第4話「続・勇者と女戦士」
サシャが合流したのち一行は次の町に向けて出発していた。
それを主張したのはサシャだった。勇者とアリスは旅の疲れもあって一泊したいと思っていたし、セシリーも疲れていたがそのこととは関係なく勇者に賛同した。
しかしサシャが頑なに主張を曲げなかったため勇者たちはあきらめたのだった。それは財布の紐を握っているのがサシャであり彼女の機嫌を損ねたくなかったからだ。またアリスには彼女を騙しているという後ろめたさがあった。もちろん勇者にはない。
一行は町を出て街道を進んでいる。平原を引き裂いてまっすぐのびているこの道をひたすら行けばいずれは大陸を東西に横断する大街道に突き当たる。逆に言えば彼らは大街道から枝分かれしたひとつを西進していた。
まだ日は暮れていないが、しかし太陽は天頂をすぎ後は暮れるのを待つだけという時間だった。
夜になれば魔獣と呼ばれる獰猛な獣に襲われる危険が跳ね上がる。彼らの多くは夜行性だった。
だから冒険者だろうと行商人だろうと日が暮れるより前に寝泊まりできる町ないし人家を探すし、これから暮れ始めるという時間にわざわざ町を出発したりはしない。また暮れる前に次の町に着けるほど近いというわけでもなかった。
それでもサシャが頑なに主張したからにはなにがわけがあるのだろうし、事実あった。
しかし彼女は頑なに主張するのと同じくらい頑なにそのわけを話そうとはしなかった。それは後にわかる。
さて一行の先頭を意気揚々と進んでいるサシャからやや離れて勇者とアリスが声をひそめて話をしている。さらにその後ろからセシリーが樫の木の杖をついてついてきている。
「どうして15歳の女の子が大金を持ち歩いているのか」
そればアリスの疑問であり、会話の中身だった。
お金だけならまだしも普通では手に入らない高価な武具まで身に着けているのだから疑問はますます深まる。
「どう思いますか?」
「どうもなにも金持ちなんだろう」「私はその理由を訊いてるんです」
「本人に訊けば早いぞ」
勇者はにやにやと笑っている。
もちろんアリスだってそんなことは百も承知だが、どう訊けと言うのだ。
「どうしてサシャさんはお金をたくさん持っているんですか」
などと言えば相手は気を悪くして泣き出すか怒り出すかのどちらかだろうし、サシャはおそらく後者だろうと予測できたから腕力に自信のないアリスは勇者に訪ねているのだ、ということを彼はそれこそ百も承知で言っていた。
「連れてきたのは勇者さんじゃないですか」
「そう言ったって少しくらい予想はつくだろう?」
金の種類などそう多くはない。
「親の金か、稼いだ金か、奪った金か」
おおまかに分ければこんなところだ。
「ですけどお金持ちの商人や貴族のこどもなら冒険者になる必要はないじゃないでしか」
「それは偏見だろう」
などとさも良識ぶって勇者は反論したがアリスの言葉は概ね正しいことを知っていた。
忘れている方も多いと思われるが勇者はナノクニに選ばれた56番目の勇者候補であり、当然他国からも勇者候補が数人ないし数十人ずつ選ばれている。
そのほとんどは平民だった。
そもそも勇者候補は傑出した武人、才人を選出し魔王討伐をさせるためのシステムだ。
システムに則り傑物が選ばれていたのもはじめのうちだけで討伐が難航するにつれ候補者の質は下がり遂には勇者――つまりヌエスの偽名を使っていた彼のことだが――のような屑が選ばれるようにまでなった。
そのはじめに選ばれた中の数人にこそ傑物たる貴族がいたがそれ以降はいないと断定していいだろう。
それは選ばれないというわけではなくこのシステム最大の欠陥によるものだった。
つまるところ選出されても金を出せば辞退することができた。
勇者を旅立たせるのにも旅費にはじまる諸々の経費が必要で、数人ないし十数人のうちに討伐できるだろうという甘すぎる目論見のうちに始まったものが数十人という数に上れば資金繰りも難しくなりそういう金も必要になってくる。
しかし額が大きすぎるため平民には到底払えるわけがなく貴族、商人のための抜け穴的欠陥となっていた。
辞退金のだすださないは選ばれた側に選択権があるのだからださないで勇者として旅立つこともできるがそういう地位にある子どもはもちろん彼らの親もほとんど死と同義の旅にでる気概はなくだす気概もなかった。
結果として最後に選出されるのは平民になるのだった。
だからアリスのように「金持ちなら」などと言われてしまう。
「なら稼いだんだろう」
「でも額が額ですし……」
「この時勢だ。腕がたつならいくらでも稼げる」
「それだけの腕があるんですか?」
サシャの戦いぶりを見たのは勇者だけだったからアリスには彼女がどれくらい強いのかというのがわからない。また戦いぶりを見たとはいえ相手が相手だけに勇者にも彼女の実力の全てがわかっているわけではないが彼ははっきりと言い切った。
「強い。15歳という年齢の中でなら傑出してると言っていいだろう」
自分はろくに戦わないくせに妙に上からな物言いだった。
「だが全体から見ればクリムゾンを買えるほど稼げるとも思えないな」
あくまでも15歳にしては強いというのが勇者の見方だった。
「それじゃあ……」
アリスは言いよどんだ。
「それじゃあなんだよ」
勇者はまたにやにやと笑う。
「どうせはじめから奪ったもんだと推量して話題をふったんだろう」
「そ、そんなことはっ」
「じゃなかったら直接本人に訊けたはずだぜ」
「う………」
アリスは言い返せずうつむいてしまう。
稼いだという線は薄く、強制されても金で解決するような金持ちどもが自分から冒険者になるとは考えにくく、だとすれば奪ったものだと結論づけるのが妥当といえた。
「どこぞの商家か領主でも襲ったのかもな。それくらいの腕はあるぞ」
体を揺らしケケケと悪魔のような笑い声をあげた。わざとアリスの不安を煽っているのだ。
アリスはぶんぶんと首を振り、
「そんなはずはないはずです。あんな良い子そうなのに。それにそんな子が志を掲げますか? いいえません!」
ほとんど自分に言い聞かせるために言った。
なのに勇者は自分を指差して言う。
「良いやつばかりが魔王を討伐するわけじゃあないだろ」
「……自分で言うことですか」
しかしもっともだ。女にだらしなく、詐欺をし、お金のために少女を偽るような人間が勇者をしているのだから。
彼はポンと手をアリスの頭に乗せて、
「あんまり考えすぎるなよ。どんなやつかはこれから知っていけばいいだろう」
「勇者さん……」
「まああり得ないけどその結果が俺並の大罪人だったら目も当てられんがな」
「勇者さん!」
質のわるい冗談だったがアリスの表情はいくらも和らいだ。
と、突然。
「シャー!」
獣じみた奇声をあげセシリーがアリスに襲いかかった。その前に勇者がセシリーの襟首を掴んでとめた。
「なにやってんだ」
「だっ…て……」
「だって?」
「ふた、りが……楽しそう、だったから…やきもち」
勇者はあははと声をあげて笑った。
「心配するな。俺はお前のことも愛してる」
「ほ…んとう?」
「ああ、お前のことも愛してるぞ」
「……うん」
見ているほうが恥ずかしくなるくらい嬉しそうに頷く彼女はその様だけなら実にかわいらしかった。
「本当に仲がよろしいですね、おふたりは。町をでてくる時もおふたりで橋の下で何かやっていましたし」
はぁと大きなため息をついてアリスはあきれている。が、その様はどことなく
「なんだアリス。お前までやきもちか」
のようにも見えた。
「馬鹿なんですね」
間髪入れずに言い切った彼女の顔を見ればやっぱりあきれていただけだったとわかる。
「何してたんです?」
「何ってお前が考えてるようなことじゃあないぞ」
勇者はにやにやと笑う。
「私がなにを考えてるって言うんですかっ」
「お前はナニを考えてるんだろう?」「勇者さん!」
満面に血をのぼせて声を張り上げるアリスを見て勇者はやっぱりにやにやと薄笑いを浮かべた。
と、不意にセシリーが勇者の袖を引っ張りなにか耳打ちした。
彼は沈思したのち、
「おーい、サシャ。このあたりで野宿にしよう」
と声をかけた。
ずいぶん先を歩いていたサシャが駆け戻ってきて「まだ明るいだろう」と天を指差す。
「すっかり暗くなってからじゃあ夜営も大変だろう」
「でもよぉ」
「仲間ができてはしゃぎたい気持ちもわかるけどその調子だとすぐにばてるぞ」
そんな風に茶化されると彼女は少女らしく頬を膨らませしぶしぶ了承した。
もちろん彼女はセシリーが耳打ちしたのを知らないからなんの疑問も持たないがアリスは違う。
「なにを話したんです? というより何を隠してるんですか?」
「別になんでもないさ。一応、な」
「なにが一応なんですか」
「さあな」
勇者はとぼけた顔ではぐらかすとさっさと夜営の準備に取りかかってしまった。
釈然としないアリスは一瞬セシリーを問い詰めようとも思ったが勇者が話そうとしないことを彼女が話すわけがないとあきらめたのだった。
夜営の準備と言ってもこの日はただ薪を集めてくるだけだった。
「いやあ、しかし久しぶりにまともなもんが食えるな」
言ったのは勇者だがアリスもセシリーもうんうんと力強くうなずいている。
「日持ちしない物から食べましょう」
4人が囲む火のそばにはすでに薄く切った生肉が串にさして焼かれていた。それだけじゃあなく野菜やら果物までありとても野宿時の食事とは思えない豪華なものだった。
さらには干し肉やら干パンやら町をでるときに買い込んだ食料がアリスの横に置かれた袋の中に大量に入っている。
買ったのは食料だけじゃない。寝袋だとかそういう旅の必需品もたいてい買い揃えた。
またセシリーの持つ樫の木の杖もそうだし、アリスの短剣も新調した。彼女は研ぎ直すだけでいいと言ったがそうするくらいなら新しいのを買った方が安いくらい刃こぼれをしていた。
これら全てサシャが支払ったのだった。
ちなみにというか当然サシャは勇者にも剣を持つよう言った。
とにかくサシャにおんぶに抱っこでアリスは申し訳なく思うのだが他のふたりはそんなことを思っていない様子だった。
「まともなもんって普段なに食ってたんだよ」
今並んでいるものが別段に特別なものとは思えないサシャは不思議そうに尋ねた。
「そりゃあ、なあ」
三人は顔を見合わせる。
幽霊騒動が一銭の金にもならなかった後の旅路での食事といえばそれはもうひどかった。
野うさぎを狩り、木の実を拾える日はまだいい。だいたいが野ねずみや蛇などといった普通は口にしないものを食べていた。
「つってもそれでもまだマシさ」
なにも見つからず木の根をかじるだけの日もあった。
それに比べれば今晩の食事はまともどころの騒ぎではなかった。
「いやあ本当にサシャに出会えなかったら俺たちどうなっていたか」
「………」
サシャは信じられないという顔で絶句している。というか野うさぎが~、と話だしたあたりからこんな様子だった。
しばらくしてようやく、
「他人のこともだけど自分のことも気にしろよな」
もちろんサシャはまだ勇者に金がない理由が施しの結果だという話を信じていた。
*
最初に目を覚ましたのは勇者だった。
突然パチリと目をあけ跳ね起きた。彼だけは寝袋に入っていなかった。
起きたと思えばすぐさま寝そべり地面に耳をあてる。
(蹄の音。2……いや3か)
勇者の耳はまだ姿も見えない騎馬が近づいてくる音をとらえていた。
「かなりスピードをだしているな」
朝靄がかかっている。視界がいいとは言えない。危険だといえた。それでも速度をだして駆けている。なにかあると思わざるを得ない。
勇者はまずセシリーを起こした。
「起きろ、起きろっ」
「ふぁい」
寝ぼけていて返事がおぼつかない。
「起きて陣を書いとけ」
「な…に?」
「わからん。まだわからん」
なにかを感じるとは言ってもそれは勇者の中だけのことで実際に何かが起こったわけではない。説明しづらいことだった。
それでもセシリーは寝ぼけ眼をこすりながら言われた通り樫の杖で地面になにやら書き始めた。
勇者はアリスとサシャのふたりも起こす。
「起きろ! アリス、サシャ」
「……あと5分」
彼は舌打ちをし、
「寝ぼけるなアホ。敵だっ」
「敵!?」
ふたりは反射的に起きあがろうとして、しかし叶わず倒れ伏す。寝袋に入っていたことを忘れていたのだ。
「ああ~、もう」
勇者は顔を覆って首を振る。
ようやく起き上がったアリスがあたりを見渡した後、
「どこです? 敵は」
「そんなもんいない」
「はい?」
「お前は黙ってろ」
言い放つと反論を無視してサシャへ向き直った。
「サシャはその辺の茂みにでも隠れてろ」
そう言うと茂みの中に無理やり押し込めた。
直後。
靄をかきわけ馬が3頭あらわれた。
馬上には若い男がひとりずつ。金色の癖毛に品のある顔立ち。3人の容貌は似通っていてどうやら兄弟らしい。
長男らしい青年が勇者の姿をみとめ馬をとめた。馬上から声をかける。
「このあたりで女を見なかったか」
「女? その歳で女を見たことないとはどこの秘境に住んでるんだ」
勇者はわざとへらへらと笑いながら軽口を叩いた。
おそらく次男であろうひとりが剣に手をかけた。彼の態度が気に障ったのだろう。
長男がそれを手で制す。
「すまない。聞き方が少し横柄だったかな。急いでいるものでね」
口では謝ってみせるが馬から降りようとはしなかった。
彼は視線を動かし勇者の後方にいるアリス、セシリーに目をやりその後空の寝袋を見咎めた。
「あれは?」
「俺のだ」
内心、舌打ちをしつつ答えた。
しかし、
「それにしてはサイズが小さいようだが」
「意外に小さくても入るもんだぜ」
青年は少し間を置いて、
「もう一度訊こう。女を見なかったか。女と言ってもまだ子供で名をアレクサンドラという」
その名前が出れば勇者は自分の予感めいたものの正しさを知り、悪い予感ほど当たるものだと10年前の出来事が脳裏に浮かんできたが首を振ってそれをかき消した。
それをかき消したら消したで別のことが思い浮かぶ。
昨日冗談でアリスに言った「奪った金」の話だ。
三人の青年の面つきや態度、身につけている装飾品、乗っている馬。どれをとっても金持ちとわかる。特有の「匂い」があった。
ただそんな冗談が現実味を帯びたと言って動揺が顔にでる彼ではない。平然と薄笑いを浮かべていた。
しかし誰も彼もがそういう豪胆さを兼ね備えているわけではない。
青年はアリスの表情が揺れるの見逃さなかった。
「リラン、ローラン、探せ。近くにいるはずだ」
命じられた下の弟ローランは根が優しいらしく眉を垂れさげ困ったように聞き返した。
「だけどアラン兄さん。その人は知らないって言ったよ」
しかしローランの言葉が最後まで続くことはなかった。長兄のアランにねめつけられると慌てて馬を降りすでにサシャを探し始めているリランの後を追った。
「おいおい、アラン兄さん。悪いのは耳か。それとも頭か。あの寝袋は俺のだって言ったろう」
しかしどんなにとぼけたところでサシャが隠れているのは近くの茂みの中だし、そこから逃げる時間もなかった。だから。
「いたぞ、アラン」
リランが見つけ茂みの中からサシャを引っ張り出す。
「離せ、離せよ!」
大声をだし暴れるサシャをリランとローランがふたりがかりで押さえつける。
「手を焼かすな」
「うるせえっ。離せったら」
アランは頭を抱え首を振る。あきれて物も言えないという様子だった。
「リラン、遊んでないで早く連れてこい」
「ちょっと待てよ」
口を挟んだのは勇者だ。
アランはもう話すことはないと決めつける風に、
「協力を感謝する」
言い放ったが彼はそれを無視して続ける。
「人のもんを勝手にどこにつれてく気だ」
その時の勇者はあきらかにいつもと違う雰囲気だった。ふざけた表情は消え、口先だけの真剣さでもなく目の光がスッと細くなり張りつめるような緊張感を発している。
だが顔つきが変わったのは彼だけではない。アランもだった。聞き逃せない言葉があったからだ。
「貴様のものだと。どういう意味だ」
「それくらい想像つくだろうが」
アランはバッと振り返りサシャを見つめる。問いただすように。
サシャは逡巡する。どう答えるのがこの状況の打開に繋がるかを。
「そうだよ。俺は勇者のものになったんだ」
「勇者だと!?」
アランは再び勇者を睨みつけ、
「ハンッ、そうかそういうことか。貴様が唆したのだな」
馬から飛び降りると同時に抜刀し斬りかかる。が、それより早く横合いから一刀を振り下ろす者がいた。リランだ。
すっかり激情している彼が
「うおお」
雄叫びをあげ突っ込んでくる。
普通ならば不意打ちになっていただろう。
しかし勇者はその動きを目の端でしっかりとらえていた。
後ろへ軽く飛び退ってかわしざまリランの足をすくう。
前のめりに倒れそうになった彼はたたらを踏んでこらえたが、勇者とアランの間に割って入る形となったためにアランの攻撃の邪魔となった。
一方、サシャは自分を押さえつけていたひとりがいなくなったため、
「ごめん」
とローランを突き飛ばし逃げることに成功していた。
「サシャ、アリス。セシリーと一緒に固まってろ」
「は、はい!」
ぽけーっと勇者を見ていたアリスは我に帰りセシリーの側に寄る。
そこで足下に書かれたものを見て驚いた。
「これはっ」
口を開くより早くセシリーの手に塞がれたので続きを飲み込むハメになった。
「て、手伝います」
セシリーがしているのと同じように樫の杖に手をやった。
勇者はといえばアラン、リランの同時攻撃をかわしつつ機を待っていた。
「そんななまくら剣法で俺が斬れるかよう」
言って煽るが町で相手をしたごろつきとは比べられない兄弟だ。そう余裕があるわけでもない。
「まだか? セシリー」
「もう……少し」
セシリーがなにをしているかと言えば彼女が書いた魔法陣に魔力をそそぎ込んでいる最中だった。
青いほのかな光が彼女の体から発し、それが杖をつたって魔法陣へ流れ込んでいく。
魔法陣とは魔法を発生させる装置であり魔力とはそれを動かす燃料だ。
陣を書いても力をそそがなければそれはただの地面に書かれた落書きと同じである。
セシリーが勇者に言われて書いた陣は転移魔法の陣。名前の通り場所を移動する呪文だ。あるひとつの陣から別のひとつへ一瞬で移動できてしまうという優れもの。
「おふたりが昨日コソコソとやっていらしたのはこれだったのですね」
コクリとセシリーは頷いた。
ポピュラーで別に魔導師じゃなくて使おうと思えば使える魔法。だが容易には使えない魔法。
それはこの魔法の欠点で距離に比例して発動に必要な魔力が大きくなっていくこと。
そもそも魔力は生物なら誰でも持っているものだが魔法的素養のない人間が持っている魔力で移動できるのはせいぜい10センチ程度だった。
使おうと思えば確かに使えるが10センチがなんになる。到底使う気は起きない。
実用的な距離、数十メートル、数百メートル、あるいは数キロになると魔導師がふたり、3人集まって発動させることになる。
だから使えるが使えない魔法。
「で……きた」
セシリーの体を覆っていた光が消え今度は足下の陣が光り始めた。
「勇者…はや、く」
相変わらず勇者はアランたちの攻撃をかわしつづけていた。
準備が整ったと知ると初めて反撃の姿勢をとった。
「しゃあ! それじゃあお兄さんたちここらでお別れだぜ」
腰の剣に手をやる。やるが掴んだのは空気だった。
サシャに買ってもらって提げている気でいた長剣は昨晩寝るときに外したまま地面に転がっている。
普段つけなれない物を持ったゆえの平凡にして痛恨のミス。
彼自身想定していなかったことだから大きな隙を生んだ。
その隙を見逃すほどアランは甘くはなく、その一撃を避ける手立ては勇者にはなかった。
敵を引きつけている間に転移の準備をすませ逃げるつもりでいた彼だがこうなっては仕方がない。
軽く舌打ちをした。
「先に行け、セシリー。後から追う」
セシリーはためらっていたが勇者がもう一度叫んだので杖の先で陣を叩いた。
強烈な光が陣から湧き上がり3人の姿を包み隠す。
「なに!?」
「この光はっ」
アランたちが気づいた時にはすでに遅かった。
光がおさまると3人の姿はもうどこにもなかった。
*
「殺さないのか」
縄で縛られた勇者が訊く。
「殺してやりたいが餌になってもらう」
「賊ひとりに随分と執心なこって」
「賊は貴様だろうが。人の妹に手をつけておいて!」
「妹? は? 妹!?」
さきほどまでとはうってかわってマヌケこのうえない顔で困惑する勇者。
「なにを驚いている。貴族の娘と知って手を出したんじゃないのか」
「俺が地位で女に惚れるか!」
反射的にそう答えていたがやはり驚きは大きい。
てっきり押し込み強盗でもして追われているのだと思っていた。
「急に怒り出すからおかしいとは思ったが」
強盗を手込めにされて怒る追跡者はいないが妹をと言われて怒らない兄はいないだろうしそりゃあ殺意もわくというものだ。
「いや、しかし……アーハッハッ」
突然勇者は声をあげ笑い始めた。
冗談で言ったつもりの言葉にとらわれこんな様になるとは思ってもみないことだ。
しかし彼の経験上ひとつの町にとどまりたくないというのは凶悪な追っ手があってのことが多かった。特にやくざ者の女に手を出した時のことを思い返せばそう思い込むのも無理ない。
ましてサシャの素性が一番あり得ないと断じた気概ある金持ちだったとなればなおさら笑いもこみ上げてくる。
「なにがおかしい!」
「家出娘の捜索相手にマジになってたのかと思ってな」
自分で言って勇者はまた笑い出した。
「黙れ!」
リランが殴りつける。
勇者は両手と胴を縛り付けられているためろくに踏ん張ることもできずに地面に倒れ込んだ。さらに。勇者を縛っている縄の先はアランの馬の鞍にくくられている。
「しっかりついてくるんだな」
アランは馬の腹を蹴って走りだした。
起きあがれないままでいる勇者は当然引きずられることになる。
*
アランたちは町へ戻ったが広場でただ突っ立っているだけだった。
勇者は口の中にたまった血と唾を吐き出す。痛みが疾る。馬に引きずられ体中傷だらけになっていた。なのに口数はまるで減らない。
「こんなところでぼおっとしてていいのかい? 逃げられちまうぜ」
「転移魔法ではそう遠くへは行けまい。せいぜい町に戻るのが精一杯だ」
その読みは正しかった。サシャたち3人は町をでたすぐにある橋の下で彼らをやり過ごしていた。
今も物陰から勇者たちの様子をうかがってどうにか作戦を考えている。
そしてそれもアランの予測の内だった。
アランは勇者を一瞥した。
「サーシャに勇者とか呼ばれていたな」
「ナノクニ公認の勇者様だぜ」
「ふ。よくまあそうペラペラと嘘がでる。だからこそあれも唆されたのだろうが。なんにせよ自分たちを勇者の仲間だと思っている人間が街中で派手な魔法は撃てまい。かといってあの3人で私たちに接近戦で勝てるとも思うまい」
「ペラペラ喋ってるのはどっちなんだが」
人質という状況。ましてや拷問のような扱いを受け傷だらけでも軽口を平気で叩く。
そこに作戦があるのかと言えば、ない。まるで何も考えていない。自暴自棄になって無茶をしているわけでもない。
ただただやる気がなくなっていた。
敵だと思ったからこそ少しばかり本気になっていたが他人の兄弟喧嘩は敵ではない。
「それでどうするんだ、アラン義兄さん」
「貴様に義兄などと呼ばれる筋合いはあない!」
せっかくの端正な顔立ちが台無しになるほどの形相でわめき怒りをあらわにする。
「落ち着いてよ、兄さん」となだめる実弟ローランにすら
「義兄さんと呼ぶな!」
噛みつく始末だった。
「とんだシスコンだな」
「幼い妹の面倒をみる義務がある!」
「はっ。幼い? 剣の腕なら義兄さんより上だろうよ」
アランの眉がピクリと持ち上がり瞼がヒクヒクと痙攣している。
「精神の話だ。貴様のようなのを勇者だと信じるあたりが子供なのだ」
「そりゃあ本物なんだから信じて当たり前だろう」
ハナから勇者の言葉を無視して彼は続ける。
「貴族には貴族の義務がある。立派な志を掲げればいいというわけじゃあない」
「魔王退治は貴様の義務じゃあないってか」
「まず領民を守らなければならない」
「そんな言い訳をしながら領民から巻き上げた金で辞退金を払ってたのか、貴族様は」
「貴様のような悪人はすぐに相手を悪者にして自分の悪を薄めようとする」
「はいはい、なんとでも言ってくれ。お宅のお嬢さんを唆したのはわたくしでござい」
もともと真面目な論争をしたいわけではない。
「んでこんなとところで突っ立ってたってでてこないと思うけどねえ」
「あれは馬鹿だが仲間を見捨てるような屑ではない」
意味ありげに勇者を見て言う。
そりゃあ勇者は仲間が人質になって、それも自分のせいでという状況だろうとそれを無視して1人で逃げだすような性格をしているが。
「ほらみろ」
アランが指差す方へ目を向ければ通りの向こうからサシャが歩いてくるのが見える。
彼は勝ち誇ったように高らかに言う。
「どうやら貴様より私のほうがサーシャのことをよくわかっているようだな」
アランは勇者の戯れ言を真に受けていた。
もちろん勇者としてはサシャを仲間にした時点で自分のものという考えだからあながち間違いではないが両者の認識の差という点では大間違いだった。そこを修正してやる気は勇者にはない。
サシャは互いに声の届くギリギリの位置で立ち止まった。そこは不意を突かれたとしても捕まることのない位置でもあった。
「なんのつもりだ、サーシャ」
アランは訝る。観念して出てきたと思っていた。弟たちに目配せして周囲を警戒させる。
しかしサシャにそういう作戦はない。
「兄貴。俺は戻ってもいい。だから勇者を解放してくれ」
「そんな要求を聞き入れるメリットがない」
「だから俺が戻るって」
「捕まえればすむ」
「この距離なら捕まらない」
サシャには自信があった。兄妹の中で年少だが身体能力では一番だった。アランたちには馬があるが市中ではそれが有利に働くとは限らない。
しかしアランには確信があった。そういう妹の自信を計算に入れてなお絶対的な。
「捕まえろ」
彼がそう言った瞬間、サシャの前後左右から男たちが襲いかかった。
「なに!?」
まったく予想していなかったという驚愕の表情だ。
完全に虚を突かれれば兄妹一の身体能力も意味をなさない。
あっという間に取り押さえられてしまった。
「お前ら~!」
「申し訳ありません、お嬢さま」
男たちはアランに仕える使用人だった。それが広場を行き交う人に紛れて隠れていたのだ。
だからアランはこの場所でサシャを待っていた。
「1対1ならお前のほうが強いかも知れないが頭を使うことも覚えるんだな」
「卑怯者!」
サシャはわめいたところでどうなるものでもないとわかっていながら言わずにはいられなかった。
物陰に隠れ一部始終を見ていた2人がいる。
「どうしましょう? 2人とも捕まってしまいましたよ」
アリスはすっかり困惑しきっていた。
「このまま追いかけてどうにかして勇者を取り戻す」
セシリーは珍しく途切れないまま最後まで言い切った。勇者を痛めつけたアランに対しかなり激高している。が、冷静に状況を見極めてそう言った。
*
3日たった。最初の1日はアランの馬の後ろで暴れていたが今は大人しくなった。
勇者は手足を縛られ次兄リランの馬の後ろに荷物のように載せられていた。もしも3日も引きずられていれば絶命していただろうから扱いは随分いい。
「馬なんか買って」
勇者ははるか後方を見つめぼそりとつぶやいた。
アリスたちは見失わない程度の距離を保って追いかけてきていた。
アランたちは誰も気がついていない。
4日目の昼にようやく彼らは自分の領内に帰ってきた。
街を通り抜ける。その間にも領民たちから声がかかる。
「好かれてるんだな、貴族の癖に」
「父ラカン・ブルトルは良き統治をしている」
胸を張って言った。実際そうなのだろう。町や人の様子を見ればわかる。
魔王が現れてからは貧困に喘ぎ、町は荒廃するばかりだがここは活気に満ちていた。
「今なんて言った」
「父は良い統治者だと言った」
「そうじゃない。名前だ」
勇者は興奮した様子で聞き返した。
突然の調子にアランは困惑しつつも答える。
「父の名はラカン・ブルトル。ナの国民なら名前くらいは聞いたことがあるんじゃあないか」
「そうか。ブルトル。ブルトルか。じゃあお前はアラン・ブルトルでサシャはサシャ・ブルトルか。こりゃあまた……」
いきなり大声で笑い始めた。まるで気でも違ったように。
街を抜けると丘があり低い柵で囲まれている。
門番が立っていた。その横を過ぎ丘を登ればブルトル侯の邸宅である。
当然何の苦もなくアランたちは通れる。
が。
「どうしましょう」
アリスたちは立ち往生だ。
*
屋敷に帰るとまずサシャはメイドたちに引き渡された。
一方、勇者は縛り直され、引きずられブルトル侯の前に連れてこられた。
アランたち兄弟は父の前に膝をつき挨拶する。
「ただいま戻りました」
ブルトル侯は頭には白いものが混じり始めているが顎にたくわえた髭は黒々としている。細身で端正な顔の息子たちとは違い体が大きく厳つい容貌だった。頬の十字傷が歴戦の勇士であることを物語っている。
「してアレクサンドラは?」
重々しく口を開いた。
「ただいまメイドたちが風呂に入れております」
アランがそう答えた途端に侯は破顔した。顔中にくしゃくしゃと皺のよった様は実に嬉しそうだ。
恐ろしい風貌から想像できないほど子供たちを溺愛しているようだった。
「そうかそうか。帰ってきたか」
満足そうに頷くブルトル侯に水を差す声が飛ぶ。
「無理やりだけどな」
もちろん勇者だ。
「誰だ? お前は」
初めて気づいたという様子で侯は勇者を見る。彼は顔を伏せたまま応えなかった。
代わりアランが答える。
「これがアレクサンドラを唆した張本人であります。私の手で殺してやろうかと思いましたが父上の裁量をあおぎたく連れて参りました」
ブルトル侯はアランを一瞥し再び勇者に視線を戻す。
「顔をあげよ」
「随分と偉そうにものを言うじゃねえか」
彼の方がよほど偉そうである。
アランは憤然とし、
「父上に無礼な口を!」
「失礼なのはどっちだ。その父上の命の恩人に対して」
「なに?」
そう言ったのはブルトル侯だ。
「覚えていないか? 10年前」
「ふむ」侯は腕を組み髭をさすりながら記憶を辿る。
「邪龍から命を救ってやったろう」
それでピンときたらしい。侯は椅子を蹴って立ち上がった。
「あの時の。あの時のか!」
ようやく勇者は顔をあげ侯の顔を見てニッと笑った。
「あの後も随分無茶をやったらしいな。頬の傷が増えてる」
「おお、おお、その顔は。大人びたがまさしくピエトロではないか」
「ピエ? あ、ああ。そうさ。ピエトロさ」
自分で名乗ったとは言え10年前の偽名だ。彼は忘れていた。
そしてアランはまったく状況が飲み込めず2人を交互に見るだけで言葉がでてこなかった。
「どういうことだよ、親父。そいつはサーシャを騙した糞野郎だぞ」
「やめよ。それはお前たちの思い違いだ」
決めつけてリランの反論を許さなかった。
「おお、そうだそうだ。縄をほどいてやらねばな」
なんと自ら進み出て勇者の縄をほどいたではないか。それだけ恩義を感じているということであり兄弟はさらに驚いた。
「しかしピエトロよ。どうしてあの後姿を見せなかった。わしは待っていたのだぞ」
「俺だって礼金は欲しかったが色々あって故郷に帰ってたんだ」
もちろんそこはナノクニではない。彼がナノクニの市民権を得たのはつい最近のことである。
「父上。どういうことか説明してください」
アランはようやく少し落ち着いたらしい。
「あれは10年だ」
若かりし当時のラカン・ブルトル侯は今よりも血気に溢れており領主という顔は別に魔物退治を生業とするハンターという顔も持っていた。
屈強かつ勇敢だった侯はむしろ領主としてよりハンターとしての評価のほうが高かった。
そんな侯にひとつの依頼が舞い込んできた。邪龍退治だ。
邪龍とは竜族が下界の障気にさわって堕ちた姿を指して言う。
狂暴、凶悪な邪龍は魔族よりもよっぽどやっかいといえた。
当然ブルトル侯ひとりで手に負えるものではなく侯は50名のハンターを金で雇い邪龍の討伐へ向かった。
「あの頃のわしは自信に満ち満ちておった」
そう言うだけあって侯と一行は邪龍に深手となる大きな傷を与えた。
しかしその傷を与えるために50人の部下は死に絶え、ブルトル侯自身も瀕死の重傷となり身動きすらできない状態だった。
邪龍は侯の眼前へと迫り侯が死ぬ覚悟を決めたその時。
「こやつが現れおった」
そして勇者が――とは言っても当時の彼は勇者ではないが――一刀で邪龍を殺したのだった。
とはいえ彼がただの人助けで侯を助けるわけもなく、
「命を助けてやったんだ。金を寄越せ、と言われた時はなんだこいつと思ったものよ」
ブルトル侯はその時のことを思いだし高らかに笑う。
「とはいえ事実。しかし持ち合わせがなくてな。屋敷に取りにくるよう言ったのだが一向に現れなんだ。それがこうして」
今更になって現れた勇者を見てまた笑う。
アランは話を聞き終えると即座に立ち上がり、
「その話が本当だとしてもこの男が父上を助けた男と同一人物とは思えません」
そうだそうだとリランが頷く。
「邪龍を倒すような男が私たちに捕まるわけがない」
しかし勇者は貶すように、
「妹の手前格好もあるだろうから手加減してやったとまだわからないのか」
「なにおう!」
リランが怒りを露わにする。
しかし勇者の言葉は嘘。強がりだった。まあ確かに逃げるための時間稼ぎで倒そうとは思っていなかった。それを手加減と呼ぶならそうなのだろう。
だがそもそも捕まったのはしょうもないミスからだしサシャが妹と知ったのはその後だから矛盾する。
それでも、
「なんなら今からもう一度やりあってもいいんだぜ」
言って立ち上がる。
その声は余裕と自信に溢れていて、最初に彼らと対峙したときとはもっと別の空気をまとっていた。
それにリランは気圧される。言いようのない圧迫感が勇者から発せられていた。
勇者はアランへ視線を移し、
「3対1でもいいんだぞ」
挑発するがリラン同様彼も答えに窮する。
もはや別人のような威圧感だった。
「そのあたりにしてあまり息子たちをいじめんでくれ」
ブルトル侯が仲裁する。
「ふ。俺が意味もなく戦うわけないだろう。冗談だよ冗談。捕まったのはあんたの息子のほうが強いからさ」
と言って笑う。が、アランたちの様子を見ればそんな言葉本気にするものはいまい。
ちょうどその時部屋に入ってくる者がいた。扉を突き破らん勢いで現れたのはサシャだった。
「お父さま! 勇者様は関係ないんです。私が勝手に。だから許してあげて」
勇者が侯の所へ連れて行かれたと聞いて嘆願に来たのだ。
それは確かにサシャなのだが勇者はまず目を疑い、次に耳を疑った。
なにせ鎧はつけておらずドレスに身を包み髪は結いまとめている。
そのうえ「お父さま」ときたもんだ。
こらえきれず勇者は腹を抱えて笑い転げる。
ブルトル侯もまた状況を逸した嘆願に呵々大笑。笑いだす。
状況から置いてけぼりを食らったサシャは困惑するばかりだった。
*
「そういうことだったの」
あらましを聞いてサシャは納得する。
「すごいのね、勇者は」
「………」
「どうかしたの?」
彼女は首を傾げる。それを見て勇者はくつくつと笑いだし、すぐに笑い声は大きくなった。
「笑わなくたって!」
サシャは恥ずかしそうに顔を赤くして文句を言うが勇者からしてみれば無理な話だ。
「だっ……だってお前。なんだその話し方」
笑いすぎて息をするのも苦しそうだった。
「それはお父さまの前だから」
声を低くして言う。
サシャの男口調は女の1人旅でなめられまいと考えはじめたものだった。
「別に女なんだからそれらしく喋るのはいいことだ」
「ならなんで笑うのよ」
「のよ、ときたか」
勇者はまた笑う。
サシャの容姿それ自体は少女そのものだからむしろ話し方としてはこちらが正しいといえる。
しかし燃えるような赤い髪にほんのりと日に焼けた肌、痩躯に纏った鎧姿が様になりすぎるから粗暴な男口調がこれ以上ないというくらいマッチしていた。
はじめにそちらを見てしまえば勇者でなくても笑い転げるだろう。
とはいえドレスが似合わないわけではない。
こちらの姿ではじめにあっていればやはり戦士姿のほうを見て笑い転げるくらいには馴染んでいる。
「んで、さっき俺は関係ないって言ってたがこのまま家に残るつもりか?」
急に笑うのをやめて真面目な顔をする。
「それは」
庇わなくても勇者の罪は晴れている。ならサシャに家に留まる理由はない。
「そうか」
勇者は頷くと振り返ってブルトル侯と向き合う。
「どうしてサシャは家に連れ戻す。安全な立場にいながら自分から旅にでるなんて立派じゃないか」
「サーシャは子供だ」
「あんただって若い頃からそうとう無茶をしてきただろう?」
「わしとは違う。女なのだ」
「兄妹で一番腕が立つのはサシャだろう」
「だが危険なのだ」
「領民の子が旅立つのは見送るだろうに自分の娘だけか」
「う。ぐ……。だが」
続く言葉はない。理屈ではなく親心なのだ。自分の娘だから危険な目に会わせたくない。
しかしそう言える立場ではなかった。
「お父さま!」
サシャがずいと前に歩みでる。
「心配するお気持ちもわかります。自分が未熟だということもお兄さまに思い知らされました」
でも、と力強く。
「志を抱いてしまったのです。たとえお父さまの庇護のもと生きながらえても私の心は死んでしまいます。たとえ半ばで死に絶えたとしても私の心は死にません。志を受け継ぐ人がいるでしょうから」
ちらと視線を勇者へやる。
「それに勇者様もいますから」
「う、うーん」
ブルトル侯は複雑な表情で唸り大きく息をついた。
観念したようだった。家出同然ででていった娘にこれほどの覚悟があるとは知らなかった。もはや返せる言葉はない。
「今晩は宴を開こうかの」
「はい?」
サシャは首をひねる。唐突な台詞に思えた。
横で勇者はくつくつと笑っている。
「素直じゃねえなあ」
「うるさい。父親とはそういうものだ」
そんな2人のやりとりを見てもサシャはまだわからないらしい。
ブルトル侯は1つ、わざとらしく咳払いをした。
「今夜は勇者とその仲間の旅立ちの門出を祝う宴である」
ようやく得心したサシャはパァッと花開くような笑顔で侯に抱きついた。
「ありがとうございます、お父さま」
*
宴の席で勇者はふと思いだす。窓際に立ってみるが見えるわけではない。
(アリスとセシリーはまだ門の側でうろついているのだろうか)
考えたところで詮ないことだ、と首を振って頭の中から追いやる。
「どうかしたか?」
ブルトル侯が歩いてくる。
勇者は差し出されたワインのグラスを受け取った。
「いや別に」
「そうか」
侯は自分のグラスのワインを一気に飲み干した。給仕が空になった側から注いでいく。侯はまた一気に飲み干す。
「あんまり飲むなよ、年寄りなんだから」
「言えたことか」
「俺のどこが。若々しいし実際若い」
「俺が息子に遅れをとって。衰えたのではないか。そんな男に娘を任せられるか」
今更愚痴りだす。決めたとはいえやはり心配はつきない。
「こっちにも事情がある。剣がなかった」
「武器に頼るからそうなる」
「あるはずがなければ隙もできる」
侯は勇者をじとりと見据える。
「しょうのないやつめ。俺から勇者へ剣を一振り贈ろうではないか」
「それならあんたのクリムゾンがいいな」
「アレクランドラが持ってるのを見ただろう」
「あれがあんたのだったのか」
「とぼけおってからに」
*
翌朝、勇者は見送られるさいブルトル侯から剣を受け取った。
刀身の波模様が美しい片刃の剣だ。
「業物だな。いいのか」
「命の礼には安いものだ」
「ならもう一本」
「調子に乗るな!」
勇者はケラケラと笑う。
「それじゃあな」
ろくな挨拶もなしに1人先に歩きだした。
背中にサシャのすすり泣く声が聞こえる。
しばらくしてサシャが追いついてくる。
彼女は勇者のほうを見なかったし、勇者もあえて彼女のほうを見なかった。
それでも、
「今生の別れじゃあるまいし」
「……わかっ、てっだよ」
「なら泣くな」
彼はサシャの頭をくしゃくしゃとなでた。
少し沈黙が流れる。
サシャが口を開く。
「ところでどこまでわかってたんだよ。俺が親父の娘だってこともはじめからわかってたのか?」
勇者は彼女をまじまじと見て吹き出した。
「んだよ!」
「結局そっちでいくのか」
「ったりめえだろ」
今のサシャは鎧に身を包んだ戦士である。ドレスを着た貴族の娘ではない。
「てか2人にバラしたら殺すかんな」
「おーこわいこわい」
大げさに怯えてみせる勇者。
「で、どうなんだよ」
「さあな」
首をすくめてとぼけてみせる。
サシャの装具を見極め彼女が追われていると見抜き周到に逃げ道を用意していた彼ならばあるいははじめからすべてをわかった上で事を運んだのかも知れない。
しかし成り行きのほとんどが行き当たりばったりのよいにも見えたし、そもそもサシャは彼を過大評価している節があるからそのように感じるのだろう。
アリスあたりなら鼻で笑うだろうし、セシリーなら彼の過程と結果の全てを肯定してしまうから話にならない。
結局のところ勇者が語らなければ本当のところはわからないし、語る気はないだろう。
話をそらすように姿が見えてきたアリスとセシリーを指差す。
「やっぱり一晩中あそこにいたのか。馬鹿だな」
むこうからも2人の姿が見えたらしい。
セシリーがぴょんぴょんと飛び跳ね手を振っている。彼女らしからぬアクティブアクションだ。
「あ、こけた」
いよいよ近づけば彼女は勇者に抱きついてわんわんと泣き出した。
「よしよし、心配かけたな」
セシリーの目は泣き出す前から真っ赤だった。寝てないのだろう。
アリスもアリスで2人の無事な姿を見てほっと胸を撫で下ろした。
「なにがあったんですか?」
勇者とサシャは顔を見合わせ、
「さあな」
と笑った。