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ナムルさんの病室から受付に戻ろうとしているところで、ドクター向こうから慌ただしく走り寄ってきた。
「こんにちは、キヨコさんでしたね!
今日は来てくれてありがとうございます。
こちらにどうぞ。お茶でも淹れますのでお話を伺わせてくれると嬉しいです!」
ドクターに導かれ階段の手前にある部屋に入ると、壁中をぎっしりと本の詰まった本棚が覆っており、奥の大きな机の上に大量の書類が積んであった。
ギリギリ部屋の真ん中の応接セットは綺麗にしてあるが、そこ以外は乱雑としていて普段の忙しさと勤勉さが垣間見られる。
応接セットのソファに促されて座ると、ドクターは机の横の小さな冷蔵庫からサイダーの瓶を取り出して渡してくれた。
「お茶よりこっちの方が早いので、いいですか?」
「もちろんです。ありがとうございます。」
受け取るとうちの工場で作っている瓶だった。
ほんのり緑がかった瓶は少し重たいが、手で持つところが凹んでおり飲み口は少し薄くなっている。
使う人のことを考えた良い製品だとつくづく思う。
飲むとシュワっとした炭酸の刺激と共に蜂蜜の甘さやレモンの酸味が口の中に広がる。
ドクターは向側に座ってから瓶を開け、ぐびぐびと一気に半分ほど飲み干してふうっと一息ついてから頭を下げた。
「先日はご協力ありがとうございました。
私はここの医者をしておりますハッシといいます。
前回名乗るのをすっかり忘れていて失礼しました。」
ドクターハッシは少し照れたように頭を掻いたあと真顔になり身を乗り出してきた。
「ところで、先日のあの麻酔の注射はどういったものなんですかね?」
「あれは神経ブロックと言って特定の神経を麻痺させる注射です。あの時は肩から先を支配する神経をブロックしました。」
「なるほど…素晴らしい技術ですね。
私が知っている麻酔は傷に直接打つ局所麻酔か全身麻酔くらいだったので驚きましたよ。副作用や合併症は何かあるんですか?」
「直接神経に針を刺すと神経損傷を起こして麻痺や痺れが出る可能性はありますね。後は薬液が血管内に誤注入されると局所麻酔中毒や痙攣を起こすこともあります。」
「なるほどなるほど。ぜひやり方を教えていただきたい。」
「それは構わないんですが、その前に私にこちらの医療について教えていただきたいです。
前回は考えなしに動いてしまったんですけど、本来なら私の知っている人体とこの世界の人体が全く同じではない可能性もあるわけなので、ちゃんと勉強してから判断したいんです。
たまたま上手く行ったからよかったけど、本当なら絶対ダメだったと思うんです。」
「真面目ですね」
「真面目ですよ。自分のことならいざ知らず、人様の体のことなんですから。」
「わかりました。ではまず、解剖学と生理学の教科書をお貸しするので読んでみてください。
渡り人と私達の間で違いがあるとしたら面白い。
今までそんなこと考えたこともなかった。
渡り人も10年に一度で数が少ないですから…」
「すみません、ありがとうございます。
あと、医薬品が一覧になってる辞書みたいなのってありますか?」
「ありますよ。でも3冊全部持って帰るとなると重いと思いますが…」
「そのくらいはいつも持ち歩いていたので大丈夫です!」
「ははは!そういうのはどこの世界の医者も同じなんですね!では少々お待ちください。」
ドクターハッシは本棚の中から本を選んで持ってきてくれた。
さほどぶ厚い本ではないので参考書的なもののようだ。
私はお礼を言って本を受け取り、乗合バスの時間があるから、と病院をあとにした。




