12回目の春
はじめまして、甘夏です。
小説書きはじめたばかりなので、甘く見てください。
自分のペースで、ゆっくり書いていこうと思います。
医者になることが夢だった。
母さんを殺した病気を治せる人になりたかった。
このことを話したのは中学3年のころ。叔父の陽凪さんと暮らしはじめて9年目の年だった。俺の父親は生まれる前からいなかったし、母さんはさっきも言ったように病気で亡くなった。だから、母さんのお兄さんである陽凪さんが俺の世話を焼いてくれていた。
その日は感極まって泣かれた。俺が夢を話してくれたのが嬉しかったから、だそうだ。陽凪さんの泣き顔を見るのはこれが初めてだったから、すごく驚いて、泣かないでって陽凪さんに抱きついた。
それから公立の高校に通って、勉強詰めの毎日が続いた。
いくら血の通った人だからと言っても、俺は陽凪さんの実の子ではない。それなのに陽凪さんに負担かけるのは申し訳なくて、俺は国公立の大学を目指した。俺の父親が通っていたという大学だった。
陽凪さんは俺に私立の大学でもいいんだよと言ったが、俺はそれを押し切って国公立の大学を選んだ。
毎日合格するためのことだけ考えて、血を吐くような努力を重ねた。
中学の頃から通っている塾の自習室に毎日閉じこもって、参考書とにらめっこをする日々。寝不足でぶっ倒れた日は陽凪さんに大目玉を食らって、それから徹夜をするのはやめた。
入試前日。喝を入れるために二人でカツ丼を食べに行って、慣れないことしたからか二人で腹を下した。でも陽凪さんが「大丈夫だ!」って言い張るから。病院にも行かず下痢のまま入試問題を解いた。
なんでか知らないけど、なんか大丈夫な気がした。
合格通知が届いた日は二人で肩を抱き合って、陽凪さんは泣いた。
これで彼の涙を見るのは2回目だった。
「よくやった。お前は俺の誇りだ」
泣きすぎてガラガラの陽凪さんの声が聞こえた時。今までやってきたことが全て報われた気がして、それが不覚にも安心して、強く強く陽凪さんを抱きしめた。
彼は声が枯れるまで泣いて、いつもガラガラな声がもっと壊れてしまうんじゃないかって心配になった。けどそんな心配いらなかったみたいで。陽凪さんは戸棚からビールを取り出して俺に差し出す。躊躇もなしに俺は受け取って、二人で勢いよくラッパ飲みした。
初めて飲むビールの味は苦くて、くそ不味くて、幸せな味がした。
そして今年の春。俺は無事高校を卒業し、晴れて大学に入学した。
新しい人生が始まるんだって思った。
俺は医者になって、母さんの病気を治せる人になる。
陽凪さんと一緒にビールを飲んで、倍以上の親孝行をする予定だった。
旅行に行って、美味い飯を食べて、今まで俺にしてくれたこと全部を恩返ししようって思っていた。
今まで陽凪さんに全部背負わせてしまっていたものを今度は俺が背負うつもりだった。陽凪さんは俺のために貴重な時間を無駄にしてしまったのだから、せめてこれからの人生は俺が幸せにするんだって。
絶対に幸せになれるって思ってた。
でもそんな未来は一瞬で泡になった。
今日、俺は陽凪さんの訃報を聞いた。
彼と出会って12回目の春だった。
……
「かわいそうに、こんな早くに亡くなるなんて」
「ねぇ、誰がこれから花織くんの面倒を見るの?」
「私は嫌よ。あんな無愛想な子」
骨を焼いている間に聞こえてきた言葉に、俺は今の自分の立場を嫌でも理解させられた。ここには俺の居場所なんてない、ということを。
親戚だけで行われた葬儀も気づけば終盤に差し掛かっていて、その葬式というのは案外呆気ないものなんだなと感じる。
近くにあった椅子に腰をかけて、遠くにいる親戚たちをぼーっと眺める。大人はみな世間話に花を咲かせ、小さな子は折り紙をして遊んでいた。最初こそはちゃんと食べられていた寿司や懐石料理などの精神落としも今となってはほとんど手がつけられていない。隅の方にある乾燥してカピカピになったいくらの軍艦と目が合った気がした。
あの訃報が届いた日から1週間が経っていた。
俺は未だに陽凪さんが亡くなったことが信じられていない。そのうちビールが飲みたいと言ってひょっこり帰ってくるだろう、なんて期待している。
でも実際はそんなことなくて。火葬をするときの着火ボタンを押す祖母の手が震えていたのを俺は知っている。
祖母が着火ボタンを押すのは2回目。母さんの葬式の時とついさっきだ。
葬式のことは何でも祖母がやってくれた。葬儀の手配から親戚に連絡するまで。陽凪さんとずっと一緒にいたのは俺なのに、1番世話になっていたのは自分なのに、最後まで何もできない自分が不甲斐なかった。
「花織はまだ子供なんだから、大人に甘えときなさい」
そう言われるがまま大人しく甘えている間に葬式はどんどん終わりに向かっていって、結局自分は何もしないままここまで来てしまった。何もできない本当に自分が情けない。
「そうそう。花織くん、医学部に受かったんですって」
「えぇ。あんな人見知りな子が医者になんてなれるのかしら」
「むしろ人殺しちゃうんじゃない?」
コソコソ。コソコソ。遠くから微かに聞こえてくる親戚たちの声。聞こえないつもりで話しているんだろうけどこっちには全部筒抜けだ。それでも俺が聞こえないふりをしているから話はどんどんヒートアップしていく。でも誰もそれを止めようとしない。
まるで自分が1人取り残されたみたいだった。
久しぶりに感じる疎外感に俺は母さんが亡くなったときもこんな感じだったことを思い出す。
当時6歳だった俺を誰が俺を引き取るかで揉めた挙げ句、名前も知らない親戚の家にたらい回しにされたこと。さらに俺は人見知りをする子供だったから、結局誰にも愛されずにいろんな家を転々としたんだっけ。
そんな中、陽凪さんだけが俺を引き取ってくれた。
陽凪さんだけが俺を助けてくれた。
「なんだなんだ。随分可愛くない子がうちに来たなぁ」
なんて言いながらも、俺の頭を優しく撫でて、たくさん抱きしめてくれた。今までの親戚の人はそんなことしてくれたことなくて、ジョリジョリの剃り残した青ひげが頬に当たって、痛かったのを覚えている。
でも、それがひどく安心したんだよな。
久々に感じる人の体温が、吐息が、汗臭さがなんだか落ち着いたんだよな。
でも陽凪さんはもういない。
唯一の味方だった陽凪さんは俺を置いていってしまった。この世界のどこを探してもいない。会えない。もう2度と抱きしめられない。一緒に飲むと約束したビールも飲めない。俺は本当のに1人ぼっちになってしまった。なんてひどい悪夢だろう。
「と言うか、陽凪も無理なら無理といえばよかったのに」
「変なところで正義感があったからねぇ。というかまだお金返してもらってないんだけど…」
頭の中にはてなが浮かぶと同時に小さな声が漏れる。え?金…?なんのことだ。下を見ていた顔を上げて、声の先に視線を移す。その先には見たことない女性がいて、俺の知らない親戚だったことに気付いた。
「ほんと、陽凪も馬鹿よねぇ。あの子のために私達に土下座までしてお金を借りたんだから。」
「結局返せないんだから…仕方ない。陽凪たちが住んでたあの一軒家を売るしかないわね」
「え」
思わず声が出てしまった。今まで一言も話さず過ごしていたから、俺の声に驚いたのだろう。さっきの女性も含め親戚全員が俺の方を見ている。
顔。顔。顔。どれも知らない顔ばっかりだった。
陽凪さんはこの人たちに土下座してまで金を借りたんだ。わざわざ俺の知らない親戚に。俺を育てるためにしたことなのに、俺はこの人たちのことは愚か借金があったことも知らなかった。俺を育てるためにやったことなのに何も知らなかった、知ろうとしなかった自分自身に腹の中が煮えそうだった。
「どうしたの?花織くん」
「…俺達の家を売るって本当ですか」
「えぇ…残念だけど。でも安心して。花織くんの新居は私たちで見つけて―」
「嫌だ」
女性が言い終わる前に俺の思いは弾けた。まるで風船が破裂するみたいに思いっきり割れた。
だって、だって。あの家は陽凪さんと過ごした大事な場所で宝物だったから。失うのが嫌だった。
あの家はこの女性が思っているよりもたくさんの思い出を持っている。俺が陽凪さんと出会ってからの12年間。俺はあの家で育って、陽凪さんと生きてきた。
春は縁側で花見をしたし、夏は窓から花火を見た。秋は庭で焼き芋を焼いて、冬は二人で布団にくるまって寝た。決して贅沢とは言えない。けど、それでもあの家にはたくさんの幸せな思い出が残っている。
神様は俺から何もかも奪った。母さんも陽凪さんも。二人ともずっと一緒に過ごせると思ってた。でも二人は先にいってしまった。俺は二人さえいてくれれば、幸せなのに、怖いものなんてないのに。
でも神様は俺から全部を奪った。
それなのに、あの家すらなくなってしまったら俺はどう生きていけばいいんだろう。
「ど、どうしたの?花織くんにとっても良い話だと思ったんだけど…」
「絶対に嫌だ!」
一応大学に入学したばかりなのに、ガキみたいな幼稚なことしか言えない自分が恥ずかしい。けど、大切なものを掴むので必死だったから俺はこれ以上言葉が出てこなかった。
「あの家は…あの家だけは奪わないでください」
自分でも驚く程か細い声だった。でもはっきり言えた。静まり返る空間。全員が俺を見ている。初めて感じる視線に緊張と恐ろしさでどうにかなりそうだった。でもここで声をあげないとあの家を失うことになってしまう。俺は震える手を握りしめて、続ける。
「お金は絶対に返します!俺がなんとかします。だから、だからあの家は売らないでください…俺の、俺達の唯一の宝物なんです。お願いします…」
失いたくない、もうこれ以上。
その思いだけだった。
震える声。染みる脂汗。頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった。それでも最後まで絞り出した声は親戚全員に届いたみたいだった。
それからのことはあまり覚えていない。
………
家に帰ってきた瞬間、もらった塩をかけるのも忘れて俺はその場に崩れ落ちる。ぐしゃっと紙袋が音を立てて潰れたのがわかった。ひんやりとした床が頬に当たって気持ちいい。
高校生の時、ここで寝てたらよく怒られたなぁ。風邪引くからやめろって。でも指一本も動かせないくらい疲弊していた俺は陽凪さんに甘えて、よく部屋まで連れてってもらっていたなぁ。
「風邪引いちまうぞ」
そう確かに陽凪さんの声が聞こえて反射的に顔を上げて見るけど、そこには真っ暗な廊下だけが続いていた。いつもうるさいリビングからは笑い声1つも聞こえなくて、俺しかいないことを実感させられる。
「はは…馬鹿みたい」
疲れすぎて頭がおかしくなっているんだろうか。それとも頭がパンクしているのか。ついに陽凪さんの幻聴まで聞こえるようになった。あーだめだ。俺陽凪さんがいなくなったら何もできないんだなぁ。
親戚たちは不服そうにしながらもなんとか俺の願いを条件付きという形で聞き入れてくれた。
その条件というのは今までに借りた金の総額300万を1年以内に返すこと。それができなかったらあの家は問答無用で売るということ。
なんともありきたりで、単純な条件だと思う。
でも、俺は学生の身で。ただでさえこれから金が必要になるのに、それに加えて借金だなんて。絶望するしかない。とりあえず明日からはもやし生活になることが確定した。
「借金300万か…」
改めて口にするとすごい額だ。俺が高校3年間で稼いだ金の倍以上の額で、簡単には手に入らない金だと容易にわかる。でも、この容易には手に入らない金を俺はたった1年で稼がないといけない。
大学1年生にしてすでに借金があるとか人生詰みだろ。いや、俺の人生はもともと詰んでるけど。こんな不幸な事あるか。なんで俺ばっかりこんな思いをしなくちゃいけないんだ。
きっと俺の人生は神様が足の指で描いた人生なんだ。
でも、そんなこと言ってらんない。
俺が今やるべきことは金を稼ぐことだ。
そして、なるべき姿は医者だ。
陽凪さんと過ごしたこの家を守るために。陽凪さんと目指した立派な医者になるために。
そのためには臓物を売ってでも、金を稼ぐしかない。
こうしちゃいられない。1秒でも早く、俺は動き出さないといけない。
パソコンを立ち上げて掲示板を開く。俺が高校生の時から利用している掲示板だ。
「一気に稼げる仕事募集してます。死ぬこと以外ならなんでもやります」
そう書き込んで、投稿する。こうするのが一番手っ取り早いと思った。
ママ活でも、体を売るのでも、労働でも、なんでもやってやる。
あの家と約束を守るためなら、俺はなんだってする。
もう何も失いたくない。
数は少ないが、一応人に見てもらえたようでいろんな人からお誘いのダイレクトメッセージが届く。初めてのことに戸惑いながらも、俺は1つ1つ目を通していく。
工場勤務、事務作業、レジ打ち、。たくさんある選択肢の中で、一つだけ気になるものがあった。
『明日の13時に、丸山駅でお会いできませんか』
それはくじら、と名乗る人物からのメッセージだった。勤務内容も時給も書かれていない。ただ会いたい、とだけ書かれたメッセージになぜか引っかかるものがあった。丸山駅は最寄り駅から5駅ほど離れたところにある人気の多い華やかな駅だ。ここから30分もかからない場所にあって、利用したのは1回だけ。陽凪さんと寝過ごしたときに降りただけの駅だった。
数あるダイレクトメッセージの中でも、このメッセージはなぜかピンと来るものがあった。これが何なのか、わからないけど。どことなく行っといたほうか良いと第六感が警告している感じがする。
『ぜひお会いしたいです』
気づけば俺はそう送信していて、すぐに既読がついて返事が返ってきた。
『駅前の狛犬の像の前でお待ちしています』