3-5 意識外の言葉
「奥山さん、また綾崎さんに絡まれてたけど大丈夫?」
一方的に感じた気まずい空気は再びかけられた声で壊れた。それにほっとしながら顔をあげると隆二くんがそこにいた。
隆二くんも綾埼さんと同じく長期入院患者。入院したての患者に声をかけて虫籠のことを色々教えてくれる面倒見の良い性格をしている。顔立ちも悪くないから女子高生の中では人気。何人かは本気でアタックしてるけど手応えを感じないと嘆いていた。仲いい友達にはなれるんだけどそれ以上に発展しないらしい。他の人から話を聞く限り、虫籠から出る気がないんだと思う。
その後ろにはいつも一緒にいる弘樹くんと翔くんの姿もある。弘樹くんはヤンキーみたいな見た目で最初は引かれるけど話してみると頭いいし、常識人なのでギャップにひかれた隠れファンがいる。けど、隆二くんと同じく虫籠から出る気がないみたいで二人っきりとかあからさまな感じは避けられるんだとか。まあ、弘樹くんの場合は家族とうまくいっていないみたいなので出たくないと思うのも仕方ないのかも。家族が一度も面会に来ない子に弘樹くんは含まれるから。
そんな訳あり男子に挟まれている翔くんはちっちゃくて可愛い。初対面で言ってめちゃくちゃキレられたけど、その怒り方もチワワとかポメラニアンとか小型犬が吠えてる感じでマロを思い出した。マロはまあまあ大きくなってしまったけど、子犬だった時は本当に可愛かったのだ。今もちろん可愛いけど。
それもあって翔くんも可愛いと年上のお姉さんたちには好感度が高いのだけど、翔くんの場合は雫ちゃんと良い感じなので皆微笑ましく見守っている。今も紗花ちゃんと話していた雫ちゃんがチラチラと翔くんに視線を送っているけど翔くんはまったく気づいていない。振り返って! って念じてみたけど、残念なことに伝わらなかった。
「密美さんならあたしが追い払ったから大丈夫!」
胸を張って宣言すると三人とも目を見開いた。あたしが密美さんと雑談する仲というのは知らなかったらしい。
「追い払ったって、あの人しつこいのに」
三人の中でも密美さんに絡まれる頻度が高い弘樹くんは特に驚いていた。次で絡まれるのは隆二くんなんだけど、隆二くんは付き合いも長いから密美さんの適当なあしらい方が分かってるみたい。密美さんも適当にかわしてくる隆二くんよりも関わりたくないと全身で威嚇する弘樹くんの方が気に入っているみたい。弘樹くんからするといい迷惑だろうなと思うけど、密美さんは反応すればするほど喜ぶタイプの人だから諦めてとしかいえない。
「奥山さん、大丈夫でした?」
「キララちゃんが追い払ってくれたから大丈夫。天野くん、気遣ってくれてありがとう」
弘樹くんに話しかけられた春子さんは柔らかな笑顔で答えた。それにあたしはムッとしてしまう。
密美さんによく絡まれて迷惑している者同士、春子さんと弘樹くんには仲間意識みたいなものが芽生えていて、異性が苦手な春子さんにしては珍しく弘樹くんとは話すのだ。お互い真面目だし、弘樹くんは見た目のわりに読書家で春子さんと本の趣味があうから仲良くなるのは分かる。弘樹くんは入院歴半年くらいだからあたしと出会う前の春子さんだって知っているのだ。そう思ったら妙にイライラしてしまう。
あたしはどうやら春子さんに自分よりも仲の良い子がいることが不満らしい。今までの友達にはこんな感情をもったことがないので、あたしはこの感情をもて余している。本音を言えば春子さんの手をとって弘樹くんと引き離してしまいたいけど、まだネイル乾いてないし、春子さんの交友関係に文句をいうのがおかしいのも分かっている。
ムッとしていると隆二くんにあきれた顔をされた。
「ヒロはキララちゃんから奥山さんとらないよ」
隆二くんの言葉に翔くんが驚いた顔をした。話していた春子さんと弘樹くんもあたしを見る。皆の視線が集まって、うまいこと誤魔化せる自信もなかったあたしは諦めて頬を膨らませた。
「わかってるけど、春子さんと弘樹くん仲いいから」
「三雲さんの方がどう考えても仲いいだろ」
弘樹くんに思いっきりあきれた顔をされた。翔くんは何も言わないけど表情で語っている。こいつ面倒くせぇなって顔を女の子に向けるのはよくない。女の子に嫌われるぞと言いたいけど、翔くんは雫ちゃん以外の女の子に興味ないし、雫ちゃんには優しいから必要ない心配だ。
それが分かっていてもあたしは自分の感情を持て余していた。頭では理解しているのに感情がついてこないのだ。
「わかってるけど、春子さんが好きな本、あたし読めないし」
「そこは頑張れよ」
弘樹くんがド正論をはく。見た目ヤンキーなのに言うことが優等生なのだ。言い返すことが出来なくてあたしはテーブルの上に顎をのせた。
「真逆なタイプの方が仲良くなれることもあるって。実際、奥山さんと虫籠で一番仲良しなのはキララちゃんなんだし」
そういいながら隆二くんはポンポンとあたしの頭をなでた。これ、イケメン以外がやったら通報されるやつ。隆二くんは下心を一切感じないしイケメン側だから許されるけど、恋をしたくないならやらない方がいい行為だぞとあたしは思う。無意識にこういうことをしちゃうから答える気がないくせに女の子に期待させちゃうんだ。こういう人を罪作りっていうんでしょ? あたし知ってる。
「今だってネイルしてたんでしょ。奥山さんに似合って可愛いね」
「そうなの! 可愛いでしょ!!」
ネイルを褒められてあたしのテンションは一気にあがった。男の人から見ても春子さんにピンク色のネイルは似合っているのだ。そう分かっただけであたしはウキウキしてしまう。
「この色見たときから春子さんに似合うと思ってたんだ」
「奥山さんって大人っぽいイメージだったけど、可愛らしい感じも似あうんだね」
「でしょー! さっすが隆二くん見る目ある! 翔くんとは大違い!」
「おい、なんで急に俺がディスられたんだ」
翔くんが目をつり上げる。完全に威嚇する犬であたしは微笑ましくなってしまった。
「キララちゃん違うよ。翔ちゃんは特定の人以外はどうでもいいからちゃんと見てないんだよ」
「あっそっか!」
「おいそこ、二人で勝手に納得すんな!」
ギャンギャン吠える翔くんは本当に犬みたいで、マロの散歩中に出会う近所の犬を思い出す。あの犬に吠えられるとマロも一緒になって威嚇するから引き離すのが大変だったんだけど、マロと散歩したのが三ヶ月も前だと思うと寂しい気持ちになってしまう。今日のあたしは浮き足だったり落ち込んだり、なんだかとても忙しい。
「えーなに、奥山さん、ネイルなんて年考えた方が良いんじゃないですかー?」
ぼーっとしていたあたしの耳に悪意に染まった高い声が聞こえてきた。目の前でビクリと肩をふるわせる春子さんと困ったように眉をしかめる隆二くんが目にはいる。天野くんはあきれ気味で、翔くんはこれでもかってぐらい眉をつりあげていた。
あたしは怒りの形相を浮かべて振り返る。そこに立っていたのは腕を組んでニヤニヤ笑っている瀬玲菜ちゃん。しっかりメイクをして髪を巻いている美人さんなんだけど性格がきつい。学校だったら女子グループのボスってところだけど、年齢層がバラバラな虫籠では同い年の女子が数人くっついている程度。それが瀬玲菜ちゃん的には気に食わないらしい。虫籠に来るまではクラスでちやほやされてたタイプなんだろう。
「隆二くんもさぁ、そんなおばさんと一緒にいてもつまんないでしょ。私たちと遊ぼうよ」
「奥山さんはおばさんじゃないし、俺はヒロと翔ちゃんと遊ぶから、ごめんね~」
隆二くんはにっこり笑うと素早く弘樹くんと翔くんの腕をとった。いきなり引っ張られた翔くんは文句を言っているが、弘樹くんはあきれきった顔で隆二くんを眺めている。
翔くんはどこまで理解しているか分からないけど弘樹くんは瀬玲菜ちゃんが隆二くんのことを好きだと分かっている。隆二くんがそれに答える気がないことも。そして自分を使って逃げようとしているのも全部。それでも呆れた顔をするだけで怒らない弘樹くんはやっぱり優しい。翔くんくらいに吠えまくればいいとは言わないけど、巻き込まれてるんだし少しぐらい怒ってもいいと思う。
「なんで奥山さんと三雲さんとは遊ぶのに私とは遊ばないのよ!」
「いやいや、遊んでないよ。ちょっと雑談してただけ。ネイル可愛いね~って」
そうだよねという同意を求めて隆二くんがこちらを見る。あたしは素直に頷いた。瀬玲菜ちゃんは美人だから見ている分には良いけど機嫌が悪いと当たり散らしてくるから面倒なのだ。だからあたしは穏やかな春子さんの隣が落ち着く。春子さんのことおばさん扱いしたのも腹立つし。瀬玲菜ちゃんと春子さん、四歳しか変わらないのに。
あたしは春子さんのネイルを確認した。もうそろそろ乾いている。瀬玲菜ちゃんが大声をあげたから周りの注目も集めちゃったし、目立つのが苦手な春子さんは居心地が悪いだろう。別の場所でおしゃべりの続きをしようとあたしは春子さんの手をとって立ちあがろうとした。
「隆二くんは知らないみたいだけど、そいつレズだから! 仲良くしたって無駄なんだから!」
瀬玲菜ちゃんの大声にあたしは春子さんの手をとったまま固まった。真っ正面にある春子さんの目が見開かれ、それから傷ついたように歪む。それは見られたくない傷口を無理矢理ひらかれたような、痛々しい表情。あたしはそれを見て思考が飛んだ。
瀬玲菜ちゃんが言った言葉の意味が飲み込めない。あたしは賢くない。一気にいろんなことを言われるとよく分からなくなるのだ。
レズ。女性の同性愛者。女性が恋愛対象の人。
そんな辞書にでも書かれていそうな単語が頭をぐるぐる回る。誰が? 春子さんが?




