第19話 廃城の悪竜
満天に青く光る星々が輝き、時折流れ星がスーッと鮮やかに流れる。
悪竜退治に来たというのに、俺はローズマリー=エイミと並んで座り、その美しい星空をしばらく放心したように眺めていた。
とぷん、という小さな水音で俺は本来の目的を思い出した。
「そろそろ出発しないか」
俺がそう言って立ち上がろうとした時。
「危なぁいっ!」
ローズマリー=エイミが俺の体に横から飛びつき、俺と一緒に転がった。
俺の立ち上がろうとした場所を見ると、鋭く水流が迸っており、水流が当たった木の枝がスパッと切れたように落ちている。
淡水性の肉食魚テッポウライギョが狙撃手のごとく池の外の獲物を水で狙撃し、死体を湖面に引き込もうとしていたのだ。
「おい、ローズマリー、大丈夫か! 撃たれてないか!」
俺がそう叫ぶと、ローズマリー=エイミは「大丈夫よぉ。私の『特能』忘れたのぉ」と抱き合った格好の俺の腕の中でそう答える。
ローズマリー=エイミが俺に抱き着く腕にぎゅうっと力を込めて来る。
ローズマリー=エイミの体は思った以上に華奢で温かく、強く抱きしめると壊れてしまいそうだ。
俺もローズマリー=エイミの体をそっと、でも密着するように抱き寄せる。
俺の顔のすぐ前にローズマリー=エイミの小ぶりな顔。
その瞳は閉じられ、少女のような表情だ。
俺はローズマリー=エイミの花びらのような唇を指でそっとなぞる。柔らかい。
するとローズマリー=エイミは俺の指をそっと外し、俺に口づけた。
ローズマリー=エイミの舌が、ためらいがちに俺の舌を求め絡み付く。
俺は、ローズマリー=エイミの甘い唾液の味と舌の動きにつられ、俺自身もローズマリー=エイミを求めて口の粘膜を舐め回す。
久し振りの官能的なキス。
俺はローズマリー=エイミだけを強く求め、舌と唇の感覚に集中する。
ああ。
俺はこの女性に、どうしようもなく魅かれている。
この女性の為ならば、何だってしてもいい。
俺の大事な物を全て差し出してもいい、たとえそれが俺の命だったとしても……
ああ、ローズマリー=エイミが唇を離してしまう。
待ってくれ、もっと一つに溶け合いたいんだ……
「カワイ=ケイスケさぁん」
はい……
「私が欲しいのぉ?」
はい……
「だったらぁ、私の言う事は絶対に聞いてねぇ?」
はい……
「あなたの『特能』、どんなものか教えてくれるぅ?」
はい……
「勿体付けないでぇ」
はい……
俺の『特能』は、特定範囲の物質を一瞬で圧縮して固める力です。ジェーンが『爆縮』って呼んでいました。
「それは、固形物に限定されているのぉ?」
いいえ……
光だろうと空気だろうと、半径10mの球空間内の物質は全てです。『爆縮』する者で『インプローダー』と呼び出したのは、使用した跡を見つけた冒険者の誰かが言い出したことです。
「それは、あなたの魔力を使って起こす魔法の一種なのぉ?」
いいえ……
魔力は使用しません。
ただ、代償として、7日間程度ランダムに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感のうち一つを失ってしまいます。
行動中の冒険者としては致命的です。
「そぉ……私もそうだけど、大きな『特能』にはそれなりの代償が必要なのねぇ……それで、周辺への影響はないのぉ?」
いいえ……
半径10m内の球空間は、俺から15m以内の任意の場所に発生します。
球空間内の物質が瞬間的に『爆縮』されると周囲の物質、空気、水、生物、魔物、全てが真空になった球空間に一瞬のうちに高速で流れ込みます。
その結果流れ込んだ物質も圧縮され、圧縮熱で可燃性の物質は爆発的に燃え出します。結果半径100m以内にいる呼吸する生物は呼吸が出来なくなってしまいます。
「それであなたは無事に済むのぉ?」
はい……
俺だけはその影響を受けません。
あなたの『特能』のように、一枚隔てた世界に居るかのようです。
「あなたの『特能』を使うトリガーは、何かあるのぉ?」
いいえ……
特にはありません。
俺が使いたいと思えば、いつでも使えます。
ただ、自分の中での条件付けで、右でも左でも、開いた掌を握りしめた瞬間に発動するようになっています。
「そぉ……ありがとう、カワイ=ケイスケさぁん。
よく教えてくれたわぁ。
やっぱり『インプローダー』はアナタで正しかったのねぇ。
ジェーン=マッケンジーが直接セットした『魅了耐性Lv5』のオブラートのせいで、アナタの警戒心を解いた上で、私の『特能』の世界の中で直接粘膜接触しないとアナタを魅了出来なかったけどぉ、苦労した甲斐があったわぁ」
俺に魅力を感じさせるためにそんな努力をしてくれるなんて……
物凄く嬉しいです。
「そうねぇ、アナタはなかなか興味深いヒトよぉ、『特能』を抜きにしてもねぇ。
でもぉ、何にせよアナタには『特能』を使って悪竜を『爆縮』してもらうわぁ。
さぁ、行くわよぉ」
愛しい人と俺は抱き合ったままふわりと空に浮かんだ。
俺と愛しい人の体は青く光る星々が輝く夜空に向かって高く高く舞い上がり、山上の廃城が足元に見えるくらいの高さまで上昇する。
そこで一度止まると、愛しい人は俺から体を離し、俺の左手だけを握って全身で風を受けるかのように大きく手と足を広げる。
俺も愛しい人の姿勢を真似ると、俺と愛しい人は滑空するように、するすると廃城に向かって滑り落ちていく。
やっぱり、愛しい人の『特能』は、ある程度自分の移動も自由になるものだったんだ……
俺はそんな凄い力を持つ愛しい人に魅かれる自分自身を誇らしく感じた。
あっと言う間に俺と愛しい人は廃城の所々に穴の開いた屋上に辿り着いた。
そしてそのまま屋上を通り抜けると、かつては拝謁の間であっただろう広大な荒れ果てた広間にふわりと降り立つ。
そこには。
巨大な人の女性の姿をし、全身に鱗が生え背中からは蝙蝠の巨大な羽の生えた存在が巨大な玉座に座っていた。
細いが竜の鱗の生えた尻尾がその体の周りに蜷局を巻くように巻き付いている。
美しいとも言える女性の額には、暗闇でも光を放つ宝石が赤い光を放ち輝いている。
「いたわぁ。あれが悪竜よぉ」
愛しい人がそう俺に囁く。
それに気づいたのか悪竜は
『……汝らは何者か』
と問いかける。
「あなたの所有者になる者よぉ」
愛しい人がそう答えると、悪竜の額の赤い宝石が点滅しだす。
その点滅が収まると、悪竜は見透かしたかのように言葉を紡ぐ。
『ふん、女。我を封じる結界を通過できる力を持つか。我を倒せる力を得たと思うて浮かれておるな。数日前に一度、この地に我を見に来ておるようだが、その時には居らなんだその男が汝の切り札か』
「ふふっ、あなたの体内の多量の魔石をその額の宝石ごと押し固めた強力な魔輝石。それがあれば私の軛も解けるはずよぉ!」
『愚かな。彼の教団に楯突き繋がれた軛、我の身ごときで解けるほど容易いものか』
「あらぁ、命乞いしてるのぉ?」
『命乞い? 今更このような世で生き永らえようなど、それこそ虚しきこと。
我を謀り我の力を持ってこの地を落とし、直後に結界を張って我をここに閉じ込め、果てには我を悪竜などと貶めし者ども。彼奴らに恨みを持ち続けられる程に短い時の流れではない。
今では最早どうでも良い。彼の教団が跋扈する世など、もはや滅びをくれてやる価値すら感じられぬ。
むしろ我の身で己が軛を解けるなどと思うめでたき者に、この身をくれてやっても良いとすら思うておるわ』
「ふふっ、物分かりがいいじゃなぁい。ケイスケ、やって」
愛しい人が俺にそう願いを告げる。
愛しい人の為なら……
俺は愛しい人と繋いでいる手とは反対の手を開いて悪竜に向けた。