第六話 飛行器のお披露目
■1903年(明治三六年)1月
東京 青山練兵場
現代の神宮外苑の見事な庭園と森が広がるあたりから国立競技場や神宮球場がある辺りにかけての土地は、明治三六年当時は何もなく青山練兵場と呼ばれる広大な荒地が広がっていた。
真冬の寒風が吹きすさぶ中、その練兵場の一角に今日は数十名の陸軍軍人が集まっていた。
電信教導大隊の人間を除けば、ほとんどが佐官以上の将官である。田村次長をはじめとした陸軍参謀本部の者らであった。
そんな軍人の集団の中にただ一人、場違いな私服を着た民間人が混じっていた。
「いやーワシのために、こなぁにようけの人が集まってくれるなんて、がいに嬉しいぞなもし」
ただ一人の民間人である二宮は、「寒いからさっさとやれ、失敗したら許さん」と言う仏頂面の軍人達の無言の圧力に囲まれても気にしていない。
なにしろ努力の成果を披露し10年来の夢を実現できるチャンスが到来したのである。ウキウキ有頂天になるのも当然であった。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
浮かれた様子の二宮に北川が心配そうに尋ねる。
彼を引っ張り出したのは自分であるから、お披露目失敗は自分の責任問題になる。それだけではない。彼の飛行器が対露戦の肝であるから失敗は日本の命運にもかかわる。あまりの責任の重さに北川は気が気ではなかった。
「大丈夫じゃ大佐殿。ちゃあんと来る前に鴨川の河川敷で試験もしたけんバッチリじゃ。今日は大船ならん大鷲にでも乗った気で見よってつかぁさいな」
北川の気も知らず、二宮がにっこり笑う。
「まあ、確かに準備は十分して来たようだな」
二宮の横に置かれた飛行器を見ながら北川は頷いた。
そこには二つの飛行器が置かれていた。一つは先日、二宮が見せたカラス型飛行器であった。ゴムさえ換えれば大丈夫と彼は言っていたが、念を入れたのかゴムだけでなく主翼や尾翼の紙も真新しいものに張り替えられている。
そしてもう一つは、カラス型飛行器より一回り大きな真新しい機体だった。
「あー、こっちは徹夜して作ったんじゃよ。ほら今度の計画は滑空だけって話じゃろう?ほうじゃけんプロペラの無い機体の方がええかな思うて」
北川の視線に気づいた二宮が得意げに説明する。製作時間が無かった事もあるが、それは海外の書籍を参考にしたのかカラス型飛行器よりはるかに簡素な形状だった。そして二宮の言う通りプロペラが無い。
「カモメ型飛行器って名付けたんじゃ。ええ名前ぞなもし?いやー名前考えるだけで半日かかった」
それは現代の目で見てもカラス型飛行器より洗練された姿をしていた。尾翼はすべて胴体後部にまとめられおり主翼は単純な形状ながら細長い。つまりは現代のグライダーに似た印象の機体だった。
正直、名前なんかどうでもいいんだがと思いつつ、北川は二宮に胡散臭そうな目をむける。
「それで?動力のない飛行器をどうやって飛ばすんだ?」
「そりゃー投げるんじゃよ。当たり前やなか。本当は高い所から投げられたらええんじゃがのぉ……」
二宮はキョロキョロと周囲を見回す。
「うーん、良さげな高い所は無さそうじゃのう……あの演説台じゃ低すぎるし。そう思うて、ぎゃんとコレ用意してきた」
じゃーんという効果音が付きそうな勢いで二宮は持っていた袋からロープを取り出した。結構な長さがあるそのロープの先端は結ばれて輪になっている。
「これぞなもし、この先っちょのここに引っ掛けて……」
二宮はロープの先端の輪っかを飛行器の前についているフックに引っ掛けた。
「あとはロープの端持って走ったら、凧あげ宜しゅう機体が浮き上がるって寸法じゃ。あーうちゃ体力ないんで、どなたか屈強な兵隊さんに引っ張ってもらえると嬉しいなーって感じなんじゃが」
しっかり厚かましいお願いをする二宮である。
「……仕方ないな。大尉、隊から足の速い奴を二人ほど選んでくれ」
北川はため息をつくと河野大尉にロープを引く兵士を選ぶよう指示した。
試験というお披露目はカラス型飛行器の方から行われた。
「では用意しよわい」
そう言って二宮はプロペラを指でクルクルまわしてゴムを巻いていく。
「ではいきますよー!えいっ!」
ゴムが十分に巻けた所でプロペラを指で押さると、二宮は気合をこめて飛行器を斜めに空中に投げ上げた。
指という枷がはずれたプロペラがゴムの力で回転し機体に推進力を与える。わずかに左右のバランスを意図的にずらされた機体は螺旋を描きながら力強く上昇していく。
やがてゴムの力が尽きると機体はゆっくりと滑空をはじめた。そして青山練兵場の空を30秒以上飛んだ後ふわりと草地に着陸した。
「「「おおお!!!」」」
その見事な成果に見学者らも一様に驚く。
「10年も前に本当にこれほどの物を作っていたとは!己が不明が恥ずかしい。叶うならかつての自分をぶん殴ってやりたい」
試験に参加していた長岡少将も特徴的な髭を震わせて感激し、二宮に駆け寄ると手を握って再びかつての己の不明を改めて詫びたほどだった。
次いで本命となるカモメ型滑空器の試験がおこなれた。
「本当に大丈夫か?こっちが本命なんだぞ。まともに飛ばすのは今日が初めてなんだろう?」
ウキウキした様子で準備をする二宮を見て北川が心配そうに尋ねる。
「たぶん大丈夫だと思おわい。一応、自分で投げた時は50メートルほど飛んだけん」
北川の心配をよそに二宮には何の気負いもない。二宮はおもむろに指をペロリと舐めて風向きを確認した。
「えーと風上はあっちじゃけん……それじゃーこの縄を持って、あっちに向かって全速力で走ってつかぁさい」
はい宜しく、と二宮は機体に引っ掛けたロープの反対の端を北川の頭越しに二人の兵士ポンと渡す。そして走る方角を指さすと自分は機体を頭上に掲げて今か今かというキラキラした目で兵士を見つめた。
「……正月の凧揚げだと思って、こいつに言われた通りに走ってやれ」
ため息をついて北川が命令する。
二人の兵士は渡されたロープを持って命令どおり全速力で走り始めた。すぐにロープはピンと張り、それに引かれて滑空器は二宮の手を離れる。一瞬だけ滑空器は地面に擦れそうになるが落ちはせず、その高度を少しずつ上げていく。
兵士らが凧揚げの要領でロープを繰り出しながら100メートルほど走った頃には滑空器の高度も見上げる程になっていた。斜めになったロープが自然に機体のフックから外れると、機体は緩やか機首を下に向け滑るように滑空しはじめた。
「高度25……28……最高到達高度、30メートル、機体は緩やかに降下中」
河野大尉の指揮する観測班が角度計で高度を測定し読み上げる。飛行距離を測定する別の班が巻き尺を伸ばしながら機体を追いかけていく。
「やった!やった!行け!行けー!」
自分も兵士と機体を追いかけて走っていた二宮が子供のようにはしゃぐ。その声に押されるように滑空器はまっすぐ練兵場の空を進んでいく。そしてカモメ型滑空器は二宮本人も驚くほどの距離を飛行して荒れ地に着地した。
「ただ今の記録、308メートル!」
「「「おおおーーー!!!」」」
観測班の報告に皆が沸いた。
滑空開始高度から計算される滑空比は10程度、現代のグライダーに比べれば数分の一に過ぎない。だが単純なキャンバー翼型とアスペクト比の小さな主翼である事を考慮すれば十分に優秀な性能と言えた。
「よくやってくれた。このまま研究を進めてくれ」
この日の試験は大成功に終った。見学していた田村参謀本部次長もその結果に大変満足し、電信教導大隊に本格的な飛行器の開発を指示するとともに、二宮には陸軍の全面的な支援を約束した。
この後、陸軍は電信教導大隊の管轄下に新たに陸軍飛行器研究所を設立する。二宮にその所長となってくれるように要請した。
この当時、二宮は大日本製薬株式会社で重役の地位にあった。だが研究所で作戦用途以外の飛行器の研究開発も自由に行って良い事と、その支援も陸軍がしてくれるという条件で清く会社を辞すと、研究所の所長に就任した。
こうしてネコ投入作戦は一歩前進し北川と河野はホッと息をついた。だがまだこの先にいくつもの難関が待ち構えている事を彼らはまだ知らなかった。
陸軍飛行器研究所は架空の組織です。後の陸軍航空本部の礎となる臨時軍用気球研究会より6年も早く航空機開発の組織が生まれる事となりました。
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