4-6 蝶乃宮さんの噂
「いっそのことうちもSNS始めちゃいません?」
俺は何いってんだコイツという顔で長谷川を見つめた。今園さんも似たような反応をしているのが見える。それでも長谷川は良いことを思いついたという顔で胸を張った。
「現状が世間に知られていないのは、ここが閉鎖的だからですよ。SNSで虫籠は怖くない。良いところだってアピールすれば世間の印象も変わるし、保護者の方々も安心でしょ」
「個人情報って別の問題が出てくるでしょうが」
今園さんは額に手を当てて深く息を吐きだした。やってられないとばかりに頭をふる今園さんを見て、長谷川は不満そうな顔をする。
「そんなにダメですか? 支援金とかも募集したら金銭問題も解決じゃないですか」
「お前、患者を見世物にしようとしている自覚あるか?」
俺の問いに長谷川はきょとんとした顔で首を傾げた。誰だこいつを医大に合格させたやつ。今すぐ取り消せ。
「世間が気になってるのは施設の設備じゃなくて、翅の生えた患者。その恋愛模様だ」
「映画、ドラマ、小説、漫画と、作品にしたいから取材させてくれって依頼はずっと来てるし」
「えー、受ければいいじゃないですかー」
あまりの危機感のなさに俺は思わず舌打ちをする。流石にまずいと思ったのか長谷川はやっと黙った。
「本人たちにとっては真剣な問題なのよ。興味本位で取材されて、面白おかしく世間にさらされるなんて望んでないわ」
「事実をきちんと伝えてくれるとは限らないしな」
蝶乃宮病院はあらゆる媒体からの取材を断り続けているが、まるで見てきたかのようにデタラメを書くネットニュースや個人ブログなどは消しても消しても湧いてくる。
彼らが求めているのは事実ではない。人の注目を集められる面白い話だ。非現実的でありながら実在する病気として知られるものの、内情がほとんど表に出ないクピド症候群など格好のネタだ。実際にその病気に苦しむ患者のことなど、関係ない多くの者にとってはどうでも良いのだ。
「翡翠くんの存在が知られたら、メディアは放っておかないでしょうしね」
今園さんが悩ましげにため息をつく。姉である蝶乃宮さんも露出が少ないのにも関わらず、一部では美しすぎる研究家と呼ばれている。そんな蝶乃宮さんにこれまた美しい弟がおり、弟の病気を治すために奮闘していると知られれば、メディアは良くも悪くも騒ぎ立てるだろう。
「特別扱いみたいなものですしね、翡翠さん」
「名目は自宅療養だ。精神的な負担や体調問題から、隔離されてる患者は他にもいる。翡翠が特別なわけじゃない」
「いやいや、四谷さんだって身内贔屓だってわかってるでしょ。蝶乃宮さんが好きだからって事実から目をそらしちゃ……」
とっさに手が出た。思ったよりも力が入ったらしく、長谷川は頭を抑えてうずくまる。今園さんが呆れきった顔で長谷川を見下ろしていた。
「色んな意味でダメダメだわ、郁人くん。ほんと、顔しか取り柄ないわねえ」
「頭脳も取り柄です!」
「頭と顔が良ければ大抵うまくいくはずなのに、おかしいわ」
「俺の人生、上手く行ってないみたいに言うのやめてくださいよ! まだまだこれからなんですから! っていうか、今のところ順風満帆だし! 医学部の倍率知ってますか!?」
ギャンギャン吠える長谷川を「はい、はい」と今園さんが流す。長谷川は納得いかずに食いかかるが今園さん相手にかなうはずもない。
今園さんが長谷川の思考をそらしてくれたことはわかっている。だから俺は考えた。とっさに手が出るほど動揺してしまった自分を落ち着かせる必要があった。
蝶乃宮さんが身内贔屓なことはわかっている。本来であれば翡翠も隔離病棟に入れるべきなのだ。そうすれば他の患者との接触は完全に絶たれる。今後、翡翠に惑わされる人はいなくなるだろう。
しかし、翡翠は隔離しなければいけないほどに精神がまいっているわけでも、健康が損なわれているわけでもない。翡翠のアレは体質といってもいい。本人が意識してどうにかできるものではないのだ。
それが分かっていながら、特定の人間しか訪れない、ただ日差しがよく入るだけの個室に翡翠を閉じ込める想像をする。俺だって寂しいと子どものように語った翡翠の姿が頭に浮かんで、俺は重苦しい息を吐きだした。
「翡翠に関しては現状が最善だ。これ以上は監禁。治療ではなく人権侵害だ」
「四谷さん、ほんっと蝶乃宮さんに甘いですね」
長谷川が呆れた顔をする。その蝶乃宮さんには姉だけでなく弟も含まれるのだろう。文句を言いながらほうっておくと飲食を忘れる翡翠の世話を焼いている自覚はある。
「四谷さんでも骨抜きかあ。ほんと一度でいいから会ってみたいな。翡翠さん」
「その一度が命取りになるかもよ」
「それもいいかもしれません。俺、本気の恋ってしたことないし」
危機感のない長谷川に俺と今園さんは顔を見合わせた。今までの話を聞いても会ってみたいと言えるのは度胸があるのか、バカなのか。後者のような気がするなと思っているとスタッフルームのドアが開いた。入ってきたのは受付を担当している坂本さんだ。
坂本さんの登場に分かりやすく長谷川が浮足立つ。蝶乃宮病院は見目の良いスタッフを揃えるようにしているが、その中でも橋本さんは際立つ美人だ。芸能事務所に所属しているというだけで一般人とはちがうオーラを放って見えるのだから不思議なものだ。
長谷川がどうでもよいことを話しかけるが坂本さんは笑顔で交わす。美人なだけあってその手の誘いも慣れているらしい。
「結菜ちゃんは聞いてる? この病院がなくなるかもって噂」
今園さんの問いに坂本さんは目を丸くした。それから首を左右にふる。
「初めて聞きました。なくなってしまうんですか?」
「アゲハちゃんからは何も言われてないから、あくまで噂なんだろうけど、急になくなってもおかしくはないのよね。国からの補助と寄付金で成り立ってるようなものだし」
今園さんが言う通り、蝶乃宮病院の資金源は国からが主だ。つまりは税金。
落下死やら誘拐やら、物騒な事件が立て続けに起こったがために、国民は子供を守るために早期解決を訴えかけた。十代の子供であれば誰が発症するか分からない病気となれば子供を持つ親にとっては他人事ではなかったのだ。それに国が答えた結果が蝶乃宮病院は驚くほどのスピードで開設され、その後発症した多くの子供を助けることとなり、クピド症候群は恐ろしい病気ではなくなった。そそれにより世間の関心はクピド症候群から離れていった。
世論が離れると国の優先順位も変わってくる。つまり、いつ国から一方的に予算を切られても不思議ではないのだ。
「だから蝶乃宮さん……」
俺たちの話を聞いていた坂本さんが顔を伏せる。神妙な表情に俺は違和感を覚えて坂本さんを凝視した。
「アゲハちゃんがどうしたの?」
今園さんの問いかけに坂本さんは困った顔をした。言っていいものか悩むようなそぶりを見せてから、おずおずと口を開く。
「蝶乃宮さんって美人だから、芸能関係者の中でも噂になってるんですけど……」
「それに関してはさすがアゲハちゃんって感じだけど」
翡翠が規格外で忘れそうになるが、蝶乃宮さんだって目を奪う美人だ。蝶乃宮家が代々、人を魅了して生きてきたというのもあの姉弟を見ると納得してしまうほどには。
それを考えれば美醜にうるさい芸能界で知られているのは恋している欲目を抜きにしても自然な気がするが、坂本さんはやはり居心地悪そうに下を向き、なかなか次の言葉を口にしない。
「あんまりよくない噂なの?」
今園さんが険しい顔をした。それに少しの間を開けてから坂本さんは小さく頷く。
「私は信じていませんけど、蝶乃宮さんがそんなことをするとは思えないし……」
「つまり、どういう噂なの?」
強い口調の今園さんに怖じ気付いたように坂本さんは次の言葉を口にした。その言葉があまりに衝撃過ぎて、俺は一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。
「蝶乃宮さん、枕やってるって……」




