第20話 悪竜の望み
『戯け者が!』
悪竜が叫ぶと同時に俺の左胸に、悪竜の細く鋭い尻尾が突き刺さり、俺は愛しい人の手から離れ石で出来た壁まで吹っ飛ばされる。
愛しい人は吹っ飛ばされた俺を見て驚愕の表情を浮かべる。
『隔てた世界』に居て、絶対にこの世界の攻撃は自分達に当たらない、その前提が易々と覆ったのだから。
「何でぇっ!?」
『操られし者ごときに我が遅れを取ると思うたか! 女、我が欲しくば己が力のみで我をねじ伏せてみよ! だが、我に対して己が居る場所《隔てた世界》が安全などとはゆめ思わぬことだ』
悪竜はそう言って玉座から立ち上がる。
巨体とはいえこの謁見の間の天井よりは低く、およそ身の丈は5m弱といったところだろう。
俺の左胸に突き刺さったと思った悪竜の尻尾だが、俺の左胸の隠しポケットを突き破り押し広げて、先端からずぶりと亜空間に入り込んでいる。この入り込んだ部分が亜空間内部から俺を抑えつけていて動けない。
愛しい人が収納袋から長い棘付きの鞭を取り出し、床をピシッと打ち鳴らす。
「なら、この鞭で鱗を一枚一枚剥がして剥き身に麻痺を叩き込んであげるわぁ! 動けず己が身を削がれる苦しみ、味わって死になさぁい!」
愛しい人は素早く動き回りながら、俺を抑えつけている悪竜の尻尾を鞭で打ち据える。
その度に鱗が飛び散って、尻尾から血が滲んできた。
『その程度か? 小賢しい』
悪竜が背中の巨大な羽を羽ばたかせると、物凄い風圧と共に空気中に巻き起こった真空が愛しい人のフードを切り裂く。
同時に悪竜は愛しい人の横に信じられない程の速さで移動し、回し蹴りを放つ。
愛しい人は、その巨大な足をどうにか腕で防御したものの、質量差から大きくその場から飛ばされ、玉座の裏側の壁際まで転がった。
今、悪竜は俺に背を向けている格好だ。
愛しい人をどうにか助けに行かないと!
尻尾で抑えつけられていて上下左右には動けない。
だが、前になら!
俺はネクタイを外し『硬化』させて右手に持ち、左胸の隠しポケットに悪竜の尻尾を収納しながら『瞬発力強化Lv6』の走力で一瞬で悪竜との距離を詰めた。
だが、気づいた悪竜が、尻尾を瞬間的に振り回した。
このままでは俺の体も軽々と跳ね飛ばされて壁に叩きつけられ大ダメージを受ける。
俺は咄嗟に悪竜の尻尾にネクタイ・ソードで切りつけた。
愛しい人が鞭で鱗を剥がしていた剥き身の部分にネクタイ・ソードは食い込み、尻尾をスパッと切断した。
切り落とされた尻尾はしゅるんと左胸の隠しポケット内に落ちる。亜空間内で暴れても《《こちら》》側と繋がっていなければ俺の動きを制限するようなことはない。
『我が尾を……やるではないか』
悪竜は俺の方をちらりと横目で見ると、俺の方を振り返らずに愛しい人に瞬時に近寄り、巨大な両手で愛しい人をグイッと握り、持ち上げる。
「苦しっ、放しなさいぃっ!」
『己が力も弁えずに我に楯突きし女よ。その身を我に捧げよ』
「きゃああぁぁっ!」
悪竜はそう言うと、人間の女性の形をしていた頭部を巨大な竜の頭部に変化させた。爛々《らんらん》と光る眼は爬虫類のものだ。
悪竜はその開けた大きな顎で愛しい人を丸呑みにしようとする。
このままでは愛しい人を失ってしまう!
俺は咄嗟に駆け寄り、収納鞄から取り出した眠り砂を悪竜の眼に投げつけた。
その瞬間再び悪竜は頭部を人間の女性の形に変化させた。
悪竜の頭部に投げつけた眠り砂は広がって飛び、悪竜の頭部に掛かったが悪竜は平然としている。
広がって飛んだ眠り砂が愛しい人にも掛かったのか、カクンと愛しい人は眠ってしまった。
『くっくっくっ、面白き発想よ。我に目が現れた瞬間に眠り砂で我を眠らそうとは。この形の時は我が目はこの宝石であるからな。眠り砂は効かぬ』
そう言って手に持った愛しい人を俺の方に放った。
俺は愛しい人を両手で受け止めようとした。
彼女《ローズマリー=エイミ》の『特能』は眠ったことで解けたのか、俺の両手は彼女《ローズマリー=エイミ》の体をしっかりとお姫様抱っこの形で受け止める。
その華奢な体は擦り傷切り傷はあるものの、重大なダメージは受けていないようだ。
最愛の人が俺の手の中に戻って来た。
俺は最愛の人に、俺の溢れ出る愛を示そうと、また愛おしく唇を求め顔を近づける。
『男、待てい』
いいところで悪竜が俺に呼びかけた。
悪竜だけあって、無粋にも程がある。
『男、我の目の前で生殖行為でも始めそうな勢いだな』
大きなお世話だ。
最愛の人が手の中にいるのだから、溢れる愛の表現をしたいと思うのは当然のことだろうに。
『……魅了された状態では話すら出来んか』
もっと大きなお世話だ。
俺は悪竜を睨みつけた。
その瞬間、悪竜の額の赤い宝石が強烈な光を放った。
『暗視Lv5』でその光をまともに見てしまった俺は目の前がホワイトアウトし、ローズマリー=エイミを抱えたまま立っていられず膝を着いた。
『男、正気に戻ったか』
俺は膝を着いたままその声を聴く。
『特能』使用後に視覚を失った状況よりはいい。
「ああ、多分正気に戻った、と思うよ」
『ならば良い。男、魅了し操られし状態で汝と会話しても詮無きことであったのでな。女の術は解かせてもらった』
「ありがとう、助かったよ。戻ってジェーンに知られたら、また頭を握り潰されるところだった」
『もう既に遅いのではないか? そのエルフの娘はカンが鋭いのであろう』
「貴女の力で何とかしてもらえないかい?」
『くっくっくっ、我の力はこの結界の外には及ばん。諦めよ』
「そうか、残念だな。ところで何で攻撃するのを止めたんだい? 貴女の力なら俺達二人を簡単に捻り潰せただろうに」
『元から汝らを屠ろうなどとは思っておらぬ。ただ、男、汝が女に操られ、道具のように使われるのが我には許せなかったのだ。かつての我を見ているようでな』
「最初に俺達が貴女の前に現れた時に、さっきのカッ! てのをやって解いてくれれば話は早かったと思うけど」
『女が男、汝の手を握り己が支配下《隔てた世界》に置いていたのでな。打ち破れなかったのだ』
悪竜でも万能ではない訳だ。
悪竜に一部でも対抗できる力を持っているローズマリー=エイミも規格外なのだろう。情けないが心の隙を衝かれて魅了されてしまった。
『その女、かつて教団に楯突き、結果教団に敗北し軛を打たれ、教団にとっての敵を排除する役回りを課されておる。その女もまた我と似たようなものだ。哀れなものよ』
少しづつ瞑った瞼の裏の残光が落ち着いて来たので、俺は目を開ける。
悪竜は、また玉座に腰を下ろしていた。
悪竜の表情は、今は柔らかなものに見える。
『最も、我を魔輝石にし得たとしても、教団の軛は破れぬ。その女の軛は単純明快。教団の極一部の人間の命令には絶対に逆らえぬ、ただそれだけよ。己が意思での行動は制限されておらぬ。それはその女の力を生かし利用するための措置でもあるが。
だが単純なだけに精神に深く打ち込まれており、強力な魔輝石を得た程度では破れぬのだ』
「なら今回の依頼《悪龍討伐》についてはあくまで自分の枷を解くためのものであり、ランキン商会移転の話は単純に俺やランキン商会への便宜を図ったってことなのか」
『その通り。我を宝石ごと魔輝石にすれば軛が解けるという風説を信じ込み、身近な者には便宜を図ろうとする純朴な心も持っておる。だが普段は男を誑かし策略を巡らす毒婦。麓の街に一度は廃れかけた我の悪評を実しやかに広めたのもその女。まこと複雑なものよ』
「誰だって内面は複雑さ。俺だってそうだ。そして悪竜、貴女も竜の身ながらなかなかに複雑そうだ。単なる力の権化って感じじゃない」
『くっくっくっ、男、人の身ごときが大層なことを言うではないか』
「貴女は教団に力を利用され、ここに永きに渡り封印されてきた。その間に結界の外の世界では貴女を貶める風説が流されたが、その影響が貴女を悪竜に変化させたんじゃないか」
『くっくっくっ、他の存在に己を理解される事とは、恐れを伴うが心地良きことでもあるな。
その通りよ。
我のような存在は、人らの認識によって少しづつだが変化してしまうのだ』
「貴女の遥か過去の呼び名は何だったんだい?」
『くっくっくっ、今更その名を告げたとて、我を以前と同様の存在に復活させるのは途方もない時と信仰が必要よ。
もう良いのだ。
我はただ、この堕ちた身を、存在を、消してしまいたいのだ。
さすれば、また新しい存在として蘇ることができようからな。
男、汝の持つ力で我を殺してくれ』
「最初に言っていたのは本心だったのか」
『その通りよ。ただ、その女に操られし道具に消されるのは甚だ不本意であった。
故に正気に戻したが、汝、優しすぎ臆病すぎるな』
「よくわかってるじゃないか。そんな大それたこと、俺みたいな小心者には出来ないよ」
『さもありなん。だが聞け』
悪竜の額の宝石がまた強く点滅する。
『カワイ=ケイスケ。汝が恐れているのはその力でもなく我を殺すことでもない。
竜をも殺せ、場合によっては神をも殺せる強大な力を持たされた、汝自身を恐れているのだ』
「ああ、その通りさ。俺のような小心者がこんな力を持たされても、身の丈に合わない。この力に見合った決断が出来る程俺は強くない。それは俺が一番わかってる!
甘い言葉に弱い。世間の風潮に流されやすい。怠惰を貪ることが大好きだ。決断はなるべくしたくないし先延ばしにしたい。
ああ、俺は自分が弱くて甘いっちょろいことが良くわかってる!
俺は俺自身をこの世で一番信用できないんだ……」
『カワイ=ケイスケよ。汝は愚かな人間の代表よ。
自分自身を見つめ、自分自身の裡にある弱さ、愚かさ、怠惰さと日々向き合っている。そして己自身に打ちのめされている。
だが、だからこそ他者のことも同じように考えることができ、許し、付き合うことが出来ているではないか。
それは日々の生業によって培われたものでもあろう。
そんな汝は我が境遇、どう感じるのだ』
ああ、この悪竜は、もう怒りを持続出来ない程の気が遠くなる年月をここで過ごし、少しづつ自身の存在を自分の意に関係なく変えられ……
「悪竜に対して適切なのかは分からないが……悲しい存在だと思う」
『……それが汝の感性の導きであれば、それは汝の行動の元とすべきものだ。ならば己が何を為すべきか、わかるであろう』
「だが、それでは貴女があまりにも『それ以上は申すな』
『それ以上は申すな。それは我にとって、あまりにも侮辱というものだ。
決断せよ、カワイ=ケイスケ。
……良いか、我は汝を魅了した上で我を殺させることも出来るのだ』
悪竜の額の赤い宝石が、また妖しく明滅し出す。
『汝らが魅了耐性Lv5と呼ぶ業では、我の魅了を逃れることは出来ぬ。汝に聖餅を渡したエルフの娘と同等の業でなければな。
だが我に魅了されて我を殺すのは、そこの女に操られて我を殺すのと全く変わらぬ。そこには汝の意思は無い。
汝はただ他者の道具に成り下がるのだ。
ここで決断出来ないのであれば、汝は今後も他者に道具として付け狙われることを自ら良しとすることに他ならぬぞ』
ああ、そうか……
俺はこの強大な力『爆縮』を誰かに委ねたいって、無意識に思っていたのかも知れない。
ローズマリー=エイミに魅了されていた時は、『爆縮』を躊躇なく使おうとしていた。
魅了し操られていたから、と後で正気に戻った時に自分自身に逃げ道を作れるからな。
強大な力を使い、何かを殺し破壊することに責任を負いたくないって、優しさにかこつけた弱い心が蠢いていたんだ。
だが、仕事でだって俺は大きな責任を負っている。
それに耐えられるようになったのは、結局自分自身で決断し続け結果を受け入れる経験を前世から何度も何度も積んできたからだ。
なら、俺はこの『爆縮』の使用を、俺自身が決断する経験を積まなければならない。
いま、目の前の強大な存在を消す方が良いのかどうか、俺は決断しなければならない。
「わかったよ、悪竜」
俺はそう言って右掌を開き悪竜に向かって突き出す。
やる。
『待て、カワイ=ケイスケ』
俺の中の張りつめた気持ちがガクッと解ける。
散々決断を煽っておいて、何だよそりゃ!
「何だよ、ちょっと美しい女の姿だからって、男を弄び過ぎじゃないんですか、悪竜さん!」
『汝は冒険者よ。我を殺す報酬は必要であろう』
そう言うと悪竜は額の赤い宝石を外して俺に放ってよこした。
悪竜の額に付いている時は判らなかったが大きい。直径20㎝は優にある。
『汝が来た世界の伝承では悪竜の瞳を手に入れた者は世界一の権力者になれるそうだが、そこまでの力はない。だが、汝の弱点とも言える魅了など他者からの干渉に抵抗する力にはなるであろう。汝専用の亜空間にでも入れて大事にするが良い』
「貴女、妙に律儀だな。タイミングは悪いけど」
俺は悪竜の心づけを有難くいただくことにした。
赤い宝石を収納鞄に仕舞う。
『くっくっくっ、許せ。もうずっと他の存在とこうして戯れるということが絶えて無かったのだ。《《この》》我が消える前の最後の手向けとでも思うてくれ』
「貴女は、死んでもまた復活するのか」
『汝の力なら我を完全に消滅させることも可能だがな、おそらく近々生まれ変わることとなろう。生まれ変わった我と汝が出会ったなら、優しくしてやってくれ』
「わかったよ。俺も貴女と会えたこの時間は有意義だった。もし、生まれ変わった貴女と出会ったなら、もっと色々と語りたい」
『うむ。ではやってくれ』
俺は再度右掌を開き悪竜に向かって突き出した。
『爆縮』
右手をグッと握りしめると同時に悪竜周辺の球空間が一瞬真っ黒になりすぐに球空間ごと消え、同時にグオッと周囲の天井、壁、床が悪竜が居た地点に向かい殺到し流れ込み、ぶつかり合い粉々になりながら火花を散らす。
周辺の森から空気と多量の木の葉などの可燃物も悪竜がいた地点に殺到し、圧縮熱の為に発火し燃え出した。
次々に大量に流れ込む空気と可燃物のため火の勢いは爆発的に大きくなる。
俺は俺の足元に密着し倒れていたローズマリー=エイミを担ぎ上げた。
『爆縮』で起こる現象の影響を俺自身が受けない「無敵時間」は、俺の体が触れているモノにも適用される。
完全に崩れた城内に轟々と殺到する空気や木々、燃え広がる燃焼の影響を受けることなく、俺はローズマリー=エイミを担いで木の葉がすっかりなくなった外の森に向かって歩き出した。




