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クピドの虫籠  作者: 黒月水羽
【四谷颯介】花に群がる
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4-3 蝶乃宮家の姉弟

 俺が蝶乃宮姉弟と出会ったのは十年前。当時の俺は研修医で、初期研修を終えたばかりだった。そのまま後期研修に進もうとしていた俺に声をかけてきたのは大学時代の恩師。クピド症候群を専門に扱う病院が医師免許を持つ医療スタッフを探しているから面接を受けてみないかというものだった。


 最初は断るつもりでいた。話を聞いてみると蝶乃宮病院は病院という名はついているものの研究機関という側面が強く、俺が目指した医師としての活躍が出来る場所とは思えなかった。

 当時の俺からするとクピド症候群は致死率が低いこともあり、国が保護までして解明すべき病気とは思えなかったのだ。飛行中の落下死や翅が傷つけられたことによる死亡も原因が解明された今となっては気をつければよいだけの話であり、専門の治療施設を作るなど税金の無駄だと否定的ですらあった。


 そんな俺の所に医療スタッフの話が来たのはベテランの医師がなりたがらなかったためであり、腹ただしいことに俺の顔が人よりも少しだけ整っていたことにある。

 

 これを言うと嫌味だ何だと言われるが、俺からすると人よりも少し顔がいいのは欠点でしかなかった。こちらは真面目に医者になるべく奮起しているというのに、頭の悪い女が後から後から邪魔してきて、適当にあしらうと顔はいいのに性格が悪い。人付き合いが悪い。あんな医者に見てもらいたくないなどと好き勝手なことをぬかすのである。

 俺はあまりの面倒くささにあえて顔に合わない度無しメガネをかけ、体のサイズに合わない服を着て、人が多いところには近づかないようになった。


 身勝手な周囲をはねのけ、己の夢のためだけに邁進し、念願かなって医師免許をとれたというのにわけのわからない重要度の低い病気に関わるつもりなどなかった。

 説明会に参加したのは恩師の顔を立てるためであり、自分には合わなかったと断るつもりであった。だから配られた資料もまともに見ず、ぼんやりと並べられたパイプ椅子に座っていたのだ。

 俺の他に集められた奴らもだいたい似たようなものだった。誰もクピト症候群などという意味不明な病気に関わりたくなかったのだ。


 そんなだらけた空間にさっそうと現れたのが蝶乃宮愛華羽(アゲハ)だった。彼女が現れた瞬間、雑談していた男たちはぽかんと口を開けて固まった。俺もその中の一人だった。

 あれほど美しい人間を当時の俺は見たことがなかった。美の女神が人の姿を取ったならこういう姿になるだろう。そう真面目に考えてしまうのほど、その姿は完璧だった。


 プロジェクターの前にたった彼女は部屋の中にいる参加者たちを見回して微笑んだ。それだけでその場にいる全員が骨抜きになったのがわかった。その頃、俺に翅が生えていたなら確実に落ちていただろう。


 彼女が何を語ったのか正直覚えていない。俺はただ動いて喋る彼女を見ていることに全神経を使っていた。恋だ愛だなんてバカらしい。そう学生時代に浮かれる同期をバカにしていたのに、その時の俺はバカどもと一緒。いや、それ以上に間抜けでどうしようもなかったに違いない。

 気づけば俺の手には蝶乃宮病院の契約書が握られていた。いつ面接を受け、どうやって合格したのかも覚えていなかった。冷静になってから何をしているんだと熱に浮かされて選択を誤った自分を罵り倒したが、契約が成立した後にやっぱりなしでというのはあり得ない。


 就職が決まりましたと半ば自暴自棄になりながら恩師に報告したところ、恩師は苦笑を浮かべていた。


「君も魅入られたか」


 そう、恩師は意味深なことを言った。聞く所によると蝶乃宮家には代々美しい人間が生まれる家系らしい。その人間に人々は魅了され、財を捧げる。そうして栄えてきた一族なのだという。

 その話を聞いた俺の感想は不快の一言だった。こちらが汗水たらして働き、理想を手に入れるために努力しているというのに蝶乃宮の一族はただ美しいだけですべてを手に入れてきた。蝶乃宮研究所も崇高な理念があるわけでもなくただの趣味。クピド症候群に興味をもったのも背中に生える蝶の翅が目当てなのだろう。


 自分が嫌う人種だ。そんな人間に自分は魅入られて、ホイホイ契約なんかしてしまった。その事実がどうしようもなく腹正しくて、当時の俺は理由を見つけてさっさと辞めようと思っていた。一度就職してしまえば契約を違えたことにはならないし、医師免許があるのだから理想とはいかなくても就職先は見つかるだろう。スタートで出遅れてしまったが立て直しは出来る。まだ大丈夫。

 その考えが甘かったのだと気づいたのはすぐ、クピド症候群を発症した子どもたちの内情を聞いてからだ。


 プライバシーの問題があるからと詳しい説明は契約が決定したものにだけ伝えられた。絶対に外部に漏らしてはならないと契約書まで書かせる徹底っぷりに患者の個人情報を口にしたいのは初歩的なものだろうと俺は鼻で笑っていたが、そんな生易しいものではなかった。この情報が漏洩すれば被害者である子供の人生が悲惨なものになる。そう分かるものばかりだったのだ。


 誘拐、監禁、慰み者にされ保護されたときには精神を病んでいた少女。痴情のもつれから翅を引きちぎられ死亡した少年。親に金目当てで売られ、ペットのように扱われた子供。

 俺には想像もできなかった悲惨な事例がいくつも述べられ、傷ついた子供たちのメンタルケア、悲惨な事件が起こらないように対策するのが蝶乃宮病院の使命であると蝶乃宮さんは淡々と説明した。

 美しすぎる顔は白く、こわばっていた。彼女が本心から子どもたちを助けたいと思っている気持ちが伝わり、いかに自分が無知で浅はかだったのか突きつけられた。


 落下死に気をつければいい。翅を傷つけないようにすればいい。そんな考えはあまりにも甘かった。クピド症候群の患者はその希少性と美しさから心無い人間、しまいには患者に対して恋愛感情を抱く人間によって命の危険にさらされていた。

 クピド患者は翅が傷つくと死んでしまう。それは急所をむき出しにしているのと変わらない。急所を握られた状態で、人生経験の少ない十代の子供が周囲からの悪意にどれだけ対処できるだろう。


 俺の想像していた形とは違ったが、人を救うという点においては変わりがない。俺は蝶乃宮病院で最善を尽くそうと説明を聞いた後は思えるようになっていた。

 あくまで悲惨にあった子どもたちを救うためであり、色香に惑わされたわけではない。崇高なる使命のためであると無理やり自分を納得させた気持ちがないとは言えなかったが、俺はだいぶ前向きな気持ちになっていた。


 しかし、この時の俺は蝶乃宮さんの本当の目的には気づいていなかった。気づいたのは準備のため、一足先にスタッフのみが病院に入った日。寮や各施設の紹介が終わり、スタッフルームに全員が集まると蝶乃宮さんは弟だと翡翠を紹介した瞬間だった。


 翡翠が部屋に入ってくるなり音が消えた。姉である蝶乃宮さんを見た時以上の衝撃。蝶乃宮さんが魅了するのは異性だが、翡翠は性別という垣根を超える。背中で揺れる美しすぎる翅と整いすぎていっそ恐ろしい容貌。あまりに完璧な生き物に俺は恐怖を覚えたが、同僚の何人かは一目で目を奪われていた。

 蝶乃宮家がずっと栄えてきた理由をこの瞬間、俺は理解した。同時に蝶乃宮さんがクピド患者を救うために全面協力した理由もわかった。


 こんな人間を無防備に外に出したら何をされるか分かったものじゃない。普通の子どもたちですら被害にあっているのだ。目の前の美の化身といっても過言じゃない存在が人の目に触れればどんな悲惨な目にあうか。想像しただけでも恐ろしい。それが身内であるならば何としてでも護ろうとする。妹がいる俺には身に覚えのある感情だった。


 そのうえ翡翠本人はその当時から欠片も危機感がなく、集まったスタッフたちを見回して呑気に微笑んでみせた。自分の容姿が他人にどんな影響を与えるか、翡翠は少しも理解していない。


 それから一週間もしないうちに翡翠を襲ったという理由で男が一人、女が一人辞めさせられた。普通の人間であればトラウマになったのだろうが、翡翠は変わらず笑っていた。俺はその姿に怖気を覚えると同時に蝶乃宮さんに心底同情した。


 蝶乃宮翡翠はきっと美の女神に愛されている。だから美の女神は他の誰かを愛さないよう、翡翠から人を愛する感情を奪ってしまったのだろう。

 翡翠はどれだけ人に好かれようが分からない。同じ想いを返せない。それは恋愛感情だけでなく家族愛でも同じ。

 弟を守るためだけに箱庭を造りあげた姉の気持ちを弟は一生理解できない。それはなんて悲劇だろう。

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