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第2話「勇者と幽霊狂想曲」

「お客さん、日が暮れたら外にはでないほうがいいよ」

 宿屋の親父はアリスに部屋の鍵を渡しながら言った。

「どうしてですか?」

 アリスが訊くと親父はチョイチョイと手招きして顔を近づけるようにうながした。

 そうして親父は耳元でささやくように、

「でるんだよ、幽霊がね」

「幽霊……ですか?」

「そう、幽霊だ」

 親父はアリスと勇者を交互に見やり、

「あんたらみたいなカップルは特に気をつけたほうがいいよ」

 と言った。

 するとアリスは首はブンブンと振りに振り、

「私たちそんな関係じゃありません。ただの勇者とそのお付きなんですよ」

 宿屋の親父はだったら似たようなものじゃあないか、と思った。普通の勇者と勇者付記録官がどういう関係かは周知のことだからだ。

 そのことはあえて口にせず、アリスのとなりに立っている勇者をもう一度、今度はよくよくと見る。

「勇者、ねえ」

 あきらかに訝しむ声音である。

 しかしそれも仕方ないことだ。勇者の格好はいたって普通の旅装で、鎧のひとつもつけていないどころか剣すら帯していない。

 そのうえどうもうさんくさい顔をしているのでにわかに信じられるものではなかった。

 まして最近は勇者を騙って宿にただで泊まろうとする者も多いというから宿屋の親父が警戒するのも当然だ。

 アリスははあ、とひとつため息をもらした。

 ここまでの道中でも何度か宿に泊まることがあったし、時には道沿いの民家に泊まることもあった。そのいづれでも一度で勇者を勇者と認めた者はいなかった。

 勇者付記録官としては情けない限りだ。

 またこういうことは勇者とアリスに限ったことではない。

 勇者といってもただの人。なにか共通する特徴があるわけではない。

 だからこういう時のために用意されているものがある。

  アリスは懐からなにかを取り出して宿屋の親父に見せた。

 それは純金製の薄い板で、大きさは手のひらほど。そこに簡単に言えば、この者が勇者であることを証明する、といったような文言が彫られてい、最後にナノクニ王家の紋章が添えられている。

 これが大陸共通の手形となっていた。

 それを見せられてようやく、

「いやあ、これは失礼しました。なにせこういうご時世でしょう」

 などと言い訳をして、なお白々しくポンと手を叩いて言う。

「そうだ。ちょうどいい。ねえ?」

「なにが……ですか」

「幽霊ですよ、幽霊。その退治をお願いできないでしょうか?」

 言い終わらないうちに、

「断る」

 と、答えたのは勇者だった。今まで一言だって口をきかなかったくせにこういう時だけは早いのだ。

「な、なんでです」

 戸惑う親父に勇者はきっぱりと言い放った。

「どうして俺が男の、それもおっさんの願いをきかにゃあならんのだ。よそをあたれ」

 なんとまあ、あいた口の塞がらない台詞だろうか。事実、親父は固まっていてなにも言えなくなっていた。

 アリスは親父に愛想笑いをみせてから、勇者の首根っこを掴んで隅まで連れて行く。

「なんてこと言うんですかっ」

「なにがだよ」

「勇者らしくするって約束したでしょう」

「だからこうして先を急ぐ旅をしてるんだろう。つまらんことにかかずらってる暇はない」

「それは魔王を倒すのが目的ですけど、そのために国民をないがしろにしたら本末転倒じゃあないですか」

「だけどあの親父、こっちが勇者だとわかった途端にあんなこと言いだすんだぜ」

「それがどうしたんですか?」

「こっちが勇者なのをいいことに謝礼も払わない気だぜ、ありゃあ」

 もっともらしいことを言っても結局はそこなのだ。

 勇者は人のために行動するのが当然であって、こういった場あい傭兵のように多額の依頼料を要求することはできなかった。

 ふたりの会話は筒抜けで、

「いや、本当に思いつきであんなことを言ってしまって申し訳ない」

 宿屋の親父が謝る。

 そのくせ未練がましく、

「はあ、しかしあの女幽霊どうしたものか」

「……女幽霊?」

 親父の言葉に勇者の目の色が変わる。

「幽霊は女なのか?」

「はい、まあ。それがどうか?」

「そうかそうか。女か。なぜそれを早く言わない」

 やにわに勇者は上機嫌となり高笑いをはじめた。

 番台に腰掛け親父の肩に手をまわし、

「よおし、その幽霊退治ひきうけてやろうじゃあないか」

 と、言いだした。

 さっきとまるで言っていることが反対である。

「あの勇者様、まさか」

 アリスは言いさして口を閉じた。

 だって相手は幽霊なのだ。それをまさか、と普通は考える。アリスだってそうだ。

 だが、

「おい、親父。その女幽霊は美人なのか? 年の頃は?」

 もはや「ああ、やっぱり」と言うしかなかった。

 この男、女なら幽霊だろうがなんだろうが構わないのだ。

 

 

* * *


 こういう時ばかり仕事が早いというのはいかがなものか、とアリスはため息をついた。

 幽霊が女だと知るやいなや騒動の解決を快諾をした勇者は宿に荷物を置くなり、情報を集めるために町に繰り出していた。

 もちろん勇者が勇者らしく市井の役にたとうというのだからそれはアリスにとっても喜ばしいことだ。

 なにせ今まではは記録官として書くに書けないことばかりしてきた男なのだから。

 しかし、しかしだ。

「巨乳のボインか幽霊ちゃん。ちんまりおっぱい幽霊ちゃん。年増の淑女か幽霊ちゃん。幼い子供か幽霊ちゃん」

 宿をでてからというものわけのわからない歌を歌いながらスキップしている勇者をみるとこのうえなく不安になるのだった。

「おう、アリス。元気がないなあ、元気が」

 いやに声が大きい。

「勇者様はずいぶんと元気ですね」

「そりゃあお前、言わずもがなだろう」

「相手は幽霊なんですよ?」

「だからどうした。幽霊だろうと魔族だろうとドンと来いだ。特に幽霊ははじめてだからな」

「幽霊はってそれじゃあまるで」

 アリスは言いさして口を閉じた。聞くのが怖かったからなのか、目撃者のひとりがよく入り浸っているという酒場に着いたからなのかはわからない。


 薄暗い店内にはまだ日も高いというのに客がけっこういて騒がしかった。

 目撃者の男は店内の一番奥まったところに腰掛け一人で飲んでいた。

 そこへ行くまでに、

「よお、おねえちゃん」

 などと酔っ払いたちが声をかけてきてアリスの体に手を伸ばしてくる。

 振り払うにも数が多く何度か尻を撫でられるはめになった。そのうちの半分は勇者だったがアリスは気づく暇もない。

 店内のほんの数メートルを歩いただけでアリスはぜえぜえ、と息をきらせている。

「おつかれだな」

「かばってくれてもいいじゃないですか」

 勇者はふてくされるアリスの尻を今度は堂々と撫でる。

「ひゃあ!?」「こんなケツでもケツはケツだ。減るもんじゃなし、触らせてやりゃあいいだろう。おひねりのひとつもくれるかもしれないぜ」

 ひどい言いようのくせにまだ撫で回している。

 アリスは耳まで真っ赤にしプルプルと震えている。いるがパッと振り返り勇者の頬を張り手で打つ。

「おさわりは勇者らしくなるまで禁止です!」

 ピッと人差し指をたてて言い放った。

 

 

 さて。

 酒を一杯おごると男はぺらぺらとしゃべりだした。

「あの日もここで飲んだ帰りでよう。ちょいと酔い醒ましに川沿いの道を歩いてたんだよ」

 町の東側を沿うように流れる川がある。夜になるとグッと空気が冷えて酔い醒ましにはちょうどいいらしいが、人通りはすくない。

 酔いにまかせてフラフラと歩いていると柳の木の下から、

「フッと女があらわれてよう」

 思い出すだけでも恐ろしいというように男は身震いした。

「肌が透ける」

 ように白く、闇に溶け込むような黒い髪が顔覆ってい、口元だけが見えていた。

 その女が足音もなくスーっと

「近づいてきて俺のまわりをぐるぐるとまわるんだよ」

 しばらくするとかすかな声で、

「違う」

 と言い、そのまま消えたという。

 他の目撃者のところにも足を運び話を聞いたがだいたい同じことを話した。

 川沿いの道を歩いていたら突然あらわれ、じっと見られる。

 さっき言ったとおり目鼻は長い髪に覆われていて見えない。それでも見られているというのがわかるほど凝視され、しかしなにをするでもなく消え去るのだという。

 ただ目撃者のなかには数組のカップルもいてそれらは他と違ったことを話した。

 目撃した場所は他と同じで川沿いの道だ。

 左手から途切れ途切れに町の喧騒が聞こえてくるのみで静かな夜だった。

 若い男女は腕を組みぴったりとくっつき歩いている。

 少し顔が赤らんでいるのは酔いのせいだろうか。それもあるだろう。しかし……。

 若い男がなにかをささやき、女は顔をあげる。あげるがすぐにうつむいてしまう。

 男の手が女の顎にのびて、半ば強引に持ち上げた。そしてゆっくりと二人の顔が近づいていく。「……なにしてるの?」

 突然の声に若い二人は、

「わあっ」

 と悲鳴に近いものをあげながら尻餅をついた。

 いつのまにか彼らの目の前に女がひとり。

「なに……してるの?」

 途切れ途切れにかすれる声でまた言った。

(幽霊だ)

 話は聞いていただけにカップルはすぐにそれとわかった。

 幽霊はふたりをじーっと見つめる。言葉はない。

 カップルも座り込んだまま動けないでいる。どうにも力が入らなかった。

 不意にそー、と手がのびて幽霊が男と女それぞれに触れる。指の先でチョン、とさわったのか、さわらないのかというように。

 すると幽霊は口の端だけ持ち上げてニィー、と笑うと闇の中に消えていった。

 それ以来、

「こうなんスよ」

 カップルは手を繋ごうとして見せた。

 二人の手が触れ合う直前、バチリと大きな音がして彼らの手は弾かれる。

 触れあおうとすると電流のようなものがはしって妨げるのだという。

「呪いッスよ、呪い」

 

 

* * *

 

「退治するまでもないんじゃねえの?」

 宿屋に戻ってきた勇者の第一声だ。

 確かに幽霊はでるらしい。けれど聞いた限りではそれほど危険とも思えなかった。

 せいぜいカップルが手を繋げなくなる程度の呪いである。

 すると宿屋の親父は、

「そんな。困りますよ」

「そう言われても勇者も暇じゃあないしな」

 そう言うと勇者は意味ありげな視線を親父に送った。

 察した親父は渋々といった様子で、

「……少しばかり謝礼もだしますから」

「どれくらい?」と尋ねる勇者に親父が耳うつ。

 すると勇者、わざとらしくため息なんかついて、

「アリス、行こう。こうしてる間も魔王に苦しめられてる人がたくさんいるんだからな」

 思ってもないことを口走りながら宿を出て行こうとする。

 無論フリだ。出ていく気なんてない。宿屋の親父もそれはわかっているが止めないわけにもいかない。

「わかりましたよ」と親父が改めて提示した額に物足りなさを感じながらも、引き際は心得ていて、

「そのへんで手をうとうかね」 納得をみせた。

「しかしお前さん、やけに熱心じゃないか」

「そんなことはございませんよ」

「おっさんがひとりで謝礼をだす必要がどこにある」

 幽霊騒動は親父ひとりが抱え込まなければいけないものではない。

 だのに勇者に退治を依頼して、断られそうになれば謝礼までだすと言う。

 もちろんそう仕向けたのは勇者だが、頼むにしたってこんな男でなくともいいはずだ。

 たまたま彼らに会ったからと言えばそこまでだが、

「なーんか怪しいな。隠し事でもあるんじゃあないか?」

「そんな滅相もない。ただこういう商売ですから」

 わずかな観光客を収入源にやっている宿である。幽霊がでると悪評がたって客足が遠のくのを恐れているのだという。

 納得いかないのか、

「本当のことを言え」

 などと妙に絡む勇者を見かねたアリスが彼の首根っこをつかまえて、

「勇者様、いい加減にしてくださいよ。これ以上だだをこねたってなにもでませんから」

「お前、俺をなんだと思ってる」

「罪のない民を強請る悪徳勇者です」

「あのなあ!」

 

 

* * *

 

 日が暮れた。月は雲に隠れ、星も見えない。時おり風が吹いて冷たい空気を運んでくる。

 勇者とアリスは川沿いの道をゆっくりと歩いていた。

「どうかしたんですか?」

 アリスはあえて勇者のほうを見ずに言った。

 勇者の様子がどうもおかしかった。昼間の陽気さとは打って変わってほとんど口を開かない。

「なにか、こう、引っかかってんだよな」


「まだ宿屋のおじさんの言うことが信じられないんですか?」

「俺がいつまでも男の言葉で思い悩むわけがないだろう」

「だったらなんです?」

「さあ」と勇者は首を傾げる。

「幽霊の事件と関係のあることですか?」

 勇者は首を振る。ただ釈然としない顔で、

「俺は幽霊を見たことはないんだよなあ?」

 そんなことを訊かれてもアリスが知るわけがないし、昼間に幽霊を見たことはない、と自己申告していたではないか。

「長い黒髪、肌は白い……」 そんな人間はいくらでもいる。しかし勇者には引っかかるものがあった。

 なにか大事なことを忘れているような、そんな気さえした。

「ようするに幽霊が知り合いに似ているってことですか?」

「ん? うん……。そんなとこ、かな」

「この町に来たことあるんですか?」

「いや、ないが」

「だったら知り合いってことはないんじゃないですか?」

 不意に声の調子が明るくなって、

「いや、けど俺ってモテるからなあ。昔の女が俺のことを追ってきて、この町で非業の死をとげた、なんてこともなきにしもあらず?」

「ハァ、結局そこにいくんですか。馬鹿なこと考えてないで真面目にしてください」 言うまでもないが彼らが夜の川沿いの道を歩いているのは幽霊を探しているからだ。

「真面目に、か。それじゃあ」

 勇者はアリスの肩に腕をまわして抱き寄せた。アリスは驚いて肩をつかむ手と勇者の顔を交互に見て、

「な、なにするんですかっ」

「なにって恋人らしさの演出だろう」

 幽霊はカップルに恨みでもあるようだから、こうすればでてくるだろう、と言う。

「それにしたってやる前になにか言ってもらわないと心の準備ってものが」

 勇者はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、

「お前、俺様に肩を抱かれてときめいているな?」

「そんなわけないじゃないですか。馬鹿なんですか? いいえ馬鹿です」「なんならもっとときめかせてやろう」

 などと言って、わざとらしく唇を突き出した顔をアリスに近づけていく。

 アリスは嫌がってその顔を押し返す。

 そんな風にじゃれている二人だったが、急に勇者の動きがとまった。

 突然ぴくりとも動かなくなったのだ。見る間に顔が青ざめていき、嫌な汗をかきはじめた。

 視線は暗闇のかなた一点を見据えている。

 はじめアリスは油断させるための作戦と思い身構えていた。しかしそれにしては止まってからが長すぎる。

「どう、したんですか?」

 勇者の視線を追ってそちらに顔を向けるアリス。

 向けて思わず絶句した。

 暗闇の中、薄ぼんやりとした光につつまれて女が立っていたから。

「ゆ、ゆ、ゆ、勇者様ですよ」

 気の動転したアリスは「幽霊ですよ」と「勇者様」と呼びかけるのがないまぜになっておかしなことを口にしていた。

 しかし、勇者は冷静な口調で

「違う」

 と言った。

 なにが違うのか。自分が勇者ではないといいたいのか。もちろんそうではない。

 ならなにか。アリスは尋ねようとして、しかし、でてきたのは悲鳴だった。

 なぜなら先ほどまで「むこう」にいた幽霊が「ここ」にいるのだ。

 そして幽霊が口をひらく。

「ひさし……ぶりだ、ね。ヌエス」

 アリスは涙目になりながら首をぶんぶんと振って否定する。久しぶりでもなければ、ヌエスなんて名前でもない。

 しかし幽霊が見つめているのはアリスではない。彼女など眼中にないというようでまるで視界に入っていない。

 うっとりとした表情で幽霊が見つめるのはただただ勇者のみだった。

 一方、勇者は視線を泳がせ、絞り出した声で、

「人違いでは」

 と言うのが精一杯であった。

 幽霊はさらに一歩近づいて勇者の胸に自分の体を押しつけるようにし、彼の顔を見上げる。

 勇者の穴という穴から冷や汗が流れだす。

 5分だろうか、10分だろうか、と感じられるほど幽霊は勇者を見つめ、

「やっぱりヌエス……だ」

 と言って嬉しそうに笑った。といっても件の幽霊であるから目鼻は髪に隠れていて見えない。口元でそれとわかるだけであった。

 まったく相手にされていないとわかるとアリスは冷静さを取り戻していた。

 幽霊をよくよく見てみる。

 容姿を見れば件の幽霊といって間違いないだろう。

 背丈はアリスは見上げなければいけないほどだが華奢な体つきである。にもかかわらず女らしさという点ではアリスなど足元にも及ばない、というのが着ているローブの上からでもわかるほどの豊満さであった。

 その幽霊は勇者にぴたりと張り付き、彼のことを「ヌエス」と呼んでしきりに話しかけている。

「な……んで、なにも言わない、の?」

 しかし勇者は視線を泳がせるばかりでなにも応えない。

「忘れちゃった、の?」 勇者はなにも言わないが、なにも考えていないわけではなかった。

 むしろ頭の中をぐるぐると駆け回るものが多すぎて考えがまとまらないでいたのだ。

 ただひとつ確かなのはなぜもっと早く気づかなかったのか。思い出さなかったのか。そのことであった。

「……久しぶりだな、セシリー」

 とうとう観念したのか勇者が口をきく。

 セシリーと呼ばれた幽霊はパァーと花開くような笑顔を見せる。子どものように邪気のない笑顔だ。相変わらず顔は見えないがそれが勇者にはわかった。

 笑ったかと思うと、今度は途端に泣きだしてボロボロと大粒の涙がこぼれては嗚咽をあげる。

「忘れられたの……かと思った、よ」

「俺がお前を忘れるわけないだろう」

 優しく笑いかけセシリーの頭に手をのせて撫でてやる勇者。

 セシリーは勇者の胸に顔を押し付けてさらにわんわんと泣きだす。

「よしよし」

 とあやすようにかける声とは裏腹に勇者の顔はこわばっていた。

 そんなやりとりを横でだまーって見ていたアリスが皮肉たっぷりに、

「ヌ・エ・ス・さ・ま?」

 呼びかける。

 勇者の首が油の切れたぜんまい細工のようにぎこちなく回って、なんともいえない表情をアリスに見せる。

 それを見ると彼女の加虐心のようなものはすっかり萎えてしまい、大きなため息をついて、

「どういうことか説明してください」

 少し拗ねたような口調で言った。

「どうと言われても」

 勇者の歯切れは悪い。

「ヌエスってなんですか?」

「言わなきゃダメか」

「はい」

 怒気を含んだ声できっぱりと言われ勇者は仕方なしに語りだした。

「ヌエスは昔つかっていた偽名です、はい」

「偽名?」

「セシリーは昔ちょっと世話になったというか、なんというか」

 明らかになにかを濁していた。

 すると先ほどまで勇者の胸の中で泣いていたセシリーがパッと跳び退って、

「違う、よね?」

 それまでのどこか弱々しい声とはまるで違った語調であった。

「違うってなにがですか?」

 アリスが訊く。するとセシリーはアリスをキッと睨みつけ、はっきりと敵意のこもった声で言った。

「あなた……はだれ? ヌエスとどういう関係、なの?」

 あまりに強い口調にアリスは怯む。まるで自分がなにか悪いことをしているような気分になっていた。

「関係って別に。どうこうというわけじゃないですけど」

 アリスの声は尻すぼみに小さくなっていく。

 セシリーはアリスの答えを鼻で笑うと、

「なら黙って、いて」

「でも」

「婚約者同士の話に口を挟まないでって言ってるの!」

 セシリーはヒステリックに声を荒げた。

 それにも驚いたが、

「婚約者……婚約者!?」 今度はアリスがぎこちない動きで勇者を見た。

「待てよ。これはセシリーが勝手に言ってることで」

 しかし言い終わらないうちにセシリーの低くドスのきいた声が勇者の言葉をさえぎった。

「勝手、に? 好きって言った……よね」

「それは……そうだが」

「初めてだって」

「はい、そうです……」

「責任……とって、よ」

「あの」

「結婚……する、よね?」

「いや、だが、な?」

 答えになっていない答えだった。

 明らかに勇者の分が悪かった。

 かつて勇者はセシリーと一度だけ関係を持った。一度だけ、だ。

 情が深いというべきか。それで彼女は結婚を迫ったが、遊び人の勇者が「はい」と言うわけがなくトンズラこいたのだった。

 最初こそ驚いたアリスだったがこれだけ聞くとさしたる驚きはない。

 勇者の女癖の悪さはまだ短い道中だがじゅうぶん理解していた。こんなこともいつかあるだろう、と感じる程度には。

 しかし、さらなる衝撃がアリスを襲う。

 さすがに想像だにしないことであった。

 さて、突然セシリーが物わかりのいいことを言いだした。あれだけ鬼気迫る語気で結婚をせがんでいたのが突然。

「わかっ……た」

 拒む勇者の言葉を「わかった」と。

 しかしそんな都合のいい話があるだろうか。いや、ない。

「でも」

 セシリーが腰を落とし身構える。さげた剣に腕がのび、柄に手をかけた。

 もちろんセシリーは剣など帯していない。身構えてもおらず、腰を落としてもいない。

ただまっすぐと立ち勇者を見据えている、それだけだ。

 しかし勇者にはそう見えた。言い知れぬ寒気が首筋をのぼってくる。

「かえし、て。お金。返して」 鯉口を切る。

「ふたりで…幸せに……暮らすため、の、結婚資金。ヌエスが持ち逃げ、した」

 そして抜刀。

「選ん、で」

 突きつけられた切っ先は二本。

「結婚……する、か。お金…かえす、か」

 どちらも心臓をえぐりだすにはじゅうぶんな必殺の二択。

 言うまでもなく勇者に結婚する気はない。逃げ出しておいて今更である。

 かといって金もない。今の勇者の所持金、もとい魔王討伐のための軍資金では0がひとつもふたつも足りなかった。

 初めから二択ではなく一択。

 しかし結婚だけは選びたくない勇者だった。

 ゆえにあがく。脳をフル回転させ逃げ道はないか、どうにか言いくるめられないか、それだけを考えている。

 だが、浮かばない。なにも考えつかない。

 諦めかけたそのとき、一筋の光明が降りてきた。思いがけないところから。

「お金って。それって詐欺じゃないですかっ、結婚詐欺!」 アリスの介入である。セシリーに睨まれ萎縮していた彼女だが、堪えきれずに口をだしていた。

 女にだらしがない。軍資金をカジノにつぎ込む。あげればきりがない勇者の短所、悪行。

「屑だ、屑だ、とは思っていました。でもっ」

 まさか結婚詐欺をしているとはアリス、想像だにしなかった。

「ここまで屑だったなんて!」

 セシリーがイライラとして指の爪を噛んでいる。

「黙っててって言った……」

「いいえ黙れません!」

「あなたには……関係、ない」

「関係あります! 私は勇者付記録官です。勇者の間違いを正す義務があります」

「え?」

 アリスはセシリーの両手を包み込むようにひしと握りしめ、

「結婚でも、返済でもどっちだって私がさせます。責任をとらせます、絶対に!」

 光明にみえたそれがまさかの裏切り。

 いや、まさかではない。この状況で勇者の味方につく女など存在しないだろう。

 しかし。しかし、だ。アリスの介入は勇者にとって紛れもなく光明であった。

 なぜならアリスの言葉が彼に自分の立場を思い出させたから。

 そう、勇者という立場を。

「セシリー! そんなやつのことは放っておけ」

 勇者はわざとらしく叫んだ。

「言い訳なんてさせませんよ!」

「黙ってろ」

 低く冷たい声。

「うっ」

 アリスは無意識に退っていた。勇者の気迫に圧されたのだ。

 勇者はアリスを突き飛ばしセシリーに近づいた。

 片膝をつき、優しくセシリーの手をとった。そのままの姿勢から顔をあげ彼女の目を見つめる。

「最初に言った通り俺がセシリー、キミのことを忘れるわけないだろう」

 もちろん嘘。

「それどころか町の人間が話す幽霊の特徴があまりにキミに合致しすぎていて、まさかセシリーが、と胸を痛めていたくらいだ」

 とうぜん嘘。

 ここまで嘘しか言っていない。

 確かに勇者はなにか引っかかるものを感じていたが、それでセシリーを思いだしはしなかったし、出会うまで名前だって忘れていた。

 そしてここからも、嘘。嘘。嘘。

 だというのにセシリー。すでに少し涙目である。

「うれ、しい」

「ああ、俺もキミにまた会えてこのうえない幸せを感じているよ」

 大げさな台詞回しが実に嘘くさい。

 だがセシリーはそんなことを微塵も感じていない。勇者の真剣な表情と甘い声にまいってしまっている。

「なら、なん……で?」

 しかしさすがにそれだけで丸め込まれたりはしないようだ。

 それもとうぜん勇者は織り込み済み。すでに返す言葉も決まっていた。

「セシリーを愛していたから、だからキミのもとを離れたんだ」

「わから……ない、よ」

「もう気づいているだろうけど俺は勇者だ」

「……うん」

「魔王を倒すために旅をしている。いつ終わるかわからない旅だ。もしキミとあのまま結婚していたら、キミはいつ帰ってくるのか、帰ってこれるのかさえわからない俺を待ち続けることになったろう」

 突ぜん立ち上がり、セシリーをギュッと抱きしめた。セシリーは勇者の肩と首に自分の顔を押しつける。

「そんな辛い想いをさせたくなかった。本当は一緒にいたかったっ。セシリーのそばを離れたくなんてなかった!」

 だんだんと語気が強くなっていく。

「でも、俺は勇者で、使命を全うしなきゃいけなくて、だからキミのもとを離れたんだ」

 勇者は抱擁を解き彼女の両肩に手を置く。見つめ合うふたり。勇者は悲痛な表情を浮かべ、目からは涙がこぼれ落ちる。

「お金のことは本当にすまなかったと思ってる。今でこそ正式な勇者だけれど当時は志だけの若者で魔王軍と戦うためにはお金が必要だったんだ」

 セシリーも泣いている。これだけ勇者が自分のことを想っていてくれたことが嬉しいのだ。

 そしてまた悲しくもあった。なぜなら。「だからセシリー、キミとは結婚できない」

 勇者の次の台詞がわかるから。

「俺の旅はまだ終わってない。だから今、結婚したって結局キミに辛い想いをさせることになる。そんなこと俺はいやだ」

 セシリーは下を向いている。クシャクシャの顔を勇者に見せたくなかった。

「わか……った」

「わかってくれたか!」

 さっきまでの涙がどこへやら、途端に勇者の顔が明るくなる。本当に屑である。

「ヌエスの気持ち……わかった。」

「ああ」

「だから一緒、に着いて…行く」

 涙を拭い顔をあげたセシリーの顔には固い決意が表れていた。

「へ?」

 うまく丸め込んだ。そう思った矢先の予想外の言葉に勇者は困惑する。

「なんで、なんでそうなる?」

「ふたり…で魔王を倒して、それから結婚しよ、うね」

 予想外。確かに勇者は魔王を倒さなければならないから結婚できないと言った。

 だからセシリーは魔王を倒せば結婚できると受け取ったのだ。

「いや、でも、危ないし。戦えないだろ?」

 しどろもどろ応える勇者。

 しかし。

「だいじょう、ぶ。ヌエスがでていって…から黒魔術を覚えた、から」

「はい?」

 言われてみればローブ姿といい魔導師らしいといえばらしい。

 しかし勇者の記憶にあるかぎりセシリーはそんなものとは無縁の女だった。

 どちらかといえば陰気なところがあるが家庭的で優しく、魔術なんかに興味はなかったはずだ。

 それがどうして。

「よか……った」


 ホッと安堵した顔でセシリーが言う。

「なにが」

「これ…で呪い殺さずにすむ、ね」

 誰を、とは訊けなかった。

 セシリーは小首を傾げ微笑んでいる。無邪気だった。

 もはや勇者にどんな言い訳も嘘も口にすることはできなかった。

 

 

* * * 

 結局、強いのは男ではなく女なのだ。

 うまく丸め込んだつもりで逆に丸め込まれた、いやむしろ呪い殺すという言外の脅しに屈した勇者。

 行方不明(逃げだしたともいう)の恋人のために黒魔術まで覚え後を追い、違う意味で後を追う覚悟さえあったセシリー。

 強い情念の賜物か。奇跡の再会を果たしたふたり。

 そんな彼らを引き離すことなどもはや神にも不可能である。

「いや、歩きにくいから離れてくれませんか?」

 勇者の腕にしがみつくセシリーの耳にはそんな言葉は聞こえない。

「丘の上の一軒家。子供はいら…ない。ふたり、だけでしあわせに……暮ら、そ」

 未来の妄想を口にする。

 もうずっとこの調子で勇者はまいってしまう。

 しかし断っておくが勇者がセシリーを丸め込もうとした言葉の中にも真実のものはあった。

「愛してる」

 それは真実だ。

 もちろんただひとつの愛というわけではない。幾千万の女を愛するように、等しくセシリーのことも愛している(存在を忘れていたが)。

 勇者にとって問題なのは結婚をせがまれることで、他の女と違いセシリーがそのことで引き下がる気がないことだ。

 そのうえ思いがけない誤解から魔王を倒したあと結婚するという約束を交わした風になっている。

「セシリー!」

 勇者は大声で彼女を呼ぶ。

「いい加減にしてくれ」

「え……なに? 怒って、るの?」

 急に、いや急にではないが妄想世界に捕らわれていた彼女にとっては、急に怒鳴られたのでしゅんとなる。なるが腕は放さない。

「言ったろう。魔王を倒す旅なんだ。結婚とかそんなことは言ってられる場合じゃあないんだよ」

「でも」

「そんなことは忘れろ! でなきゃ一緒に旅することはできない」

 きっぱりと言った。

「わか…った、よ。でもヌエス」

「あとヌエスって呼ぶのもなしな」

「な、んで?」

 偽名だからとはいえないので適当な理由を探す。

 しばらくうなっていた勇者だが不意に閃く。

「そう。あれだ」

「あ……れ?」

 セシリーが首を傾げる。

「俺は勇者だ。魔王を倒すためだけに生きている。過去はいらない。だから名前は捨てたんだ」

 それなりにもっともらしい大嘘。

 だが嘘を信じて、そんな勇者のことを誇らしいと感じて笑うセシリーのなんたるいじらしいことか。

「そ、う。かっこ…いいね、勇者」

 さすがの屑にも罪悪感が芽生えるかと思えば、

(これで癇癪、というかアレなところがなきゃあなあ)

 であるから始末が悪い。

 不意にやさぐれた声。

「ハッ、ずいぶん立派なことを言う人がいますねえ」

 アリスだった。いつのまにか地べたにだらしなく寝転がっている。

「……なにしてんだ?」「あら、これは勇者さんじゃないですか。あんまり言ってることが立派なんで別人になられたのかと。あ、別人といえばそうですよね、ヌエスさんですから」

「……おい」

「もうやってられませんよ。苦労してなった記録官なのになんでこんな屑! の」

「わかるだろう。ああでも言わなきゃ俺は呪い殺されてたんだぞ」

「責任とって結婚すりゃあいいんですよ」

 まったくの正論だ。

「そしたら魔王討伐はどうなる」

「へ~、いつからそんなに熱心になったんですか」

「いや……」

 詰め寄られて視線をそらす勇者。

「私はねえ、あきれ果ててるんですよ」

「すいません」

 いつのまにやら勇者は正座をし、アリスに見おろされるかたちに変わっていた。相変わらずセシリーは離れない。

「だいたい今回の幽霊騒ぎだってあなたのせいなんですよ!」

 勇者を探すセシリーが夜の町を徘徊していたのが幽霊の正体だった。

 そうふたりは思っていた。

 が、セシリーは首を傾げる。

「なんの…こと?」

「いえ、だから」とアリスが事情を説明するとセシリーは首を横に振った。

「知ら……ない」

「え? でも」

「この町についたのはさっき、だよ」

 セシリーは日が暮れてから前の町をでて、勇者たちと出会う直前にこの町についたのだった。

「そういや昼間に外出することって少なかったっけ」


「太陽…きらい」

「ハハハ、このひきこもりめ」

 からからって笑う勇者だが、

「笑い事じゃありませんよ!」

 アリスは怒鳴る。

「だったら本物が別にいるってことじゃあないですか」

 当然そうなる。今ついたばかりのセシリーがどうして幽霊騒ぎの犯人になれようか。

「別にもうよくね」

 勇者の声は気だるそうだ。

「よくありません!」

 ますますアリスの怒声は大きくなる。それをみて勇者は面白がってまたからかう。

「幽霊なんてどうでもいいよなあ? セシリア」

 当たり前のようにセシリーは頷いて同意した。

「勇者らしくするって約束です」

「だから勇者らしく幽霊を説得したじゃあないか」

 と言ってセシリーを指差す。

「だからセシリーさんは幽霊じゃなかったじゃないですか! だいたいあれのどこが勇者らしいんですか」

 そんなやりとりをしている中、不意に誰かが勇者の肩を叩いた。

「あの」

 振り向くとそこには美女。緩いウェーブのかかった長い黒髪をたくわえ、厚い唇が妙に艶っぽい。年の頃は32、3だろうか。

 勇者はキリリと顔をきめ、

「なにか御用ですか、お姉様」

 美女の手をとろうとして、しかし掴み損なった。

 いや、正しくない。勇者の手が女の手をすり抜けたのだ。

 錯覚か。あるいはうまい具合に彼女が勇者の手をよけたのでそう見えたのだろう。

 勇者はもう一度ためしてみたがまたすり抜けた。

 おそるおそ~る女の顔をみる。

「まさか」

「はい。私が幽霊です」

 女は微笑む。

「うおおお!」

 突然、勇者が大声をあげる。

「あ、驚かせましたか? すみません」

 が、違う。

「さわれん。さわれんだとっ。こんな美女が目の前にいて触れることもできないのか、俺は」

 馬鹿である。そして、

「馬鹿なんですか」

 アリスだ。

「そんな場合じゃありませんよ」

 アリスは勇者を女から引き剥がし、さらに短刀を引き抜き彼女に対し構える。

「私たちがあなたを退治しようと知って戦いにきたんですね!」

 しかし女は微笑を浮かべ、

「まさか。ただお願いごとがありまして」

「だれが悪霊の願いなんて」

 言っている途中のアリスの声にかぶせて、

「なんでも言ってください。俺にできることなら、いいえ、できないことでも協力します」

 むちゃくちゃなことを言う勇者。

「なに考えてるんですかっ」

 アリスが勇者に詰め寄ってがなる。

「なにってナニさ」

「セシリーさんとあんなことがあったのにまだ懲りないんですか?」

「そんな言葉は俺の辞書にはない」

 きっぱりと言い切る勇者にアリスはあきれて声もでない。

「そうなん、だ」

 勇者とアリスがじゃれあっているうちにいつのまにかセシリーが女と話を進めていた。

「あの、ね。旦那さんに……会いたいんだって」

 後を引き継ぎ女が言う。

「そうなんです。お願いできませんか?」

 意外にも勇者、これを快諾。

 これにはアリス、目を丸くする。

「人妻ですよ?」

「だからなんだよ?」

「親切にしたって仲は進展しませんよ?」

「はあ?」

 なに言ってんだという目でアリスを見る勇者。

「あのなあ。例え人の物だろうと女が困ってんなら助けるのが俺だ」

 なんていいこと言った直後に女にすり寄り、

「でもストリップくらいみせてくれよ、会わせてやるから」

 間髪入れずキレのいいアリスの張り手がスパーンと勇者の頬を捉える。

「なに言ってるんですか?」

「だってさわれないんだから見るしかないじゃないか」

 当然だ、という口調だ。

「だってじゃありませんよ。馬鹿なんですか?」

 しかし勇者の暴言に腹を立てているのはアリスだけでとうの本人は、

「夫に会わせていただけるならそれくらい」

 と乗り気だ。

「ダメです」

 アリスが否定する。

「だいたい呪いをかけるような悪霊の願いはきけません」

「仕方ないじゃないですか。幸せそうなカップルを見てたらついイライラして」

 相変わらず微笑を浮かべたままとんでもないことを言うのでアリスはぎょっと目を見開いた。

 しかし勇者とセシリーはうんうん、と頷いて、

「わか、る」

「他人の幸せほどムカつくものはないからな」

 などと言っている。

「なんなんですか、あなたたちは」

「まあまあ、いいじゃん。呪いたってかわいいもんだし旦那に会わせてやればそんなことしなくなるだろ。なあ?」

 幽霊は強く頷く。

「んで、どこにいるのかわかるのか?」

「はい。でも私、地縛霊というか物に縛られていてあんまり遠くにいけないんです」

「そりゃあ困ったな。連れてくるしかないか、旦那のほうを」

「いえ、そこの橋の下の河原に指輪が落ちてるんでそれを拾ってきてもらえれば」

 指輪は結婚したときに夫から貰ったものだった。以来、死ぬまでずっとつけていたので指輪に取り憑いたのだろう。

 しかしえらくとんとん拍子に話が進む。

「こんなになにもかもわかっているなら呪いなんてかけてないでその人たちに頼めばよかったじゃないですか」

 もっともなことをアリスが言う。しかし女はアハハ、と笑って、

「それとこれとは話が違いますよ」

「わか、る」

 セシリーはまた頷いている。

「んで、この指輪をどこのどいつに渡せばいいんだ?」

「宿屋の主人が私の夫なんです」

「は?」

「だからですね」

「いや、わかってるからいい」

 ちゃんと聞こえているからこその「は?」だ。

 なぜなら宿屋の親父はしきりに幽霊を退治させたがっていた。

「あ~、それはたぶん私があの人のことを怨んで化けてでたと勘違いしてるんですよ」

「怨み?」

「殺されたくらいで私が怨むわけないのに、あの人ったら」

「今なんて?」

「ああ。私ですね、夫に殺されたんですよ」

 衝撃の発現をあっけらかんと言った。

「や、やっぱり悪霊じゃないですか。自分を殺した旦那さんを呪い殺す気ですよ」

「なんで私があの人を呪わなけきゃいけないんですか?」

 まったく理由が見当たらないという顔をしている。

「だって殺されたことを怨んで」

「だから怨んでなんかないんですってば」

 女は陶酔した表情に変わる。

「私はあの人を愛しているんです。あの人にならなにをされたってかまいません」

「なにをって。だって殺されたんですよ?」

「かまわないわ」

「かまわないって」

「あなたは誰かを愛したことがないからわからないんでしょうね」

「……勇者さん」

 アリスは当惑しきって勇者を振り返る。

 他には聞こえないよう勇者はアリスにささやく。

「ありゃあセシリータイプだ。なにいっても無駄」

「そんなセシリーさんに失礼じゃ」

「あれみろ」

 と勇者が指差すのはすっかり意気投合し歓談するセシリーと幽霊のふたりだ。

 そんなふたりの姿を見て、

「わけもなくため息がでるぜ」

 

 

* * *

 

 勇者たちが指輪を届けた時の宿屋の親父の顔といったらもう形容のできるものではなかった。

 ただ宿屋の親父には幽霊になった妻の姿は見えないらしく、ただただ指輪に怯え、持ってきた勇者たちに怯えるだけだった。

「いいのか?」

 勇者は宿屋の親父の肩の上のあたりを見据えて訊いた。

 女は宿屋につくなり夫の首に抱きついて幸せそうにしている。

 それが答えだった。

 勇者があらぬ方に向かって喋りかけているので宿屋の親父は怯えきって、

「まさか、いるのか? いるのかっ」

「さあな」

「そんなあ、退治してくれるって」

 そんな宿屋の親父を無視して、

「じゃあ、幸せにな」

 女は手を振って勇者たちを見送った。

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