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司馬田アンデルセンの自分語り  作者: 司馬田アンデルセン
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常識とは?

 これはあくまでも自分の身勝手の考えです。そのため他の人とは考えが違っていたりして文句を言われても仕方ないです。ですので、そんな考えもあるんだな程度にとどめて下さると幸いです。

 記念すべき初めての「自分語り」は常識についてです。

 

 はっきり言うと自分自身では何が常識なのかは分かりません。ですが、それだからこそれだからこそ分かることがあります。自分は最初に本題である答えを述べていくタイプなので初めに書いておきますと、『常識は人それぞれであり、人が他人に押し付ける文句』だと思います。例えば、年中ゲームばっかりをやっている少年と勉強ばっかりの少年がいるとします。仮にゲームばかりする少年をA、勉強ばかりの少年をBとしましょう。彼らは同じ人で同じ年齢だとしますが唯一違う点があります、それは環境です。Aはゲームばかりやっていたためゲームばかりの知識しかありません。そしてBは勉強ばかりのためそれなりの知識があります。その二人を会わせてみて会話をさせてみるとどうでしょう?二人の常識は崩れるでしょう。なぜなら、Aはゲームばかりやっていたため勉強とは無縁の訳です、一方Bは勉強ばかりでゲームは無縁の訳なのです。つまるところ、Aにとってはゲームは常識的に考えて普通ですがBにとっては常識ではないのです。これはBにも言えることで、Bは勉強が常識的なのに対してAにとっては勉強は常識ではないのです。

 そう考えるといかに常識と言う形が人によって違うのかが分かります。では、なぜ常識と言う言葉があるのかです。それは、自分と同じ考えを持つ者同士が集まり、『同じ考え=常識』と言う結果になったからだと思います。そのため、同じ考えを持つ者同士の枠から越えて同じ考えではない者に自分の常識を言って「それは違う。常識的ではない」と言われても仕方いのです。

 とは言っても、自分の子の考え自体が常識的でないと言われても否定はできませんし、考えが偏っていると言われても仕方ありません。だって、それが『常識』なのです。結局は自分の考えを押し付ける売り文句的なものと言えるのではないのでしょうか。

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