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クピドの虫籠  作者: 黒月水羽
【四谷颯介】花に群がる
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4-4 悩みの種

 意味がないと分かりつつも翡翠に一通りの説教をし、俺はスタッフルームに向かった。名前通り、蝶乃宮病院のスタッフが集まり仕事をする場所だ。


 スタッフルームは患者が出入り出来る病院棟に存在する。といっても患者が尋ねてくることは稀である。誰かしらが交代で常駐している医務室かカウンセリング室に顔をだす患者はいるがスタッフルームはなんとなく近づきがたいのだと聞いた。

 理由は内装にあると思う。スタッフごとの業務デスクが並び、壁には書類棚。給湯室が部屋の隅にある光景は病院や会社というよりかは職員室に近い。こうなってくると医務室同様、内装を担当したものは意識的に学校に近づけたのかもしれない。


 クピド症候群の患者の多くは十代の学生だ。学生にとって身近な場所といえば学校。突然家族から引き離され、知らない場所で知らない人間と共に、いつ出られるかも分からない日々を過ごすとなれば少しでも身近なものがあった方がいい。そんな風に考えたのかもしれない。

 お陰で俺は理科、もしくは保険室の先生扱いされる。白衣は医者としての矜持であって、理科の実験用でも保健室の先生のものでもないと何度説明しても奴らは分かってくれない。ムキになればなるほど面白がられるだけだといったのは今園いまぞのさんだったか。言われていることはなんとなく分かるが、そこは譲れないのだ。ただでさえ最近、俺がとったのは本当に医療免許だったのか不安になってきた所なので。


 研究棟から病院棟に移るととたんに空気が変わる。研究棟は必要最低限の殺風景な場所だが病院棟は患者がストレスをためないよう照明が多めに配置され、廊下に絵画や生け花が飾られている。絵画の多くは蝶乃宮家の所有物、一部がボランティアからの寄贈品だ。

 

 といっても、蝶乃宮家の美術品も元々は誰かからの贈り物だろうと俺は思っている。蝶乃宮さんは物置でホコリをかぶってるよりマシという軽いノリで飾っていたから美術品に興味があるとは思えない。

 いつの時代の誰が、どんな相手の興味を引きたくて送ったのかは分からないが、雑とはいかずとも愛着もなく扱われているのを見るとなんとも言えない気持ちになる。平然とそれを行う蝶乃宮さんは翡翠ほどではなくとも貰うことに慣れている。そう推測できることが俺の気持ちを少々重たくさせた。


 蝶乃宮姉弟と出会って十年。出会った当初に抱いた印象は変わらず、姉弟どちらも魔性の存在だ。俺のような多少見てくれが良く、少々頭が良いくらいでは歯牙にもかけられないと分かっているのに、俺は性懲りもなく片思いを続けている。見た目に騙されただけの一時的な感情であればさっさと捨ててしまうこともできたのだろうが、蝶乃宮さんは見た目だけでなく性格も美しい。あんな厄介すぎる弟を見捨てずに面倒を見続けている時点で俺よりよほど人間ができている。

 

 そうなると俺の恋心は捨てどころがない。捨てるどころかどんどん拾い集めて肥大化する始末。上手くいく可能性は低いし、うまくいってもあの翡翠が義理の弟だ。最悪だろと自分を戒めてみても、なかなか消えてなくならない。なんとも厄介な感情に育ってしまっていた。


 悶々としている間にスタッフルームにたどり着く。ドアを開けると見慣れた顔ぶれがそこにいた。主に翡翠のせいで出入りが激しいスタッフだが、ここ数年は安定している。というのもあまりに翡翠が誰彼構わず魅了するので耐性のあるスタッフ以外は接触禁止令が出たのである。翡翠としては話し相手がいなくてつまらないらしいが、いくら言っても翡翠は拒絶を覚えないのだから仕方がない。自業自得だバカと言った時、珍しくふてくされた顔をした翡翠を見て少しだけ胸がスッとした。


「思ったより時間かかったわね。村瀬くんどこか悪かったの?」


 コーヒー片手に声をかけてきたのは俺と同じく開設当時からのスタッフである今園さん。担当は患者のメンタルケア。カウンセラーの資格を持っており、思春期まっただ中の子供たちの相談に乗っている。蝶乃宮病院のスタッフに採用されるだけあり抜群のプロポーションを持つ美人である。といっても見た目が若々しいが俺より十歳ほど年上。基本的には快活な女性だが年齢に触れた途端に鬼神のごとき恐ろしさを発揮する。今園さんの年齢に触れるなはスタッフどころか患者たちにすら浸透した鉄の掟だ。


「村瀬さんは健康そのもの。入院前よりも良好なくらいだ」

「じゃあ、なんでそんなに時間かかったんですか?」


 給湯室からマグカップ片手に現れたのは長谷川はせがわ。アルバイトの医大生である。茶色に染めた髪やらピアスやら、真面目な印象が強い医大生とは真逆をいく。俺が患者であったらすぐさま病院を後にするほどチャラいが、これで頭は良いらしい。遊べるのは今のうちだから遊んでおくというのが本人談だが、数年後に真面目になっている姿が想像出来ない。

 

 こいつも顔がいいからという理由で採用されており、よくいえばフレンドリー、悪く言えば遠慮のない性格から中高生女子の退院に一役買っている。

 女子高生にチヤホヤされて合法的にお金を貰える素晴らしいバイトと本人はいっており、絶対患者の親に口を滑らせるなと口を酸っぱくいい含めているがどこまで分かっているのかは微妙なところ。

 あまり調子に乗ると退院した患者に刺されるわよと今園さんも注意しているが改善が見られないので、近いうちに痛い目にあえばいいと思う。


「翡翠がまたやらかしたから、文句いってきた」


 そういいながら俺はデスクの上に村瀬さんのカルテを置いた。入院当初にとった不安そうな表情の顔写真と目があい、たった一ヶ月でずいぶん変わったものだと思う。その変化の原因が翡翠なのがなんともいえない。


「村瀬くんは不味いわね。ああいうタイプはのめり込んじゃうと抜け出せなくなるわよ」

「今園さん、怖いこと言わないでください」


 俺が置いたカルテを覗き込みながら今園さんがいう。冗談だと言ってほしくて今園さんを見つめたが、肩をすくめられた。


「あの奥手そうな子がねえ……」


 今園さんの反対側から長谷川もカルテを覗き込む。長谷川から見ても村瀬さんが翡翠に魅了されたのは意外に思えたらしい。

 次の瞬間、長谷川の表情が好奇心で輝いた。俺は嫌な予感を覚えたが、予感に違わず長谷川は明るい声でろくでもないことをいう。


「俺も翡翠さんに会ってみたいんですけど」

「ダメ」

「お前には絶対会わせない」


 俺と今園さんの声が被る。二人から同時に拒否された長谷川は顔をしかめた。


「何でですか。二人は会ってるんでしょ。ずるーい」

「俺たちはアイツに慣れてるからいいんだよ」

「綺麗な子だとは思うけど、私からすれば翡翠くんはお子様。恋愛対象外だから私はいいの」

「俺だって対象外ですよ。俺は女の子が好きです!」


 軽い調子で挙手のポーズをとった長谷川に俺と今園さんは同時に冷たい視線を送った。ふざけた調子だった長谷川の表情が曇る。アホそうに見えても医大生。空気を読む能力はあるらしい。


「えっ、そんなにヤバい感じなんですか?」

「長谷川くんと同じこと言ってた子、その数日後には翡翠くん押し倒してたからね」

「それも一人や二人じゃないからな」

「なにそれ、こわっ!? なんか危ない薬でも吸ってません!?」

「そう言われた方がまだ納得できる」


 額に手を当てて俺はため息をついた。今園さんも眉間にシワを寄せコーヒーを啜る。勤務歴十年の二人の反応を見て長谷川の表情は神妙なものとなる。


「前々から思ってたんですけど、そんなに誰彼構わず魅了するなら他の患者と一緒にいた方がいんじゃないですか? 退院できる子増えるでしょ」

「素直に皆、退院してくれるなら私もその方がいいと思うけどね」

 今園さんの返答に長谷川は首を傾げた。


「村瀬さん、退院してないだろ」


 俺の言葉に長谷川は「あっ!」と声を上げた。それから眉間にシワを寄せる。翡翠の厄介さに気づいたらしい。


 翡翠が隔離されていなかった頃は翡翠に一目惚れして退院していった患者が何人もいた。しかしながら、翡翠の魅了というのはたちが悪い。退院した後に翡翠に会いたがって病院通い詰める元患者や、スタッフになりたがる元患者が現れた。翡翠にどう見ても惚れているにも関わらず、翅を落とさず病院に居座り、翡翠に惚れた者同士で牽制し合う泥沼の状況まで発展しかけた。

 それを重く見た蝶乃宮さんは翡翠を隔離することに決めたのだ。といっても蝶乃宮病院の原型である研究所は翡翠の実家。形式としては入院から自宅療養に切り替えとなる。


 俺が経緯を思い出している間に今園さんから翡翠が起こしかけた惨事の話を聞いた長谷川の顔が青くなる。昼ドラでも真っ青な泥沼が男女入り乱れて、子どもと言える年齢層の中で繰り広げられたと聞けば想像するだけでも嫌だろう。当時の俺はだいぶ精神をやられた。


 隔離した今でも犠牲者を出すのだ。まだ幼さの残った顔立ちが完成された大人へと変った今、どれほどの被害を出すのか考えるだけでも頭が痛い。

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