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親分がダメな見習いの傭兵

見習いクレアは見返したい。

作者: ねぎてろ

「クレア、これを見てくれ」


 いつも通り、傭兵任務の帰りに酒場に寄っていたときのこと。


 ふいに親分が懐から取り出した〝それ〟は。

 親分の手と比べて小さな紙きれに見えた。

 それをひらひらと、クレアの眼前で躍らせる。


「何それ? チケット?」

「お、察しが良いな。何のチケットだと思う?」


 どことなくニマニマした表情をしている。


「知るわけないじゃん。どうせビールの割引チケットじゃないの?」


 そっけない様子を隠すこともしないクレア。

 月に照らされたような銀髪と、真紅に染まった緋色の瞳。


 ほんのりとした小麦色のもっちりとした肌は子供特有の弾力を残している。

 16歳になっても、カウンター席から床に足がつかずにぷらぷらとさせる低身長っぷりは、彼女の悩みの種であった。


「いーや、これが違うんだな。お前にも関係あるヤツだぜ?」


「ウチに? ――傭兵の任務に関係してるってこと?」


「おいおい、俺が酒場で仕事話を持ち出すわけないだろ?」


「……確かに。親分は不真面目だもんね。酒場で話した内容も寝たら忘れちゃうし」


「ぐっ、い、良いから当ててみろよ!」


「はいはい。ウチに関係ある……」


 仕方なく親分に付き合って考えようとして、


「おっ? もしかして君たちも『傭兵祭り』の出場者さんスか?」


 やけにハッキリとした声音が二人の会話を遮る。


 いつの間に近づいたのか、クレアの隣には見知らぬ女性が座っていた。

 上質な繊維のような輝く亜麻色のショートヘアを揺らし、ニヤリと笑って、


「こんにちはっス! 私は傭兵協会に所属する一般傭兵員のリエリーっス!」


 と、手を振って自己紹介を重ねた。


「それ、傭兵祭りの出場券っスよね?」


 親分の持つチケットを指さすと、


「私も持ってるんスよ! へへっ!」


 なんと、懐から瓜二つの紙きれを取り出してみせた。


「お前らも参加するのか?」

「もちろんっス!」

「おぉ! よろしくな! 俺はレノだ!」

「こちらこそよろしくっス!」


 二人はすぐに意気投合。クレアの眼前で熱い熱い握手を交わした。


「――えっ、ど、どういうこと?」


 話についていけないクレアは二人を交互に見る。

 親分も顔に笑みを滲ませ、


「バレたもんはしょうがねぇ。――クレア、俺とお前で『傭兵大会』に出てみねぇか?」


「――はっ!? た、たたた大会っ!?」


 目を丸くして声が飛び出た。


「な、なんでウチがっ!?」


「この大会、実は二人一組で出なきゃいけないんス。だから私はこの人と組んで出るっス!」


 リエリーが補足して、奥に座るもう一人の男性の肩をポンポンと叩く。

 せわしなく喋るリエリーと違って、黒髪で無口な男性だ。


「そういうことだ。大会っつっても軽いお遊びみたいなもんだしな。クレア、やってみようぜ?」


「……そ、それは良いけど……」


 それより確認しておきたいことがある。



「怪しい大会じゃないよね? 裏の組織とかが関わってたりしない?」



「―――――」


 クレアの真顔の問いかけに親分とリエリーは顔を見合わせ、


「「はっははははははっ!」」


「ちょ、ちょっと!? なんで笑うわけ!?」

「ぷっはは! ベテランの俺がそんなんに引っかかるわけないだろ? まったくクレアは子供――」

「マスター、熱湯を一杯お願い」「はいよ」


「――とは思えないほど大人びた思考をしてるなっ! ……落ち着け、熱湯はまずい」


 無言で熱湯の入ったコップを持つクレアを全力でなだめにかかる。

 忘れ物は毎回指摘されるくせして、都合の良い親分だ。


「まあまあ。考えすぎっスよ。規模も大きくない傭兵協会主催のクリーンな大会っス。私らはかれこれ数年は『傭兵祭り』に参加してるんすから!」


 どうやらリエリーさんは大会の常連者みたいだった。


「ん……、なら良いけど?」


 頬をついてふてくされる。


「んじゃ、そろそろ私たちは行くっスね。お邪魔したっス」

「おう、また大会でな」

「次会うときはライバルっスね」


 親分とリエリーが手を振って別れる。

 カウンター席は嵐が去ったみたいに、落ち着きを取り戻した。


「にしても、大会はどんなヤツが来るんだろうなー」

 親分は今から本番が待ちきれないようだ。

 ………………。


「ねぇ、親分」


「ん? なんだ?」

「お、親分はさ。大会で上位に入ったら嬉しい?」

「そりゃ当たり前だろ。報酬もそこそこあるらしいからな」

「ま、まぁそうだよね」


 親分をチラッと盗み見しながら、クレアは考える。

 クレアは傭兵見習いだ。師匠の親分は見習いだの子供だのとよくいじってくる。


 

 だけど、


 もし自分が活躍して、親分に良いところを見せたら――――、

 


『すげぇなクレア! 見直したぜ!』

『今まで舐めたこと言ってすまなかった! この通りだっ!』

 


 親分を見返せるんじゃ――――っ!?


 ガタっ!



「うおっ!? ど、どうしたんだ?」


 急に立ち上がったクレアに親分は眼を白黒とさせる。


(っ……! やる、やってやる!)


 だがそれには目もくれず、クレアは踵を返し、


「親分、ウチは先に宿屋帰るから」


 そう言い放って、宿屋から出て行ってしまった。


 一人残された親分は、


「あいつ、絶対機嫌悪くなったよな……。やっぱ大会出たくねぇのか?」


 頭を抱え思い悩んでいたことを、クレアは知る由もなかった。



 傭兵祭り当日。

 天気は快晴。雲一つない晴天が広がっている。


 会場に到着したクレアたちをリエリーが手を振って迎えた。


「今日は良い天気になって良かったっスね~!」


 会場もそこそこの賑わいを見せている。

 クレアは緊張して固くなっていた。


「おっしゃぁ! 今日は張り切っていくぞ!」


「その意気っス!」


「おう! そういや、お前らは身体競技部門と魔術競技部門のどっちに出るんだ?」


「もちろん身体部門っス。魔法はダメダメなんスよ……」


「俺もだ。あんなの使えるヤツの気が知れん」


「はぁ、魔術を使ってちやほやされる夢を見たことなら何度もあるんスけどね……」


 二人が魔法の才のなさに嘆いていると。


「親分、ウチは先にエントリーしてくるから」

「ん? おお、わかった」


 クレアが歓談に割り込んで受付場所に向かっていく。

 その後ろ姿を見ながら、親分は肩をすくめて言った。


「……なんかあいつ妙にピリついてるんだよな……」


「そうすか? 酒場で見た時と変わらないと思うスけど」


「このところ様子が少しおかしいんだよな。勝手にどっか出歩いてるみたいだし」


「ん? ――あははっ、それなら心配無用っスよ!」


 親分がぴくりと眉をあげる。


「心配無用ってなんでわかるんだ?」


「そうスね……。あまり私の口からは言えないっスけど。とにかく大丈夫っス!」


 リエリーは親分の肩を叩いてサムズアップ。


「???」

 いったい何が大丈夫なのか。

 親分は首をかしげるばかりだった。

 

――――――――

 

「中間結果を発表しまーす!」


 午前競技が終わり、順位表が壁に張り出された。

 順位は15組の中で六番目。そこそこの順位だ。


 親分が頑張っ(体格と筋肉でごり押し)たおかげで平均あたりをキープ。

 上位に入る可能性はまだまだあった。

 台に上がったお姉さんが声を張り上げる。


「次の競技は〝翼獣レース〟です! 翼獣レースはチームのどちらか一名の方にご参加いただきます。それでは、準備のできた傭兵さんは獣舎へどうぞ!」 


 説明を聞いて顔をしかめたのは親分だ。


「くっ、次は翼獣レースかよ。もうずいぶん乗ってねぇな……。けどしゃーねぇ。ここは俺が気合でなんとか――」

 ――するしかない、そう意気込んで足を向けようとしたときだった。

「ウチがやる」


 すっと現れたクレアが親分を横切っていく。


「えっ? お前が? なに言ってんだ。翼獣なんて乗ったことないだろ」

「良いから。親分は座って見てて」

「翼獣に乗るのは見た目ほど簡単じゃな――」

「良いじゃないっスか。やらせてあげても」


 引き留めようとする親分を呼び止めたのはリエリーだ。


「何事も経験大事っスよ? 意外にセンスあるかもしれないっス!」

 リエリーと眼が合う。

 彼女は親指を上げ、にっこりと微笑んだ。

「……無茶だけはするなよ」

「わかってる」

 親分の説得に成功すると、クレアは獣舎に足を向けた。


 無表情な顔の裏で、クレアは心臓の高鳴りを感じていた。

 この時を、この時を待ってた。

 このために数日間。クレアは練習に費やしてきたのだから。

 ――――…………



 時は数日前に遡る。


「――なるほどっス。親分の目の前で良いとこを見せたい、と」

「うん。どうやったら良いかな」


 傭兵協会の室内にて。

 わいわいと騒がしい部屋の隅でリエリーとクレアが向かい合って座っていた。

 話題はもちろん、数日後に行われる傭兵祭りについてだ。


 クレアが相談に行くと、リエリーは快く受けてくれたのだった。


「それならとっておきの方法があるっス!」


「え、ほんとっ!? どういう方法?」


 クレアが前のめりになる。その目はいつになく真剣だった。



「ふふん、それはズバリ――〝親分ができないことをする〟――これに限るっス!」



「親分ができないこと?」


「そう! 聞いた感じ、親分はかなーりの凄腕傭兵みたいっスね。それなら大会の種目も大体は難なくこなすはずっス」

「たしかに……」


 いつもは酒を飲んでバカ騒ぎをしてる親分だけど、腐っても親分だ。

 傭兵の大会でも実力は遺憾なく発揮されるはず。


「でも、いくら親分でも苦手なモノはあるはずっス。そこでですよ? 親分が苦手とする競技でクレアが活躍すれば――」


「親分に良いところを見せられる!?」


「そういうことっス! 親分もイチコロっスよ!」


 リエリーが手を握りしめてガッツポーズ。

 クレアじゃ思いつきもしなかったことだ。


 大会経験者のリエリーに相談して正解だった。


「待って、イチコロって語弊があるわ。別にウチは親分にちょっと見返したいだけよ」

「まぁまぁ、そこは深く考えなくて良いっス! とにかくこの中から苦手そうなヤツを選んで欲しいっス」


 そう言って、リエリーは机の上に一枚の紙を広げる。

 それは大会当日の競技名の書かれた日程表だった。


「槍投げ、瓶割り、樽転がし……競技は色々あるのね。――これは?」

「それは〝翼獣レース〟っス。街全体がコースになっていて、早く一周した人にポイントがもらえるヤツっス。大会でもかなり人気な競技で、傭兵協会に内緒で賭けが行われるほどっス」


 へぇ、人々の注目も多く集まる競技みたいだ。


「でもウチ、親分が翼獣に乗ってるとこ見たことないかも」

「一人前の傭兵なら誰もが乗ったことあるはずっスけど。……んー、長らく乗ってないなら、それが親分の苦手な競技かもしれないっスね」

「……あっ、思い出した! 親分、高いところ苦手って言ってた!!」


 弾かれたように顔をあげる。


 以前、親分と一緒にとある町を観光したときのことだ。

 街で一番の名物の巨大時計台。その街が一望できる時計台室に登ろうとしなかった。

 そのとき、親分は〝高いところが苦手〟だと言っていたのだ。


「でかしたっス! 高いところが苦手なら、翼獣に乗るのが苦手でも不思議じゃないっス!」


 親分は高所恐怖症だ。

 ある。可能性は大いにある。


「翼獣レースで一位を取れば親分もクレアのこと見直すっス! ところでクレアは乗れるんスか?」

「いえ? まったく乗れないけど」

「…………」


 リエリーの笑顔が固まった。


「え? じゃ、じゃあどうするんスか?」

「どうするもこうもないでしょ」

 言って、クレアは椅子から立ち上がる。


「――今日から大会までみっちり練習するわ! 弟子の意地を見せてやる」



 ――――…………

 そして今。


 クレアは翼獣の背にまたがり、スタート地点に立っている。


(ここまでは想定通り……!)


 親分はやっぱり苦手だった。あとはウチが活躍するだけ……っ!

 鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。

 大丈夫、〝切り札〟もある。


「おい、あんな子もレースに出るらしいぜ?」

「すげぇな。応援してやろうぜ」


 さっきから周囲の視線が気になってしまう。

 それも仕方のないことだ。


 レースに出場する傭兵の中でクレアは最年少なのだから。


「クレアっ、無理すんなよ!? 危なかったらすぐ降りろよっ!?」


 そんな中、親分の声がどでかく広場に響いた。

 あまりの大きさに周りや人が驚いている。

 そのせいでさらに注目を集めてしまう。


(ああもうっ! 親分のせいでもっと注目浴びちゃったじゃん!)


 クレアは緊張のあまり、手綱がぷるぷると震えていた。


「妨害行為とコースの途中で降りた場合は即時失格とします。正々堂々と戦ってください!――それでは傭兵の皆さん! 準備は良いですか?」



 ――おぉぉおおおおおおっ!



 歓声が轟く。今回の大会優勝者を決める最後のレースが始まろうとしている。

 クレアは手綱を強く握った。

 

「よーい――スタートっ!」


 合図した瞬間、翼獣たちが一斉に翼をはためかせ、広場に竜巻のような風が巻き起こった。

 強風の中、クレアは薄目になりながら翼獣の手綱を引く。


「行って……っ!」

 ぶわっと翼獣が空へと舞い上がった。



 一気に速さを上げ、みるみるうちに遠ざかっていくスタート地点。

 どうやら離陸はうまく出来たようだ。

 クレアは少しだけホッとする。

 前を向けば、既に数体の翼獣が風を切って進んでいた。

 クレアも負けじと翼獣を操って後へと続いていく。

 


 ――――……



「マジか……」


 彼方へと飛んでいくクレアに、親分は口をぽかんと開けて見送っていた。

 クレアに翼獣の飛び方を教えた記憶はない。

 いったいどこで、誰から教わったのか。


「ついに最後のレースが始まったっスねー。これが傭兵大会の目玉っス!」


 横を見れば、リエリーが同じように手を翳しながら飛び去っていく翼獣を見送っていた。

 意外なことにリエリーは翼獣レースに参加しなかったようだ。

 ということは、レースに参加しているのはもう一人の方か。

 それより親分はリエリーに訊きたいことがあった。


「お前が教えたのか? 翼獣の操作方法」

「いやいや、教えるなんて大層なこと私にできないっス。ただ、練習に付き合っただけ。私もそう上手くないんスよ」


 だから大会前の数日間は姿が見えなかったのか。

 リエリーは含み気に笑って、


「どうっスか? 弟子さんの飛ぶ姿」

「ああ、しっかり乗りこなしてたな。俺よりずっと上手い」

「それ、帰ってきたらちゃんと言ってあげるんスよ?」


 先頭集団はとっくに街角を曲がって姿を消している。

 リエリーは感心する親分の横顔を見て微笑んでいた。



 ――――……。



 風が強い。眼を続けるのも難しい強風がクレアを襲う。

 クレアの少し前には二体の翼獣が見える。つまり今は三位だ。


 クレアは必死に先頭集団に食らいついていた。

 たった数日の練習なのだ。練度もキレも熟練者のそれには遠く及ばない。


 それでもクレアは、自分にできる最大限のことをしていた。

 街路を縫うようにして飛行する。一瞬でも気を抜けば建物に衝突して失格だ。


 重傷も免れないだろう。それだけの速度を出している。

 そうなったら親分を見返すどころか、顔向けできない。


「ぅうっ……!」


 右へ左へと進路を変更し、翼獣を飛ばす。

 アーチ状の橋をくぐり抜け、細い路地裏へと吸い込まれるように入った。


 もうまもなく半分を切っただろうか。

 残り半分。このまま三位ならポイントを貰える。


 レースの順位次第では、上位に入れるだろう。

 初出場、初操縦、初挑戦にしてはよくやった方だ。


 自分でも驚くほど調子よく飛ぶことができている。

 親分を見返すには充分な順位だし、及第点はとっくに超えている。


 でも。


(――でも、それじゃダメ。これは一位を狙うためのレースっ!)


 ぐい、と手綱を引っ張ると、急激な方向転換を図った。

 身体が真横に傾き、翼獣が左に旋回する。


 先頭の二人が視界から消え失せ、別の通路に切り替わった。


「よしっ!!」


 このゲームのルールはいたってシンプルで、早くゴールすれば良いだけ。

 だけど、このゲームの肝心なところは〝道が制限されない〟ところにある。


 指定されたコースの範囲を越えなければ、どの道を選んでも問題ないのだ。

 一見すれば単純な技術勝負に見えるこのレース。


 勝敗の分け目は街の地形を理解しているか、なのだ。

 ここ数日、練習と平行してずっと街を歩き回り、コースを確認していた。


 すべてはこの瞬間、この近道のためだけに。

 これがクレアがとっておいた最後の切り札だ。


 いくつもある迷路のように枝分かれした通路。

 あの分かれ道がこのレースの最短ルートなのは、クレアだけが知っていた。


 ぐんぐんと翼獣を飛ばす。

 ほどなくして薄暗い通路の先に一筋の光が見えた。出口だ。


 この通路を抜けると、ラストスパートになる。

 果たして先頭を飛んでいた二人を抜いて、一位になっているのか。


 期待と不安が入り混じった感情の中、クレアは裏路地を抜けた。


 視界が真っ白に染め上げられる。


「んっ……!」


 思い切って目を開けると、眼前に河川が広がっていた。

 周りは誰もいない。


 クレアはドキドキしながら川に沿って低空飛行の体勢に移った。

 怖くて後ろを振り向けない。前に進むしかなかった。


 この川が最後の直線だ。

 高鳴る気持ちを抑えながらクレアは全力で飛ばし続ける。


 

「……? あれって……?」



 前を見据えていたクレアは、川の中央でバシャバシャと動くものを捉えた。

 距離を落としその存在を目視する。



 あれは、子供――?



 クレアは最初、川遊びをしている子供かと思った。

 でも違った。手と足の動きは明らかに泳いでいるとは言えなかったからだ。


 次第に動きは鈍くなっていき、身体がどんどん沈んでいくのが見えた。

 その瞬間、クレアは無意識に手を伸ばしていた。


 身体を限界まで倒して、子供に手を届かせようと。

 しかし、その判断は誤りだった。


「――っ!? あっ」


 バランスを崩し、翼獣の背から滑り落ちる。


 ばっしゃあぁああんっっっ!!


 気が付いた時にはクレアは水面に身体を打ち付けていた。

 全身を鞭で打たれたかのような痛みが襲う。


 傭兵で培った身体のおかげで、辛うじて意識を飛ばさずに済んだ。

 痛みを懸命に堪え、子供を探す。


 クレアの真下で、暗い水の底に落ちる子供の姿があった。


「っ――――」


 潜りこむと、子供を抱き寄せる。

 その子はブロンズの長髪を持つ女の子だった。


 意識はない。間違いなく水を飲んでいる。

 早くしなければ手遅れになる。


 でも、ここの川の水流は思ったより激しい。

 上手く身体を動かすことができず、どんどん流されていく。


 さっきまでの飛行で力を使い果たし、水面に登ることさえ困難だった。


(このまま上に上がれなかったら……自分まで溺れて――)


 ふっと浮かんだ最悪の未来に、全身が恐怖に支配されそうになる。

 その身体を突如として誰かが抱きかかえた。


「っ――!?」


 首を回したクレアは驚いて泡を吐きそうになる。

 親分だったからだ。


 親分はクレアと少女を抱え、川の流れに逆らって上へと登っていく。

 その安定感。クレアだとこうもすんなりと上がれなかっただろう。


「ぷはっ!」

「はぁっ! はぁっ! けほっ、けほっ!」


 まもなくして水面に顔を出した。

 久しぶりの空気。思いっきり息を吸う。


 そのまま親分はクレアたちを川辺へと引き上げた。

 川辺で待っていたリエリーが駆け寄ってくる。


「大丈夫っスか!?」

「あぁ、ひとまずはな。この子の処置を頼む」

「りょ、了解っス!」

 意識を失った少女をリエリーが急いで運んでいった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「ふぅー、はぁ……。はっはっは! 間一髪だったな!」

 ぐったりとするクレアの横で、親分は笑っていた。

「親分、なんで……ここが?」

「水音が聞こえたのと、飛んでる翼獣の背にお前が乗ってなかったからな。川に落下したんじゃないかと思って駆け付けたんだ」


「…………」

 ホント、腐っても親分だ。周りの観察力は並外れている。


「……怒らないの?」

「怒る? どうしてだ?」

「だって……。だってウチは無理やり翼獣レースに出た上に、危ないことして、死にかけて、失格になっちゃったから……」


 ルールは落下と妨害行為はその場で失格だ。

 なら、自分はとっくに失格扱いされているだろう。


 もし親分が操縦していたら、失格になってなかったはずだ。

 俯くクレアを見て、親分はため息をつくと、


「なーに白けた顔してんだバカ」

「いたっ!?」

 指パッチンをされ、クレアは鼻を押さえて見上げる。

 バカっ!? バカって言った!?


「お前はあの子を助けようとして落ちたんだろ? お前はなーんも間違っちゃいない。むしろ正解だ」

「っ――」

「傭兵は人を護るのが仕事だ。お前はそれを立派に果たした。レースの失格なんざ、それに比べたら大したことじゃねェ」


 それに、と親分は続ける。


「あの瞬間まではお前、一位だったんだぜ? お前がアレだけ早く飛べたから、女の子を助けることができた。どこにも怒るとこなんかねぇよ」


 ぽん、と濡れた白髪に親分が優しく手を置く。


「――よくやった。お前は俺の自慢の弟子だ」


 みるみるうちに目頭が熱くなっていく。

 溢れた涙が頬を伝って落ちていく。


「な、なにそれ……。見返そうと思ってたのに。こんなはずじゃ……」


 顔を背けると、涙をぬぐった。


「? なんだお前、泣いてんのか?」

「ち、違うしっ! 怖かったとかじゃないし!」

「はっはっは! 可愛いヤツだな」

「だから違うって言ってるでしょ! バカ親分っ!」


 こんなのは見返し成功じゃない。大失敗だ。

 また親分に助けられてしまったのだから。


 あげく泣き顔まで晒してしまった。

 腫らした目を上げる。


 かくして。


 クレアの想いは続いていく。



 次こそは、親分を見返すために――と。

読んでいただきありがとうございます!

同一人物作品の『親分がダメな見習いの傭兵』もよろしくお願いします!!


https://ncode.syosetu.com/n2993ie/

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