第二話 噛ませ犬
あの日シルバースターでハンバーガーを食った後、俺達はその場で解散した。集まったからといって特に話す事はなく、会おうと思えばいつでも会える連中だ。春樹のお世話をする必要がなくなった以上、長居は無用だった。
次の日の朝、俺は珍しく朝早くに目が覚めて、トーストとコーヒーという簡単な朝食を摂った後、ずっとテレビ画面の前に座ってゲームをしていた。メタルギアソリッド3、3Dカメラ採用の新しいやつ。
間違えて首を掻き切ってしまった敵の死体をどこへ隠そうかと考えていた時、携帯電話にメールが来た。優一からだ。
「優二が春樹のお付きで何処かへ出かけている」
妙だな、優二は奴とそう仲がいい訳じゃ……待てよ、そういえばあの女がああだとかこうだとか言ってたな。ゲームをポーズ画面にして、返信する。
「目的地は?」
一分もせずに返信が来た。
「シャインポート。俺は今シルバースターで待機中だ」
「了解。俺が行くまで探ってろ」
そう返信し、ゲームを打ち切ってセーブした。シャインポートは小さなショッピングモールもどきで、だがこの田舎では最も若者が集まる店になっている。心配はいらないと思うが、何か嫌な予感がする。
俺は大急ぎで着替え、冷蔵庫から麦茶のペットボトルをひとつ取り出し、すぐさま飛び出した。ヘルメットをかぶってカブに跨り、ペットボトルをインナーラックに突っ込んで、エンジンをかけてすぐに出発した。
シルバースターの駐車場に入ると、黒いジェットヘルメットの優一が、リトルカブに跨ったままで待っていた。隣につけて、エンジンを止める。
「優一、優二と連絡は?」
優二は首を横に振った。
「まだ無い。出かけると電話があってから、一切」
「あいつ、あの茶髪の女とかいうやつにイカレてたのかもしれない。春樹と一緒に出かけたという事は……」
「何だ、どういう事だ。もったいぶるな」
「春樹もあの女を狙ってた。なら、優二が噛ませ犬にされるかもしれない。こんな所で話してる場合じゃないぞ!」
俺はキックスターターを蹴った。俺の読みは外れ、優二は行動した。せめて予想が外れていればいいんだが。
隣のリトルもすぐにエンジンがかかる。俺は優一に向かって言った。
「シャインポートだ!今すぐ行くぞ!」
目的地の駐輪場に入ると、見憶えのあるビーノが二台停まっていた。昨日のファミレスで見たやつだ。だが、優二のリトルカブは見当たらない。春樹のジョグもだ。
「店に入るぞ。アバズレ共を探して締め上げる。お前はここで見張ってろ」
「相手は女だぞ、いいのか……?」
優一は心配そうにこちらを見た。
「下らん。平和的に解決できなければひとつふたつ引っぱたく。それで駄目なら携帯を拝借する。優二の身に何かあったとすりゃ、奴らは然るべき所へ届け出る事も出来ん」
「そうは言うが……」
「頼むぞ。何かあったらすぐ電話しろ」
俺は優一を残して、ポロシャツの袖をめくりながら店に入って行った。
店は決して広くはないが、女が行きたがる所はたいてい決まっている。雑貨屋か、ゲームセンターか、フードコートでぐだぐだ話しているか。
先ずフードコートへ行った。中高生らしき集団や家族連れが数組居るが、見憶えのある顔は無い。何も注文せずに出て、次に近い雑貨屋へ入る。これも少人数の女子高生が見えたが、それでも目標は居ない。となればゲームセンターのコーナーか?
本当は行きたくなかったが、五月蠅いのを我慢して入った。ガラの悪い奴から家族連れからいろいろと居るが、なかなか探している人間は見つからない。奥の方まで全部見て一周探し、それでも見つからず、もう一周した時、それらしき横顔の二人組が見えた。
UFOキャッチャーで遊んでいる。春樹や優二の姿は、やはり無い。金髪や茶髪の姿もだ。
俺はまっすぐ歩いて近づいた。
「よう、昨日は楽しかったか?」
少し大声で二人に向かってそう声をかけると、こちらを向いて来た。やはり昨日の女二人だ。金髪の彼女がジジィと呟くのが聞こえたが、気にせずに聞いた。
「俺の友達と一緒じゃないのか?昨日デザート迷彩のシャツ来てた奴だよ。あと、春樹とだ」
そう言うと茶髪の彼女、黒髪の方は顔を凍りつかせた。と、金髪の彼女が(任せろ)とでも言うように黒髪に目くばせをした。
「ちょっとアンタ、何様のつもりな訳?あたしの男が何者か知ってる?あんたみたいな雑魚とは比べモノにならないんだから。ね?里香」
黒髪女は里香というらしい。
「でも由梨、この人あんまり怒らせると危ないって春樹って人が……」
由梨と呼ばれた女は目の色をかえて、俺に詰め寄って来た。
「んなとこ突っ立ってんじゃねぇよジジィ!やろうってのかよ?」
まったく、ジジィジジィとうるさい女だ。
「その汚い顔をそれ以上近付けるな」
優一に言われた事をすっかり忘れて、言ってしまった。由梨が目をひん剥いている。まずかったかもしれない。仕方ない、やるか。
「あんだとォ!?」
由梨が噛みつかんばかりの勢いでまた一歩詰め寄り、俺の襟を掴んだ。こいつは日本語も理解出来んのか。
「その、汚い、顔を、それ、異常、近付けるんじゃ、ない。何度も言わせるな」
次の瞬間、由梨の足が俺の太ももの外側を蹴りつけてきた。右手を上げ、今度は殴って来ようとしている。その手が飛んで来る前に俺は相手の懐に突っ込み、左の拳を腹部に叩き込んだ。固くない、ゆるい手ごたえ。
間もなく由梨は呻きながらひざまずき、胃の中のものを床にぶちまけた。騒ぎになるかと心配したが、皆ゲームに必死で気付かない。一分の親子連れは、とっとと子供を連れてゲームセンターの外に退避していった。
里香は口をふさいで、顔を脂汗だらけにして苦しむ由梨を見つめている。俺は彼女の目を睨みつけた。
「お前は質問に答えてくれそうだな?」
彼女は震えながら口を開いた。
「あ、あの春樹っていう人と優二っていう人に誘われて、断ろうとしたけど彼氏と由梨の彼氏が良いって言うから……それでここへ来て遊んでたんですけど……」
「突然優二が春樹とクソ野郎二人に連れて行かれたってとこか。どこへ行くかは聞いてないか?」
「テメェ……」
視界の隅で由梨がポケットに手を入れ、何か取り出した。すかさずその腕を踏みつける。
「やめろ!放せ!やめろ!やめろ!」
喚くのを聞かず、その手に握られていたものをもぎ取った。電気シェーバーのような形に、電極が二つ飛び出している。スタンガンというやつか?こんなものを持ってるとは、油断していた。
「里香!話すな!話すんじゃねぇ!」
由梨が俺の足を殴りつけながら叫んでいる。俺は一度手を離して、脇腹を蹴りつけた。ひるんだところに、すかさずスタンガンを当てる。バチバチという音と同時に、服越しに使ったため、繊維がこげる匂いがした。
「ギャアアア!ギャアア!ギャアアアア!」
だんだん喉が枯れて、男のような声になっている。どうだ、里香さんよ。しっかり見てるか?
「や、やめて!やめてあげて!」
里香がそう言ったので、スタンガンを離した。
「言って貰おうか、俺の友人の居場所を」
「彼氏が言ってたんです、あそこは……」
「里香ァ!」
由梨が怒鳴り、里香はその口を閉じた。俺は由梨の体にスタンガンを当てようとした。
「待って!ブラックキャット!ブラックキャットの裏って言ってました!」
「それはまずいな。あそこは人通りが少ない。お前のクソッ垂れ野郎とそのクソ不愉快な仲間達のたまり場になってるんだろうな?」
そうなるとまずい事になる。人どおりのあるところなら助けてくれと叫べば何とかなるだろうが、ホテル・ブラックキャットの裏はまずい。早速でも行かなければ優二が危ない。いや、もう手遅れかもしれないが……。
「アタシの……彼氏が……」
由梨はまだ何か言っている。俺はスタンガンを由梨の顔面に投げつけ、傍に転がったところを靴で踏みつけ、粉々にした。
「ひどい……」
そう言う里香の方を見て言う。
「お前らの彼氏が俺の友人に何かしていたとしても、俺は然るべき所へは届出さないと誓う。その代り、どうすれば分かるな?」
「でも、何もこんな事するのは……」
「こいつが先に仕掛けて来た。どちらが悪いかな?とにかく、お前は何も見なかった。こいつが突然ヒステリーか何かを起こして勝手にやった。いいな?」
「わ……分かりました」
里香はすぐに了解した。彼氏と比べると多少は利口なようだ。尤も、俺のはどう解釈しても過剰防衛だったろうが。
俺は踵を返して、出口の方へと向いた。ゲームセンターを抜けようかという所で、里香の声が聞こえた。
「人間のクズ……」
俺は「お前達もな」とだけ言い返して店を出た。
駐輪場に着くなり、優一がため息交じりに言った。
「何かやったろ。まだ鼻が顔面に喰らいついたまんまだぞ?」
「クソッたれの雌犬共め!向こうが先だった。何はともあれ場所が分かった。ブラックキャットの裏だ」
俺が鼻を撫でつけながらそう言うと、優一は頭を抱えて悪態をついた。
「畜生!よりにもよってあそことは……。早速行かなきゃ優二が危ないぞ」
「もう手遅れかもしれんが……とにかく行こう」
俺達はヘルメットを被り、それぞれの乗り物のエンジンをかけた。
シャインポートを出て細い路地をいくつか通り抜けると、すぐにブラックキャットに着いた。ここはラブホテルとか呼ばれるところで、俺達は全くもって縁が無い。ただ、一度だけ迷い込んだ事がある。すぐに撤退して来たが、お陰で場所が分かった。
建物の裏に音が聞こえないように少し手前で停まり、エンジンを止める。ヘルメットはシートの上に乗せるだけにし、ハンドルロックもかけずにカブから離れた。すぐに逃げ出せるようにだ。
優一も同じようにして俺の後に続いた。建物の隅まで自然に歩き、そこで壁に張り付いて向こう側の様子をうかがう。見憶えのあるRZ50、NS-1が停めてあるのが見えた。そして春樹のジョグ・ZR、優二のリトルカブもある。
「優一、ここで間違いない。携帯があるな?向こう側から写真を撮れ。シャッター音に向こうの気が向いたら、こっち側から奇襲する。武器が無いのが残念だが、相手はたぶん三人だけだ。大丈夫だ」
「分かった、早速始めよう」
優一はそう言って、早脚で建物の反対側まで走り、壁から離れずに角を曲がった。俺も足音をたてないように移動し、角の向こうに現場が見える所に陣取った。呻き声とどなり声が交互に聞こえて来ている。急ぎたいのを堪えて、状況の変化を待つ。
「分かってんだろうな?次に俺の女に手を出したら……」
「俺は……別に……」
「まだ歯向かいやがる!こいつ!」
「分かった……分かった……もうやめてくれ……」
「ああ!?くそっ、写真とられた!」
角の向こうが急に騒がしくなった。優一がシャッターを切ったんだろう。携帯電話は盗撮対策のためか、やたら大きなシャッター音が鳴るようになっている。悪くない陽動だ。
俺は角から飛び出した。
「お前昨日の……」
鳩が豆鉄砲で撃たれたような顔をした茶髪の顔面に右の掌を叩きつけ、直後に首と肩を掴んでみぞおちを蹴り上げた。「うっ」と呻く間にもう一度同じように蹴り、後頭部や首を避けて、肩の内側を肘で打ち降ろし、地面に伏せさせた。
目線を上げると、優一が金髪の方をのしてしまっていた。手前には、やはり優一が壁にもたれかかってこちらを見ている。服は破られ、浅い切り傷や擦り傷、痣が出来ている。酷くやられたもんだ。
と、俺の横を通り過ぎて春樹がジョグの方に逃げようとした。俺は春樹の服を掴んで、力強く引っ張って壁に叩きつけた。腹部に一発叩き込んだ後、呻いているのに構わず尋ねる。
「春樹、どういうつもりだ。え?答えてもらおうか」
「……」
春樹は答えない。俺は春樹の襟首を掴み、壁に叩きつけた。
「答えるのか!このクソ野郎共といっしょに犬のエサになるのか!どっちがいいんだ!ああ!」
「分かった、分かったよ答えるよ!」
春樹がそう言ったので、俺は力を緩めた。
「優二が里香に気があるって、どうにかならないかって相談を受けたんだ。俺は里香の彼氏に伝えて、そしたらぶちのめそうって……終わったら俺に里香を譲ってくれるって言われて俺は……」
「このゲス野郎!クソったれな程頭が来るぜ!来い!犬のエサにしてやる!」
俺は春樹の顔面を、一度、二度、三度と殴り付け、壁に叩きつけて、地面に倒れさせた。
「俺達が帰るまでそこを動くな。動いたら手の指を折ってやる。全部な!」
それだけ言って、優二の方に歩み寄る。もう既に優一が駆け寄って来て、傷の具合を見ていた。
「病院へ行くほどじゃない。心配するな」
優一はそう優二に語りかけている。
優二は項垂れて、目をつぶったまま黙っていた。
「さぁ、帰ろう。ここは俺達の場所じゃない」
俺がそう言うと、優二はやっと「ああ」と一言だけ言って立ち上がった。優一が肩を貸そうとしたが、優二は必要無いといって、自分の足で歩きだした。リトルカブにやっと跨ってヘルメットを被り、一言。
「あ……財布とキー」
そう言って茶髪を見る。俺達も茶髪を睨みつけた。
「か、金は里香と由梨に渡したんだ……あいつらから……」
「誰が口をきけと言った。黙って出せ」
茶髪はポケットから優二の財布とカブのキー、あと自分の財布から三千円ほど出した。優一が拾い上げ、優二に渡した。優二は受け取ると早速キックスターターを蹴り、エンジンをかけた。俺と優一も顔を見合せて、カブを止めた場所に向いて歩きだした。
「定志!」
自分を呼ぶ声に振り向くと、壁にもたれかかって立ち上がった春樹がこちらを見ている。もう立ってるのか。まぁ、骨が折れるほど強くは殴っていないが。
「お前は人間のクズだ!」
こいつも同じことを言う。自分の事を棚に上げて。優一が何か言おうとしたが、目くばせで制した。俺達は聞かなかったふりをして、また歩き出した。
その後二人には俺の家で待っているように言って、俺は単身シルバースターに向かった。機嫌の良い店主が伝票を持ってカウンターに立っていた。俺はその前に立って、ひとつ溜息を吐いた。
「ああ、久しぶりのあれね。今度はどうしたの?」
「まだ何も言ってないんだけどなぁ……」
店主は俺の用がすぐに分かったらしい。まだ鼻が顔面に食らいついてるのか?
「春樹の先輩とかいう奴で、RZ50に乗ってるあんちゃんと、その取り巻きが居る。で、とある事情でその女もろとも締め上げたんだが……同じ刺青と、ネックレスを着けていた。龍だの虎だのといういつものアレじゃない。頭が二つある犬だ。不気味だよ」
店主は少しの間「うーん」と悩んだ。
「頭三つじゃないのか?」
「違う、ケルベロスじゃない」
「そうか、なら……」
店主はそう言って、一枚写真を出してきた。
「この写真に見覚えは?」
写っているのは双頭の犬、確かこれは……
「去年、米国の原子力潜水艦が日本近海で放射能漏れを起こしたという噂が立ってた。あの後、近隣で奇形のある生き物が生まれた。その時の写真じゃないか?」
「そうだ。よく覚えてたな。ただ問題は、このワン公が珍しく健康に育ち、これまたこいつを崇拝する連中が出て来たって事だよ」
「ただのインチキ宗教か。なら問題無いな」
「いや、それは違う」
店主は目の色を変えた。
「何かの後ろ盾があるのかもしれんが、奴らは武器を持っている。下っ端にはスタンガンやナイフ程度だが、本拠地を守っている連中は短機関銃や手榴弾まで装備している。暴力団からの流れかな?」
「そいつらが遥々ここまでやって来るかな」
「遥々だと?奴らの本拠地はブラックキャットの地下室だ」
「ウソだろ……」
何てこった、俺達は狂人共のすぐ頭の上で大立ち回りをやっていた訳か。俺達がやったのは末端だろうが、奴らは俺の顔を知っている。こんな事になるとは思わなかった。
「もし向こうがやってくれば、この店も危ないからね。どうだろう、また“小遣い稼ぎ”をやってもらえないかな?」
店主はそう言って、契約書を差し出してきた。一通り目を通す。
「いつも通り、装備の費用もそちら持ちだな。だが、二人分でいい。今夜の行動なら優二はちょっと動けないだろう」
「分かった、じゃあ午後七時に二人でここに来てくれ」
店主はそう言って奥に入って行った。俺は扉をくぐって外に出た。時刻は二時。最も暑い時間帯に面倒な話を聞いちまったもんだ。
家に帰って居間に入ると、優二はソファーの上でぐったりしており、優一はその隣でせわしなく携帯電話を操作していた。俺はヘルメットを机に置いて、キッチンの冷蔵庫に麦茶を取りに行った。その音で優一は俺が返ってきた事に気が付いたようだった。
「定志、帰って来てたのか。今日の連中だが、どうやら暴力団の絡みではないようだが……」
「あるいは暴力団の末端かな?」
俺は今日店主から聞いた事を話した。優一は一通り聞いて、はぁ、とため息を漏らした。
「二人だけで宗教結社の撲滅ってわけか?無謀だ」
「いや、俺達が潰す訳じゃない。俺達は連中の、いうところのご神体を叩き潰す事になるだろう。禁酒法時代のマフィアみたいな武装をした連中を相手に、まともにやり合ったらこっちが危ない。まぁ、詳しくはシルバースターへ行ってからだ」
「悪い……俺のせいで……」
優二がぐったりしたまま言った。怪我の割に元気が無いのは、春樹や里香に裏切られたショックからか。いずれにせよ、仕事をやらせるには危険だ。
「気にするな。心配いらないからここで待ってろよ」
優一はそう言って、優二の肩を叩いた。
さて、久し振りの小遣い稼ぎだ。腕が鈍っていなければいいが。