美容師さん
作品の中で、彼、彼女と登場人物の名前は一切出てきません。
「やっと見つけた。十件も回ったんだから」
「あんた、しぶといね」
「自慢じゃないけど、探し物は意地でも見つけるタイプよ」
彼女は『さぁ髪をお願い』と、興奮した状態で彼にお願いする。彼は『俺、物じゃないけど』独り言を言うが、勿論彼女には聞こえない。
彼女と彼の関係は、只の客と店員。
しかも彼が美容師として働き、初めてカットしたのが彼女だ。彼女は彼を気に入り、週に二回シャンプーや、ちょっとしたカットをしに通っていた。彼は色々な経験、技術を学ぶ為、色んな小さい店の美容院を転々としてきた。その方が、カットさせてもらうのも早いからである。その度に、彼女は彼を探す。
「私は諦めない」
「返事はしたつもりですが?」
今は仕事中で、お客だ。彼は彼女に敬語で話す。彼女は彼のカットだけ、気に入っているわけでは無く、好意も寄せている。今迄に何回も告白してきたが、彼女はその度、彼に振られている。理由は簡単、彼女は客だ。客に手を出すなど、御法度なので断り続けている。
「お客と恋愛しちゃ駄目じゃ無いはず」
「規律が乱れます。それに、大抵は何処の店も御法度です」
「恋愛に他人が口出す事じゃないわ」
彼女は堂々と言い張る。人の話を聞いていない彼女に、少しだけ?いや、かなり疲れる彼であった。彼女は、しつこい程彼を追いかけて告白して来るが。仕事中は邪魔しない様、直ぐに帰る。彼も、あちこち転々としてきて技術を学び、今の店を店長として任されている。なので、彼女の行動には驚かされる部分も多いが、分をわきまえているので助かる。
営業時間が終わり、下の子達と明日の予定を話す。下っ端のカットも出来ない子達には、練習をさせて指導していく。毎日が、同じ事の繰り返しで彼の帰る時間帯は、いつも深夜だ。彼女は相変わらず、週二回やって来て直ぐに帰る。最近では、深夜帰りだったので気付かなかったが、毎日仕事帰りに待っていた彼女がいない事を思い出す。週二回は来ているので気にしなかったが、毎日の様に待っていた彼女が、いない事に少し淋しさを覚えた。
(いい加減、諦めたのかもな)
これで良かったんだ、そう無理やり思う事にした。本当は彼も、彼女の事を好きだった。いや、だったでは無く、現在進行形で好きだ。だが、自分は店長で他の従業員の鏡として、いなければいけない。上の者が規律を乱しては、下の者に示しがつかない。
「店長、何だか客入り減っていません?」
「そうだな。今は売り上げに影響はしていないが、少し考えないと」
最近、客の減りが目立ってきた。好みが有るから仕方がないのだが、それにしても常連客も来なくなってきたのは可笑しい。
「売り込みしてきて。効果は微妙だけど、しないよりマシだから」
「えー、こんな暑い日に売り込みですか」
「文句言わない。客入りが減れば、君達の給料が出ないだけだよ」
たまに売り込みする為の、チラシを裏の控室から持ってくると、下の子達にポスティングさせる。駅前などで配れば良いが、受け取ってもらえない方が多いので、ポストの方が楽だ。しかし、新しく来る客はいるが直ぐに来なくなる。だが、思いもしない所から原因が発覚する。
「ねぇ、お店の方大丈夫?」
「何の事でしょうか?」
「隠さなくてもいいのよ。客が取られているのでしょ」
週二回のシャンプーで、彼女はやってきた。常連客など減っては来たが、ちゃんと来てくれる常連客もいるので、彼女が知るはずもない。そんな彼女から聞かされる言葉。
「従業員の子で、他のお店紹介しているのよ」
「・・・」
「私は貴方が好きだから、誘われたけど断った」
彼は手を動かしつつ、顔もにこやかに笑顔。でも、内心物凄く怒っていた。彼女がいう、従業員は最近辞めたがっていた子だ。様子が可笑しかったが、はっきりわかった。常連客を誘って断られたから、バレる前に逃げようとしたのだろう。今日は、休みになっているが後で呼び出しをする。しかし、用事でどうしても会えないと言ってきた。彼女が、紹介の為に名刺を貰っていたのを渡してきたので、其処の店に行ってみる。案の定、裏切者は其処にいた。どうやら、痴話喧嘩をしているようだ。
「もう、店長にバレてる。俺はクビだ!約束通り、此処で働かせてくれるんだろ?」
「何いってるの?客なんて結局来なくなったじゃない」
「そんなの、俺のせいじゃないだろ!紹介したんだ責任取れよ」
「あの店が客入りが多いから、流れる様にしたのに意味ないじゃん」
どうやら女は同業者でもあり、男がこの店で働かせてもらう為、客を紹介していたらしい。
「話が違うだろ!お前が、紹介したら此処で店長任してくれるって」
「はぁ?ちょっと、優しくしただけで図々しいのよ」
「彼女だろ。彼氏に酷い言い方良くできるな!」
「彼氏面しないでよ。あんたみたいな奴、下っ端で一生終わるわよ」
彼女と思っていたのは男の方で、女は男を利用しただけのようだ。話を聞いていると、客を装って近づき、男に客を引き抜くよう言われたようだ。一向に目が出ない自分に、店長としてのポジションを与えると言われ、誘惑に負けたのだろう。だから、あれほど客や同業者とは恋愛するなと言っていたのに、こうも簡単に引っ掛かる馬鹿がいるとは。同業者も、裏切られる場合があるから、彼は独断で同業者とは付き合うなと助言していた。見事に、客に手を出して更に同業者だった事に呆れる。
「あのさぁ、お取込み中悪いけど。客なんて簡単に取れる訳ないだろ」
「店長、なんで此処が」
「名刺」
気怠そうに二人の前に出て、貰った名刺を二人に投げる。投げるといっても、ひらひら飛んで行っただけ。男は、顔面蒼白。女は、面倒な顔している。
「客はな物珍しさに他の店に行くが、カットが下手なら一生来ねぇよ」
「私や、うちの店長が下手だっていうの!?」
「そうじゃねーの」
実際、客が来ないのなら技術が無く、相性の問題でもある。さっさと、男を連れて店に戻る。
「皆さん、すみませんでした」
男は店で待っていた他の従業員に、土下座をする。元々辞めたがっていたが、こんな事を起こした以上、一言謝ってからじゃないと駄目だ。流石に土下座をしろと言った覚えはないが、本人がしたいのなら勝手にさせる。
「騙されたとはいえ、客に手を出した結果がこうなる。皆も気を付けるように」
「はい」
「じゃあ、これでお終いだ。皆で飯でも行くか」
「やったー。もう、お腹空いて死にそうでした」
「大袈裟だな。おい、お前も行くんだよ一人帰んな」
裏切った男は、帰ろうとしたが彼に引き止められる。どうして?と、顔に出ているのでぷっと、噴出してしまった。
「お前、この世の終わりみたいな顔してるな」
「だって俺、最低な事」
メソメソ泣き出す男に、彼は溜息が出る。
「男のくせに女々しく泣くな。辞める羽目になったのは自分の責任だ、しかし飯は違うだろ?」
「だって、俺は・・・」
「飯を一緒に食っちゃいけない法律はない」
いつまでも、メソメソ泣く男の頭をグーで殴り、皆で一緒にご飯を食べた。次の日、男は一身上の都合と言う理由で、店を辞めた。そして珍しく彼女が連続で現れる。きっと、例の件が気になって来たんだろう。
「珍しいですね連続のうえに、これで週三回目ですよ」
「茶化さないで。で、どうなったの?」
「お客様に聞かせる程でもありませんよ」
あくまで、客と店員。従業員の不祥事とまではいかないが、客に知らせるなどしてはならない。事情は知っているとはいえ、彼女から知らされたとはいえ、言ってはならない。
「いつも、そうなんだから」
「褒めて頂きありがとうございます」
「褒めていないわ」
この日は、軽く前髪だけをカットして帰った彼女。気になっていても、終われば直ぐに帰る彼女に感心する。忙しくて、最近ちゃんと見ていなかったが、彼女は綺麗になった。元から綺麗だが、さり気無く自分好みと、彼女に似合うカットにしてきた。だから余計に、綺麗に見える。彼は、彼女の後姿をいつもより、長く見つめ仕事に戻った。
(そろそろ、限界かな)
□□□一ヶ月後□□□
「皆に知らせたい事がある」
客も戻ってきて、いつもの様に忙しい日々。彼は店の子達に話があると、店が終わった後切り出す。
「実は一ヶ月後、この店を辞める事にした」
「辞めるって何でですか?」
「もしかして例の件で店長も責任をとか・・」
「違う。俺が辞めるのは、前々から考えていた事だ」
きっと大きな店で働けば賞を取ったり、まだまだやる事はあるだろう。しかし今年で、三十路を突入する。自分の中では、やり尽くした。小さな雇われ店長は、裏に回される方が多い。裏に回って、楽しくない経理の仕事をするぐらいなら、いっその事辞めてしまおうと思う。それに店長ともなれば、意味のないブランドの鋏を、安くて数十万を買わされる。そんなのも嫌になってきていた。元々、違う仕事をしたかったのもあるので、丁度いい機会。それに、そろそろ彼女との関係も限界だ。
「一ヵ月間は店長として宜しくな」
「店長今までありがとうございました」
「おいおい。その言葉は、まだ早い」
辛気臭い雰囲気を掻き消し、その日は終わる。そして一ヶ月後、美容師を辞める日がやってきた。一ヶ月の間に、店の従業員を徹底的に指導していき、まだまだ半人前だが皆、成長してくれた。送別会をやろうと言われたが、最後の辛気臭い雰囲気が苦手で断る。その間、彼女とは普通に接し、彼は辞める事を黙っていた。
彼は彼女を呼び出す。前もって最後に店に来た日、彼女の家に近いカフェに来て欲しいと頼んだ。其処は、深夜まで営業している。店に着けば、彼女はすでにいた。
「呼び出して悪い」
「気にしないで。でも、貴方から呼び出すなんて初めてよね」
「単刀直入に言う。君が好きだ俺と付き合ってほしい」
ぐだぐだと、遠まわしに言うつもりは無い。席に座り彼女が飲み物を頼めば?と、メニュ表を渡してきた。それを受け取らずに、真っ直ぐ告白をする。
「急にどうしたの?今日は、エイプリルフールじゃないわよ」
「真面目だ。君も真面目に答えて欲しい」
「私は」
いつもの自信満々な態度が、嘘の様に大人しくなってしまった。彼女は小さく『私で良ければ』と、頬を薄っすら赤く染めて返事をする。本当は、いつも振られていたから気丈に振る舞った態度をしていただけで、彼女は大人しい女性だった。
「でも、お客との恋愛は御法度じゃ」
「あーそれは問題ない。仕事辞めた」
「えっ!何で、どうして?」
事情を話すが、彼女は信じなかった。自分のせいで、美容師を辞めたと勘違いしている。
「私やっぱり貴方と付き合うの止める」
「は?」
「貴方が私のせいで仕事辞めるなら、私は只の客でいい!」
そう叫べば、お店を出て行ってしまった彼女。一人残された彼は、店員に同情されてしまう。彼女がいない場所で、ずっと座っていても仕方ないので店を出る。女性店員に、励まされ彼女の家に向かった。顧客リストとして、彼女の住所は把握していた。
直ぐにチャイムを鳴らそうかと思った。明かりは付いていたから、帰ってきている筈。しかし、あんな状態で冷静に話せないだろうと、マンション前で待つ事にする。途中、不審者扱いで通報され、近所の交番から職務質問されたが何とか理解してもらう。時間が経ってから話そうとしたが、明かりが消えてしまった為、朝まで待つ羽目になる。何時出て来るか、分からない彼女を待ち。朝になって、人が通勤の為ちらほらマンションから、出てき始めた時。漸く彼女が現れた。
「な、なんで此処に?」
「あのさぁ、君のお陰で一晩過ごす事になったし不審者扱いだ」
「まさか、あれからずっと此処にいたの」
「そう。警察まで来て、大変だった」
少し大袈裟に話す。途端、彼女は申し訳ない顔をしたので、意地悪な心がくすぐる。
「まだ暑いとはいえ、夜は肌寒かったな。風邪引いたかな・・・」
「風邪?本当に・・・どうしよう」
「その格好って仕事用じゃないよな?責任とって、部屋で看病して」
顔を傾け笑顔で、普段とは違う甘えた感じで彼女に言う。丁度、近くのコンビニまで行く予定だったようで自分のせいで、風邪を引いた事に罪悪感を覚え家に上げた。当初の目的である、コンビニで栄養ドリンクや直ぐ食べれる様、レトルトのお粥を買おうと外に出ようとした。しかし、彼によって外には出れないし、身動きも出来ない。
「離して。病人は、大人しく寝て・・」
「黙って」
彼女が暴れるので、強めに後ろから抱き締めて自由を奪った。抵抗出来ない彼女は大人しく、黙って彼の話を聞いた。美容師として自分の中でやり尽くした事、他に本当はしたかった仕事がある事。区切りのいい時期だったのもあり、仕事を辞めて彼女に告白した事。
「それに、君との関係が限界だった」
「・・・」
「他に好きな奴が出来て他の男に触れられると思ったら無性に腹が立った」
「私は他の男に目移りなんてしない」
「まだ、遅くないならもう一度返事して」
後ろから抱き締めたまま返事を問う。彼女はまだ少し、自分のせいでは無いか?迷っていた。一向に返事をしない彼女に、彼は意地悪を言う。
「分かった。君が其処まで言うなら仕方ない」
「え・・・」
「告白は無かった事にして欲しい。お互い違う異性を好きになろう」
彼女から離れ、彼は家から出て行く。バタンとドアの音だけが、寂しく響いた。彼女は今迄振られてきたが、今回二度と彼に会えないと思ったら、部屋の中で幼い子供の様に泣いた。彼は仕事を辞めて、美容師としてではない人生を歩き出す。そして、自分ではない誰か別の女性を選ぶのだ。いずれ結婚をして子供が出来、幸せな家庭を築くと思うと未だ見ぬ相手の女性に嫉妬。自分が彼とは違う男性と、家庭を築くのも想像が出来ない。
散々泣いて、お腹が空いてしまった。自棄食いでもしようと、酷い顔だったが外に出る。ドアを開け、鍵を閉めようとした時。
「遅い」
「どうして、いるの」
「そっちから求めてくれないと意味ないだろ」
『我慢できないから待ってたけど』と、彼は言う。彼女は散々泣いたにも関わらず、再び涙が溢れて来る。涙で顔が笑えるほど、酷いのに彼は笑う事もなく、優しく抱き締めて頭を撫でてくれた。
「き、嫌われ・・た、かと」
「そんなわけないだろ・・・どれだけ俺が我慢して」
嗚咽で上手く話せない彼女。彼は自分がどれだけ我慢してきたか、簡単には諦めないと話してくれる。
「美容師として、いて欲しいなら美容師をやめない」
「でも、恋愛は・・・」
「君だけの専属美容師なら問題ない。独占し放題だろ?」
『だから、ご褒美頂戴』と、キスを彼女に強請り暫くは二人だけの甘い時間が流れた。
前回、実話を少しだけ交えて書いた一ヵ月記念?投稿。折角なら二ヵ月記念?も書こうじゃないかと、書いてみました。記念と言う名の只の、短編ですが。次回、三ヶ月記念?はあるのだろうか・・・