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第1話「この勇者、屑につき」

 西の大国ハンガス落城の知らせは一夜にしてロマネシア大陸を駆け巡った。

 ハンガスよりさらに西方に居を構える魔王軍の急襲であった。

 各国は兵をおこしてハンガスの奪還を試みたがそれは叶わず、逆に返り討ちにあったことで各国は弱体、むしろ魔王軍がますます領土を広げることとなった。

 忌まわしき日から6年が経った今もなお人間と魔王軍の戦いは続いている。


 さて、この物語はハンガスから最も遠い東の大国ナノクニから始まる。

 その男の本当の名前はわからない。しかし皆がこう呼ぶ。

「勇者」

 と。

 まだなにも成し遂げず、これからなにかを成し遂げるかも定かではない。

 それでも男は勇者なのだ。

 なぜなら勇者ナの56号として魔王討伐を命じられたらからである。

 これは一人の男の英雄譚だ。とは言い切れないが、おそらくそうなるだろうと期待をこめて。


          ――勇者付記録官の日記より 雨が降っている。目に見えるほど大粒の雨が飽くことなく降り続いている。

 ここはロマネシア大陸、東の大国ナノクニの城下町。とある宿屋の前にひと組の男女がみうけられる。

 この大雨の中、宿屋の中にも入らず、その軒先で雨をしのいでいた。

「やみそうもないな」

 男は空を見上げて言った。

 女はうつむいたまま応えない。

 男はもう一度、

「やみそうもないな」と言ったけれど女はまた応えない。

 そんな女の様子を気にした風もなく男はまた空を見上げた。

 しばらくして女が、

「なにか言うことがあるんじゃないですか?」

 けれど男には思い当たる節がないらしくきょとんとしている。

「俺が? お前に? なんだろうな」

 う~ん、とうなって考えたあと、

「愛してるぜ、とか?」

「ふざけないでください!」

「ふざけたつもりはないんだが」

「誰のせいで宿から追い出されたと思ってるんですか!?」

 女はたまりかねたように声を張り上げた。

 そう、このふたり宿屋に入らないのではなく、今しがた追い出されたばかりなのだ。

「もしかして怒ってるのか? アリス」

「わからないんですかっ」と女はまた怒鳴る。

 ちょうど名前が呼ばれたので彼らの紹介をしておこう。

 女の名はアリス。ナノクニ生まれの19歳。 男のほうはというと本名、年齢、出自すべてが不詳。わかっていることといえばひと月前に勇者に任じられ、「ナの56号」という二つ名を与えられたということだけ。

 ゆえに男のことは勇者と呼びたい。

 さて勇者とアリス、この大雨の中ほっぽりだされるということは相当なことをしでかしたのだろう。

「宿代は払わない」

「それが勇者の特権だろう」

 アリスの言に異を唱える勇者。確かに勇者には公共機関およびぼぼすべての宿泊施設を無料で使用できるという特権がある。

 しかし、

「それは魔王討伐のために最善の努力を尽くすという前提条件があってのことです。勇者様がこのひと月で何匹の魔物を倒したっていうんですか?」 勇者は指折り数える素振りを見せたが、その必要はない。

 何故か。折れる指がないからだ。そう、

「0ですよ、0! 1匹だって倒しちゃいないんです。それなのに特権だけ利用して」

 それだけではない。

「宿代は払わないのにそのくせ飲み食いだけは人一倍ですし、他の客を口説いてまわり、挙げ句の果てに宿屋の奥さんと……奥さんと」

 アリスが口ごもるのをみて勇者はにやついている。

「奥さんとなんだよ?」

「言わせないでください!」

「言っとくけど誘ってきたのはむこうだぞ」

「関係ありませんよ、そんなの」 勇者の言うとおり言い寄られたの事実だがそれで手をだせばいくら寛容な宿屋の主人だろうと怒るのは無理もない。まして、

「自分の女ひとり満足させられないくせに人にあたるのか。とんだ甲斐性なしだな」などと開き直られればなおのこと。

 いやはや流血沙汰にならなかったのが不思議なくらいだと言えよう。

 アリスは吐き捨てるように、

「なんであなたなんが勇者に選ばれたのかわかりませんよ、私には」

 この1ヶ月で感じた心からの想いであった。 この1件だけならばアリスもここまでは言うまい。

 けれど今回に限ったことじゃあないのだ。

 この男が勇者に任じられてからひと月。してきたことといえば飲む、打つ、買う。これだけである。

 勇者として為すべき魔王軍との戦いなどまるで自分には関係ないかのような顔をして遊びほうけていたのだ。

 これではアリスに

「屑ですよ、屑」

 と思われるのも仕方ない。

 もっとも友人を相手に漏らしたのであって、勇者に直接いったわけではないのだが。

 しかし勇者はけろりと言ってのける。

「勇者だなんだと言われてもしょせん人間だぜ。しかもまだ勇者じゃあない。これから勇者になるかもしれないって奴だ。ましてその勇者候補として選ばれた人間の56番目に聖人君子が望めると思うか?」

 などと他人ごとのようにのたまうのだからアリスはあきれて物も言えない。

 ナの56号。その二つ名の意味するところは、つまりナノクニで56人目に選ばれた勇者ということになる。

 ナノクニとしては魔王討伐を期待して送り出すわけで、当然その人選は魔王を倒すことができるかを基準に行われる。

 言うまでもなく魔王は強い。並の人間が100や200いたところで話にならない。

 ゆえにナの1号や2号は傑物であったし、その後に選ばれた者達も非凡な人間だった。

 しかしそんな豪傑、超人が数十人もいたのなら今ごろ戦いは終結しているわけで、勇者の言うとおり質がさがるというのもわかる。


 だからといって勇者の行いが許されるわけではないが、勇者には勇者の言い分があるようだ。

「だいたいどうして俺がそこらの女を口説いたり、商売女を買ったり、人妻に誘われるままになってると思う?」

 疑問を投げかけたが答えを欲しているわけではないらしく勇者はそのまま話を続けた。

「アリス、お前が勇者付記録官の仕事をまっとうしないからじゃあないか」

「私のどこに問題があるっていうんですかっ」

「じゃあお前は仕事をちゃんとこなしてるっていえるのかよ」

「当然です。だいたい勇者様にそんなことをとやかく言われる筋合いはありませんよ」

 それはまったくその通りだ。しかし勇者はまったく意に介さない。

「ほう。だったら勇者付記録官の仕事がどんなものか言って見ろよ」

「そんなこと簡単です。勇者の冒険に随伴し、その全てを書き記すこと。また勇者が魔王を討伐するためにあらゆる協力をすること、です」

「そう。『あらゆる』協力をするんだよなあ。だっていうのにお前はどうだ?」

 言いつつ勇者はアリスの体を上から下までなめるように見ている。アリスは顔を赤らめて、隠すように腕を体に巻きつけた。

「なにが言いたいんです」

 この時点で勇者がなにを言いたいのか彼女には予想がついていた。ついてはいたがそれを自分から言い出せるアリスではない。

 勇者はもう一度アリスの体を眺め唐突に失礼極まりないことを言いだした。

「貧相だよなあ」

 確かにアリスの体型は同年代の平均のそれに達してはいない。

「だけどそんなことを気にする俺じゃあない。だのにお前は『あらゆる』協力を拒む」

 あらゆるとは全て。勇者の望むこと、求めることに1から10まで応える義務とまではいかないが努力は必要である。

 ほとんどなんでも完璧にこなすアリスだったが睦言に関してだけは潔癖だった。

「お付きの記録官がこれじゃあ長い旅なんてできるわけがないよなあ」

 勇者の言うとおりそこはアリスの欠点と言えよう。

 しかしだからといってそれが1ヶ月のあいだ旅立たず酒色にふける理由にはならない。

 ならないが、はいそうですか、と流せる問題でもなかった。

 なにせアリスは真面目だし勇者付記録官という仕事に誇りを持っている。

 付いた勇者は最悪だったけれど仕事をまっとうする気概はあるのだ。

 アリスはしばらくのあいだ押し黙っていた。

 やがて顔をあげ、なんともいえない複雑な表情をしたのち真剣な眼差しで勇者を見つめる。

「わかりました。私も覚悟を決めます」

 じゃあ、と勇者の手が伸びてくるのを平手で払い落とし、

「ただし私が記録官としての仕事をまっとうするんですから勇者様も勇者としての役目をまっとうしてください。それができれば私は喜んで勇者様のものになりましょう」 勇者が旅立ちを決意するにはじゅうぶんな理由であった。

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