極宝〜カブキ・ザ・スーパースター〜
「おいコラ、てめえ銀星会なのか?」
銀座の高級クラブに響き渡るは、歌舞伎役者・高千穂源十郎の声である。
現在二十五歳で名門・高千穂の名を継ぎ、先月の歌舞伎座では異例の若さで大役を勤め上げた。鳴り止まない拍手と、耳に心地よい批評家の賞賛。それが今の彼にとっての「世界のすべて」だった。
そんな彼は、酒癖の悪さでも有名である。今も、したたかに飲んだ挙げ句、隣のテーブルにて静かに飲んでいた男に絡んでいたのだ。
しかし、今回ばかりは相手が悪かった。相手は、広域指定暴力団・銀星会の幹部だったのである。
源十郎は、テーブルに置かれた花瓶をつかむと、まず花を捨てた。そこへ封を切ったばかりの高級ヴィンテージワインをなみなみと注ぎ込む。それを彼は、隣のボックス席で静かに飲んでいたヤクザの前にドンと置いた。
「おい、飲めよ。高千穂源十郎が直々に注いでやったんだ。光栄に思え」
しかし、幹部は動こうとはしない。ただ冷徹な眼差しで花瓶を見つめている。
その時、ボディガードらしき大柄な若者が立ち上がろうとする。だが、幹部はそれを制した。さらに、顔を上げ源十郎に向かい口を開く。
「あんた飲み過ぎだ。さっさと帰って頭冷やしな、役者さん」
その「役者さん」という、どこか小馬鹿にしたような響きが、天狗の鼻を鋭く逆なでした。
源十郎は立ち上がり、舞台の上で千両役者が敵を睨みつけるような、見事な「極まり」を見せて言い放った。その声は、静まり返ったクラブの隅々にまで朗々と響き渡る。
「断るのか? てめえら社会の寄生虫の分際で、この僕の酒が飲めねえってのか! 伝統芸能の真髄を汚す汚物どもが。お前らの一生を束ねたって、僕の指先ひとつの芸の価値にも届きゃしないんだよ!」
その時、ボディガードが立ち上がった。ついに我慢も限界に達したらしい。
直後、拳が飛んだ。巨体のボディガードに殴られ、源十郎は吹っ飛ぶ。
後頭部をテーブルの角に打ち付け、意識が闇に沈んだ──
源十郎が目覚めた時、目の前には青空が広がっていた。しかも、地面には草花がある。そう、いつの間にか外にいたのだ。
周りを見回してみれば、どうやら山の中にいるらしい。しかし、目を凝らすと百メートルほど離れた所に村らしきものがある。
「な、何だここは?」
呟いた時だった。突然、声が聞こえてきた。
「やあ、高千穂源十郎さん。申し訳ないね。こちらの手違いで、君を死なせてしまったよ」
言ったのは、奇妙な格好の青年だ。源十郎より少しばかり年上に見える。とても綺麗な顔の持ち主だが、服装が美貌を台なしにしていた。
頭には美しい装飾の施された黄金の冠を被り、紺色のマントを羽織っている。しかしマントの下は、白いパンツを履いているだけなのだ。ちなみに彼の履いているのは白ブリーフである。今時、バラエティー番組における罰ゲームでも見られないふざけた格好だ。
「なんだお前……」
唖然となっている源十郎に向かい、青年は語り出した。
「僕の名は、アマクサ・シローラモだよ。わかりやすく言うと、悪魔……いや、魔王といったところかな」
「魔王? つまり、裸の魔王様ってことか?」
思わず聞き返した源十郎に、シローラモは頷いた。
「まあ、そんなところだね。ところで、君は本来なら死ぬ予定じゃなかったんだよ。しかし、神の奴がミスしたらしくてさ、君はこっちの世界にきちゃったってわけ」
「なんだと! ふざけるな!」
詰め寄る源十郎に、シローラモは笑いながら後ずさる。
「まあまあ、そんなに怒らないでよ。直に帰れるからさ」
「本当か!?」
「うん。今、神がいろいろ調整してるからさ。ちょっとだけ我慢してて。まあ、一週間くらい経てば帰れるから。とりあえず、そこの村で暮らしててよ」
軽い口調で言うと、シローラモはフッと消えてしまった──
こうして、源十郎の異世界生活が始まった。
とは言っても、この男にできることなど何もない。子供たちからも「こんなこともできないの?」と呆れられる始末だ。
源十郎自身も、そのことはわかっていた。家畜の世話も、農作業もできない。せいぜい水を汲んできたり、薪を拾うくらいのことがやっとだ。それすら、地元の子供たちにも劣っていた。
それでも、村人たちは源十郎を暖かく迎えてくれた。食べ物を分け、住むところを与えてくれたのだ。お陰で、源十郎はどうにか生きていくことができた。
人の情けというものが、本当に心に染みる。これは、生まれて初めての体験であろう。
とはいえ、惨めであることに変わりはない。無力な自分が、恥ずかしくも情けなくて仕方なかった。不便な生活よりも、そちらの方が堪える。
「一週間だ。一週間の辛抱だ」
源十郎は自分に言い聞かせ、辛い生活に耐えていた。
そんな役立たずの源十郎が、唯一役立てる時……それは、子供たちに物語を語り聞かせることである。
「ゲンジュウロウ! お話聞かせて!」
そんなことを言いながら寄ってくる子供たちに、源十郎は様々な物語を語り聞かせる。
子供たちは、桃太郎の勇敢な戦いに胸をときめかせ、恩返しをする鶴の姿に感動し、月に帰って行くかぐや姫に涙するのであった。時には、大人までもが聞きにくることもある。
異世界の観客たち……それは、源十郎に芸の本質を思い出させていた。
そんなある日、村をとんでもない災厄が襲う──
「大変だぁ! 魔王軍だ! 魔王軍が侵攻を開始したぞ!」
別の村の男が、慌てて駆け込んできたのだ。直後、地響きのような音が聞こえてきた。
「なんだ!?」
「何があった!?」
オロオロする村人たちだったが、そこに襲いかかってきたのは怪物の軍団だった──
源十郎は、為す術もなく怯えるばかりだった。
緑色の肌のゴブリンや豚の頭のオーク、さらには巨大な鬼オーガー……そういった怪物たちが、村を蹂躙しているのだ。
世話になった村人たちが、次々と傷つけ殺されていく。にもかかわらず、自分には何もできない。
ただ、小屋の陰で見ているだけ──
「クソ、僕はどうすれば……」
そう思った時だった。突然、魔王アマクサ・シローラモが現れる。
「やあ、待たせたね。さあ、元の世界に帰るよ」
「はあ? こんな時に何を……」
言いかけた源十郎だったが、そこでようやく自身を取り巻く状況に気づく。
なんと、源十郎の周りでは時間が止まっていたのだ。村人たちは、恐怖の表情を浮かべて止まっている。怪物たちも、武器を振り上げた体勢のまま動きを止めているのだ。
「なんだよこれ?」
唖然となる源十郎に向かい、シローラモはニヤリと笑う。
「君と僕は今、次元の狭間の空間にいる。そんなことより、元の世界に戻るんだよ。ほら、早く」
そう言うと、シローラモは源十郎の手をつかむ。だが、源十郎はその手を振り払った。
「ちょっと待て。そしたら、この人たちはどうなるんだ?」
この人たち、とは村人のことだ。
すると、シローラモは首を傾げる。
「うん、皆殺しにされるよ。でも、そんなことどうでもいいじゃん。君には関係ない人たちなんだしさ」
軽い口調で言ったシローラモを、源十郎は睨みつけた。
「関係なくねえ!」
そう、関係あるのだ。
これまで、何の役にも立たなかった源十郎に食べ物を分け与え、住む所まで与えてくれた村人たち……これは、一宿一飯の恩義を超えている。
このまま、見捨てて行くことなどできない──
「お前、悪魔なんだよな!? 村人たちを助けてやってくれよ!?」
頼んだ源十郎だったが、シローラモは笑いながら首を横に振る。
「悪いけど、僕はこういうのに干渉できない決まりになってるんだ。無理」
「だったら、助ける方法はないのか!?」
「あるよ。僕が、君に力を与える。ものすごいパワーをね、そうすりゃ、君はこの世界の神にもなれるよ。こんな雑魚共なんか、秒殺だね」
涼しい顔で言ったシローラモに、源十郎は縋り付いた。
「だったら頼む! 僕に力をくれ!」
「うん、それは構わないけど……そうしたら、元の世界には二度と戻れなくなるよ。君、歌舞伎役者として国宝を目指すんじゃなかったの?」
その言葉に、源十郎はハッとなった。
シローラモの言う通りだ。源十郎は、国宝を目指し日々芸を磨いてきたのだ。このまま、元の世界に戻れなければ……その費やしてきた時間が、全て無に帰すことになるのだ。
それは、あってはならぬこと。高千穂の伝統が、地に落ちることとなる。
「皆、すまない。僕は、帰らなければならないのだ」
呟いた源十郎は、そっと村人たちを見た。
彼らの顔は、恐ろしさに歪んでいる。自分のような厄介者をもてなし、食事まで与えてくれた。決して裕福とは言えない者たちが、己の食べる分を削り分け与えてくれたのだ。
そんな村人たちは、無惨に殺されようとしている。何も悪いことはしていないのに、醜い怪物共の餌食にされようとしている。
途端に、源十郎の中で何かが弾けた──
「ふざけるなあぁ! 僕は役者だ! この場を、バッドエンドのつまらん惨劇芝居で終わらせられるかぁ!」
叫んだ直後、シローラモの肩をガシッとつかむ。
「僕に力をくれ!」
「本当にいいんだね!? 元の世界には、戻らないのだね!?」
念を押すシローラモに、源十郎は頷く。
「当たり前だ。国宝の地位なんざ、どこぞの馬の骨にでもくれてやる」
その時、全員の動きが止まった。
無力な村人たちはもちろんのこと、一方的な虐殺の喜びに酔っていたゴブリンやオークたちですら、呆然となり武器を振り上げた手を止めていたのだ。
それも当然であろう。突然、大量の煙が村を覆ったのだ。そんな中、現れたのは……見たこともない奇妙な怪人だった。
黒髪は長く伸びており、裸の上半身はたくましい筋肉に覆われている。両手に黒いヌンチャクを一本ずつ握っており、黒いズボンを穿いていた。
だが、何よりも異様なのは顔面である。絵の具で塗られたような真っ白な顔に、赤く描かれた隈取。そう、この世界には存在しない歌舞伎の化粧であった。
その怪人は、ジロリと周りの者を睨みつける。直後、天に吠えた。
「英霊たちよ! 我が芸、とくとご覧あれ!」
次の瞬間、両手のヌンチャクをブンブン振り回し始めたのだ──
ヌンチャクが空気を切り裂くと、上空に異様な気が溜まっていく。よく見れば、それらは全て人の顔である。
怪人がヌンチャクを振り回すごとに、人の顔が増えていく……それらの顔は、魔王軍に殺された人々の霊だったのだ。
無数の霊が集合し、村人と魔王軍が唖然となる中、怪人こと源十郎は手を止めた。
そして、口を開く。
「やいやいやいやい! 魔王軍の腐れ外道共! 耳の穴かっぽじって聞きやがれ! 一度この世を捨てたからにゃ、負けねぇ引かねぇ悔やまねぇ! 前しか向かねぇ振り向かねぇ! ねぇねぇ尽くしの男意地! カブキ・ザ・スーパースター様が相手だぁ!」
直後、見得を切る。と、そこに掛け声が──
「よっ! 千両役者!」
その声は、霊が発したものである。途端に、カブキはニヤリと笑った。
だが、魔王軍も黙って見ているわけではない。
「怯むな! 相手はひとりだ! さっさと殺せ!」
その声と共に、ゴブリンやオーク共が襲いかかっていく。しかし、カブキは冷静であった。
「ホッ! ハッ! イヤァ!」
声を発しながら、両手のヌンチャクを振るっていった。ヌンチャクが敵に炸裂する度、和太鼓のような音が響き渡る。
一方的な戦いであった。魔王軍の兵がカブキに飛びかかっていく度、飛び回る虫を叩き落とすようにぶっ飛ばされていくのだ。大人と子供……いや、それ以上の差があっただろう。
さらに、響き渡る霊たちの掛け声──
「いよ! 高千穂屋!」
「大胸筋が大山脈!」
「待ってました十代目!」
「背中に鬼住んでるのかい!」
「よっ! 日本一!」
「キレてるキレてる! 筋肉キレ上がってるよ!」
その霊たちの掛け声を聞く度、カブキのパワーもアップしていく。と同時に、霊は成仏し天へと昇っていった。
今の彼は、もはや戦場に吹き荒れる竜巻であった。ゴブリンやオークはもちろんのこと、オーガーやミノタウロスといった大型の亜人たちまでもが次々と倒されていくのだ。
あまりのことに、魔王軍は遂に退却し始める。これで終わりか……と思いきや、凄まじい咆哮が聞こえてきた。
次いで、空に現れたのはドラゴンである──
ドラゴンは、口をクワッと開けた。同時に、強力な炎を吐き出す。
だが、カブキは恐れる様子もなく両手のヌンチャクを振り回した。すると、炎は瞬時に消えていく。
「ほほう、空飛ぶ大トカゲとは面妖なものが出てきたねえ。ならば、こちらもそれ相応のもてなしをしねえとな!」
叫んだ直後、カブキはしゃがみ込んだ。何を思ったか、地面をヌンチャクで叩き始める。すると、和太鼓のような音が鳴り始める。ドンドンドンドン……それは、地の底から響き渡る音色であった。
途端に、地面がボコっと盛り上がったのだ。土の中から現れたのは、まず巨大なふたつの目であった。ついで、十畳はあろうかという平たい頭。皮膚は茶色く、口は大きい。
そんな怪物の頭の上で、カブキは高らかに笑う。
「カーッカッカッカッ! これぞ、地獄の釜より召喚せし大ガマよ! 大トカゲの相手として、これほど相応しいものもおるまい! さあ! ゆけい!」
叫んだ直後、カブキは見得を切る。
その見得に呼応するかのように、大ガマは飛んだ。凄まじい跳躍力でジャンプし、一気にドラゴンの首に食らいつく。
そのまま、地上まで引き倒したのだ──
地上にて、大ガマとドラゴンの凄まじい戦いが始まる。一方、カブキは煽るかのように、ひたすらヌンチャクで大ガマの頭を叩きまくる。それは、ドラムのソロ演奏をする名ドラマーのようであった。
ヌンチャクが大ガマの頭を叩く度、激しい音が響く。それは、まさにカブキのソロライブであった──
戦いは終わった。
ドラゴンは敗れ、飛び去っていった。逃げていく魔王軍を、単体で追いかけていく大ガマ。一方、カブキは源十郎の姿へと戻り、改めて周りを見回す。
村人たちの顔に、勝利の喜びはない。それどころか、何の感情も浮かんでいなかった。
だが、それも無理ない話であった。これまで、必死で荒れ地を耕して畑にし、家畜を飼い世話をし、ようやく皆の生活が軌道に乗ってきたのだ。
それが、魔王軍の侵攻のため一日で壊されてしまった。また、あの日々を一からやらねばならんのか……その思いが、絶望となって村人たちを襲っていた。
そんな村人たちを見て、源十郎は決意する。
「今こそ、僕の芸の真価が試される時だ。現実の辛さを一瞬でも忘れさせる、それこそが芸の本分ではないのか!」
次の瞬間、源十郎はパッと躍り出た。
「さあさあ皆の衆! 悪い虫は追い払ったが、腹の虫は収まっていねえようだなぁ! ならば、この高千穂源十郎が一世一代の阿呆踊りを披露しよう! とくと見やがれい!」
直後、源十郎は踊り出したのだ──
作法も型も一切無視し、ただただ踊る。顔をしかめ、片足でトントン飛び回る。転びそうになるや否や、すんでのところでピョンと飛び上がった。上手く着陸……と思いきや、派手にスッ転ぶ。
その時、ひとりの子供の口からプッという声が漏れた。すると、源十郎はその子供の前に立つ。
「踊る阿呆に見る阿呆! 同じ阿呆なら踊らにゃ損損! さあ来い!」
そう言うと、その子供の手を取り踊り出した。子供は、ぎこちない動きながらも見様見真似で踊っていく。
そんな子供の動きに、つられるかのように他の子供たちも踊り出す。さらに、村人たちの表情も少しずつ変わり始めた。徐々に口角が上がり、目つきも和やかなものになっていく。
そこに現れたのは、魔王軍を追いかけていった大ガマだ。ピョコピョコ跳ねながら戻ってくると、口から何かを吐き出す。
それは、魔王軍より奪った食料や酒、さらに金銀財宝であった──
「さあさあ皆の衆! これで、少しは腹の虫も収まるだろう! 今宵は無礼講だぁ!」
やがて宴会が始まり、村人たちの顔にもようやく笑顔が戻る。子供たちは大ガマの周りではしゃぎ、女達も笑っていた。
そんな光景を見つつ、源十郎はひとり呟く。
「これぞ、宝の極みよ……」




