第五話 二宮忠八と飛行器
ようやく二宮忠八の登場です。
■1903年(明治三六年)1月
陸軍参謀本部
「こちらが計画の起案書となります」
田中館教授からネコの投入に滑空機を用いる案を受けた北川の電信教導大隊は、年が明けるとすぐに素案まとめ参謀本部に提出した。
「ふむ……飛行器を使う案か。それしか手が無いという事も理解した。よろしい、その線で進めてくれ」
参謀本部次長の田村が認めた事で、その案は陸軍の正式な計画となった。だが田村にも懸念があった。
「しかし飛行器か……本当に我が国に作れるだろうか。せめて誰か専門家でも居れば良いのだが……」
単純な滑空機とは言え飛行器は世界的に見てもまだまだ最先端の技術である。いくら専門書があるとは言え、本当に無事に開発できるか田村ら参謀本部の面々にも確信がなかった。
「飛行器か……そう言えば……」
第五師団から連絡を兼ねて偶々会議に参加していた長岡外史少将がつぶやく。
「どうした長岡?何か気になる事でもあるのか?」
それに気づいた田村が声をかけた。
「いえ……10年ほど前、日清の頃ですが……部隊のある衛生兵が軍用飛行器の開発を上申してきた事を思い出しておりました。当時の私は荒唐無稽な話だと突っぱねたのですが……今にして思えばもっと真剣に聞いておけば良かったと後悔していた所です」
「おい、その衛生兵とやらは今どこに居る!?」
陸軍は慌ててその衛生兵の所属を確認した。そして当時の記録をひっくり返して何とか衛生兵の素性を突き止める事は出来た。しかし……
「彼の者はもう陸軍におりません。既に退役しております」
その衛生兵は既に軍を辞めた後だった。
「そいつを軍に連れ戻せ!それが駄目ならせめて計画に協力させろ!」
■1903年(明治三六年)1月
京都府 八幡町 二宮邸
松の内も明けやらぬ正月の玄関先で二宮忠八は途方に暮れていた。
「誠にすまなかった」
彼の目の前で、かつての上官である長岡が頭を下げている。彼の自慢の大きなプロペラ髭も今日は力なく垂れ下がっている。
日清戦争当時、長岡に飛行器の開発を上申した衛生兵というのが二宮であった。彼は案を却下した軍に失望し程なく軍を辞めていた。そして自力で飛行器を開発する資金を得るため民間企業に就職していたのである。
その二宮の元に長岡が北川と河野を伴って訪れた。そして二宮が玄関を開けるや否や開口一番に長岡が頭を下げたのだった。
「君の先見の明に気づけなかった私の落ち度だ。おかげで我が国は世界に先駆ける機会を失い10年もの時を無駄にしてしまった。私は許してもらわなくても構わない。いくらでも恨んでいい。しかしどうか、どうか御国のために協力して欲しい」
深く頭を下げたまま長岡は言葉を続けた。その軍服の襟元には少将の階級章が光っている。いくら因縁があるとは言え玄関先で少将に頭を下げられる状況は非常にまずい。
「か、閣下、困ります!頭を、どうか頭をお上げください」
困り果てた二宮は北川や河野に助けを求めたが、彼らも二宮同様に固まってしまっていた。
「こ、これでは話が進みません。と、とにかく中へ!何か事情がおありのご様子、まずはその事情から説明お願いします」
なんとか長岡の頭を上げさせる事に成功した彼らは、とりあえず二宮の家の中で詳しい話をする事にしたのだった。
「……無動力の飛行器でネコをロシア軍の陣地に送り込みたい。つまりは、そういう事ですね」
北川から一通りの事情を聞いた二宮は納得した。なるほどこの任務を実現できるのは我が国では自分を置いて他に居ないだろう。
空を自由に飛ぶこと志してもう10年。内心では半ば諦めかけていた夢に一筋の光明が差し込んだ。突然転がり込んできた幸運に二宮は感謝した。
「うひっ……」
喜びの感情が溢れ出そうになった二宮は思わず俯く。
「どうだろうか?その飛行器の開発に協力してもらえないか……?」
俯いたまま肩を震わせる二宮の様子を誤解した北川が心配そうに尋ねる。
「それとも難しいか?……やはり無理だろうか……?」
俯いて肩を震わせる二宮に、長岡も心配そうに声をかける。もし自分が理由ならば首でも腹でも賭ける覚悟があった。まさか二宮の内心が歓喜でお祭り状態である事など知る由もない。
「出来ます!出来ます!ぜひやらしてつかぁさい!!」
突然、二宮がガバっと顔をあげた。喜びのあまり心が10年の時を飛び越えたのか言葉が生まれの訛りに戻っている。
「「「うおっ!!」」」
驚いた三人は思わずのけ反った。
「なんぼでも協力する!飛行器はできる!つうかその程度の目的なら、とっくにあらかた出来とるじゃけん!!」
食いつかんばかりの勢いで二宮は三人に詰め寄った。
「ほ、本当か!?」
二宮のあまりの勢いに三人は少したじろぐ。
「ちいと待っとってつかぁさい!」
その三人を置いて二宮は家の奥に駆け込んだ。そしてガサゴソと探し物をする音がしばらくした後、布を被った何かを持って帰ってきた。
「これがわしの作った飛行器じゃ。とは言うても模型じゃけん実際はもっと大きゅう作る必要があるんじゃが」
そう前置きして二宮は布の覆いを取り除いた。その下から現れたのは全長50センチほどの模型だった。
竹ひごと紙で作られたはそれは、垂直尾翼が機首にありプロペラが主翼の後ろに付いていものの、現代のゴム動力飛行機と似た感じの機体だった。
「うーん、やっぱりゴムはいけんようになっとるか……翼の紙の方はまだかまんな……」
機体を確認しながら二宮がつぶやく。主翼や尾翼はまだ形を保っていたが、プロペラを回すためのゴムは経年劣化でボロボロになっていた。
「こ、これは……?」
「あーこれか?わしはカラス型飛行器と呼んどる。10年ほど前に作ったんじゃが軍にお披露目する機会もないままお蔵入りしとったもんじゃ」
二宮は少しだけ恨めしそうな眼を長岡に向ける。
「なんと10年も前にこれほどの物を!!」
北川らは一様に驚く。彼らが驚くのも無理はない。この模型飛行機は、時代を考えれば恐ろしいほどの先進性を秘めていた。
10年前と言えばまだリリエンタールがようやく空を飛び始めた頃である。すでに世にはアルフォンス・ペノーの模型飛行機も存在していたが、いずれも鳥の形を模倣した域を出ていない。
それらに比べると二宮のカラス型飛行器は明確に一線を画していた。鳥の形態模写から離れた楕円翼、機能別に分離された水平尾翼と垂直尾翼(先尾翼)、羽ばたきに頼らないプロペラ動力。
その姿は現代のゴム動力模型飛行機と比べてもなんら遜色がなかった。実際に10年前にはこれで飛行実験にも成功している。
二宮はいずれこれを大型化して人が乗れるものを作ろうと考えていた。このためプロペラは推進式とされ主翼と胴体の間に空間が設けられている。
もし人の搭乗を考慮しなければ、二宮はおそらく現代の模型飛行機とほぼ同一のものを作り上げたであろう事は想像に難くない。
「よし、ゴムを換えるだけで良いじゃろう……どこか広い土地使わしてもらえたら、こいつが実際に飛ぶところお見せできよわい」
嬉しそうに手にしたカラス型飛行器が飛ぶ様子を見せるその姿は、まるで子供の様だった。
二宮忠八のセリフは伊予弁にしてみました。本当は八幡浜弁で少し違うみたいです。正直ぜんぜん分かりません。
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