第三十二話 おなかとじょーひん
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「お嬢様、起きてください」
誰かの声が聞こえる。 とても優しそうな女性の声。
暖かく、心地の良いベッドの上から、もう一度寝てしまいたいという思いと毛布を払いのけ、ボクは体を起こした。
優しい声の持ち主は部屋のカーテンを開けている最中だった。 シャーッという音と共に眩しい日差しが入り込んできた。 寝起きの体には少し刺激が強い。
「……おはよ、サーシャ」
「はい、おはようございます」
サーシャと呼ばれた女性はボクとは違い、一言一言しっかりと優しく挨拶をした。 彼女の赤く長い髪を日差しが一層美しく見せる。 彼女はいつもこうしてボクの身の回りの世話をしてくれているのだ。
「お嬢様、朝食の準備ができております。 食卓の方へ向かいましょう」
「うん! わかった……じゃなくて、わかりました」
「ふふ、私に敬語は不要ですのに」
「へへ……じゃなくて、ふふ、いいでしょ」
やっぱり敬語は難しいな……。 サーシャみたいになりたくて練習しているんだけれどまだまだ。
サーシャはそんなボクを見て、じょーひんなお姉さんのようにふふ、と笑い、
「朝食……と、その前に。 まずは着替えないといけませんね。 さ、こちらへ」
と、ボクの着替えを手伝ってくれた。
▽
馬車が簡単に通りきれそうな広さの長い廊下を歩き、ボクとサーシャは食卓へ向かっていた。
「ねえ、サーシャ」
「はい、なんでしょうか」
「なんでボクの家ってこんなに広いの? とても疲れちゃうんだけれど」
「それはですね、お嬢様のお父様がとても素晴らしいお方で、お客様が大勢来られた時に対処できるようにされているのですよ」
気になったものは何でも質問してしまうお年頃。 しかし、答え自体にはあまり興味はないので、
「へー。 じゃあ、この絵は何? 」
と適当に返事をしてさらに質問を重ねた。
ボクが興味あることはサーシャと話すこと。 いっぱい話してサーシャみたいな優しくてじょーひんなお姉さんになるんだっ!
さて、さっきの質問をボクは廊下に飾ってある絵の中のひとつを指さしながら言った。 見た感じだと□と▽と〇があちらこちらにいろんな大きさで書かれているだけなんだけれど。 色も白黒で地味だ
し。 全然じょーひんじゃない。
「こちらの絵は、お嬢様のお母様が収集しておられる絵画のひとつでございます」
へー、お母様が……。 だったらあまり悪口は言えないけれど。
「……変な絵」
つい本音が出てしまった。
「私にも良さはわかりかねますが……とてもお高いのですよ」
「へー」
今回も質問自体にはあまり興味はなかったので適当に返した。 しかし、サーシャの次の言葉にすごくびっくりしてしまう。
「お嬢様の大好きなマトマ、毎日100個は食べられるんですよ」
「えー!! ほんとに!? 」
「ふふ、本当ですよ」
なんでお母様はマトマよりも絵を買ったんだろう。 絶対マトマの方がおいしいのに。
サーシャもボクの興味のある話ができたことにうれしいのか、微笑んでくれた……。 嬉しい。
「じゃあサーシャ。 いつも思ってたんだけれど」
「はい、なんでしょうか」
「どうしてサーシャはいつも手袋をしているの? 暑くないの? 」
その瞬間、サーシャは少し困ったように自分の手をさすった。
あれ、あまり答えにくい話だったのかな……。 これも別に質問自体には興味はなかったのだけれど……。
「ああ、……それはですね。 私は生まれつき肌が弱いのですよ。 ですから仕方ないのです」
「へー……そうなんだ」
ほんとは手袋を外してボクの頭をなでたり、手を繋いで歩いたりしたいんだけど……それなら仕方ないよね。 ボクだって家の門の外にいる大きい犬、生まれつき怖いって感じるし。
そんなことを話していると、前から二人、男の人が歩いてきた。 ひとりは黒いスーツを着ていてサーシャよりも背が大きい人。 もう一人は、かしん? とかいう人がよく着ている服を身に着けた、サーシャよりも身長が低くて、大きなおなかの人。 あ、この人……。
「これはこれは。 おはようございます、お嬢様」
大きなおなかの人は声高らかに話しかけてきた。 正直、この人苦手なんだよな……。 と思いながらも、挨拶をされたら返す。 これはお母様からいわれたことだからね。
「……おはようございます」
「おはようございます、マルトン様」
ボクに続けてサーシャも挨拶をする。 へー、マルトンっていうんだ、この人。
「本日はお日柄もよく、絶好のお出かけ日和ですね」
「ええ、全くです」
ボクは黙って大きなおなかの人とサーシャの会話を見ていたんだけれど……。 なんかわかんないけれど、なんとなくサーシャ、適当に答えているように感じる。
「よかったら、お嬢様も外に出られてみては? ってああ! これは申し訳ございません! お嬢様は外に出られないのでしたね~」
「……」
急にボクの名前が出てきてびっくりしたけれど……この丸いおなかの人はボクに会うといつもこんなこと言ってくる。 何故かわかんないけれど、ボクが悪魔だから外に出られないってことを覚えていないみたい。
「なんせ、『悪魔』なのですからね~。 もし外に出られて何か悪い目にあったりしたら……ああ、想像するだけで恐ろ恐ろしい……。 しかし、安心してくださいね。 次期国王は私の息子である……」
「申し訳ございません、マルトン様。 私たちは朝食をすませなければなりませんので、これで」
サーシャが丸いおなかの人の話を無理矢理遮って会話を終わらせてくれた。
ボクもあまりこの人の話を聞きたくなかったし、早く朝ごはんを食べたかったのでちょうどよかった。
「おや、そうでしたか。 では、また後日。 ゆっくりお話を」
「ええ」
はっはっはっは、と高らかに笑いながら去っていった。 ちなみにずっとそばにいた黒スーツの男の人は一言も話さなかった。
ボクとサーシャは再び歩き出した。
「ねえサーシャ」
「はい、なんでしょうか」
「あの丸いおなかの人はどうしていつもボクが外に出られないことを忘れているの? 」
「それはですね。 あれはもう人ではなく豚だからですよ」
「えー! そうなの!? 」
「ええ。 後一年もすればあの大きなおなかに人格を支配されて肉の塊になってしまいます。 ですから記憶力が皆無なのです。 肉豚野郎なのです」
「……ねえ、サーシャ」
「はい、なんでしょう」
「悪口言ってない? 」
「まさか。 私は事実を言っただけです。 ですからあれの言葉に耳を貸す必要はないのですよ、お嬢様」
「あ、今嘘ついた。 やっぱり悪口言ってるじゃん。 どんな人にも悪口はだめってお母様が言ってたよ」
「……さすが、お嬢様。 御見それいたしました。 申し訳ございません。 つい、感情的になってしまいました」
でも、ボクは知っている。 サーシャはとてもやさしくて、じょーひんで……ボクのことをいつも守ってくれる人だということを。 だから、大好き。
「えい! 」
ボクはサーシャに向かって抱き着いた。
「あ、お、お嬢様!? どうされたんですか……」
急に抱き着かれたことに驚いて、戸惑っているサーシャ。 普段はこんな姿見せない。 けれど、ボクがサーシャにこうするといつもこんな感じの姿が見れる。 とても新鮮。
「いつもありがと! サーシャ大好き! 」
そういうと、サーシャは頬を少し赤らめて、
「……ッ! そんな、もったいないお言葉です」
と、優しく抱き返してくれるのだった。
三日目!




