1話
都内某所。時刻は既に深夜1時を過ぎた頃。辺り一面に夜のトバリが静かにかかり、その暗闇の中で1人の女がナイフを持った男に襲われていた。
「キャアッ!」
「いやいやお嬢ちゃん、こんな夜更けに出歩いちゃあ駄目だぜ?俺みてぇな悪いオトナに捕まっちゃうぜぇ?」
男は下卑た声で笑っている。
彼はそのまま彼女に話し掛けた。
「知ってるかい?ここはこの時間にゃあ誰も通らん道でさぁ。偶に通るヤツはそれはそれは美味い獲物になっちまうんだ。」
男は女にゆっくりゆっくり詰め寄っていく。最大限の恐怖を与える様に。
女の顔には恐怖の表情が浮かんでいた。
「ハァ、堪んねぇな。これだから殺しっていうのははやめられねえ・・・」
「だ、誰か助けて!」
彼女の喉元にその凶刃が届こうとする正にその時。
彼の耳に誰かがすすり泣くような音が届く。
「!?誰だ、そこにいるのは!」
彼の声に応えるように、少しの物音と共にフードを深く被った人物が暗闇から近付いてくる。
しかしその足取りはしっかりしているとは言えず、何処かおぼつかない物であった。
また、雨が降っていないにも関わらず、その手には閉じた傘のような物を持っていた。
「何だよ、酔っ払いか?」
彼は安堵する。酔っ払いならば余程の事が無い限り彼のナイフで殺せるからだ。
そして彼は喜んだ。仕留めやすそうな獲物がノコノコと現れたからだ。
「しかしアンタも災難だな・・・。こんな所を見ちゃったからなぁ。今日は死体がもう1つ増えちまうよ」
くつくつと喉を鳴らしながら彼は言った。
するとおもむろにフードの男は呟く。
「悲しい・・・」
「はぁ?何だ?」
フードの男は更に呟く。
「何故この世には悲しみが存在するのだろうか・・・」
「おいおい、ここは哲学を語る所じゃねぇぜ?」
フードの男は顔を伏せたまま彼に近付く。
ユラリ、ユラリ。
まるでその歩く姿は幽霊のようだ。
「おっと、余り近付かない方がいいぜ?うっかり手が滑るかもしれないからなぁ」
その言葉が聞こえてないのか、または無視しているのか。そのまま近寄るフードの男。
殺人鬼の男はつまらなさそうに彼を見る。
「あらら、来るのか。もしかして正義の心で助けようとかか?逃げれば見逃そうと思ってたのによぉ」
「・・・」
「だんまりか。まぁとりま死ねや。」
そう言うと彼はナイフを振り上げ、フードの男に対して勢いよく振り下ろす。
しかしフードの男はそれを難なく傘で受け止め、ボソリと呟く。
「『バットデイズ(沈黙の雨)』」
その言葉を発した瞬間、彼の身体から黒いモヤが出てくる。
何処か不安を感じさせるような、そんな霧だ。
そしてそれはナイフの男にまとわりつく。
「!?なんだこれ!?」
「それは私の悲しみ・・・冷たく暗い雨の様に、君の燃ゆる生命を蝕む」
「な、なんだ、さ、さみぃ、ちからがぬ、け・・・」
その霧に触れた瞬間、彼の身体は強い寒気に加え、エネルギーが抜ける感覚に襲われる。
彼は糸が切れたかの様に地面に倒れた。
「悲しい、悲しい、悲しい。このような咎をこの身に背負うことが・・・」
彼は顔に手を当てポロポロと涙を流す。
まるで罪を懺悔するように。
彼は悲しい、悲しいと嘆きながら、ふらりと路地へと消えていった。
そこに女1人を残して。
「一体今のは・・・」
彼女がそうボソリと呟くと、下から呻き声が聞こえる。
殺人鬼の男はどうやら死んでいないようだ。
「ううっ・・・」
「あら、貴方生きてたのね」
「な、なあアンタ、たすけてくれ、ちか、ちからがはいらねぇんだ、さっきのことはあやまるから、おねがいだ、」
彼女は少し思案した後、1つの小瓶を彼に差し出した。
「はぁ、仕方ないわね、とりあえずこれでも飲んで元気を出して」
「あ、ありがてぇ」
そうして彼は一気にその中身を呷る。すると彼は急に咳き込む。
「ゴホッゴホッ!なんだ・・」
「元から貴方はターゲットだったのよね」
先程の怯えとは一変、彼女は柔和な笑みを浮かべ、彼に問いかける。
どうやら、今までのは演技だったようだ。
「ここ最近、この辺りで真夜中に女性が何人も殺されてるの。それって貴方でしょう?」
彼女は苦しむ男を横目に優しく話しかけていた。
怖がりの子どもに幽霊なんていないのだと諭す母親の様に。
殺人鬼は苦しんでいる。
「被害者の殺害方法と行動から見て同一犯は明確。あとは被害者達と同じ様に行動するだけ。」
「う、ぐ、」
「貴方に投与したのは私お手製の毒よ。ほとんど苦しまずに死ねるように調合したの。まぁ、投与直後に少し痛みが出るけどね」
彼は答えを返さない。既に物を言えぬ身体となってしまったようだ。
その死に顔は安らかであるが、身体は氷のように冷え切っていた。
彼女は遺体にふれ、その現象に対して思案する。
「体温の急激な低下・・・先程のフードの彼の仕業ってわけね」
彼女はそのまま頭の中で考えを巡らせ、おもむろにポケットから電話を取り出し、何処かへと連絡する。
「もしもし。終わったわよ。思いのほか直ぐに終わったけど、1つ面白い事が起きてね。帰ってから伝えるわね。」
「ええ、私は大丈夫よ。フフッ。心配しないで」
彼女は話す。愉悦の表情を顔に浮かべながら。
そして彼女は胸を踊らす。物語の始まりを予期して。
「・・・え?何だその口調はって・・・。何か気分上がらない?ミステリアス感じなのって」