望月の滴は知れず流れゆくその悲しみを見る人もなく
承保元年、10月3日。京の御所の東、土御門大路の先にある法成寺の阿弥陀堂。そこに九尊の阿弥陀像に見守られるように一人の尼僧が白衣を身にまとい横たわっていた。一見、眠っているようにえるが既に息はない。
たくさんの僧が無言念仏を唱え、更に多くの女房たちが尼僧を囲むようにかしずいていた。打ち沈んだ静寂の中、時折微かな忍び泣きや嗚咽が漏れ響いた。
諱は彰子。
藤原道長の長女として生を受け、十二歳で入内。十三歳で時の帝である一条天皇の中宮になり、皇子敦成、敦良親王を生む。敦成親王が帝(後一条天皇)として即位した後、落飾して上東門院と号した。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思へば
と、我が世の春を高らかに歌ったのは道長であるが、その彼に春を呼び込んだ最大の功労者は紛れもなくこの彰子である。
享年八十七歳。
平安時代としては長寿である。
道長亡き後、彰子は五十年以上を歴代天皇の母、祖母、曾祖母として常に貴族社会の中心として多くの人々に大切にかしずかれて生きる。
この世を望月に例えるのならば、それは道長ではなくこの彰子こそが相応しい。
一片の曇りも欠けたところもない幸せな人生を彰子は送ったと誰もが思うだろう。
誰もが思う……
だが、果たして本当にそうであったのか?
それは彰子しか知るよしもないことだ。
気がつくと見慣れぬ真っ赤な花が一面に咲く林の中に立っていた。
確か、法成寺の阿弥陀堂にいたはずなのに、いつの間にこの様なところで立ちすんでいるのかと、少し戸惑った。その辺を思い出そうとしてみても、ここ二、三日はひどく具合が悪かったせいで前後の記憶がぼんやりとしていてどうにもうまくいかなかった。
当時は胸が痛み、呼吸も苦しかったが、今はまるで嘘のように何事もない。頭も冬の空のように凛と澄んでいた。
「誰かおりませんか?」と呼んでみたが、どこからも反応はなかった。いつもならばすぐに誰かがやって来るのに、とやはり不思議に思った。
「あら、蝶?!」
思わず口に出てしまった。濃い青と黒の大きな蝶がひらひらと飛んでいた。それにしても季節外れだ。神無月に蝶とは季節外れにも程がある。
なんとなく胸がざわめいた。
ここはどこで、今の時刻はいつなのだろうか、と疑問に思った。太陽の高さで時を知ろうと空を見上げたけれど、木々に遮られ、日を見ることは叶わなかった。ただ、淡い光だけが梢から漏れこぼれてきて周囲を照らしている。明るさから昼間なのだろう。
とにかくもう少し見晴らしの利くところへ行くしかなさそうだ。木々の疎らな方へ当てずっぽうに歩くことにした。
「あらまぁ、裸足なのね」
歩き出して裸足であることに気づいた。地面は丈の短いが柔らかい下草が生えているようで、足は痛くもなければ、冷たくもなかった。むしろ心地良い。歩いていると苦になるどころか子供の頃に返ったようでなんだか楽しくなってきた。こんな晴れ晴れとした気持ちは久しぶりだ。
しばらく進むと林の切れ目が見えてきた。
ここまで来る間、人に会うことはなかった。ただ、先ほど見かけた蝶が道先案内人のように前をひらひらと舞っているだけだった。
「案内、ご苦労様でした」
羽を休めるように傍らの赤い花に舞い降りた蝶に礼を言うと、そのまま林を後にする。
視界が一気に開けた。
緑の草原が眼前に広がっていた。
見上げると空全体が淡い白い光を放っていた。太陽はどこにもない。
都の近くに、いや、この世にこんな風景の場所があるとは聞いたことがなかった。
「ああ、ここは」
驚きの声が出た。
記憶の断絶。
来た覚えのない場所。
身にまとっている白衣。
それらのことからなんとなく感じていたことだけれども、やはり、目の前に突きつけられると驚きを禁じ得ない。
「どうやら、わたくしは死んだようね」
ここは彼岸なのだ。
なるほど、それならこの身の軽さも理解できる。先ほどの見慣れぬ赤い花はさしずめ彼岸花とでも言うのだろうか?
「ふふふ、彼岸花とは風雅なこと」
死という深刻な状態を認識しながら、我ながら上手い言い回しに笑いが零れた。
まあ、十分長く生きた。むしろ、いささか長すぎたと思っていたぐらいだ。
ひとしきり笑うと、しかし、今度は途方に暮れた。後ろの林を除くと前も左右もなにもない平原が続いていた。どちらへ向かえば良いのか皆目分からない。
人は死ぬと阿弥陀様が現れて浄土に連れていってくださると思っていたけれど、阿弥陀様はどこに居られる?
「女の元には阿弥陀様も現れてはくれない。そう言うことなのかしら」
あまり面白くもない考えが頭に浮かんだ。生きている時は女の身で歯がゆい事、悩ましい事も多かったけれど、死して後も女の身に悩まされる事にうんざりした。
「さて、それはそれとして、今をどうしますか」
嘆いていても仕方がない。問題はやはり、これからどうするかであった。このまま、こんな何もないところで途方にくれているわけにもいかない。少し、考えてから、とりあえず先に行くことした。とにかく、もう少しなにか取っ掛かりになるものを見つけたかった。
**
目の前には黒々とした川が行く手を遮るように流れていた。最初見たときは海かと思ったけれど、寄せてくる波もなく、水は左から右へゆっくりと流れていたから大きな川なのだろうと思った。
「これが噂に聞く三途の川かしら……」
そうであるのなら、この対岸が浄土ということだろう。目を凝らしてみたが対岸は霞がかかったようで良く見えなかった。
辺りに人の居ないのを確認するとそっと片足を川へと入れてみた。
川底は柔らかく、ズブズブと足がくるぶしまで簡単にめり込んだ。
怖い。とても歩いて渡れるとは思えなかった。
「ふぅ……女は三途の川を自力で渡れぬと聞いていたけれどどうやら本当の事のようね」
ため息をつくと、その場へ座りこんだ。はしたないけれど仕方がない。待つしかないのだ。
「男は三途の川を自力で渡れるが女は男に背負われて渡るのです」と教えてくれたのは誰だったろう?
『背負ってくれる男の方とはどなたなのです?
父上様ですか?』
『いえ、いえ。背負ってくれるのは最初に契りを結ばれた男の方です』
『最初に契りを……?
さて、それではわたくしをどなたが背負ってくれるのかまだ、分からないのですね』
『まあ、そうでございますが、姫様にはぜひ、帝に背負っていただかれますように願っております』
ああ、そうだ思い出した、赤染衛門だ。その後、わざわざいしなどりの石として後宮の庭石を持ってきてくれたのよね。
石を渡されて真剣な面持ちで「絶対に落とさずにお取り下さい」と言われて困ってしまったわ……
そして十二になった時、わたくしは入内して女御になった。
感慨はなかった。
父や母、周りの者からは折りにつけ言われていたから入内も女御に成ることも当たり前の出来事のように思っていた。その本当の意味を理解していなかった。だから、帝が一向にお渡りにならなくても何も感じなかった。逆に周りの者たちのやきもきするのを不思議に思ったくらいだ。
**
入内しても一週間ほどお渡りはありませんでした。ようやく渡られてきた帝を見た時は少し怖かったです。御簾越しでなく初めて見る一人前の男の人ですもの。余りの緊張にわたくし、固まってしまいました。
「まるで宿直の者のようですね。そのようにじっと見つめられると緊張してしまいますよ」
そう言われてしまった時は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。あの時は本当に、本当に子供でした。男と女のことも聞いてはいましたがどこか絵空事のように思っておりました。でも……
でも、これだけは言える。子供であったけれどあの時、優しく微笑まれる帝を見た時、わたくしは恋に落ちたのです。
ずっと后になれと育てられて来ました。帝の后になって子を産めと、男の子を産めと、一家の期待を一身に受けておりました。それが嫌とか考える余地などありません。だから、帝の寵愛などというものに興味はなかったはずなのです。なのにわたくしは帝に恋をしたのです。
「恋などしなければ良かった」
帝に恋などしなければわたくしは幸せでいられたかもしれない。
そう。帝には想い人がおられたのです。
中宮定子。
故関白、叔父の道隆の女。わたくしの従姉妹にあたる方です。定子様に直接会ったことはないですが、大層機知に富んだ華やかなお方だと聞いておりました。
**
「中宮様は歌も楽器も達者で、漢詩の知識もそれは大したものでございます。帝は古典など良く読まれるので、それらを元にした当意即妙な会話を中宮様や帥殿とされるのを楽しみにしておりました」
局の片隅で女房たちが、ひそひそ話しているのが聞こえてきたが、いつものようにわたくしは聞こえぬふりをしておりました。
「漢詩でございますか。
女が漢字の読み書きなどはしたなき事と思いますが、帝は逆にそれを好まれておるのですか」
一人は中宮様の女房だったものだ。父上が帝の好みを知るために引き抜いて来たのだ。その女房を囲んで古参の女房たちが話を聞いている様だった。
「漢詩ねぇ……。そう言えば、中宮様のところには漢詩や古典に詳しい女房がおりましたね。確か……」
「少納言のことでございますか? 清少納言」
「そうそう。そのような名前でありました」
「清少納言は中宮様のお気に入りであります。軽妙な返しは殿方にも人気でありますよ」
「はぁ……軽妙な会話ですか。我が宮様には難しいですね」
「これ! なんと言うことを申すのですか。宮様に聞こえますよ」
はい、聞こえていますよ。
大変に失礼ではありますが、本当の事なので仕方ありません。ああ、漢詩は無理だとしても、わたくしにも中宮様のような軽妙な会話ができれば良いのですが……
そんなことを思ったものでした。
後日。帝がお渡りになられました時の事です。
珍しく夕刻過ぎてもお帰りなりませんでした。いつの間にか月が上っておりました。坪庭から差し込む銀色の光が帝に降りかかり、それはもう美しかったのです。見ているだけで胸が高鳴りました。
「良い月です。笛の音が合いそうですね」
帝が不意にわたくしの方を見て、そう言いました。
心臓が止まるかと思いました。慌てて目をそらして、もごもごと答えました。さあ、何をお答えしたか思い出せません。見惚れていた事が知られないように、その一心でしたから。
笛の音が響き渡りました。帝が笛を奏されたのです。物悲しく、儚げで、それでいて澄んだ音色でした。こんな時、中宮様ならご一緒に琴でも爪弾かられるのだろうに。それに引き換え、何もできない自分を思うととても情けない気持ちになりました。そもそもこの笛の音は誰に向けられているのでしょう。きっとわたくしではなく、中宮様に向けられているのでしょう。そう思うと涙が零れそうになりました。
不意に笛の音が止みました。
「そんなにそっぽを向かれずに、少しは笛を吹くところを見てください」
とんでもない!
こんな情けない顔を帝に向ける訳にはいきません。
「ふ、笛の音は聞くもので見るものではあ、ありませんから」
一瞬の沈黙。
「これは、これは、子供と思っておりましたが、七十のお爺さんのようなご返答をいただきました。
いや、全く恥ずかしい」
帝は笛をしまいながらそうおっしゃられました。
ああ、わたくしは愚か者です。
帝はそのままお帰りになりました。
わたくしはとんでもない愚か者です
なんであのような事を申してしまったのでしょう。中宮様ならどのようなお返答をされたのでしょう。
その夜、一人で泣きました。
声は出しておりませんから、きっと誰も知らぬことでしょうけれどね。
**
「わたくしが中宮? 中宮は定子様でしょう。定子様を廃后になされるおつもりですか?」
「いえ、違います。今の中宮様は皇后のまま、宮様が中宮となるのです」
中宮とは皇后の事です。わたくしは父上の説明に混乱しました。
「今の中宮様は皇后のままで中宮職を辞して頂き、宮様が中宮職を就くのです」
中宮とはもともと皇后の住まわれる場所の事です。そこから中宮が皇后の別称となったと聞いております。それをなんで今、わざわざ分けねばならぬのでしょうか。中宮であろうが皇后であろうがそれは帝にとって唯一の女人の事。であれば、それはわたくしではない。そんな事はわたくし自身が一番良く分かっている冷厳な事実なのです。
「気が進みません。帝も快くは思わないでしょう」
「勿論、これは帝も了解済みの事です。
今の中宮は出家された身。神事にたずさわる事ができないのです。それでは国事もままならない。故に宮様が中宮となって帝をお助けせねばならぬのです」
理屈は通っております。大人の男と言うのはそういう理屈を考えるのには長けている、と母上が言われていたのを思い出しました。はしたなき者たちの言葉を借りれば屁理屈です。
とは言え、帝のお力になれというのであればどうして反対ができましょう。
中宮宣命を聞くために一時的に内裏を退去いたしました。如月の頃です。詔を聞き、中宮となったその日、帝は皇后様をお召しになられたそうです。父上や女房どもが憤慨しておりました。
それを聞いた時、わたくしは……
わたくしは一向にかまわないのです……いえ、わたくしの事はどうでも良く。帝のお心を思えば、やはり皇后様を慕われておられるのですから……それで良いではないかと思うのです。
それに御子がお生まれになったばかりでしたから。
帝としては御子もお抱き遊ばしたくあったろうと思うのです。帝、皇后様、御子の三人で、いえ、修子内親王様も居られましたね。きっと四人で過ごされたいと思し召したのでしょう。そう、それで良いではないですか。
**
夜もすがら 契りしことを 忘れずは
恋ひむ涙の 色ぞゆかしき
それから一年も経たない内の事です。
皇后様は崩御されました。
媄子内親王をお産みになられた際にそのまま息をひきとられたのでした。
知る人も なき別れ路に 今はとて
心細くも 急ぎたつかな
三人の御子と帝を残して、さぞや心残りあることは辞世として伝えられる歌で分かります。
煙とも 雲ともならぬ 身なれども
草葉の露を それとながめよ
皇后様は帝をおいてどこにも行きたくはなかったのでしょう。死してなお、この世に留まりたいと思ったのではないでしょうか。草葉の露に生まれ変わったとしても、帝たちと離れたくなかった。残された歌からそんな思いがひしひしと伝わってきました。
**
帝の悲しみはいかほどであったことでしょうか。
それから十一年。
帝のお側にお仕えしました。
二人の皇子も授かりました。
少しでも気の利いたお返しができますように、そして帝がどのようなお考えで居られるのを分かるようになりたくて漢詩や古典も学びました。わたくしは定子様の代わりに帝の心を癒してさしあげたかったのです。
わたくしの見る帝はいつも微笑まれていました。優しく。その眼差しは常に慈愛に満ちていました。それはとても嬉しゅう御座いました。
でも……
お笑いになったことはありませんでしたよね。わたくしは生涯一度も帝を、あなたを愉快にして差し上げられなかったのです。
無理だったのです。
帝の心を軽くすることができなかったのです。あの時、帝が崩御されたあの時……それを思い知らされました。
**
長い物思いから我に返りました。
目の前には変わらず三途の川が黒々と流れていました。
定子様もここに来られたのでしょうか。そして、帝が迎えに来てくれるの待っていたのでしょうか。
もしそうだとするとずいぶんと長い時間を待っていたのでしょうか。
気が遠くなるほどの長い時間をこんな茫茫たる場所で一人で帝が来るのを待っていたのでしょうか。さぞ、待ちくたびれた事でしょう。
それともあっという間、だったのでしょうか?
なぜだか、後者のようにも思えます。
なにせ、定子様には帝との楽しい思い出が山のようにありますから。
今度、会えたなら、これを話そう、あれを話そう、と考えている内に時などすぐに過ぎた事でしょう。
なにより そう、なによりも!
定子様は、帝が会いに来ないなど微塵に思いはなさらないでしょうとも!
露の身の 草の宿りに 君を置きて
塵を出でぬる 事ぞ悲しき
帝の辞世の歌であります。
君を置いて、行ってしまうのが悲しい。
この歌を聞いた時、わたくしは、わたくしは悲しかった。
父上や女房たちは、口々に『君』とは、わたくしの事と申しておりましたが、帝は定子様の残された歌に返歌をされたのでしょう。草葉の露になられた定子様に十一年越しの返歌をしたのです。
帝の、あの方のお心には十一年間、定子様しかいなかった。わたくしは一度も、一瞬ですらあの方の心に寄り添うことができなかった。
この歌を突きつけられた時、悟ったのです。絶望したのです。
わたくしは、あの方と定子様の間を引き裂いた疎ましい存在なのです。
そんなものになりたくは無かった!
無かったのです。
ただ、あの方のお側に居られたらそれだけで良かったのに……
あの方は、きっとわたくしのところには来てくれないのです。最愛の二人を引き裂いた憎い男の娘にして、元凶。
浅ましく生き続け、老いを晒しているわたくしの元などに来てはくれないでしょう。
ええ、ええ、ええ。分かっています。そんなことは分かっておりますとも。
逢ふことも 今はなきねの 夢ならで
いつかは君を または見るべき
あなたを失って六十余年、一度たりとも、夢ですらあなたは会いに来てはくれませんでした。
きっと、ご立腹なのでしょう。
それは分かっておりますとも。今、会いに来てくれとは申しません。ならばこのまま、この場で未来永劫、懺悔し続けるのも厭いません。それは良いのです。喜んで承ります。
ただ、一度だけ。
もう一目だけお会いしとう御座います。
会って、謝りたい。
謝りたいのです。
そして、好きって言いたい。
だって一度も言い出せなかったですから。
言えばあなたを困らせるだけだと分かっていたから。
自分が傷つくのが怖かったから、ずっと言えなかったのです。
う、くっ、くふぅ
会いたい
会いたい
会いたい
会いたい
会いたい 会いたい 会いたい 会いたい
会いたいよ
会って、謝りたいの
ごめんなさいって言いたいの
好きでしたって言いたいの
うわーーーん
会いたいの 本当にもう一度だけで良いから
大好きでした って言いたいのです
……きっと、叶わないと思います
「おやおや、何をそんなに悲しそうに泣かれていますか」
頭にポンと手が乗せられる感触に顔を上げると、そこに笑いかける帝の顔があった。
「いつもは大人ぶってしかめ面なあなたが、このように大泣きしているとはどうしたことでしょう。お腹でも痛いのですか」
「お、お腹など痛くはありません!
子供扱いは止めてください。わたくしは帝よりずっと長く生きたのですからね!」
慌てて目元の涙を拭うと、両の手に何かがさわさわと触る感触があった。見ると黒々とした髪の毛だった。
「えっ?! 髪? わたくしの?」
手探りでそれが地毛である事を確認する。おかしい。わたくしは尼として髪は綺麗に剃り上げていたはずなのに。
慌てて川縁に行く。水面には目を泣き腫らした少女の顔があった。
「わたくし、子供に戻っている……の?」
「わたしにとっては、あなたはいつでも『雛遊びの中宮』様ですよ」
帝は笑いながらそう言ったが、説明にはなっていなかった。でも、今はそれよりも聞くべきことが別にありました。
「何故、こんなところに居られるのですか?」
「何故って、あなたを迎えに来たのですよ」
「迎えに……?
だって、帝は、わたしくしの事を怒っているのになんで迎えに来るのですか?」
「はっはっは。何ゆえわたしがあなたに腹を立てねばならぬのですか?
ずっと見ておりましたよ。
あなたはいつも、わたしの子供たちに心を砕いていたではありませんか。自分の子供も、そうでない子供も分け隔てなく。
感謝こそすれ、怒ったりするものですか」
「えっ、でも、だって……わたくしさえ居なければ、帝はもっと……」
「もっと、何ですか?」
「もっと……もっとお幸せになっていたと……思うのです……」
消え入るわたくしの言葉に帝は少し首を傾けた。
「確かに幸せになっていたかも知れません。でも、不幸になっていたかも知れません。
即ち、『夫禍之與福 何異糾纆』です」
「えっ? えっと……
それ禍と福、何ぞ糾える纆に異ならん ですか?」
帝はにっこりと微笑まれた。
「ふふ、良く学ばれています。いや、感心しました」
「だから、子供扱いは止めてください、と申しております。わたくしはこう見えて八十過ぎなのです!」
「そうでした。そうでした。あなたは子供の頃から年寄りのような物言いでした。
まあ、その辺の話は道中にでもゆっくり話しませんか」
「道中……?」
「そうです。あなたをおぶって川を渡らないと行けません。結構、長い道中になりますよ」
帝はそう言うと、しゃがんで背中を向けた。おそれ多い話では在りますが、どうやら背中に乗れと申されているようです。わたくしは恐縮しつつもその背中に乗りました。
大きくて暖かな背中でした。
参りましょうか、と言うと帝は三途の川へと足を踏み入れた。不思議な事にわたくしが足を入れた時にはずぶずふと沈んだのに帝はまるで平地を歩くのと変わらない様子でした。
「積もる話もありましょうが、さて、何の話から始めましょうか?」
帝の言葉に一瞬、躊躇しましたがすぐに意を決しました。最初に言うべき事は決まっています。ちょっとだけ息を吸い、飛びっきりの勇気を込めて言います。
「あのですね。
わたくし、帝のことがずっと……
ずっと好きでした」
2020/12/06 初稿
2020/12/13 指摘を受け、少し文書変更
2020/12/17 誤記修正
2021/06/06 注記追加
2022/10/08 イラストの著作権を後書きに明記
本編のイラスト著作権 (C)遥彼方
*1 承保元年
西暦1074年
*2 彰子
正しい読みが分からないので『しょうし』と便宜上呼称されている。定子は「ていし」と呼称されている
*3 帥殿
藤原 伊周のこと
藤原道隆の息子で定子の兄
*4 御子
定子は長徳二年(966)に皇女修子内親王、長保元年(999)に皇子敦康親王、長保二年(1000)に皇女美子内親王を生む。媄子内親王出産後、崩御。
*5 一条天皇の辞世の歌
『権記』と『御堂関白記』では下の句が異なる。
『権記』は『事ぞ悲しき』。『御堂関白記』は『事をこそ思え』となっている。本編では『権記』の記述を採用した。
《参考文献》
●書籍
『藤原彰子』(朧谷寿著@ミネルヴァ書房)
『藤原彰子』(服藤早苗著@吉川弘文館)
『一条天皇』(倉本一宏著@吉川弘文館)
『枕草子のたくらみ』(山本淳子著@朝日新聞出版)
『枕草子』(池田亀鑑校訂@岩波書店)