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主に恋愛系

どうして彼女達は、人のものばかり欲しがるのかしら?

作者: 白水那由多

 それは、なんの変哲もない舞踏会で起こった出来事だった。


「私にまとわりつくのは、もうやめてくれないか。君とは終わった。踊りの相手を見てわかるように、私の新しい婚約者は彼女なんだ」


 そのように語ったサンドロの隣には、太陽のように眩しく輝くブロンドの髪に、陶器のような滑らかな肌が評判の若い令嬢、ブリジッタがいた。


 冷たく終わりだと宣言された、サンドロの婚約者であるはずのアントニーナは、その場で泣き崩れた。



「お待ちください、兄上! 私としても、そのようなことは決して許せません! あなた方は、なんて恐ろしいことをしたのか理解していない!」


 泣いている彼女に声を掛けつつ、サンドロに向かって猛抗議したのは弟のニコラだった。


 なぜならサンドロの隣にいるブリジッタは、ニコラの婚約者だったのだ。


 しかし、抗議した弟を兄は鼻で笑った。


「何を偉そうに。そもそも、お前が美しいブリジッタを放っておいたからではないか! なんてかわいそうなブリジッタ。私は冷たいお前の代わりに、何度彼女のことを励ましたと思う?」


 サンドロは、まるで見せつけるようにブリジッタを抱き寄せると、彼女の美しい髪に口づけた。


「ごめんなさい、ニコラ。もう私の心はサンドロに占められているの」


 ブリジッタはそう言うと、庇うように自分の腹部に手を当てた。



 この出来事は、任務のためニコラが遠方に行き、ようやく王都に戻ってからの出来事だった。出向いている最中、彼の兄のサンドロとブリジッタは親密になってしまったのだという。


 ニコラは若い男にしては、真面目すぎると言われる男だった。


 通常、恋人や妻と離れて遠方に赴く場合は、愛の言葉を綴った手紙を送るのが、この国の貴族間では慣例となっている。


 しかし、彼はブリジッタに実際に会っている時ですらも、そんな甘言を囁くことはなかった。


 女を不安にさせないようにするため、そのようにしろと世間では言われていたが、そんな嘘めいた言葉で相手を安心させようとする方が、よほど卑怯ではないかと彼は考えていた。



 そのため、彼はブリジッタの様子を手紙で尋ねたり、自身の近況を伝えることはあっても、男が必死に意中の女を口説き落とそうとするような、後で読み返すと赤面するような言葉を手紙に書くことはなかった。


 ただ、彼は自分の考えを彼女に、きちんと説明していたわけでもなかった。


 そのことでブリジッタは、自分は本当にニコラに愛されているのかと不安になり、頻繁に相談に乗っていたサンドロに心を奪われていったのだ、とサンドロはニコラに語った。



 しかも、ブリジッタはこの時すでに妊娠していた。もちろん父親はニコラではなかった。


 そのことを知った彼女の家が、本当の父親であるサンドロに責任を取れと迫り、ブリジッタとサンドロは結婚する事になったのだ。


 またアントニーナは、すでに25歳を迎えていた。任務が忙しいなどの理由でさんざん引き延ばされた結果、彼女は捨てられたのだった。


 サンドロによれば、これによってブリジッタは子を成せるということがわかった。しかも、ブリジッタの家の格はアントニーナの家よりも上。


 我が家としては、結婚相手が弟から兄に変わっただけなので問題はない。慰謝料だって払いさえすれば良いだろうと開き直る始末だった。


 一方、兄と婚約者に裏切られて傷ついたニコラは、自らの希望で静かに王都を去り、二人に会わないようにするため、相続予定の田舎の領地へと赴いた。




 それから、8年ほど過ぎたある日。


 ニコラは付き合いのため、ある伯爵夫人が主催する音楽会に参加することになった。


 現在はヴァカンスのシーズンで、伯爵夫人の館はいつもの招待客はもちろんだが、普段この地方では見かけない王都からやって来た貴族たちも来ており、大変賑わっていた。



 王都であれば、必ずテーマが決められ、さらにその季節に合ったもの、招待客の序列、そして作曲家の知名度によって形式ばった演奏がされる。


 しかし、のどかな田舎であるここはそんなの無関係だとでもいうように、季節も関係なく、古い曲から流行りの曲まで、招待客のリクエストによって好きなように演奏されていた。


 今回の演奏会は、期待の新星など呼ばれて若者に人気なのだろうが、ニコラにとってはどこか軽薄に感じられる作曲家の曲が多かった。


 ちなみに、いま演奏されている曲は、女はみなどうたらとか、恋人たちの学校とか、そのようなタイトルの曲だった。


 聴いていても彼は興味があまり持てず、付き合いのためにやって来ただけに過ぎず、人も多いので自分がいなくてもわからないだろうと、彼は人けのない中庭で休むことにした。



 ところが。


 そこには先客として一組の男女がいた。


 こういう場合は遠慮してその場を去るのが礼儀なのだが、ニコラはその場を去ることが出来なかった。


 その男女というより少女と少年は、激しく言い争っていたのだ。


 喧嘩の内容を聞けば、彼らはこの国の歴史について揉めていたようだった。



 それは、この国が始まるきっかけとなった、北軍と南軍に別れた荒野で行われた大戦についてだった。


 前国王が亡くなり、その臣下だった男が、前国王と側妃の間に生まれた息子と跡目を争うことになった。


 彼は人望に厚く、他の将校たちは、本当に血を継いでいるのか疑わしい息子ではなく彼に味方した。その結果、男が勝利を収めた。


 だが、それについて歴史研究家の間では、たびたび論争が起こっていた。


 彼は本当に人望に厚い人物だったのだろうか?


 その大戦を傍観していた、本来なら息子側につくべきある将校が、突然裏切って勝利した男に味方したため、同じく様子見だった他の将校たちも、勝ち馬に乗ろうと次々に裏切ったというのが真実なのではなかろうか、と言われていた。



 その最初に裏切った男は、単なる卑怯者ではないかと少年は批判していた。


 それに対して、国の未来を憂い、かつ自身を利用するだけ利用しようとしたものへ復讐した、勇気ある人物だと少女は主張していた。


「大体、最初は正妻と子供ができないからという理由で、養子として取られた彼が後継ぎになるはずだったのよ。それが子供ができて、僻地に飛ばされたのだから裏切りというよりも恨むのは当然じゃない? それを知らなかったの?」



 少年は、少女の言葉が自分を侮辱していると取ったのだろう。彼は激昂した。


「女のくせに生意気な!」


  彼女に手を上げようとしたため、ニコラは彼らの間に割って入り、彼の手を掴んだ。


「やめるんだ。今日は人も多く、王都の人間もたくさん来ている。そんなところで、いくら無礼な態度を取られたからといって、女性に手をあげたのを知られたら、噂はすぐに広まり、休みが明けたら君は王都で笑いものになるだろう。家名にも傷がつく。父上の顔に泥を塗りたくないだろう?」


 ニコラがそう言って少年を諭すと、少年はふんと鼻息を鳴らして手を下げ、話が合わないのでこの縁談はなかったものにしてもらう、とその場を去っていった。


 だが、ニコラは少女だけに味方をする気もなかった。


「君も君で言いすぎだ。もう少し言葉を柔らかくしても良かったのではないかな?」


 両腕を前で組み、こちらこそ願い下げよ、と去っていく少年に向かって言葉を投げた少女に、ニコラは諭すようにして話しかけた。


「助けてくれてありがとうございます。それについては感謝いたします。でも、本心を述べたことで相手があんな人間だとわかって、私はかえってよかったと思います」


 少女はニコラに向かって、つんとした様子のままそう返した。さらに彼女は名前をマリアと言い、先ほどの少年は、今日見合いの相手として初めて会ったのだと彼に告げた。



 ずいぶんと気丈なお嬢さんだ、とニコラは口に出さない代わりに軽く微笑んだ。


「まあ、私個人としては、君の意見に賛同する。彼は勇気のある人間だった。そして悲劇的な人間でもあった」


 ニコラがそう言うと、少女は驚いた顔をした。


「悲劇的な人間? 彼のことを知っているんですか? 歴史書にはその後の詳細について、一切書かれていないのに!」


「ああ。王家にとっては、それは恥ずべき大きな失敗だったからな。彼らは真実を隠した」



 ニコラによれば、その大戦のあと、勝利した男は新国王となり、勇気ある判断のおかげだと裏切った男を褒めたたえた。

 その礼として、男に収穫量も規模も大きい領土を分け与え、僻地から移動させた。


 新国王にとって、それは本当に心から感謝したつもりだった。


 だが、その新しい領地の領民たちは、土地を豊かにしてくれた前国王のことを慕っており、その息子に対しても同じ気持ちだった。


 彼らにとって、裏切った男は恩人の息子を殺した憎たらしい敵でしかなかった。


 領民たちは一致団結して、彼を追い出そうと影で様々な嫌がらせを彼にした。

 最終的に、その男は分け与えられた領地で豊かに暮らすどころか、精神を病みこの世を去ることになってしまった。


 それが王家が隠した真実だった。



「だから、この話を知っているひねくれた見方をするものから言わせれば、新国王は彼に権力を持たせないために、わざとそこに飛ばしたのではないかと言われている」


 マリアはなるほど、と頷いた。


「まあ、確かにそうですね。彼は一時期は後継ぎと考えられていたのですから。ですが、なぜそこまで詳しいのですか? ひょっとしたら、国史研究家をなさっている方なのですか?」


 この男は何者なのだろう?

 興味津々だとわかりやすく、マリアは目を輝かせてニコラに職業を聞いたが、彼は首を横に振った。


「いや、そんな大したものではない。では、私はそろそろ失礼するとしよう」


 そう言ってニコラはその場を去っていった。



 きっと、あの少女とはこの先会うことはないだろう。だから、自分の身分など明かしたところでどうにもなる訳でもない。


 裏切った男についての話は、父がそのまた祖父から聞いただけの話だ。自分の家にとっては、始祖に当たる男の悲しい失敗談として。


 彼はそう思っていた。


◆◆◆


 それから一ヶ月ほどが経ったある日。


 ニコラは父から呼び出されていた。


 大事な話があるから、ライバル関係であるはずの家まで、至急来て欲しいと伝えられていた。


 急にそんな家に呼び出すとは、一体何の話なのだろうか。

 

 利害を超えて、新しい取引でもしようとしているのだろうか? 

 それとも新たな争いごとでも起きているのだろうか?


 彼は向かっている馬車の中でそう考えていた。

 


 しかし、そこに到着してみれば、屋敷の中では一人の少女が彼のことを待っていた。


 その少女は、先日彼が助けたマリアだった。


 ニコラは嫌な予感がしながらも、それで大事な話とは? と満面の笑みを浮かべている父に尋ねた。


「喜びなさい、ニコラ。今日からこのマリアがお前の新しい婚約者だ!」


 父によれば、マリアの両親も、マリア自身も婚約には強く同意している。


 もういい歳なのだから、いい加減身を固めろ。何十回見合いを断れば済むのだ。もう許さない、これ以上素晴らしい縁談はない! と父は言った。


 マリアの父も、まさかうちの生意気な末娘を貰ってくれるとは。我々は長い間、ライバル関係だったがこれからは違う。頼れる友だ。娘をどうかよろしく、とニコラに向かって白い歯を見せた。


 そして、ニコラの父は彼とマリアを強引に馬車に載せると、結婚式は明日挙げてもいいくらいだと言って、彼らをニコラの住まう田舎へと送り出した。



 馬車の中で、ニコラは大きくため息を吐いていた。


「君が私の婚約者になりたい、というのは本気なのか?」


 自分は現在31歳で、マリアは15歳だ。


 貴族同士の婚姻であれば珍しくもないが、わざわざこんな年の離れた男と結婚したいとすれば、彼女の実家の経済状況が実は良くないのかもしれない。


 ニコラは彼女が本当は嫌ではないのか、と念を押して確認した。


「ええ。本気ですとも。でなければ自分から両親に話して、この縁談をまとめてもらうなんてことは、絶対にしません」


 そう言って彼女は大きく頷いた。



 マリアが言うことによれば、同学年の男子たちはこの前の件もそうだが、あまりにも子供過ぎて見える。


 いくら見た目が良く背が高くても、中身が伴っていなければ、好きになれそうもない。尊敬するのも夢のまた夢。


 それに、紹介された男子たちは、事情通ぶろうと格好つけて世界史は学ぼうとするのに、この国の歴史は軽視しようとする。


 でも、自分はこの国の歴史が好きだ。やっと話ができると思う人に巡り会えた。これこそ、私の運命の出会いなのかもしれない。だから、婚約者として立候補したのだとニコラに告げた。



 ニコラは彼女の言うことを、肯定も否定もせず聞き入っていた。


 そして、彼の頭の中ではこう判断していた。


 これは少女特有の大人の男に憧れている現象で、本気で自分に惚れているわけではないだろう。


 この少女は同年代の男子達を馬鹿にしているが、本人が気づいていないだけで、自分への熱が過ぎればすぐに別のものに夢中になるはずだ。


 自分だってかつては少年だったのだ。この年ごろの少女たちの気が変わる早さは十分知っている。


 しかもヴァカンスを過ぎた田舎は、彼女が想像している以上に退屈だ。


 きっと、一ヶ月もしたら王都が恋しいと言い出すに違いない。そう思っていた。



 それから馬車は田舎にもどり、ニコラはとりあえず、マリアを一緒に住む館の中を案内した。


 するとマリアは田舎に退屈するどころか、ニコラの蔵書にはしゃぐような声をあげ、邪魔が入らず読書に集中できると大きく喜んだ。



 さらに彼女が喜んだのは、都会暮らしを引退して、景色の良いこの地に引っ越してきた、ヴォーポワレ夫人の存在だった。その夫人の家にマリアは入り浸るようになった。


 彼女は変わった考え方をする人間と世間では呼ばれているが、哲学を学ぶ者たちの間で斬新な考え方をする人間だと尊敬されていた。


 夫人が若かった当時。


 女が男のように学問を学ぼうとするならば、女も男のようにならねばならない、長い髪を切り捨てて、動きにくいドレスなど脱ぎ捨てて、化粧もせずに男のような格好をすべきだ。それらは男を喜ばすだけだからだ。


 コルセットを締め付ける男たちの思い通りになってはいけない、女は賢くあるべきだ、というグループが女性の権利を訴える団体の中で声が大きかった。


 だが、夫人は違った。


 自分はそうは思わない。女に生まれた以上、自分は女であることを楽しみたい。長い髪も、化粧も、ドレスも男を喜ばすためではなく、全ては自分が楽しくいるため。


 そして学ぶことは、男のように筋力が必要なわけでもない。


 なぜそんなにも、男に同化しなければならないのか。彼女たちは自分のような女を男に媚びているというが、自分からすれば彼女たちの方が余程男好きに見える。


 私たちは女の皮を被った男でもない。私たちはただ女であるだけだ。


 そのように夫人は世間に向かって持論を説いていたのだ。



 その夫人を全くもって変わっている、とニコラも正直思っていた。

  

 もちろん、その教えを直接聞きに行こうとしているマリアに対しても。これだって、きっと自分は他の少女と違うのだという気持ちからきているのだろう。


 彼はそう思っていた。



 実はかつての自分もそうだった。


 若い頃の彼は、古代の哲学者に憧れて、哲学書を屋敷や王宮の図書室で読み耽っているだけの日々だった。


 それが30歳を超えた今、たまになぜか無性に虚しさに襲われるようになった。


 なぜ、自分はあのとき馬鹿にしていた少年たちのように、暑いときは川で思い切り泳いだり、両親に内緒で夜に屋敷を抜け出して、誰もいない街を出歩いたりしなかったのだろう。


 兄がそうやって怒られているのを見て、馬鹿馬鹿しいと感じていたのもあるが、一方で心の奥底では、自由奔放な兄に憧れている部分が実はあったのかもしれない。


 そして、その時はいつでもできると思っていたが、実際はそんな事が許されたのは若い時のほんの一時だった。自分にはその時間はすでに過ぎ去っていた。



 馬鹿馬鹿しくとも、若い時代にしかできないことを経験するのと、それを無駄だと思い内省的に過ごすのは、彼女の将来にとって果たしてどちらが幸せなことなのか?


 彼女が憧れている人物だって、若い頃は失敗も成功も含めて、さまざまなことをやってきたというのに。


 それに、楽しそうな同年代の少年や少女たちを見ているうちに、マリアの気持ちも変わるかもしれない。


 そう考えたニコラは、時折彼女を華やかな街まで引っ張り出し、同年代の少年や少女たちがいる流行りの店や、芝居、舞踏会などに連れ出した。



 きっと、これで彼女も気が変わるに違いない。


 ニコラは眠気を我慢しながら、今日はマリアを連れて夜通し行われる舞踏会に参加していた。


 自分は今、壁際で彼女が踊り終えるのを待っているが、彼女は楽しそうに他の男性と踊っている。


 相手の男は、最近この地に赴任してきた若い武官だ。家柄も良くかなりの美形で、女性であるなら心奪われてもおかしくない。


 しかも、文武両道であると聞いているので、学を求めるマリアにとっても、申し分ない相手といえるだろう。



 そう思いながら過ごしていると、自分のところに戻ってきたマリアは満足げな笑みを浮かべていた。


「お待たせしました。さあ、帰りましょう!」


 思いもよらないマリアの言葉に、ニコラは顔を顰めた。


「帰るって? 今日は夜通しで舞踏会は開かれているというのに?」


「私は十分満足したわ。それに、あなたもお疲れなんでしょう。眠そうなんですもの。寝不足はお肌にも悪いわ」


 さあ、帰りましょう! 再びマリアはそういうと、ニコラの腕を引っ張るようにして、彼を馬車の方へと連れていった。


 

 それでも連れ出していれば、いつか彼女の気が変わるだろう。


 ニコラはそう期待していたものの、彼女が他の男性に気移りする兆候は全く見られなかった。


 むしろ、連れ出すと彼女はそれなりに楽しんで、少女らしい笑顔を彼に向けていた。


「あなたがこんな風にデートに誘ってくれるとは、正直想像してなかったの。私を気遣ってくれているのね。ますますあなたの事が好きになってしまったわ。次はどこに連れていってくれるのかしら?」


 いつかの帰りの馬車では、嬉しそうに彼女は目を輝かせていた。



 ……なぜだ?


 執務室でニコラは頭を抱えて、ため息をついていた。


 すると、いつのまにか部屋に入ってきた従僕が、今月の舞踏会や音楽会のリストです、と言って彼に書類を手渡した。


「ニコラ様。あの方も気が強そうな面があるかと思えば、あのように女性らしく振る舞う。あなた方を見かけた人たちは、とても仲睦まじい間柄ではないかと話をしているようです。ご自分の気持ちに正直になられてもいいのでは……」


「口が過ぎるぞ」


 ニコラは彼が何を言いたいのか察して、それ以上何も言うなと告げる代わりに鋭い視線を投げた。

 

 

 結局、マリアはニコラの元を去ることはなかった。マリアはすでに18歳を迎えていた。


 一方のニコラの考えは、彼女と出会った当時と全く変化がなかった。

 二人は同じ館に住んでいるとはいえ、未だに男女としては何もなかった。



 そんなある日、二人はニコラの実家に呼び出されることになった。


 呼ばれた理由は、ニコラの父の誕生日を祝う舞踏会が開催されるためだった。


 普段であれば彼は欠席で通すのだが、今年は盛大に祝う年であるため、父の兄である国王陛下や、いとこのジョヴァンニたちも来るため、必ず出席しろと彼は命令されていた。



 もう10年ほど前になるとはいえ、実家に帰るとなれば疎遠にしている兄夫婦と顔を合わすことになる。当然、ニコラとしては気が重かった。


「いいえ。それならむしろ行くべきよ」


 マリアには過去の件について話してはいたが、正直行きたくないと漏らす彼に、彼女はそう返した。


「あなたも貴族なら、彼らがどれほどまでに噂好きであるか知っているでしょう。私を盾にしてもかまわないわ。もう、彼らのことは何とも思っていないと完璧に見せることが、細やかな復讐にもなるでしょう。過去の傷を背負ってるから、田舎にずっと籠ってるなんて言われるのも癪じゃない」


 それに私だって、実家の方からあなたとの進展具合を両親から聞かれて、正直うんざりしているところ。


 とりあえず仲は悪くないのだ、と見せるためにも一緒に出てほしいとマリアからニコラは言われたため、彼は渋々行くことにした。


◆◆◆


 華やかな会場で、ニコラはマリアを連れて登場すると、彼は親戚たちから、彼女はとても美しく可愛らしい婚約者ではないか、と褒められた。


「ほら、私の言った通りじゃない」


 褒めてもらったのもあるだろうが、彼にエスコートされているマリアは上機嫌な様子を見せた。


 その最中、聞きたくもない兄夫妻の話題が彼の耳に届いた。


 ニコラは、以前あんな情熱的な仲を見せつけてきたのだから、きっと今日も自分たちの世界に入りながら腕を組み登場してくるだろう、と思っていた。



 ところが。


 彼らは一緒におらず、兄が客人を相手にしているのをニコラは目にしただけだった。


 兄は客人である一人の男性と何か込み入った話をしているのか、ずっと眉を寄せたまま厳しい顔をしていた。


 彼はその相手に集中しているようで、ニコラには全く気づいていない様子だった。



 会場にはマリアの両親や兄弟もいたため、ニコラは彼らに挨拶をした後、家族だけでゆっくり話をしたらどうかとマリアに言って別れ、彼は一人になると中庭にある噴水の所へと出た。


 夜空を見上げれば、微かに星が見えるこの場所。


 ここはニコラの幼い頃からお気に入りの場所だった。久しくここに来ていなかったが、全く変わっていない。


 ニコラはあの事件があったあと、実家に一度も帰ってきていなかったため、ここを訪れたのは本当に久しぶりだった。


 

 まるで仲の良かった旧友に会えたような、そんな懐かしい思いにニコラは喜びを覚えていたところ、岸辺の波が静かに引いていくように、彼は真顔になった。


 突然、彼の目の前に一人の女性が現れたのだ。


「やっぱり。ここなら、あなたに会えるのではないかと思ったの……」


 彼の視線の先には、元婚約者のブリジッタがいた。


 久しぶりに見かけたブリジッタは相変わらず華やかで、肌の色の白さは昔と変わりがなかった。



 思わずニコラが息を呑むと、彼女は彼のもとへ駆け寄り、彼の胸に飛び込んだ。


「私をここから出して!」


 ブリジッタは彼の身体に腕を回しながら、彼の耳元で囁いた。


「ブリジッタ……どうして? なぜ、そんなことを私に言う?」


 ニコラは驚きを示しながら、そう彼女に尋ねた。


「ああ、私のニコラ。話し方も全く変わっていないのね! 夢じゃないんだわ!」


 彼女は彼の首に両腕を回し、ニコラ、ニコラと呼びながら、声を震わせた。



 彼女によれば、夫のサンドロは結婚当時は優しかった。


 ところが、子供が生まれたあとから、その優しさは次第に失われていった。


 彼はブリジッタのお腹の大きさと形から、生まれるのは男の子だと期待していた。


 しかし、彼の期待は裏切られ、生まれてきたのは女の子だったのだ。


 今では、彼は浮気はしていないというものの、外に女性がいるのは明らかだ。彼の両親は誤魔化すことができても自分には分かる。


 しかも、結局、自分たちの間には女の子しか生まれていない。これで愛人に男の子でも生まれたら、自分たちはどうなってしまうのだろう、とブリジッタは漏らした。



「お願い。ニコラ……私を助けて欲しいの。サンドロとは別れるから、どうか私とやり直して! 私はまだ30なのよ? すぐになら男の子だって、産めるかもしれない。どうか、昔のように私のことをまた愛して!」


 かなり追い詰められた様子で、ブリジッタは泣きじゃくった。


「あなたが真面目な男性だとは、私もよくわかっていたはずなのに。あなたともし、結婚していたらって、思わなかった日はなかった。お願いよ、ねぇ……」



 ブリジッタは顔を上げると、潤んだ瞳でニコラのことを熱っぽく見つめた。


 だが───


「あら? いい年してまた男性に頼ろうとするの?」


 突然、若い女性の声が中庭に響いた。



 ニコラが背後を振り向けば、そこに佇んでいたのは無表情のマリアだった。


 彼はそっとブリジッタから距離を取った。


「今の彼は、私の婚約者なのよ? あなたの婚約者じゃないの。馴れ馴れしく近づかないで」


 そう言ってマリアは、ニコラの腕に自分の腕を絡めて、頭を彼の体によせた。


「そうやって、サンドロ様もかつての婚約者から奪ったんでしょうね。さも相談するかのように持ちかけて。ああ、そうだわ! そういうことね。そんな卑劣な真似をするから、深刻な話ができる女友達もいないのでしょう?」


 相談できるような女友達がいないなんて、かわいそうな人とマリアは微笑んだ。



「でも、なぜ自分が盗んだものが、また盗まれると思わなかったの? まさか、自分だけは魅力があるから大丈夫、なんて思っていたのかしら。随分な自信だこと!」


 マリアからの挑発じみた言葉に、ブリジッタは悔しそうに唇を噛んだ。


「あなたに……あなたに何がわかるというの? 私は当時真剣にニコラを愛していたの。でも、愛していたがゆえに離れ離れになって、不安が大きくなってしまった。そしてニコラしか知らなかった私は、まんまとサンドロに騙されてしまったのよ!」


 お願い信じて! とブリジッタはニコラに向って叫んだ。



 そしてマリアに負けじと応戦した。


「それに、ニコラはかつて言ったわ。私の珍しい髪の色や、肌の美しさに思わず引き込まれたってね。でも……あなたなんて、悪いけど背も小さければ、髪はどこにでもいる色、胸だってたいして大きくないのに。誇れるものなんて、若さくらいじゃない!」


 それに、15歳で婚約したというのに、未だに結婚していないのはどういうこと?


 ニコラが本気であなたを愛してるのなら、とっくに結婚して、子供だっていてもおかしくないはずだわ。 


 あなたが家の力を使って、無理やりニコラの所に転がり込んだという話は社交界では有名よ。


 いまだに婚約者のままなのが、彼から全く愛されていない証拠じゃない。みんな笑っているわ。知らないの?


「本当はニコラはあなたとなんか結婚したくないから、婚約期間を引き延ばしているんだろうって!」


 ブリジッタは叫んだ。



「それが何か? 私はあなたが女を武器にしたように、家という使えるものがあったから使っただけのこと」


 マリアは涼しい顔をしてそう言った。


「それに、ニコラが私に未だ手を出していないのは、彼が分別ある男性だからよ。確かに若さだけが好きな男なら、とっくに私に手を出していたでしょう。あなたの若さに釣られたサンドロ様のようにね」


 ニコラは常々私に言っているわ。私たちは年齢差がありすぎるって。


 でも、私はそんなのは承知の上。


 それにもう15歳の少女ではなく、18歳を迎えた大人の女なのよ? いまだ彼の元を離れないのだって、これは私の意思でいるからなの。私はあなたと違って、彼に不安になんてならないから。


 彼が私の若さを気にするなら、私がもう少し大人になるまで我慢すればいいだけのこと。勝手に不安になって、彼から離れたあなたと私は違う。


 私にはまだ待てる余裕はあるわ。私は彼が認めてくれるまで待つつもりよ。



「別に他人に笑われたって構わない。私は好きでニコラのそばにいるだけなのだから」


 マリアは目線を上げてニコラに向かって微笑んだ。

 すると、黙っていた彼も口を開いた。


「私の中では女性というものは皆、いつか裏切るものだと思っていた。でもマリアに出会ったことで、そうではないと知った。もう気がつけば3年か……よく私のような男に退屈もせず、それだけいられたものだ」


 ニコラは普段はそのようなことをしない、自分にしがみつくように腕を絡ませているマリアを見つめて微笑み返した。



「ところでブリジッタ。逆に君に聞くが、君は兄の元婚約者、アントニーナがどうなったか知っているのかな?」


 ニコラは再びブリジッタに視線を戻して、誰かに話は聞かなかったか? と尋ねた。


「そんなの知るわけないじゃない。あの人のことなんて……」


 彼女の中で多少は罪悪感があるのだろうか。


 ニコラがアントニーナの名前を出した途端、ブリジッタは視線を大地へと落とした。



「そうか。では、彼女のその後を教えよう。彼女は今修道院に入って、ずっとその中にいる。常に神に祈りを続けるだけの日々だそうだ。そう決断させるまで人を傷つけ、そして無関心な人間に、私は恋をしていたのかと思うと情けなく思うばかりだ」


 ニコラは静かにそう言った。


「それに君は私が髪色と、肌の色を褒めたと言った。でも、そう記憶しているのなら、それは記憶違い、いや人違いだろう。私は君の外見については、一度たりとも褒めたことはない」


 外見のことなら、誰しもが簡単に褒められる。

 

 けれど、私は常々それがひどく失礼な事だと思っている。


 そういう人たちは皆、褒めた相手の内面については、無頓着で関心を寄せようとはしない。私は彼らと同じにはなりたくない。それは小さい頃からずっと思っていたことだ。


 私が君を好きになった理由は、子供を相手にした時に向けていた優しい笑顔だった。その笑顔を見て君を好きになったんだ。


 婚約するときに、私はなんて気持ちを伝えようか悩み抜き、勇気を持ってそれを君に言った。


「でも結局、君にとっては微かな記憶にすら残ることない出来事だったのだと、今わかった」



 ニコラは今日こそが真の失恋した日だとでも言うように、大きくため息を吐いた。


 そして、ブリジッタのことを真っすぐ見つめた。


「さようなら、ブリジッタ。おそらく、君とはもう父か母の葬儀でしか会わないだろう。それまで、君が兄と結婚を続けていればの話だが」


 そう言ってニコラはマリアを連れたまま、ブリジッタに背を向けて離れていった。



 二人は特に行くあてもなく屋敷の庭園を歩き、屋敷のテラスの出入り口までやってくると、ニコラは自分は一つだけ彼女に嘘をついた、と独り言のように言った。


「それは何?」


 マリアは彼の顔を見上げながら、静かに尋ねた。


 ニコラはマリアの方へ体を向き直して、その場に足を止めた。



「実は……アントニーナは修道院入りを決めたものの、彼女は土壇場で怖気づいたんだ。昔から趣味だった観劇も、修道院に入ってしまえばもう見れなくなると。修道院入りについては、別に年齢制限があるわけでもない。それだったら、もっと歳をとったあとでもいいのでは? と、彼女はひとまず問題を先送りにしたんだ」


 そして、ある芝居を見にいったところ、席を間違えたことである男性と知り合い、今はその人と結婚して子供にも恵まれている。


 生まれた子供は男の子だそうだ、それも三人続けて、とニコラは言って微笑んだ。


「もし、兄が彼女と結婚していれば、待望の男児にも恵まれていたのかもしれないのに。まあ、そんな話をするのはアントニーナも望まないだろうから、黙っていようとは思うが」



「でも、どうしてそんなことをあなたが知っているの?」


 普段は冷静な顔をしているマリアに、一瞬暗いものが落ちた。


「なぜって? 彼女は兄とは険悪になったが、私とは別に仲が悪かったわけではない。それに、アントニーナこそが、私にこの国の歴史の面白さを教えてくれた人であり、私も本当の姉のように慕っていた。だから、ごくたまに手紙のやり取りくらいはしている。先ほどのは……まあ、私が勝手にやった彼女のためのし返しだ」


 その答えに、マリアは急に目を釣り上げた。


「手紙のやりとり……ですって?! まさか、実は彼女が初恋の人だったりするんじゃないでしょうね?!」


 叫ぶようにして問い詰めるマリアに、ニコラはそうじゃないと軽く笑いながら首を横に振った。


「憧れの人ではあったけど、違う」


 ニコラはそう言って、何かを思い出すかのように天を仰ぎ見た。




「そう。ところで」


 マリアは夜空を見ているニコラの腕を引っ張り、自分に視線を向けさせた。


「さっき、私はあの人の前で、格好つけてあなたのことを待つと言ったけれど、本当に一体いつまで待てばいいのかしら?」


 彼女からそう問われたものの、ニコラはすぐに返事をしようとしなかった。


 二人の間には沈黙が降りた。



「正直言って、もし君の年齢が今よりも一回り以上だったら、すぐにでも結婚を申し込んでいたかもしれない」

 

 マリアのことをしっかりと見つめながら、ニコラは目を瞬かせた。


「それはどういう意味かしら? やっぱりまだ、私はあなたと結婚するには若すぎるということ?」


「なんというか、その……私たちはやはり年が離れすぎている。でも、君は今まで出会った女性の中で、一番自分にとって違和感がない相手なんだ」


 ニコラはマリアの両手を握りしめた。


「どうかこれだけは信じて欲しい。君のことは若いから気に入った、という意味では決してない」


 彼はさらに、そのように言葉を加えた。


「それに私は家族の問題だってある。結婚したらあんな姉と、女たらしの兄までついてくる。それでも君は本当にいいのか? それに私の祖父は国王とはいえ、傍系だし、爵位と領地は貰えても一生あの田舎暮らしになる。それでも君は後悔しないのか?」



 ニコラは本当に一体何が言いたいのだろう。


 マリアの頭の中には、その言葉がくるくる回るようにして流れていった。


 でも本当は彼が何を言いたいのか、彼女の中ではわかっていた。そして彼女に言って欲しいことも。


「私はあそこでの暮らしを気に入っているし、別に嫌いじゃないわ」


 マリアは凛とした声で彼にそう返事をした。


「それに、あの人たちと結婚するわけじゃない。ニコラだって、初めて会った時のように、きっとあの人たちから守ってくれると信じてる。そうでなければ、好きにならなかった。というよりも、あなた自身が、彼らにはもうご両親の葬儀以外で会うつもりはないって言ってたじゃない。それなのに私にとって、一体何が問題あるというの?」



 ニコラは再びマリアに向かって微笑んだ。


「そうか。では私もいい加減、君のために覚悟を決めなければな。今まで、ずっと私を待っていてくれてありがとう。マリア、これからは私の心は君だけのものだと誓おう」


 彼はマリアの両手から手を離し、代わりに彼女の身体を抱きしめようとした。



 ところが───


「この人でなしが! よくも!! ふざけるな!」


 男の大きな罵声が響いたと思うと、テラスのガラス窓が大きく割れる音と共に、二人の男が彼らの目の前に転がるようにして現れた。

 

 それでもなお、二人は取っ組み合いの喧嘩をしており、すでに顔はあざだらけだった。


 さらに、うち一人の顔をよく見れば、なんとそれはニコラの兄のサンドロだった。



 突然のことに呆気にとられたものの、ニコラはマリアに腕を伸ばして、共に彼らから距離を取った。


 周りの男たちも彼らを止めようとしたものの、二人の殺気に圧倒されて、ただ見ているだけしかできなかった。


 すると、サンドロの方が戦う体力がなくなったのか、急に大地に膝をつき、倒れ込んだ。


「兄上!」


 ニコラが大きく叫んだのも虚しく……


 喧嘩相手だった若い男は、自分の怒りを抑えることをできず、感情の赴くままに、なんとサンドロの局部を思い切り蹴り上げたのだ。


 あたりには、耳を塞ぎたくなるようなサンドロの大きな叫び声が響いた。




 実は、サンドロはブリジッタが予想した通り愛人を外に作っていた。それも何人も。


 そして、特にお気に入りは、若い人妻の愛人であり、殴り合いの喧嘩相手だったのはその夫だった。


 サンドロはその愛人と大胆にも屋敷の一角で逢瀬をしており、前から怪しんでいた夫に決定的な場面が見つかり、大喧嘩に至ったのだそうだ。


 また、サンドロは彼に思い切り蹴り上げられたせいで、二度と子供を作れない身体となってしまい、子供が残せないのなら正当な後継者とは認められない……と、急遽序列は次男であるニコラの方が上になる事となった。



「そういうわけで、ニコラ様、マリア様。至急、王都のご実家までお戻りください」


 ニコラたちは、田舎の館でその報告を従者から聞いていた。彼が驚く一方で、マリアは顔を顰めた。


「夫婦揃って、人のものに手をつけるのが本当に大好きなのね。だから気が合ったのかしら? はじめから誰のものでもない人を選べば、こんなことにはならなかったのに。いっそのこと『人のものが大好きです』って、おでこにでもわかりやすく書いておけばよかったのよ」


 呆れたと言いたげにマリアはそう嫌味を言ったが、すぐに別の問題へと彼女の頭の中は切り替えられた。


「でも、戻るということは、あちらのご夫婦はどうなるというの? 序列は変わっても、まさかあちらに住むことになるの?」


 そんなの絶対に嫌! それだったら、あの人たちはそのまま王都に住んでもいいから、私はここにいたい! とマリアは引っ越しには賛成しようとしなかった。


 

 だが、その心配は必要ないと従者は二人に笑顔を向けた。


「先週、あちらのご夫婦の離婚が成立したそうです。ブリジッタ様はお子様を連れて、屋敷を出て行かれたそうです」


 従者によれば、サンドロが浮気していたうえ、なおかつ子供ができないとわかった途端、まるで人が変わったのかのように、ブリジッタは淡々と離婚の準備をはじめたという。


「ふうん。まあ、浮気性なうえに子供ももう作れない、しかも財産は大幅に減なら、一緒にいる意味なんてないものね。むしろ今頃は、次の男を堂々と狙えると喜んでいるんじゃないかしら?」


 マリアはそう言ってニコラの方を横目で見たが、彼は微かに口角を上げて首を横に振った。



「しかし、そうなると兄上はどこに行く?」


 ニコラが従者に問うと、それについては相当揉めた。

 サンドロは王都にいたいと抵抗したが、これだけの騒ぎを起こしたのだから、さすがに今のまま家には置いておけないと、彼らの父は首を横に振った。


 結果的に、父は兄である国王に頭を下げて、肩書きだけはとても立派だが、実際は閑職である任務を用意してもらい、サンドロは遠方にある彼の地へ行くことになったという。



「そう。それじゃあ、なんの心配ごともなく、結婚式の準備ができるわね! 時間もまだあることだし」


 マリアは顔を輝かせながらそう言った。


「そう言えば、挙式の日取りはまだ決めていなかったな。いつにしようか?」

 

 穏やかな声でニコラが尋ねると、マリアはこう返した。


「それについては、3年後でも別にいいわよね?」


「え? 3年後? なぜ? 君はあんなにも結婚したがっていたじゃないか」


 なぜ、急に引き伸ばすような事をする、とニコラの顔には不安の色が見えた。


「だって、昔から式を挙げたいとずっと憧れてた教会に問い合わせたら、人気すぎて予約が3年先まで埋まってしまっていたんですもの! 枢機卿のコネで割り込みするのもダメって言われたわ」


「いや、それなら、別の教会でも……」



 ダメ、それは絶対にダメ!


 マリアはニコラの言うことを遮り、大きな声で何がなんでもその教会で挙げるのだと主張した。


「私はね、結婚式に関しては命を捧げるつもりで、今まで生きてきたの。全力を注いで式は完璧に仕上げたいの。これに関しては一切譲る気はないわ。ドレスだってデザインはもちろん糸から拘るつもりよ! 縫い手だって指名したいくらいよ! そう言うわけで、資料を早く取り寄せて!」


 早く資料を! とその場にいた女性の使用人に急かしているマリアに、ニコラは苦笑いしつつも、意外な一面が知れたと思っていた。


 自分の思いを伝えるのは相変わらず苦手だったが、マリアのそういった気の強さを彼は愛していた。


◆◆◆


 それから、結婚式を間近に控えた3年後のこと。


 ニコラはマリアから言われた通り、とある屋敷の庭先にやってくると、彼女は茶会の席を切り上げて彼のもとに近づいてきた。


「いいのか? 彼女のことを放っておいて」


 腕を絡ませてきたマリアにそう尋ねると、彼女はいつものことだったし、もうさすがに呼びつけられても行くつもりはない、と言って後ろを振り向いた。


 そこには、いつものようにこの世の終わりだと言いたげな顔をした、彼女の友人であるミランダが座っていた。



「いいのよ。いくらあの子が婚約破棄されたと騒いでも、どうせまた殿下のところに戻るんでしょうから」


 マリアは大きくため息をついた。


 実は、ミランダは婚約者であり、ニコラの従兄弟のジョヴァンニから、何度も"婚約破棄ごっこ"をけしかけられ、その度にどうしよう、どうしようとマリアや他の友人に泣きついていたのだ。


「いくらその婚約破棄ごっこの原因が、大昔のあなたの婚約破棄の現場をジョヴァンニ殿下が見て、面白がったからといったって……可哀想に思ってたけど、こう何度も呼びつけられたら、もう私も付き合いきれない!」


 マリアは本当に、あんな人のどこがいいのかわからない、と首を傾げた。


 

「それはきっと、ミランダ嬢しかわからない良さがあるんだろう。君だって、私をなぜ選んだのかわからないって、陰で言われているのかもしれない」


 ジョヴァンニはジョヴァンニで、面白いところもあるからとニコラはフォローに回った。


「そう。でも、あなたを貶すようなことを言う人がいるなら、私は『その目は上辺しかみれないのね。騙されやすいのだろうから、詐欺に気をつけた方がいいわよ』って返してあげるわ!」


「……それは、私に対する褒め言葉としてとっていいのかな?」


 いつものマリアの調子に、ニコラは軽いため息を吐きながら笑った。


「ええ、どうぞ。お好きに!」


 そう言って、マリアはニコラの腕にさらにもたれ掛かるようにした。



 そして、彼女は心の中でこう思っていた。


 こんな生意気で、口達者な女を理解してくれる心の広い人物なんて、この世界を探してもきっと他に見つかりっこない。


 他の女が欲しがっても、羨ましがっても、奪おうとしても、絶対に私のニコラは渡さないんだから! と。

 ミランダのその後の話(短編)

「え? 殿下、私たち別れたはずですよね……?」

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