コミュ障なあたしとおじさんの死体
8月12日
今日からお盆休みだ。
お父さんもお休みなので家にいる。仕事でくたびれてるくせに『どこか遊びに行こうか』なんて言い出しかねないキャラなので、誘われる前に外へ出かけた。
自分で認めるのもなんだけどあたしはコミュ障だから、一人のほうがいい。お休みは嬉しいけど、いざ自由になってもすることは特になかった。工場で黙々と作業をしてるほうが暇を潰せていいかも。
自分の部屋は居心地がいいとはいえない。
綾がうるさくて、のびのびできない。小学生の頃までは可愛い妹だったのに、去年ぐらいからだんだんと、うるさい妹になった。あれが『中二病』ってやつなのだろうか。
高卒で工場でバイトしてて何が悪い。両親も綾も、悪者を見るような目であたしを見る。居心地悪いったらありゃしない。
あたしがこの世で一番落ち着く場所は外にある。しばらく行ってなかったけど、そういうわけで久しぶりにあそこへ出かけた。
今日の日記は長くなりそう。だってあんな楽しいことがあったから。
大人になって読み返して、詳しいことまで思い出せるよう、なるべく丁寧に書いてみようと思う。
あたしがこの世で一番落ち着ける場所……それは橋の下の秘密基地だ。
土手の階段じゃないところを滑り下りて、背の高い葦が立ち並ぶそこへ入っていく。
道がなくなりかけてた。あたしが何度も通ることで葦のあいだに道ができてたのに、しばらく来てなかったから消えかけてた。
それでもなんとなく残ってる道らしきものを辿って、背の高いを葦をかきわけ、進んでいった。
途中で道を間違えた。川沿いに出てしまった。岩の上に大きな黒い鷺が背中を向けて立っているのを、人がいるのかと思ってビクンとしてしまった。あたしは天下のコミュ障なのだ。一人になるためにここに来たのだ。でも物言わない鳥だったので、ほっとした。
葦の中に、赤い杭が落ちてるのを見つけた。なんでこんなものがここに落ちてるのかは知らないけど、使わせてもらおうと思い、拾った。秘密基地の入口にこれを立てておこう。連休のあいだ、たぶん毎日来るから、これを目印にしよう。
頭の上にかかる大きな橋をめざして歩いた。ようやくそれらしき場所が見えてきた。そこだけ葦が生えてないので、すぐわかった。履き古したスニーカーと作業ズボンで来てよかった。葦をかき分けていて随分汚れた。
ドアを開くみたいに、最後の葦の壁をかき分けた。何もない、灰色の地面まるだしの場所へ出た。あたしの秘密基地だ。一人になれる場所だ。と、思ったら、おじさんが寝ていたので硬直してしまった。
何も身に着けてない、全裸のおじさんが、こっちに背中を向けて、寝転んでた。色が茶色いので初めは木の切り株でもゴロンと落ちてるのかと思って、そうであってほしいと願ったけど、それは間違いなく、知らないおじさんだった。
こっそりと音を立てずに帰ろうかと思った時、気づいた。
「なんだ……。生きてるおじさんかと思ったら、死体じゃん」
おじさんと地面との接するところに、いっぱい色んな虫がたかっていたので、それに気づき、それがわかるとホッとした。生きてるおじさんなら怖いけど、死んでるおじさんなら怖くない。モノとおなじだ。あたしは座って、スマホをいじりはじめた。
あたしがこの場所をお気に入りなのは、地面に一箇所だけ盛り上がったとこがあって、そこを座椅子みたいにするととても居心地がいいからだった。
くつろぎポジションに座って、スマホで小説投稿サイトの文章を読んだ。あたしが読むのはテキトーに目についた作品で、ジャンルのこだわりとかない。リアルで他人と会話するのは嫌いだけど、知らない誰かのお話を読んでると楽しくなれる。少し遠くを流れる川のポチョポチョした音が耳に心地よく、上にかかる橋がいい感じの日陰をくれて、吹き抜ける風が肌の熱をさらっていってくれて嬉しかった。
ふと、おじさんのほうを見た。じっと向こうを向いている。
どんな顔をしてるんだろう? そんなどうでもいいことが気になって、立ち上がって、見にいってみた。
結構苦しそうな表情で固まってた。でももちろん、今は苦しみはないはずだから、気遣ってあげたりする必要もない。
「ふーん……。これが人間の死体なんだ?」
おじいちゃんので見たことあったけど、それとはなんか随分違ってた。作ってないっていうか、素直な感じがして、好感がもてた。
でも、なんだかこんなところに捨てられてて、可哀想かな? という気が少ししたので、あたしはおじさんに約束をした。
「明日はお花持ってきてあげるね」
8月13日
家のプランターからピンクと黄色のポーチュラカの花を、小さな束にして持っていってあげた。
赤い杭を立てておいたから、今日はすぐにわかった。
扉を開けるみたいに葦をかき分けると、秘密基地が広がり、おじさんがそこにいた。昨日見た時よりなんだか膨らんでて、アメフラシみたいな色になってぶよぶよしてた。
「おじさんっ! これ、プレゼント!」
小さな花束を肩の上に勢いよくそっと置くと、ぎいと振り向いて『ありがとう』って言われるかと思った。でも動かなかった。
よく見たらおじさん、マンガのキャラに似てるなと思った。人間の子供にいじめられていつも辛そうな顔をしてるお地蔵さんのキャラだ。あれに似てる。笑っちゃうほど似てる。なんで今まで気がつかなかったんだろうと思ったけど、そういえば昨日はまだ顔に立体感があったっけな。
家から持ってきたポッキーを食べながら、欲しそうにしてるおじさんにも一本あげた。呆けたみたいに口を開いてるので、そこに入れてあげた。
なんか楽しくて、一人でいるよりも落ち着けた。コミュ障なやつにはおじさんの死体はいい友だなと知った。
8月14日
朝から家族でお墓参りに行った。早くおじさんに会いに行きたいのに、無理やりついて行かされた。両親も綾もなんかエラソーで、あたしを出来損ないの家族モドキみたいな目で見た。心の中で何度も『役立たず』と罵倒されてる気がした。
仏間の掃除をさせられた。明日はお坊さんが来るらしい。早くおじさんに会いたいと何度も考えながら、ようやく終わらせた。
2回も往復したので、葦の間に道がもうしっかりとできていた。
葦の扉を横に開くと、今日もおじさんはそこにいた。言葉はいらなかった。無言であたしの指定席に座ると、おじさんは真正面で背中を向けて寝ている。だいぶん自然と同化してきた。もう結構ドロドロになってるから、野良犬が見つけても食べないかも。
おじさんの上に花が咲いてた。あたしが持ってきたポーチュラカじゃなくて、エノキダケみたいな色の細い花だ。くねくねとヒョロヒョロと、太陽に向かって伸びていた。
「ふふ……。おじさん、花が咲いたね」
思わず人間のことばが口から漏れた。
顔のほうに回り込むと、もう人間の顔じゃなくなってたので嬉しかった。人間の顔じゃないから怖くない。口に挿してあげてたポッキーは、カラスが取っていったのか、なくなってた。口には溶けたチョコが黒いよだれみたいについてる。細い木の枝を拾って、髪を撫でてあげた。櫛の柄で撫でてあげる感じ。おじさんは何も言わず、あたしにされるがままになってた。
「あなたはどこの家のお父さんだったの?」
会話の必要がない安心感に、たくさん話しかけた。
「誰を愛して、誰から愛されてたの? それから、なんでここにいるの?」
風が吹いて、おじさんの下顎をカサカサと揺らした。おじさんが何か返事をしたみたいだった。涼しかった。ここは橋が陽射しを防いでくれて、風もよく吹き抜ける。だから涼しいのが好きだったけど、いつもよりも涼しく感じて、笑った。
おじさんは世界で唯一の、あたしの友達だった。心が通じ合ってる気がした。
8月15日
雨が降った。おじさんに会いに行けなかった。
レインコートを着て行ってもよかったけど、雨の中を葦をかき分けて行く体力があたしにはなかった。
お坊さんが雨の中を屋根つきのバイクでやって来た。
お経をあげてる間、足がしびれた。ただ退屈で、早く終わらないかなと、そればっかり思ってた。早く終わってもすることなんかないんだけど、この状態よりはなんでもましだと思った。
お経なんか何の意味があるの。人間の死体はただ川辺に転がってる木の切り株みたいなものなのに。死体もきっと迷惑してる。退屈だって思ってる。ほっといてくれって、かたまった表情をしながら自由を望んでる。
早くお坊さん、帰らないかな。
早く雨、やまないかな。
明日はおじさんに会いに行くんだ。
夜、パトカーのサイレンの音が遠くでうるさかった。
8月16日
一昨日までで3回往復したので、葦の中にあたしの道ができ上がっていた。
もう手でかき分ける必要もない。広い道がついている。
ちょっと広すぎるような気もして首をひねった。あたし以外に大勢の誰かがここを通っていったみたいな、そんな感じもした。
川の中州にもまばらに葦が生えている。そこに黒い人影が立っていた。またクロ鷺かなと思って、隠れて立ち止まって、遠いそこをよく見たけど、男の人のようだった。怖くなって、急いで秘密基地へと逃げた。
おじさんが、いなくなってた。
なんで? どこへ行っちゃったの?
一瞬そう思ったけど、すぐにわかった。あたしはバカだけど、そこまではバカじゃない。昨日の夜、パトカーがうるさかったのは、たぶん、ここでおじさんを見つけたんだ。
よく見ると地面に、あたしのものじゃない靴跡がいっぱいついてた。
もし誰かが、あたしが毎日土手を滑り下りて、ここへ来てるのを目撃してたら、あたしが疑われるんだろうか。おじさんを殺したのはあたしだとか。口にポッキーのチョコついてるし。家に帰ったら警察の人がいっぱい来てて、色々聞かれるのかな。事情が明らかになるまで檻の中に閉じ込められたりして?
めんどくさいな。
あたし、何も言えないし、何もわからないよ? バカだから。コミュ障だし。
人間の世界に帰りたくなくなった。
ここでおじさんとずっと暮らしていければよかったのに。この場所が世界で一番落ち着く。おじさんがいてくれれば、もっとよかった。今日はどんな風に変わってるかなと思いながら来たのに、いなくなってるなんて。
邪魔をするな、人間ども。
あたしの世界を邪魔しないでくれ。
ふと川の中州に目を飛ばすと、そこにやっぱり黒い人影が立っている。じっとしているようにも、あたしに向かって手招きしてるようにも見えた。
あれはおじさんの魂かな? この世に取り残されてて、あたしと一緒にどこかへ行こうって言ってくれてるのかな? そう考えると、怖くなくなった。
ふと振り返ると、葦の間にしっかりついてた道が、消えてた。
あたしはどこへ行けばいいんだろう。
行こうか、帰ろうか。帰り道はなかった。
帰り道がなくなると、途端にあたしは帰りたくなって、ずっとそこにうずくまって、膝を抱きながら泣いてた。