第3話 佐山氏の手紙発見
私は西村課長から手紙をお借りして、中を拝見させていただいた。
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国立映画資料館館長 福峰敏夫 殿
いつも良質な作品の上映、所蔵品の公開、資料の保管をありがとう。
小生も若かりし頃よりこちらに通い、多くの作品に出会って来た。いわば青春の場所だ。そこに今でも変わらぬ熱意で足を運べることを嬉しく思う。
小生の青春時代は長く、映画がある限り続くように思っていたが、如何せん寄る年波には勝てるものではない。
そんな時、小生の人生を賭けた愛蔵品の事が気になった。火気に注意し、光を避け、季節の移り変わりも感じられない程に空調管理を行い、小生の守って来た愛蔵品が、小生亡き後にどうなってしまうのか。
妻は小生の活動に理解はないので、すぐに古新聞に出してしまうかもしれぬ。
娘達ならば二束三文で売り飛ばしてしまうことも考えられる。
この邦画資料は今後の映画史研究に役立つものであると自負している。映画製作者には次の作品のインスパイアをもたらすものであるかもしれぬ。貴館のように広く公開し教育普及を行う事業運営の一助にもなるだろう。
小生はこの愛蔵品をゆくゆくは貴館や映画研究機関に寄贈したいと考えている。
小生が元気なうちに手続きをと思うが、青春を手放すのはまだ辛く、ここまで来てしまった。
この手紙は懇意の福峰館長殿のご厚意で貴館に保管していただいている。
小生に若しもの事があれば、葬式などよりも先に貴館館長殿へ一報を入れるよう妻と弁護士に頼んであるので、その一報を受け次第開封してほしい。
友人知人への連絡は後回しにしても、まずはこの愛蔵品の保全を貴館に頼みたいのだ。
なので貴館には大変恐縮であるが、最後にお願いを聞いてほしい。
一つ、小生の愛蔵品全ての寄贈を受け入れてほしい。
一つ、重複資料がある場合のみ、貴館経由で然るべき研究機関へ譲渡してほしい。
一つ、小生の愛蔵品は自宅ではなく別宅にあるが、小生死去後、内密に速やかに来訪して保全してほしい。
一つ、小生の愛蔵品は一部の者には至高品ともいえる。気の迷いを起こさせないよう、保全が済むまでは小生死去や寄贈のことなどの一切を世間に公表を控えてほしい。
一つ、小生の愛蔵品は例外なく個人には譲り渡さない。譲渡先は研究機関乃至は当該作品の遺族のみ可とし、個人からの譲渡希望や購入依頼は決して引き受けないでほしい。
一つ、本書簡を所持する者は、小生死去の一報後速やかに江藤亮介弁護士事務所の江藤先生に連絡をし、江藤先生より小生別宅の鍵を受け取ってほしい。
最後に、貴館の一ファンである小生のこのような我儘に突き合わせてしまう研究員諸君には、大変申し訳なく思う。
だが小生は長い収集家生活の中で、貴重な資料があっさりと焼け落ちたり、映画会社の倒産や引っ越しのさなかに散逸してしまったり、好事家の手によって他国に売り飛ばされるところも目にしてきたのだ。用心するに越したことはない。
貴館の大いなるファンである小生は、この貴重な愛蔵品を貴館の元で長きに渡り守っていただきたいと切望している。
映画好きな老人の願いがどうか聞き届けられるよう祈念しつつ。
2016年5月18日 佐山義之
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「これは、あの私家本を発行した際に献本で来館予定だった佐山氏が、突然弁護士同伴でお持ちになった手紙らしいんだ。館長が言うには、何か切羽詰まったものを感じたため、これで気休めになるのならと受け取って館長室の金庫に保管しておいたらしい」
「その時から狙われているような気がしていたのでしょうか?」
「その辺は分からない。数年前のことだしね」
「だけど、他に味方になってくれる人とかいなかったんですかね?」
西村課長の言葉に反応して田代主任がぽつりと呟くが、誰も答えられずに沈黙になってしまった。
たしかに、上映会場や図書室にはよくいらしていた方らしいが、佐山氏はあくまでお客様だ。多くの貴重な資料の寄贈をいただき当館運営にご協力下さってもおられたが、それ以上の関係ではない。
それだから、彼が当館でどのような方と知己を得ていたかは知らない。長年当館に通っておられても顔見知り以上の関係にはならなかったのかもしれない。あるいはそれは意図的なものだったのかもしれない。
「佐山氏の手紙にはこんなことが書かれていただろう?『他所からの購入依頼には原則お断りだが、当館が間に入って研究機関もしくは当該作の遺族にのみ寄贈すること。例外は認めない』と」
「じゃあ、大学の研究機関ならいいけど、大学の先生個人が自身の研究のために欲しがるとかだと駄目ってことですね?」
「そういうことだな。まあ基本、個人には渡さないことになるが、情報は回るだろうからそこら辺をどういう風に差し止めるか、かな」
西村課長が眉間を揉むようにし、手紙を元に戻した。
「どこかの研究機関や、雑誌や書籍系なら国会図書館がまとめて引き受けてくれたらいいのですが。これから要確認ですね」
尾崎係長が話を引き取り、そういえば、と私を見やる。
「上の書斎には目録はなかったんだろう? でも私家本には詳細な掲載一覧がある。この本は佐山氏お一人で作成されたと聞いているから、やはりどこかに目録はありそうだよね」
そうか、あの本を自身で作られたのなら目録化あるいはデータベース化していそうな気がする。
「書斎にはプリントアウトした形では見つかりませんでしたが、書斎デスクには鍵がかかっていまして、そこにもしかしたらあるかもしれません」
「そっか。じゃあ俺達で見てみようか。課長、弁護士から借りた鍵の中には邸の鍵遺骸は預かっていないのですか?」
「うーんと、警備会社の警報を切る方法と、邸の鍵と、あとカードキーなのかなって思われるものがある」
「カードキー?」
私が首を傾げると、尾崎係長が疑問に答えてくれた。佐山氏の訃報が入った後、佐山氏の弁護士事務所から館長室に使いが来て、ここの鍵一式の類を託されたのだそう。
「日比野ちゃん、デスクはカードキーで開く感じ?」
「······そういえば引き出しが開かなかったな、とは思いましたが、鍵穴は見てないかもしれません」
西村課長が鍵を持ち、我々も後に続く。
再び書斎に戻った私は、電気をつけてデスクの前に立った。
たしかにさっきの記憶どおり鍵穴は見当たらない。
カードキーを差し込める場所もないが、どうやって使うのだろう。
全員であれこれ調べてみるが分からず困惑していると、池上が「あ、そうだ」と口にする。
「何か思い付くことあったのか?」
「いやー、違います。スマートフォンの充電、ここでさせてもらおうかなって」
へへへ、と笑いながら池上はデスクの上に置かれたワイヤレスタイプのスマートフォン充電器にスマートフォンを載せた。ちゃっかりしている。
「電気泥棒」
「まあちょっとくらいいいじゃない。最近充電の減りが早くってさ。······あれ?」
スマートフォンを見て不思議そうに置いたり持ち上げたりしながら首を傾げている池上の手元を、尾崎係長が覗き込んだ。
「これ、電源入ってないのか?」
「いやー、コンセントは繋がってますよ? 俺のスマートフォンがおかしいのかな」
「······違うな、これダミーなんじゃないか」
西村課長が充電器にカードキーを翳すと――ロック解除された音がした。
「当たりっすね! 課長すごい!」
「こら騒ぐな。······じゃあ開けるぞ」
少しだけ白手袋の手を握りしめてから、西村課長が言った。
引き出しは全部で四つあり、横長の大きなもの一つと、右手に三段の形で三つ。まず横長の大きなものを見てみることになった。
引き出しの中は、キャビネ判のスチール写真がいくつかとワラ半紙で綴じられた会報らしきものぎ入っていた。
「何かは全く分かりませんね」
「そうだな、映画ファン活動報告みたいだ。スチールも映画スチルというわけではなさそうだ。これは後回しにしよう」
丁寧に戻してから、右側の三段式の引き出しを上から順に開けていく。
一段目には手帳。それと佐山氏の蔵書印だが、現存の形を残したいタイプの彼は、自身のコレクションには殆ど押すことはない。私家本発行の際に作ったものか、それとも映画コレクション以外の蔵書には押していたのか?
「手帳は、悪いが後で見させてもらおう。何かキーワードになるものが書かれているかもしれない」
尾崎係長が几帳面に引き出しの中の写真を撮りながら、手帳を取り出し作業を進める。
それから二段目。ここには手紙類が入っている。
最後に三段目。一番深いその引き出しには、『国立映画資料館御中』と書かれた封筒が一つだけ納まっていた。
「······何かミステリーでも始まるんですかね?」
「とにかく我々宛だろうから読んでみるか」
西村課長が読んでいる間に、私は改めて部屋を眺めていた。
と、そこで、部屋の中心部にある本棚に違和感を感じ、その場所を確認しに行く。
「どうした? 何かお宝か?」
田代主任の声に曖昧に返答しながら、『それ』を触る。
小型カメラのようなものだ。しかも稼働している。置いてある場所からすると、このデスクにカメラが向くようになっていたのか。
「あのこれって何ですかね?」
「んー、これは見守りカメラとかいうやつかなあ?」
私の質問に真っ先に反応してくれた池上は、躊躇なく手に取り、調べている。
「赤ちゃんとかペット飼ってる人が部屋の様子を見る、あれですか?」
「それっぽいけど、どうなんだろうね?」
それならば、誰が見るものなのだろう?
一人暮らしの人が不在中のことを気にする?
やはり防犯の意味も込めて?
私がうむむと考えていると、頭上から「分かった」という西村課長の声が聞こえた。
「カードキー以外の方法でここを開けた場合は警備会社に連絡が行くようになってたらしい。随分セキュリティが厳しいな」
警備会社と契約してる人が見守りカメラ? またよく分からなくなってきたが、今は西村課長の次の言葉を待つ。
「リビングに、残暑には場違いのコタツがあったろう? あそこに秘密があるらしいぞ。行ってみよう」
「あら! ますますミステリー風?」
何故か女性口調で池上がちゃかして答えると、西村課長は嫌な顔を見せた。
「池上とだとスタージェスみたいにドタバタしそうで嫌なんだが」
「スクリューボール・コメディにならないよう気をつけますわよ」
田代主任も緊張を解すためか悪ノリして会話を繋げていく。
「完成間近の恐竜の化石を崩しちゃうとか」
「そっちはホークス! とにかく下に向かおう」
「はいはい」
スタージェスはプレストン・スタージェス監督、ホークスはハワード・ホークス監督のことです。
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