表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

おかえりの改札

作者: 北大路京介
掲載日:2026/05/05

 その駅は、時刻表どおりにしか時間が流れないような場所だった。

 朝も昼も夕方も、同じ音でベルが鳴り、同じ角度で電車が滑り込む。


 改札に立つ男は、その正確さの一部みたいに、長いあいだそこにいた。

 口数は少なく、必要なことしか言わない。けれど、通り過ぎる人の歩き方や、切符を差し出す手の震えまで、見ていないようで見ていた。


 その日も、同じ時間に彼女は来た。


 改札の手前で、ほんの少しだけ立ち止まる。

 切符を出すまでに、わずかな間がある。


「どうぞ」


 男は、いつもと同じ声で言う。

 急かすでもなく、促すでもなく、ただそこに道があることを知らせるように。


 彼女は軽くうなずき、切符を差し出した。

 受け取った男は、目も合わせずに刻印を押し、静かに返す。


 それだけのやりとりが、何日も続いていた。


 


 ある日、彼女は改札を通らずに引き返した。

 男は何も言わない。ただ、去っていく背中を一度だけ見送った。


 翌日も、その次の日も、彼女は来た。

 来ては立ち止まり、通る日もあれば、通らない日もある。


「この駅、変わってませんね」


 ふいに彼女が言った。

 男は顔を上げずに答える。


「変わらないのが仕事だからね」


「……そうですよね」


 それきり、また静かなやりとりに戻る。


 


 雨の日だった。

 ホームに落ちる水音が、少しだけ駅をやわらかくする。


 彼女は傘を畳み、改札の前で足を止めた。

 いつもより長い沈黙のあと、ぽつりと言う。


「昔、ここで迷子になったことがあるんです」


 男の手が、わずかに止まった。

 ほんの一瞬で、それはいつもの動きに戻る。


「駅は、迷う場所じゃないよ」


 淡々とした声。


「帰る場所だ」


 彼女は小さく笑った。

 けれど、その目はどこか遠くを見ている。


「そのときも、同じこと言われました」


 男は何も返さない。

 ただ、次の客の切符に刻印を押す。


 


 日が傾く時間。

 光が線路の上でゆっくり伸びる。


 彼女は改札の前で、深く息を吸った。


「今日は、ちゃんと乗ります」


 差し出された切符を、男は受け取る。

 機械的な動作で、しかしどこか丁寧に刻印を押す。


 切符を返すとき、彼女が言った。


「……あのときも、ここで」


 言葉が少し揺れる。


「泣いてた私に、同じこと言ってくれましたよね」


 ほんの短い間が空く。


 男は、顔を上げないまま言う。


「毎日言ってるよ」


 それ以上は何も言わない。


 


 彼女は切符を受け取り、改札を通り抜けた。

 数歩進んで、振り返る。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 男は軽くうなずく。

 それが、返事だった。


 


 電車が来る音がする。

 彼女はそのままホームへ向かい、やがて見えなくなった。


 


 改札に、また静けさが戻る。


 男はしばらくその場に立っていたが、やがて机の引き出しを開けた。

 中には古びた紙が一枚、丁寧にしまわれている。


 小さな字で書かれている。


「れな ここにいます」


 男はそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。


「……あのときの子か」


 誰に聞かせるでもなく、静かに言う。


 


 やがてベルが鳴る。

 電車がホームを離れていく。


 夕方の光のなか、駅はまた、いつもの時間に戻っていった。


 


 構内に、やわらかな声が流れる。


「本日もご利用ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」


 


 その声は、どこへ向かう人にも同じように届く。

 けれど、誰かにとっては、たった一度きりの「おかえり」になる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 晴の日も雨の日も、賑やかすぎず冷たすぎずな接し方と丁寧な刻印を続けた、害の乏しい駅員さんとれなさんの穏やかな繋がりの物語、素敵でした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ