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第9話 ファーテス修道院




「カワイさんが市政庁に出向くことに気が進まない理由がわかりましたよ」


 ファーテス外壁の門を抜け、外壁門の衛兵に声が聞こえなくなった辺りでエディが疲れたようにそう漏らした。


「わかってくれたか。あーゆーことなんだよ。慣れた衛兵ならいいが、そうでなけりゃ滅茶苦茶待たされるし、向こうのミスで収納鞄マジック・バック持ち込んだりしたら暗殺やテロの嫌疑かけられかねないし、会う奴にはワイロ渡さなきゃなんないし。《《こっち》》じゃ清廉潔白な役人に会った事ないよ」


「レリオさんもいい人そうでしたけど、それなりに心づけは必要なんですね」


「まあなー。レリオさんは金銭直接よりもモノの方が喜ぶから、まだいいんだけどなー。ワイル氏にはやっぱモノじゃダメだわ。後日屋敷まで行かなきゃ。

 しかしエディ、俺が言ったとはいえリップクリーム塗った後、唇舐め回すの止めてくれよ。笑いそうになったわ」


 エディにリップクリーム5本を渡した時に、リップクリームの効能と毒が入っていないことを示すために舐めてくれとは言ったが……


「そんなにおかしかったですか? 毒が入っていないことを理解させるための指示だと思いましたが」


「そうなんだけど、あんなに舌の動きが大袈裟になるとは思ってなくて。エディがワイル氏を誘惑してるように見えて笑えたんだ」


「冗談じゃありませんよ!」


「まあワイル氏は筋金入りの女好きだから安心しなよ。あのリップクリームだって奥方じゃなく愛人に渡して舐めあいっこでもしようって考えてるはずさ」


「それでも何か嫌ですよ」


 そう言ってエディは唇についたリップクリームを服の袖で拭った。


「変に温かいから気持ち悪いんです。ワイル氏の体温みたいに感じてしまって。本当に変な事言わないで下さい」


「保湿の他に保温効果もあるからね。売り出したら冬の女性冒険者にバカ売れしそうだ」


「……女性冒険者にはウケるかも知れませんが……売り出さないんですか」


パメラ(底なし沼)の奴は開発はするけど、それを製品として量産することが出来ないんだよ、飽きっぽいからね」


「それなら、冒険者のうちで量産を手伝う者を募れば良いのでは?」


 俺はフッ、とクールに笑みを浮かべエディの言葉に回答する。


「冒険者に手伝いを依頼する『ギルド依頼』に充てる費用の営業販売部予算分《ウチの部署の分》は、全て前期のうちに底なし沼(パメラ)に沈んだんだよ……」


「うわあ最悪ですね……」


「最悪? いつものコトだよ」


 俺とエディはトボトボと冒険者街に向かって歩いた。





 さて。

 夕日がオレンジの色を増し、大樹海の木々の上に僅かに顔を出し、最後の力を振り絞って俺達に暖かいエネルギーと切なさを送り込んでいる。


 ファーテス市街地での下水清掃の依頼から上がった冒険者たちが、俺達の周囲をギルドハウスに向かって歩いている。

 夕方は今日一日の成果が出る時間。 

 ギルドハウスの受付で作業の進捗を確認し、本日分の報酬を手にすることを楽しみにした冒険者たちの帰る足並みは軽やかだ。


 ただ。

 俺とエディはこのままギルドハウスに戻るとどうなるか。

 依頼達成報告と戦利品の換金に冒険者が殺到し阿鼻叫喚の様相を呈している受付。

 そこに営業回りが終わった俺達がノコノコ現れてみろ。

 笑顔のまま目を血走らせたジェーンが、俺達を受付《地獄》に引きずり込もうとするだろう。

 ああ、ジェーンの揺れる豊かな胸、そいつは前世で言えばゴルゴダの丘なのさ。

 彼の御方はそこで死んで7日後に復活したが、俺達は多分そのまま死ぬ(精神)。

 市政庁に行きさえしなきゃ、まだ俺の精神に余裕はあったのによオォォォォ!


「という訳でエディ、もう一か所行くよ」


「はい? もう一か所回るのは構わないですが、何が『という訳で』なんです?」

 

「俺の中の『|アグリーリトルケイスケ《醜い小さな圭介少年》』がささやいたんだよ。もう一か所行くべきであると」


「はあ。まあそういうものなんですかね」


「そういうモンなの!」


 という訳で俺達は三叉路に別れた道を、冒険者街の方ではなく丘を登る道の方へ折れて進んだ。

 その道はある1か所の建物にしか通じていない。

 実際のところ、そこは確かに大口依頼の依頼主なのだが、特段別口の依頼が出る訳ではない。

 単なる顔つなぎ。

 ただ、俺としてはそこでエディに営業の先輩として贈り物を贈ってやろうかと思ったのだ。

 エディは三叉路を折れた時点で、もう俺がどこに向かっているのかはわかったようだ。 


 しばらく坂道を登っていくと、森の木の向こうに、鋭い三角屋根の鐘楼が見えて来る。

 

 ファーテス修道院の鐘楼だ。

 最上部に鐘楼が着いているこのファーテス修道院の歴史は古いらしい。

 最も俺は転移者なので、本当に又聞きでしかない。


 女性修道院だから、修道者は全て女性。

 女の園と言いたいところだが、孤児院が併設されており、城塞都市ファーテスや周辺農村の、親を亡くした孤児たちのうち運が良かった者がここに引き取られ生活している。その中には当然男児もいる。

 

 俺とエディは修道院の前庭に出る。

 前庭にはいつもと変わらず、冒険者長屋からあぶれた女性冒険者たちのテントがいくつも張られている。

 女性冒険者たちの姿はない。まだギルドハウスで依頼達成、依頼進捗報告をするために受付の長い列に並んでいるのだろう。

 

 前庭を抜けた先の修道院の建物は、鐘楼は立派だがそれ程大規模なものではなく質素な作りだ。

 修道院に隣接された孤児院に皆集まり夕食の支度をしているようで、孤児院からは大勢の子供たちのざわめき声が聞こえてくる。


 そんなざわめきをよそに、俺とエディは修道院の礼拝堂の入口の扉を開けて中に入る。


 オレンジ基調の太陽光がステンドグラスを透過し、色とりどりに変化した光となって差し込む礼拝堂の中、神の彫像に向かって祈る白い修道服を着た女性。


 俺とエディはその女性に声をかけることなく、彼女の後ろで膝まづいて神の彫像に彼女と同じく祈りを捧げる。 


 この彫像で祀られた神が、俺をこの世界に転移させた存在と同一なのかはわからない。

 この神の彫像に祈っても、この神が俺自身を救ってくれるのか? そんなことはわからない。

 

 ただ、少なくともこの神は、この世界の人間の多くの信仰を集めている。

 例え教団がこの神の教えを都合よく解釈し、自らの権威を強め広げるためのアイコンとして使われているのだとしても。


 この世界の人々が幸せでありますように。

 俺達のギルドを頼り使う多くの冒険者たちが、明日も怪我無く糧にありつけますように。

 そのために少しだけ、俺にも力添えをお願いします。

 あなたの御子である冒険者の為の依頼が頂けますように。


 そう、この世界の人々のことならば、聞き届けてくれるような気がする。ちょっとだけ押し付けがましいかも知れないけど。


 俺がそんな祈りを終えて目を開け顔を上げると、目の前には白い修道服を色とりどりの光で染め上げた女性が、先に祈りを終えてこちらに微笑んでいた。


「熱心に祈っておられましたね、ケイスケ」


「いえ、雑念ばかりで。お恥ずかしいことです、シスター・パトリシア」

 

 そう、この女性がこのファーテス修道院の院長、シスター・パトリシアだ。

 まだ30代でこのファーテス修道院を任されている。


「ウイラード支部長には、私の力が足りず申し訳ないことをしました」


「いえ、シスターには普段から私たち冒険者に十分なお力添えをいただいております。瀕死状態の回復をしていただける。それだけでも私たちにとってはどれだけ心強いことか。今回無地オブラート(聖餅)の割引を認めていただけたのも全てシスター・パトリシアのおかげ、とウイラード支部長も申しておりました」


「それは過分なお言葉ですわ。教団のお歴々を説くこともできませんでしたのに」


「私どもファーテス支部が有用であるとお歴々に認めていただけるだけの働きをしてのち、また改めてシスターのお力添えを戴くこととなるでしょう。ですからお気落ちなさらず。シスターの表情を曇らせてしまったとあっては我らの面目が立ちません」


「……ありがとうございます、ケイスケ。

 ところで、ケイスケの隣の方は?」


「今日から私を手伝ってもらっているエディ=レイクです。優秀な冒険者ですから瀕死状態に陥ったこともなく、シスターとお会いするのは初めてかも知れません」


「初めまして、エディ。私はここファーテス修道院を預かっておりますアリシア=パトリシアと申します。どうぞよしなに」


「お目にかかれ光栄ですシスター・パトリシア。

 エディ=レイクです。本日からファーテス支部で営業の見習いをさせていただいております」

 

「ケイスケと共にですね。ファーテスの冒険者の皆様には魔石やオブラート(聖餅)の搬送と荷の護衛などでお世話になっております」


「いえシスター、私たち(冒険者)にとっては安定した大口依頼をいただける有難い依頼主さんで感謝しかありません」


 俺の言葉にエディも続く。


「幸いなことにこれまで私は瀕死状態に陥ったことはありませんが、回復オブラート(聖餅)の購入や神へ祈りを捧げるために何度かこちらにはお世話になっております。今後営業としても足を運ぶことになるかと思いますが、よろしくお願い致します」


「喜捨《聖餅購入》や礼拝に来ていただけるのは、いつでも大歓迎ですわ。

 なにせ辺境ファーテスツの修道院ですから、教団からの分配も滞りがちなんです」

 シスター・パトリシアがそう言って目を伏せる。


「シスター、そう言われると私たちが持たざる所にタカっているようで心苦しいのですが……」

 エディが慌てたように言う。


「失礼致しました。魔石や荷の搬入、護衛の依頼は私共の推薦で、費用はダンブル大教会で支払っていただけますからご安心下さい、エディさん。

 ところでケイスケ、今日は祈りを捧げるために来られたのですか?」


「はい、祈りを捧げて私の汚れた心を綺麗にしようと思ったのと、それとエディに営業の先輩として一つ贈り物をしたいな、と思いまして」


「あら、あなたの衣服スーツのポケットのようなものを彼にも、ですか?」


 キラーン☆ とシスター・パトリシアの目が輝く。

 既に日は落ち、ステンドグラスの光が瞳に反射したものでは決してない。


「はい。営業には何かと便利なものでして」


「わかりました。3着12万デイス。いかがです」

  

 やっぱり吹っ掛けられるわなあ、わかってた。

 値切りたい、けど一応神への喜捨扱い……


「……痛いですが、後輩のためです」

 俺は収納鞄マジック・バッグから動揺する指先の震えを隠しつつ金貨の袋を取り出して、その中から1万デイス金貨12枚をシスター・パトリシアに渡した。

 

「エディ、着てる上着脱いで」


 突然のことに驚くエディからベスト状の上着をはぎ取り、それをシスター・パトリシアに渡す。 


「な、何なんですかカワイさん」


「俺のスーツの内ポケット、実は二重になってて一見普通のポケットなんだけど、隠しポケットの方は収納鞄マジック・バッグと同じく異空間収納になってるんだ。ワイロを持ち歩くのに役立つんだよ」


「教団本部にはナイショですよ。収納鞄マジック・バッグの販売は教団の独占で、技術も応用してはいけないこととなっていますからね。

 でも教団本部は貧しい私たち(ファーテス修道院)を放置しているのですから、こうした自助努力は神もお許しになるでしょう。最も武器などは弾いて入れられない仕掛けですけどね」


「3着分のポケット代金は払ったから、あと2着は後日自分で持って来て渡してくれよ、エディ」


 エディはシスター・パトリシアの清らかな笑顔が、したたかな笑顔に一瞬で変化したことに戸惑いを隠せなかったようだが、戸惑いながらも俺の言葉にウンウンとうなづいた。








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