第一話 ネコと参謀本部
ロシアとの戦争が迫る日本に伝えられたロシア人の弱点。それは驚くべきことに『ネコ』だった。
ロシア軍の陣地にネコを送り込めという難題が電信教導大隊に命ぜられる。次々と現れる難問。それに立ち向かった男たちの秘策とは。
奇跡のネコ投入作戦に挑んだ男たちの執念の物語を送ります。お楽しみに。(BGM:希〇の星)
■1902年(明治三十五年)12月
陸軍参謀本部
「ロシア人はネコスキー!」
「「は?」」
今信玄とも評される戦略家、参謀本部次長の田村怡与造が突然放った謎の言葉に、部屋に居た参謀たち全員がフリーズした。
「ロシア人はネコスキー!!」
「「はい?」」
田村が再び同じ言葉を放つ。大事な事なので二回言いました。
「あの……閣下、それはどういう意味でしょうか?」
いち早くフリーズ状態を脱した参謀が意を決して田村に尋ねる。
「ロシアの、いや正確に言えばロシア人の弱点が分かった」
「それは本当ですか!?」
その言葉に他の参謀らのフリーズもようやく解け色めき立つ。これこそ皆が待ち望んでいた情報だった。
義和団の乱に乗じて満州を占領したロシア軍は、露清条約にも従わず未だに満州に居座り続け日本に対する圧力を強めていた。
日本もロシアとの開戦は避けえないものと考え対露戦の研究を開始していたが、田村をはじめ参謀本部の英才がどう知恵を絞っても勝ち目のない戦いである事が分かり切っていた。
このため皆が何かに縋りたい思いを抱いていたのである。
「閣下、その弱点というのは?」
参謀らが意気込んで田村にたずねた。
「ネコだ」
「「は?」」
「ネコだ」
田村の答えに参謀らは再びフリーズ状態に陥った。しばらくの沈黙の後、一人の参謀が恐る恐る尋ねた。
「あの閣下……ネコというのは……もしかして四つ足で毛むくじゃらの……?」
「そうだ」
「ネズミを捕ったり、冬になると囲炉裏の横で丸くなったりする……?」
「そうだ。そのネコの事だ」
田村が重々しく頷く。その代わりに参謀本部の室内には、ものすごく微妙な空気が流れた。
「それはその……何かの冗談か間違いでは?」
参謀の一人がもっともな疑問を口にする。
「いや、明石からの情報だ。間違いない」
そう言って田村は手にした紙をヒラヒラと振って見せる。それは今年からロシアに渡り諜報活動を行っている明石元二郎大佐からの報告書だった。
「いやいやいやいや、いくら明石大佐の情報とはいえ、ロシア人の弱点がネコってのはおかしいでしょう!」
たまらず参謀たちが叫んだ。たしかに正確で考察に富んだ明石からの情報は参謀本部でも信用されている。しかしいくら何でも「ネコが弱点」という情報は酷すぎた。
だが田村は冷静だった。
「私も最初はそう思ったがね。だが明石によればこれは極めて客観的な事実に基づいた情報らしい。ところで君は、イヌかネコを飼っているかね?」
そう言って田村は近くに居た参謀に尋ねた。
「え?イヌかネコ?じ、自分の実家ではイヌを飼っておりますが……」
突然、突拍子もないことを尋ねられた参謀は戸惑いながらも答える。
「そうだろう。この日本ではイヌ派が主流だ。かく言う私もイヌを飼っておる」
田村はうんうんと満足げに頷く。
「だがな、ロシアでは信じられんことに国民の6割がネコを飼っているそうだ。野良を含めればほぼ全国民が何らかのネコを常に手元においている。つまりロシア人はほとんどがネコ派という訳だ」
「なんと!」
「そんな馬鹿な!」
「ありえない!」
「なんという天国!」
イヌ派の多い日本では考えられないほどの偏り具合である。その事実に約一名を除き参謀達は驚いた。
「しかし閣下、たとえいくらロシア人がネコ好きでも、それが弱点となる理由が分かりません」
「それは君達がネコ好きの本質を知らんからだ」
田村は皆の疑問は理解できると言うと、先ほど一人だけ違う反応を示した参謀に顔を向けた。
「ところでそこの君、どうやら君はネコ派のようだな」
「はっ、その通りであります」
「ではネコ派の意見を聞こうか。仮にここにネコが居たら君はどうするかね?」
「愛でます。すべてに優先して全力でネコを愛でます!」
ネコ派参謀は躊躇なく答える。
「ふむ。ではもし、ネコか日本か、どちらか一方を選べと言われたら君はどうするかね?」
「え!?そ、それは……」
ネコ派参謀は言葉につまった。
日本陸軍の軍人であれば迷う事など無い質問である。だが真剣に苦悩するネコ派参謀の様子を見て、他の参謀達は驚愕の表情を浮かべた。
「どうするかね?もし日本のために二度とネコを愛でるなと言われたなら?もちろんこんな馬鹿げた想定状況はあり得ないものだ。この答え如何で君の処遇に影響が出る事は無いと私が保証しよう」
答え難そうなネコ派参謀に田村が条件をつけ加えた。他の参謀たちも固唾をのんで答えを待つ。
そして長い沈黙の後、ネコ派参謀はようやく口を開いた。
「私は……私は……恥ずかしながら、ネコを選びます……」
申し訳ございません!そう叫ぶとネコ派参謀は床に崩れ落ち泣き始めた。
「なに!?」
「なんだと!?」
「馬鹿な!?」
ネコ派参謀の答えに室内がどよめいた。逆に田村は大きく頷く。
「どうだ分かったかね?これがネコ派だ。ごく一般的なネコ派の姿だ。私も正直、明石の報告を信じられなかったが、この様子を見れば信用できるだろう」
蹲って嗚咽をもらすネコ派参謀の背中を優しく撫でながら、田村は他の参謀たちを見回した。
「見ての通りネコ派の人間にとってネコは至上の存在。ネコを何よりも優先する。それはロシア人であっても変わらない。ロシア人は全てネコスキーだ。きっとこの彼と同じ反応を示すだろう」
泣きじゃくる同僚の姿を前にしては、さすがに参謀たちも田村の言葉を否定できない。
「つまり満州や旅順に配備されているロシア兵も当然ネコスキーだ。そして彼らはもう長くネコを断たれている」
田村の言葉に参謀たちはハッとした。
「彼らはいわばネコという麻薬を絶たれた中毒患者のようなものだ。そんな所にネコを入れたなら、いったい彼らはどういった反応を示すだろうかね?」
「そうか!ネコを送り込めばロシア兵を無力化できるかもしれん」
そうだった、元々はロシア人の弱点についての話だったのだ。そして目の前にその弱点は明らかにされている。目標を与えられた参謀たちはすぐに議論を始めた。
当面の課題は、ネコをロシア兵の元に送り込む方法である。
「どうやってネコを敵地に無事に送り込むんだ?」
「軍使を使うか?」
「いや、それでは敵に対応する猶予を与えてしまう。ネコを送り込むなら奇襲的にしないと効果は見込めないぞ」
皆がネコ配達方法に悩んでいると、一人の参謀がある部隊の事を思い出した。
「そう言えば最近、こういう新しい特殊な任務を命じた部隊があったな?」
「あぁ、今月設立した電信教導大隊だな。今は確か気球装備の開発を進めていたはずだ」
「空から気球でネコを送り込めるかもしれん」
「ネコを送り届けるのも通信の一種のようなものだな」
「だよな」
「うんうん」
「そうだそうだ」
他の参謀たちも同意する。
「よし、ではこのネコの配達任務はその電信教導大隊に命じよう」
こうして電信教導大隊の全くあずかり知らないところで、実に全くいい加減な理由で彼らの苦難の道が決定されたのであった。
ロシア人が世界ダントツ一位でネコを飼っているネコスキー民族なのは事実です。
ただしこの世界のネコスキー感度は3000倍となっております。んぎぃぃぃい!!
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