四季〜春〜
卒業式の日、桜の花びらが一枚、そっと落ちるのを見届けて、夏の香りがする方へと帰った。
私の人生には、春しかない。
生まれてからずっと、優等生として生きてきた。
成績は良かったし、茶道をやっていたこともあって、基本的な礼儀作法は小さい頃から自然にできた。
毎年必ずなる学級委員、先生から嫌われることも一度もなかった。
おかげで友達は少ないし、クラスの恋愛とは無縁そうな子ランキング1位を見事獲得した。
そんな私が人を好きになったのだ。
しかも相手は不良の男の子。
来栖海斗、くん。
二つ年下の、明るい茶髪が似合う、バスケが上手な子。
最初はそのぐらいの認識だった。
声をかけられるまでは。
「えっと…柚月、先輩…ですよね?」
彼を初めて認識したのは、彼の入学式から少し経ってからだった。
「俺、来栖紗奈の弟です!姉からよく柚月先輩の話を聞いてました!」
くしゃっと笑った顔は、確かに紗奈先輩の笑顔とよく似ていた。
紗奈先輩、私の二つ上の剣道部の部長だった人。
テストはいつも一位、顔も可愛く、剣道も全国レベル。
私がこの世で一番信頼している人。
そんな完璧超人の弟が、こんなラフだとは思いもしなかった。
少し話したらわかる、明らかに1軍なタイプ。
一言二言挨拶だけして、その日は逃げるように校門を出た。
その次の日すぐにわかったことは、来栖海斗はとても人懐っこいということ。
廊下で会えば大声で手を振って挨拶してくれるし、教室に遊びにきたりもした。
そうやって話しているうちに、私は気づいてしまった。
徐々に好きになっていることに。
そこからはどんどんわかりやすくなっていった。
彼が教室に来るのは楽しみになったり、廊下で挨拶してくれるととても嬉しかったり。
我ながら本当に思う、チョロい理由だなと。
それでも好きになったものは仕方なくて、気づけば来栖くんのことを考えるのが普通となった。
そんな来栖くんはモテるから、教室に来る度に周りがざわつく。
「あ、あの後輩くんまた来てる〜」
「あれ来栖海斗だよ、ほらあの来栖紗奈の弟!」
「あー道理でイケメンなわけだ…え、ライン交換したい」
「無理っしょ、あの子委員長にゾッコンだし?」
そんな会話がはっきり聞こえてくる。
少し恥ずかしいような、切ない気持ちになる。
私は彼が私に「ゾッコン」ではないことを知っていたから。
2年前の部活の帰り道、紗奈先輩と二人で帰っていた時に先輩が一度だけ弟の話をしたことがあった。
「いやーうちの弟さぁ、家族の私も思うぐらい顔はいいしバスケもできるんだけどねぇ。あの子ずーーーと初恋の女の子のこと忘れられなくてさ、もう10年ぐらい前なのに。私はあんまり得意じゃないんだけど、相手の子はもう彼氏もいるし、不憫だから早く次の恋見つけてほしいんだよねー」
先輩は絶対人の悪口を言わない人なのに、そんな先輩に「得意じゃない」と言わせるのは相当な子なんだろうな、とぼんやり思った記憶がある。
来栖くんのことを思うたび、この時の話を思い出す。
彼には好きな人がいる。
そう思うと俗に言う「心が締め付けられる」感覚が襲ってきた。
来栖くんのこの気持ちが2年経っても変わっていないことも、私はもうすでに確認していたから。
一度二人で昼ごはんを食べている時、彼が私に聞いてきたことがある。
「先輩は、忘れられない人っています?」
あまりに不意で、手に持っていたサンドイッチを落としそうになった。
「特にはいないけど…どうして?」
「俺、一番最初に人を好きになったのが小1で、その子未だに覚えてるんですけど。2組の渡辺みゆき、知ってるでしょ?」
少し引き攣ったような、寂しいような笑顔で聞いてきた。
そりゃあ、知ってますとも。
スカートがとてつもなく短くて、ダボダボなセーターで萌え袖してて、いつも誰かしら男子を連れてる、一つ上の私たちの学年でさえ悪い噂が絶えなくて有名な、あの渡辺みゆき。
この時、紗奈先輩の1年前の話の詳細をやっとわかった気がした。
「幼馴染なんです。小さい頃からずっと一緒で。姉とはあまり、っていうか全然仲良くないんですけど、なぜか俺は離れられなくて。もうフラれてるんですけど、随分前に。なぜかずっと気になっちゃうというか」
気持ちがどんどん下がっていくのを感じた。
彼が好きなのは、1軍の陽キャな女子。
つまり、私とは正反対。
なるほど、これが失恋というものか。
それからというもの、来栖くんといるのが辛くなった。
だけど、離れたくはない。
もしかしたら、いつか、彼が私に振り向いてくれる日がくることを期待していた。
だがそんな淡い期待ももうない。
春がまた、きてしまったのだ。
明日は私の卒業式。
卒業証書片手に、最後に海斗くんと記念写真を撮った。
紗奈先輩に似てるあの笑顔で、送り出してくれた。
最後まで私は、良い先輩だっただろうか?
帰り道で一人、考える。
結局私の気持ちは伝えないまま、永遠の思い出として終うことにした。
桜の花びらが一枚、そっと落ちるのを見届けて、夏の香りがする方へと帰った。