つ運ばれてきた。その際に運んできてくれた中年のギルド職員(ラウンジはギルド内の飲食店のような役割を果たしているので、切り盛りしているのはギルド職員なのである)がセランを見て緊張をあらわにしたので、セランがすごい人物であることを改めて確認した隆司であった。
コップを手に取り一口目を口にする直前、隆司はその独特の匂いに気付く。
「セランさん、これお酒ですか?」
「あ? アルコールだめなのか? クラリスから二十一だって聞いてるぞ?」
「そりゃ成人はしてますけど、さすがに昼間っから飲むのは……」
「かてぇ奴だな。じゃあ、そっちも俺が飲んでやるよ。で、お前には別の飲み物注文するか」
そう言ったセランは近くにいたギルド職員に適当なノンアルコールの飲み物を注文して隆司に向き直った。
そして、自分が注文した分のアルコールを一気に飲み干す。そして、ぷはーっ、うめぇ! と仕事終わりの一杯目のビールを飲み干した中年サラリーマンみたいなリアクション。
「……」
「なんだ?」
隆司の視線に気付いたセランは、短く尋ねた。
「いや、さっきのセランさんとのギャップが……」
さっき――つまりはゴブリンを瞬殺したあの時のセランと現在隆司の目の前で嬉しそうにアルコールを呷るセランではギャップが激しい。そのことについて軽く言及した隆司だったが、セランはどこ吹く風だ。
「ふーん。ま、どう見えてんのか知らねぇが、俺は一応Sランク冒険者ってことらしいからな。それなりのモンのはずだぞ」
セランは何でもないように言って再びアルコールを呷る。
「はぁ……Sランク、ですか」
どこか気の抜けたような返事をする隆司。
それもそのはずで、単に『Sランク』と言われてもSランクというのがどの程度凄いのかは異世界人である隆司にはまだわからないのだ。だが、先のゴブリンとの戦闘――戦闘と呼んでいいものかは疑問だが――を思い出しても今の隆司との差は歴然で、とにかく凄いんだろうな、と隆司は漠然と理解したのだった。
そんな釈然としない隆司の反応をセランは目敏くとらえていたが、特に何も言わずにコップをテーブルの上に置いた。そこへラウンジを担当しているらしい若いギルド職員が隆司の飲み物を持ってやってくる。セランの手前緊張しているのか「ご、ごゆっくりどうぞ」と上ずった声で言いおいて、逃げるようにカウンターテーブルの向こうへと去っていく。
そんな様子を微笑ましく見ながら、隆司は運ばれてきた飲み物を口にした。しつこさのない爽やかな甘みが口の中に広がって、ゴブリンとの追いかけっこで疲弊した体を癒してくれているような錯覚を覚える。
ふぅ、と一息ついてセランの方を見ると、セランが思い出したように口を開いた。
「そういや聞いたぞ、さっきのが初依頼だったそうじゃねぇか」
「はい。まぁ、まさかゴブリンに襲われるとは思ってませんでしたけど」
セランの言葉に苦笑混じりに答えた隆司。そんな隆司を見て、セランはふと湧いた疑問を投げた。
「お前、武器はどうした? まさか持ってないのか?」
「え、あ、はい」
「っはー……。武器も持たずに平原に出るなんて度胸があるなぁ」
隆司の答えにセランは本当に驚いているらしく、目を丸くしながら驚嘆と呆れがないまぜになったような吐息を漏らした。
「いやぁ、あんなに危険だとは思わなくて……」
「ま……普段はあんなに危険じゃないんだけどな」
「え、そうなんですか?」
セランがぼそりと呟くように言った言葉を聞いて、じゃあなぜ、と隆司が考えたところで、その疑問を感じ取ったのかセランが続けて応える。
「北の方からな、流れてきてるみたいなんだ。どうも北の方で何かあったみたいでな。そのせいでゴブリンの一団が南下してきて、この街の東にある森の中に巣を作っちまったらしい」
セランはそこで一拍置くついでにアルコールで口を湿らせた。
「んで、もともとゴブリンってのは繁殖力も高くてな、ほっとくとドンドン勢力を増やしていくから危ねぇんだ。さっきお前も見たろ、もう森から出てきてた」
「確かに、すごい数でしたね」
危ないというのも頷ける話だった。今まで危険とは無縁な上に初心者だったとは言え、冒険者の隆司がなすすべなく殺されかけたのだ。一般人では到底太刀打ちできないだろうし、それどころか遭遇した瞬間に恐怖で固まってしまって逃げることすらできないかもしれない。
「あぁ、あの繁殖速度は異常だ」
「……そうなんですか?」
「普通なら、森の中に巣を作ったからってそうそう増えるわけじゃない。あの森の中にだって生き物はいるし、魔物だっているんだ。いきなり森の外からやってきたゴブリンどもは外敵からの襲撃は少なからず受けるだろうから、そこで数を減らすもんなんだ……普通はな」
セランは殊更に「普通ではない」ことを強調するような言葉の使い方をする。それは隆司にも理解できた。セラン程に鋭敏な感覚を持つ冒険者がただのザコにしか過ぎないはずのゴブリン達に異常性を感じ取った。その事実は噂程度でもセランのことを知る冒険者ならば当然その意味をよく理解していたはずだ。――セランが異常を感じるほどの何かがあるのだ、ということを。
「ゴブリンの大量発生には、普通じゃない何かがあるってことですか?」
「そういうことになるな。っても、見当はついてる」
隆司の疑問にそう答えたセランは、「ふぅ」と息を吐き、次いでゆっくりと息を吸い込んでから言葉を続けた。
「ゴブリンの群れをまとめてるリーダーが、かなり強力な個体だってことだ」
それも、森にいる魔物に襲撃をさせないほどに力のある、な。と補足したセランは、ともすれば空気の重くなりそうな内容に反して、特に何でもないと言ったようなのほほんとした雰囲気だった。
しかし、次の瞬間には一転して真剣な表情を作ったセランは、コップの取っ手を握りしめる。
「ま、なんにしても、うかうかしてたらこの街も危険だってことは変わらないけどな」
「……!」
この街が危険。そう言われて隆司は衝撃を受ける。自分にとって異世界に来て初めて訪れた街が危険と隣り合わせになっている。それは、なぜかひどく悲しいことに思えた。それに、この街が危険ということは、どこの馬の骨とも知れない自分に優しくしてくれた月風亭の一家にも危険が迫っているということだ。
――それは困る。
ざわり、と全身の感覚が鋭敏になったような錯覚。それは確かに錯覚だったかもしれないが、その時感じたとある思いは、隆司の一番深い所にある何かを揺さぶった。
「どうした?」
隆司の雰囲気が変わったことに気付いたセランは感心したような表情で目を細め、鋭い視線で隆司を捉える。
「この街の、とある宿の一家には大きな恩があるので、その人たちに何かあると困ります」
「だから?」
「護りたいと思います」
セランの方を真っ直ぐ見据えて放たれた隆司の言葉に、或いはその雰囲気に、セランは辺りの空気が一瞬だけ静まり返ったような感覚を覚える。思わず飲み込んだ唾が喉を鳴らし、セランの背中にどこかうすら寒い感覚を呼び起こした。
「へぇ……。いや、ははっ、お前、面白いな」
感嘆とともに息を漏らしたセランは、次いで喜色を顔に浮かべる。
「面白い……ですか?」
ふと我に返ったようにセランの言葉に聞き返す隆司。突然面白いと言われても何のことかわからない隆司からは、先ほどセランにある種のプレッシャーを与えた雰囲気は霧散して消えていた。
「ま、もう少し待ってろ。そろそろギルドマスターが出て来るだろうからよ」
そう言ってセランは手に持っていたコップの中身を飲み干すと、すっと立ち上がった。セランの言葉の意味が解らずに疑問符を浮かべていた隆司は、急に立ち上がったセランを見て自分も慌てて立ち上がる。
ちょうどその時、ギルドのクエストカウンターの辺りがざわざわと騒がしくなっていた。
「ほら、始まるみたいだぜ」
セランの一言に一層疑問が深まる隆司だったが、その疑問を口にする前に上げられた大声によって疑問は解消されることになる。
「冒険者諸君! 皆もすでに聞き及んでいると思うが、東の森がゴブリンに占拠された! 奴らは森の中に巣を作り、今もなおその数を増やしている! このままではこのニルドネの街にも少なくない被害が出るだろう!」
その大声の主はクエストカウンター前に集まった冒険者たちの姿に隠れてしまい隆司からは見えないが、恐らく先ほどセランが言っていたギルドマスターなのだろう。
低くも高くもない独特の声がギルド内によく響き、今のニルドネの街の危機的状況を詳細に説明し続けていた。
そして、
「そこで、当ギルドから緊急クエストを発行することになった! それに伴い有志で討伐隊を編成する! 我こそはと思う冒険者諸君にはぜひとも討伐隊に参加してもらいたい! 決行は六日後、それまでに討伐隊への参加表明と入念な準備をしておくように!」
ギルドマスターの言葉が終わると同時にギルド内に冒険者たちの咆哮が響き渡る。建物全体が揺れるほどの音圧が隆司の全身に叩きつけられる。叩きつけられた咆哮には、一様に「やってやる」といったような歓喜にも似た明確な意志が込められていた。
その様子に気圧された隆司は、つい隣にいるセランの方に目を向ける。すると、隆司の視線に気付いたセランは、一瞬「どうした?」というような顔を向けた後、「あぁ」と呟いてから苦笑いのような笑みを隆司に向けたのだった。その表情には「大体こんなもんだ」とか「そのうち慣れるさ」といったような感情が込められていたように隆司は感じた。
「……慣れる、かなぁ……?」
今もなおギルド内にこだまする冒険者たちの咆哮を全身で感じながら、隆司はぼそりと呟いた。
* * *
その後、ギルド内はしばしの間興奮状態が続いた。「久々のでっかい仕事だ!」と息巻く者、「これで俺の名が上がる!」と名声に夢を馳せる者、他にも強者を待ち望んでいる者やただ単に戦いを愉しみにしている者など、様々な反応の冒険者がいた。
そんな冒険者たちの様子を見ていた隆司は、「イキイキしてるなぁ」と感心してしまう。
「……何を感心してんだ。お前もこの討伐作戦に参加するんだろ」
そう指摘された隆司は今更ながらに自分が異形の者達と戦うことができるのか不安を覚えていた。なにせ元の世界ではただの学生だったし、武術に精通していたわけでもない。取り柄と言えば多少体力がある程度で、ただの一度も喧嘩したことがないのだ。そんな隆司が凶悪な魔物達とまともな攻防を繰り広げられるわけがない。事実、先ほどゴブリン達に襲われた時は無様に逃げ回ることしかできなかった。その上、狡猾なゴブリン達に罠に掛けられ、もう少しで殺されそうになったのだ。たまたまセランが通りがかったことで命を拾ったが。もしセランがいなかったらと思うと今でも背中が凍りつく思いだ。
「俺に、戦いなんてできるんですかね……」
「おいおい、弱気だな。ついさっきの決意はなんだったんだよ」
弱音を吐く隆司にさっきの「護りたい」という決意を思い出させるセラン。それを聞いてはっとなった隆司は、しかしそれでもやはり不安を拭いきれないでいた。
明らかに気を落としている隆司を見て、セランは「しょうがないか」という思いを抱くと同時に、他人の為にあれだけ真剣になれる隆司の想いを後押ししてやりたいとも思っていた。
長年の経験から冒険者という人種はどんな人間でも必ずどこかに酷く利己的な部分を抱えていると知っているセランだからこそ、他人の為に真剣になれる隆司を放っておけなかったのだろう。それ故に、セランは弱気になっている隆司を見た自分がこの後放った言葉にも妙に納得できたのだった。
「んー……よし。それなら、決行日までの五日間で俺が稽古付けてやるよ」
ざわ……。と、熱に浮かされたようになっていたギルド内が一瞬で静まり返る。
「え、え?」
セランの言葉とギルド内の変わり様に、驚きと疑問が湧くのを自覚した隆司。しかし、今の隆司にとって優先順位が高いのはセランの言葉の方だった。
「あ、えっと、いいんですか?」
恐る恐ると言った感じでセランに聞き返した隆司にセランは苦笑して返す。
「いいも何も俺から言い出したんだ。……どうする?」
そう言って再び隆司に尋ねるセラン。その顔はどこかワクワクとしているような笑顔だ。
周囲の視線が隆司に集中する。隆司がどう答えるのか、ギルド内にいる全ての冒険者が気にしているようだ。そんな周りの反応を見て、隆司はとても居心地の悪い気分になった。もともと人の注目を浴びるのが苦手な隆司は、「う……」と萎縮してしまう。だが、良い笑顔で隆司の返事を待っているセランをこのまま放置しておくわけにはいかない。そう思った隆司は居心地の悪さをぐっと飲み込んで、言った。
「よろしくお願いしますっ」
セランの眼をまっすぐ見て返事をした隆司。するとセランはにっと笑みを深め、隆司へと右手を差し出す。その意図に気付いた隆司はセランの手を握って、固く握手を交わした。
――瞬間。ギルド内がさっきとは違う種類の熱でわく。
「おいっ、聞いたか今の!」
と誰かが叫ぶように言うと、
「やべーなぁっ! あのセランが弟子をとったぞ!」
と誰かが答える。
「弟子をとらないって有名な《白亜の死神》が!」
などという声も聞こえるし、
「あの新顔は誰だ! なんか有名な奴なのか!」
と、隆司に視線を向ける者もいた。
ともかく、それはすごい騒ぎで、先ほどの大規模作戦が決まった時と同じくらいの大騒ぎになってしまっていた。さすがのセランもただならぬ熱が込められた多くの視線を一身に受けることは勘弁してほしいようで、たまりかねるという表情で隆司に言った。
「……とりあえず、移動するか」
「……はい」
と、隆司が苦笑いして返したのを見て、セランはそそくさと周囲にできた人だかりを掻き分けていく。隆司も置いて行かれまいと追随した。
そして、隆司は人ごみの中を通り抜ける際に自分に向けられる観察するような視線の数々にぐったりしながらも、セランを追うようにギルドを後にした。
こうして、ギルド内に大きな波紋を呼びながら、新たな師弟関係ができたのであった。