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クピドの虫籠  作者: 黒月水羽
【大空翔】地に戻る
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6-1 悪夢の残滓

 そこは夕暮れ時の小学校だった。何でこんなところにいるんだろうと俺は首を傾げ、そういえば宿題のプリントを取りに来たんだと思い出す。

 いつもだったらバスケットボールクラブが終わる頃には真っ暗になっているが、今日はコーチの都合で早かった。もっと練習したかったと思いながら早足で教室に向かう。ドリブルもシュートももっと練習したい。同級生との身長差が開き始めていたが、練習すればなんとかなる。そのはずだと不安から目をそらして、足を進める。


 教室に近づくと笑い声が聞こえる。まだ残っている奴がいるらしい。声に聞き覚えがあって、その声から自分の名前が聞こえて俺は足を止めた。


「大空君と幼稚園一緒だったんだよね」


 クラスの女子の一人だと思う。声で判別がつくほど話していないから確証は持てない。対して、返事をする相手の声はハッキリ覚えがあった。


「うん。幼稚園から知っている。運動神経抜群だったから幼稚園では目立ってたんだよね」

「幼稚園ではって」

「いやだってさあ……」

 声の主はそこで言葉を止めると笑う。


「今じゃ私の方が身長上だもん。いくら運動神経よくてもね」


 バカにした声に目眩を覚えた。たしかにこの会話を聞いたことがある。その時の俺はそのまま引き返して宿題はできず、次の日先生に怒られたのだ。

 話していたのは幼稚園からの同級生で、ひそかにいいなと思っていた相手だった。これを切っ掛けに俺は女子が苦手になった。


 気づいたら中学校の体育館にいた。体育で使うマットや跳び箱といった道具が並ぶ光景は、今となっては懐かしい。バスケットボールが詰まった籠を見つめていると、また声が聞こえる。


「大空もったいないよな。あんなに動けるのに小さくて」

「いやいや、お前は感謝しろよ。大空が身長高かったら、お前はレギュラーなれなかったぞ」

「たしかに。よかった〜。大空が小さくて」


 いくつもの笑い声が重なる。みんな俺を笑っている。小さいのに頑張ってる。小さいんだから諦めろ。小さいのに勿体ない。

 耳を抑えて走り出す。気づいたら今度は空中にいて、背中にはクピドの翅が生えていた。落下していた体は翅を動かしたとたんに軽くなり、俺は空中でクルリと回る。


「すげえ! こんなに飛べる奴、初めて見た!」


 下から声がした。見下ろせば新田が子供みたいにはしゃいで俺を見上げている。これは始めて空を飛んだ時にたしかに見た光景。

 俺は嬉しくなってぐんぐんとスピードをあげて空を登る。いつもだったら硬いコンクリートの鉄骨に阻まれるのに、今日はそれすら突き抜けて飛んでいく。鳥を追い越し、山を越え、雲を突き抜ける。風と一緒になったような一体感が心地よく、自然と口角があがる。

 

 どこまでもいけそうだ。そう思ったのに、突然、周囲が真っ暗になった。

 空を心地よく飛んでいたはずなのに気づけば地面に足がついている。なぜか靴も履いておらず、足から床の冷たさが伝わった。先程まで感じていた高揚感が消え失せ、ただ不安だけが俺を支配する。


 じっとしているのが嫌になり走り出すと、奥の方に光が見えた。明かりが見えただけでほっとして速度を上げる。飛んでいる間は体の一部だった翅が重たい。むしってしまいたくなるが、むしったらもう空が飛べない。だから俺は重たい翅を背負ったまま走る。


 やっと明かりに近づくと、そこには奇妙な光景がひろがっていた。真っ暗な世界にベッドが一つ。それを黒い服を着た人が取り囲んでいる。よく見るとそれは父、母、姉だった。久しぶりに見た気がする彼らがベッドを取り囲んで泣いている。俺は異常な状況に混乱して立ち止まった。


「翔、なんでもっと早く退院しなかったの」


 いきなり母が振り返って俺にそういった。続いて父と姉も振り返る。父は責めるような目で、姉は涙で濡れた目をつり上げて俺を睨み付けた。


「ずっと、待ってたのに」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はベッドの前に移動していて、目の前には白い布をかぶせられた人間が横たわっていた。それが誰なのかすぐ分かったけれど、分かりたくなくて俺は逃げようとした。それなのに足は地面に縫い付けられたように動かない。そうしている間に母が顔にかかった白い布を持ち上げる。


「お別れしなさい。お祖母ちゃんに」

 布の下から現れたのは白い顔をしたばあちゃんで、俺は気づけば叫んでいた。


 自分の叫び声で目が覚める。衝動のまま跳ね起きたらしく、掛け布団がベッドの下に落ちていた。ドッドッという大きな心臓の音がして、喉はカラカラに渇いている。べたつく汗が気持ち悪い。ばあちゃんの死に顔が頭から離れない。


「最悪……」


 乾いた声は弱々しく、俺は頭を抱えてベッドの上で背を丸める。深呼吸しても夢の残滓は消えず、忘れようと思えば思うほどにハッキリしてくる。時計を見ればまだ深夜といっていい時間帯。だからといってもう一眠りしようという気にはなれず、俺は寝間着にしているTシャツと短パン姿で部屋から抜け出した。


 自然と足が温室へ向かう。飛んだら全て忘れられる。耳にこびりついた「小さい」という言葉を振り払いたい。俺が自由に飛べるのは小さいからだ。自由に空を飛べる俺は可哀想じゃない。

 そう自分に言い聞かせているとふと思う。じゃあ、翅が落ちたら。病気が治ったら俺は可哀想な奴に戻ってしまうのか。


 足が止まり、俺はその場にしゃがみ込む。眠いのに寝たくない。気持ち悪い。頭がグラグラして、視界がゆがむ。泣き出したいくらい不安なのに、泣くのは嫌で奥歯を噛みしめる。誰か助けてくれって思いながら、誰も来ないでくれとも思う。自分のことなのによくわからない。


「大空?」


 戸惑いがちな声を聞いた時、浮かんだのはたしかに安堵で俺は弱い自分に顔をしかめた。誰にもこんな姿見られたくないのに、見つけてもらえたことが嬉しくて仕方ない。

 矛盾した感情を持て余しながらノロノロと顔を上げると、そこには心配そうな顔でしゃがみこみ、俺を覗き込む天野の姿があった。


「……天野、今日も寝れねぇの」

「そうだけど、俺よりお前はどうした」


 天野はそう言いながら俺をじっと見つめる。新田だったら遠慮なく触ってきたり、俺を抱えて保健室に飛び込みそうだが、天野はそういうことはしない。天野はあんまり人に触りたがらないし、人に触られるのが得意じゃない。それに気づいたのはいつだったか忘れたが、今は少し離れた距離間がちょうどいい。


「……嫌な夢みた」

 子供っぽいって思われるだろうか。十六歳にもなって、悪夢を見るのが嫌で寝れないなんて。


「夢って嫌になるくらい、リアルな時あるよな」


 しかし天野は実感のこもった様子で頷いた。顔を見れば心配そうな顔で俺を見つめている。

 天野はたまに深夜の病院をフラフラしている。眠れないというのは本人から聞いたことがあるし、四谷から睡眠薬を貰っているくらいだからそういう病気なのかと思っていた。けど、今の反応を見ると違うのかもしれない。天野も今の俺と同じように、悪夢が原因で眠れないのかもしれない。


「スタッフルームいかね? 誰かは必ずいるから、温かい飲み物もらおうぜ。ココアとか」


 しゃがみこんで俺の様子を見ていた天野が立ち上がる。天窓から差し込む月明かりで、夜でも天野の表情はよく見えた。やけに明るい表情は、俺を元気づけようとしているのがよく分かる。


「……ココアってガキかよ」

「でも夜に飲むとホッとするぞ。あそこは明るいし」


 天野はそういって笑いながら俺を見下ろす。新田だったら俺の手をとって引っ張り上げるところなんだろうけど、天野はそれをしない。さっきはそれが心地よかったのに、今はそれが少し寂しい。

 面倒くさい自分に嫌気がさす。


「天野、よく行ってんの」


 立ち上がりながらそう聞くと天野はイタズラが見つかった子供みたいな顔をした。金髪にピアスとヤンチャな見た目しているくせに、深夜、スタッフルームに入り浸ってるくらいで悪いことをしているみたいな顔をする。コイツは相変わらず中身と外見がチグハグだ。


「落ち着くんだよ。明るいし、人がいるし。お菓子貰えるし」

「餌付けされてんじゃん」


 俺の言葉に天野が笑う。その様子を見ていたら夢の光景が遠のいた。


「新田は知ってんの?」

「教えたら、ずるいとかいって入り浸るだろ」

「たしかに」


 いつもの空気に戻ったことにホッとする。天野が見つけてくれてよかった。心底そう思った後にふと思う。

 俺は天野に見つけてもらったけれど、天野は普段どうしているのだろう。スタッフルームに入り浸るのが恒例化するほど悪夢でうなされているのだとしたら、一体どんな悪夢を見るのだろう。


 気になったが聞くことは出来なかった。誰だって聞かれたくないことはある。俺だって、悪夢の内容を誰にも話したくないのだから。

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