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RXP‐1800

作者: アザとー

――まずはみなさん、特に陪審員の皆さん、本来ならば裁判の前にこうした挨拶が入ることはありません。特例中の特例です。ですから司法的な強制力のある話ではなく、私からの個人的なお願いとして気楽に聞いてください。

 今回の裁判は、おそらく世界でも初めてのことであり、参考とするべき判例は一切ありません。しかし被疑者の特性から、事件のあらましは何一つ隠されることなく明らかにされているので、難しく考えることはなにもありません。

 だからこそ、ご自分の『心』が試さることでしょう。

 思い悩むのでも、世間の常識に照らし合わせるのでもなく、ただ素直な『心』の思った通りに『真実』を選び取ってください。我が法廷は、あなたが心の底から思ったことであれば、それがあなた個人の『判決』なのだと、すべてを受け入れる所存です。

 どうか身構えることなく、ただ、素直に……。

 さて、私個人の話はこのぐらいにして、始めましょう。

 それでは、開廷いたします。



   ◇◇◇


「あなたの名前は?」

「RXP‐1800、通称『ロボポリさん18号』です」

「生年月日……製造日はいつですか」

「筐体製造2068年5月、起動日、2068年7月です」

「本籍地は……」


 陪審員席に座った掛川一郎は、目の前で淡々と進む認定質問の様子に強い戸惑いを感じていた。

(なんだあれは、あれじゃあまるで……)

 掛川は余計な先入観などないほうがいいだろうと、呼び出し状が届いてからは、この『事件』に関するニュースなど避けてきた。住んでいる場所は都心をかなり離れた平和な住宅街であるのだから、『ロボポリさん』などという国内に数十台しかないような最新鋭のAIポリスが配備されるわけもなく――彼はいま初めて、RXP‐1800という機体を間近で見る機会を得たのである。

 それは人間臭い相性からは想像もつかないほどに禍々しい見た目をした代物であった。まず最初に、人間の形などしていない。本体の大きさは中型の犬程度、CPUを内蔵した『体から四本の機脚を地面に突き立てた形も、どことなく犬を思わせる。しかしその本体は機銃やら小型のミサイルやら、こまごました作業をするためのロボットアームなどが取り付けられて本体の三倍ほどの大きさにまで、この小さな機械の見た目を膨らませている。

(あれじゃあ、兵器じゃないか)

 もともとがRXP‐1800は生身の人間では危険が伴う凶悪犯罪やテロに対する抑止力として開発されたもの……

(抑止力……そうか、抑止力だ)

 掛川の中ですべてがすとんと腑に落ちた。抑止力だからこそ、この機械は禍々しいほどに武装させられているのだと。

 形こそ武器を装ってはいても、一番大きく突き出した主砲は催涙弾を打ち出すためのものである。尻にあたる部分、左右対称に取り付けられているのはスタンガンの原理を応用した電子銃であり、ほかにも、この機体が実装している武器のほとんどは殺傷能力のない目くらましばかりなのである。

 ただし、主砲の横に寄り添うように配された細い銃身、これだけは本物だ。抑止力が目くらましばかりでは意味がない、どんなに攻撃を受けても死ぬことがないと分かれば無茶をする輩はいるわけで……そうした奴らへの『抑止力』。

(なるほどなあ、なまじ殺傷能力のあるものを取り付けたから起きた悲劇か)

 掛川がニュースを避けているとはいっても、それはワイドショー的な雑音を遮断するためのもの、事件のあらましについてはざっと頭に入れてある。

 今回の裁判は1年前に起きた『吉祥寺通り魔事件』の際にAIポリスが犯人を射殺した、その射殺の是非を問うものである。

 人通りの多い休日のアーケード街に刃物を持って現れた男は、無差別に人を切りつけて5人に重軽傷を負わせた。これだけでも凶悪だというのに、さらに女子高生を人質に取り、これを盾に使って警官隊にまで襲い掛かろうとした。この男を止めるためには射殺しか手がなかったのだと、そういう報道がなされていたはずである。

 しかし、こうしてくだんの機体を目の当たりにすると、実にシンプルな疑問が掛川の中にわいてくる。

(これだけ威嚇用の武器がそろっているのに、なぜ射殺?)

 おそらくこの疑問を抱いたのは掛川だけではない。特に射殺された犯人の家族にしてみれば、何も殺すことはなかっただろうと、そういった怒りがあるのも当然である。

 だから原告は射殺された若者の母親である。彼女はAIポリスが本当に正義を守るにふさわしいかを社会に問うために、この法廷に臨んでいるのだ。

(わかる、親にとって子供というのは、それほどに大事なものだ。うちだって……)

 掛川にも息子がいる。まだ高校生であり、こうした年頃の男の子は、素行が不良であることこがかっこいいと勘違いしがちである。掛川の息子もそういった一般的な男の子である。

 最近では悪い遊びを覚えて友人と夜中の街を徘徊したりもするが、これだって成長とともに収まってゆくことだろう。なぜなら、自分にも反抗期くらいはあったのだから。

 息子は心優しい性質であり、それは頭を奇抜な色に染めた今でも変わることのない生来のものであるはずだ。だから、きっといつか自分の過ちに気づいて立ち直る日が来る、それを掛川は待っているのである。

 そう思うと、掛川の胸は強く締め付けられるように痛む。

(そうか、あの女性は……もう待つことさえ許されないわけだ)

 原告席を見ると、黒い喪服を着た女性が真っ先に目についた。彼女は神経質そうなとがった顎を胸元にきっちりと引き付けて、法廷のど真ん中に居座る奇態な機械をにらみつけている。

(ああ、わかる……)

 あの機械には、彼女の息子が排除すべき『危険人物』としか判断できなかった。むしろ現実は、これから罪を償って更生する『明るい未来ある青年』であったというのに。

 そしてあの機械には、ここに座っている母親がどんな思いなのかさえ理解できないに違いない。

 ただ、少し精神を病んで暴れただけの息子が、犯罪者と認定されて射殺された――これ以上の不条理があるものか!

 掛川は青年の母親に強く同情して、ひそかにこぶしを握り締めた。

(そうだ、悪いのはすべてあの機械だ。あれだけ威嚇と拘束の手段を持ちながら、射殺するしか手がなかったとは言わせない、絶対に!)



   ◇◇◇


「起訴状、下記被告事件により公訴を提起する……」


 長い長い起訴状の読み上げの間に、陪審員席に座った木曽川花代は三回もあくびをかみ殺した。

(事件のことはもうわかってるから、さっさと次にすすめっつーのよね)

 花代は賢い女だ。だから世間の話題をさらうこの事件の陪審員に選ばれた後、すべてのニュースに目を通し、この事件関連のネット情報をあさり、事件についてのすべてを予習した。だから青年がAIポリスに撃ち殺されるに至った経緯のすべてを知っている。なんなら、冒頭陳述を始めた検察官よりも詳しいくらいだ。

(それにしても、説明が下手ね。テロップや再現映像を使うくらいの工夫は欲しいわよね)

 その点、ワイドショーは優秀だ。当日と全く同じ状況、人物の配置まで事細かに再現した映像を日に何回も流してくれる。だから花代は、AIポリスが女子高生を前に突き出すようにして警官の群れに突入した犯人を背後から撃ち殺したのだということを知っていた。

(後ろからっていうのが、いかにも効率しか考えないAIの判断らしいところよね)

 AIが効率重視であるというのは、先週のワイドショーでコメンテーターが語っていたことだ。もともとがAIが実用化されたのは人間の作業補助のためであり、だからこそプログラミングの中に『効率』というものを最重要視するように組み込まれているのだと、つまりは自己学習の段階で『より効率の良い方法』を選択するように作られているのだと。

(まあ、もしも人間だったなら、大事なものは『効率』じゃないけどね)

 これも実はコメンテーターの言。しかし花代はこの言葉に深い感銘を受け、激しく同意したのだから、これすなわち花代の言でもある。

 今回の事件だって、確かに『効率』を考えれば正しい判断である。刃物を持った青年は誰の説得にも応じず、AIポリスによる威嚇にもとまることをせず、次々と他人を切りつけてまわった。女子高生を盾に取ってからはさらに得意げに暴れまわり、被害はますます拡大するばかりだったのだから。

 何より、女子高生が生命の危機に脅かされているのは明白であった。髪をつかまれ、わき腹に出刃包丁を突きつけられ、時々気まぐれに殴る蹴るをされて、もはや衰弱の極みであった。

(だからこそ、後ろからの射殺ね)

 少女は盾として前に押し出されているのだから、これを傷つけないようにするためには後ろから弾を打ち込むのが一番正しい。そしてこれ以上の被害拡大を防ぐためには、その元凶である青年を撃ち殺してしまうのが一番効率的である。

(だけど、人間はそういうの、『卑怯』っていうのよ)

 そういう街角コメントを、ワイドショーでいくつも見た。AIだから、他人を背後から撃つことが『卑怯』だと戸惑うことがない、だから人命よりも効率を優先できるのだろうと。

 ならばAIに人間的な戸惑いを教えればいいのかというと、そういうわけでもなかろうと――実は花代の家にはAI搭載の介護用ベッドがある、あれが人間のように戸惑いを持ったら、それはそれで不便なのではないだろうか。

 介護用品においては最も早くAIが導入され、そしてまた、現在最もAI技術が発達した分野である。花代が購入したベッドはいくつものロボットアームが取り付けられており、AIが状況を判断して排泄の世話から入浴までをこなしてくれる介護専門のベッドなのだ。

 このベッドで花代が一番頼りにしている機能は、徘徊防止のソフト拘束機能だ。少し記憶も弱くなった老母は自分の足腰が立たなくなったことも忘れてベッドから抜け出そうとすることがあり、実際にAIベッドを買う前はそれで二回ほど骨折している。

 AIは、花代の母がベッドから抜け出そうとする気配を察知すると、なんのためらいもなくロボットアームを伸ばして老いに痩せた体を押さえつける。もちろん手加減はされており、老人を傷つけることはない。それでも花代の母は大げさに痛がって見せたりして、この拘束から抜け出そうとするのである。

 もしもAIに人間らしい同情心などがあったら……痛がる老婆に手加減しすぎるようなことがあれば、拘束の意味をなさないではないか。

 もちろん法廷で私語は厳禁、しかし、ため息までは禁じられていない。花代は深く吸った息を一気に吐き出して、渋い顔になった。

(AIなんだから効率重視は当たり前なんだけど……それでも、人を守るために作られたものが人を殺しちゃうのって、欠陥なんじゃないのかしら)



   ◇◇◇


「陪審員の皆さん、考えてもください、機械には死が理解できない、だからこそRXP‐1800はほかに講じるべき手順を考えもせず、ただ障害を『排除』すれば事態は収束するのだと判断を下してしまったのだと。私たちが調べたところによりますと、あの場で可能だった作戦は必ずしも犯人を殺害することではなく……」


(うるせえ、黙れ!)

 陪審員席に座った船橋洋二は、演説を続ける原告弁護士に向かって心の中で毒づいた。

(現場に居合わせたわけでもないあんたに、何がわかるっていうんだ。その場にあったAIが良しと判断したんだから、それが最善の策だったんだよ!)

 さらに毒づいても、心のもやもやは消えない。船橋はその道の専門家なのだから、RXP‐1800の機体性能が殺すことなく犯人を拘束するに充分であったことを承知している。

 専門家とはいっても単にAI関連の技術者であるというだけの話、RXP‐1800の開発にかかわったわけではないのだから、そのソースコードすら知ってはいない。それでも船橋は、こうしたAIが収集された膨大なビッグデータの中から最適解を導き出すことによって行動を可能とする機構であることを心得ていた。

 いま、弁護士は『ロボット工学三原則』を引き合いに出して、人工物であるAIが人を傷つけることの罪深さを語っている。船橋はこれを鼻先で笑う価値すらない戯言だと感じた。

(せめて、創作のロボット論を現実に持ち込まないでほしいね)

 ロボット三原則とは、そもそもの提唱者がSF作家であるところからもわかる通り、机上の空論である。あれは創作世界によくある人間と同じ『感情』を持つロボットにのみ適用されるものであり、現実のAI機構に当てはめるには逆に稚拙すぎるのだ。

(第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない、か)

 その原則のみを見れば、渦中のAIは欠陥品である。このAIは事態の収束のためには射殺もやむなしと判断して、白昼の吉祥寺という、普段であれば買い物客でにぎわうのどかな街中で人間に向けての実弾発砲を行った。その結果、後頭部を撃ち抜かれた23歳の若者が即死したのだから、SF小説であれば危険因子として即分解刑に処されることだろう。

(しかしそれは、第二条、ロボットは人間の与えた命令に服従しなければならない、に反する)

 くだんのAIが与えられていた命令は市民の安全確保と犯罪の制圧であるはずだ。ここに、人間では理解の及ばない矛盾が発生する。つまりは市民の安全を確保するためには犯人に肉体的損壊を与える必要があり、しかし、この犯人はロボットが傷つけてはいけないとされる『人間』なのだという矛盾が。

 データによって構築されたAIの思考は有限であり、人間の思考のように現実に起こりうる事態のすべてに柔軟に対応できるわけではない。予想外の矛盾を解決するためには有限の思考の中で試行を繰り返すしかないわけで、時にはデータ負荷により行動不能となってしまう場合もあるのだ。

 こうした問題を解決するため、長く業界では思考フレームの専門化という手段がとられてきた。つまり介護用のロボットであれば、ありとあらゆる介護シーンから抽出されたデータを打ち込む代わりに、そのほかの思考は一切与えない。つまり介護にのみ特化したフレームを与えることにより、そのあとから学習する事象はすべて、『介護に付随するケースバイケース』として対応することが可能になるという仕組みである。

 しかしRXP‐1800は犯罪に対応するためにもっと柔軟な思考が求められる。そのために最新式の思考プログラムである『フレームバースト』を搭載しているのだ。これは、船橋たち技術者には良く知られていることである。

 フレームバーストとは、思考フレームの優先度を強制的に決めることによって、それ以外のフレームすべてをシャットダウンするやり方だ。例えば目の前に救うべきか弱き存在がいるとき、最優先に思考されるべきはこれをどのように保護すればいいのかであって、それ以外の――『ロボットは人間を傷つけてはいけない』などの思考はすべてシャットアウトされる。

 この優先順位は人間が道徳的だと思う事象に依拠することが多く、吉祥寺通り魔事件においては、人質となった少女の救出が最優先と選択されたであろうことは疑いようがない。

(人間だっておんなじじゃないのか)

 必死緊急の場において、なにが正解であるのかを判断することはとても難しい。いや、本当は正解など一つもないのかもしれない。

 たとえ現場における正解を選び取ったとしても、コトが収まってからのこのこと現れた識者たちが「もっと正しいやり方があったはずだ」などとしれっと糾弾を行う。この裁判は被疑者がAIだという特殊性はあっても、人類が有史以来延々と繰り返してきた正解のない問題に正解を出そうと討論するという愚行の一端にすぎぬのではないか。

(少なくとも、RXP‐1800は、自分が正しいと信じたとおりに動いた、それだけだ)

 しかしその判断は、旧式なロボット三原則を語る弁護士から見れば不正解であり、息子を撃ち殺された母親から見れば罪であった。

 船橋は思い悩み、無意識に片手であごをひねる。

(それでもRXP‐1800は、何も間違っちゃいない、少なくとも現場でおよそ最良だと思える手段は、それしかないと判断しただけなんだ)



   ◇◇◇


「なんでうちの息子が殺されなくちゃならないんですか、こんな……こんなただの機械に! 確かにうちの子は刃物で人様を傷つけましたけど、それは病気のせいなんです! これからいい病院に入って、ちゃんと治療してやれば、まっとうになったはずなのに、この機械が!」


 淡々とした裁判の進行にしびれを切らしたか、原告席に座った喪服の女が叫んだ。

 その声を陪審員席で聞きながら、高浜裕子は眉をひそめた。

(いやな女だわ。息子は通行人を無差別に襲った凶悪犯だっていうのに、詫びもしないで被害者面ばっかり)

 もしも、あの通り魔事件のあった現場に、自分ないし家族が居合わせたら……そう思うだけでぞっとして体がわずかに震える。

 事件のあったアーケード街は、少し遠いけれども電車一本で行けるということもあって、遠出を楽しみたい休日には良く足を向けていた場所だ。ラーメン好きの父がひいきにしている店もあるのだから、可能性はゼロではない。

 もっとも、クールな裕子はそんな個人的な感情で有罪無罪を決めるつもりなどないが。

(それでも、あのおばさんの態度は、ちょっとどうかと思うのよね)

 無差別かつ手加減のない通り魔事件でありながらも被害者は五人、それもすべて命に別状がなかったのは、実はAIポリスの活躍によるところが大きい。

 このAIポリスが現場に到達したとき、アーケード街の中には相当数の人が取り残されていた。刃物を持った男から逃げようと走り回ってはいるが、それが逆に他人の通行を妨げ、妨げられて戸惑う他人が自分の進行も妨げて、という悪循環が起きていたのである。

 これでは主砲である催涙弾は使えない、そう考えたAIポリスは、刃物を持った男めがけて弱い電流を撃ち放った。それはちょうど刃物の金属に引き寄せられ、男は一時的に気を失ったかに見えた。

「皆さん、いまのうちに、逆行や斜行をせず、同じ方向に進んでください」

 AIポリスの案内に従って、かなりの人がアーケードの外まで逃げ出すことができた。しかし、ビクンと体を震わせて正気を取り戻した男は、今度はガラス張りのカフェに目を付けて走り出したのである。

 AIポリスが放った二発の電流は、男の動きをとらえきれずに路面にむなしく散った。そのすきに男は店先にあった椅子を振り上げ、大きなガラスをたたき割ってしまった。店内には逃げ遅れた客が何人も閉じ込められており、やはり主砲は使えない。その間にも男は一番手前にいた若い母親を突き飛ばし、彼女が抱えて守っていた幼児を奪い取った。笑いながらナイフを振り上げ、なんのためらいもなく振り下ろす……その切っ先に向かってようやく放たれたAIポリスの電撃はかろうじて刃の軌道をそらし、ナイフは幼児のやわらかい頬をかすっただけで済んだ。

 舌打ちしながら男が店の奥へと駆け込むと、AIポリスはこれを追って走り出した。こうした威嚇による攻防をおよそ1時間も繰り返したのだからAIポリスだって最初から彼を撃ち殺すつもりではなかったのだ。むしろこの段階では、威嚇と警告を無視して他人にナイフを突き立てようとした通り魔の男のほうが、明らかに凶悪であり、他人の生命を脅かす存在であったはずなのに。

(なのに、おばさんは、誰にも謝らないつもりなのかしら)

 喪服の女の主張は一貫して、『自分の息子は殺されなきゃいけないような悪事は何もしていない』である。被害者はたったの五人で、そのうちの誰も死ぬほどのけがをしたわけではなく、仮に逮捕されても、せいぜいが傷害事件にしかならなかったはずだという理屈なのである。

 だからこそ、現場の判断でこれを射殺したRXP‐1800の行為はゆきすぎた私刑であり、これを管理する警察そのものの判断を断罪すると息巻いているのだが……

(正直、そういうのはどうでもいいのよね)

 裕子が気になっているのは、喪服の女は自分の息子を射殺したのが生身の警官であっても、ことを大きくして裁判所などに訴え出ただろうかということである。

 裕子はどこぞの賢げな団体のように「AIにも人権を」などと叫ぶつもりは毛頭ない。どれほど人間に近づくように作られようとも道具は所詮道具であり、人間と一緒の扱いをするのはなんだかおかしなことだと思うからだ。

 だけど、あの喪服の女が、AIポリスは道具だから八つ当たりに使ってもいいと思っているのならば、それもまた違うと思う。それではまるで、気に入らないことがあったからとおもちゃを殴る子供と一緒ではないか。

 事件の発端となったのは彼女の息子であり、AIポリスを有罪にしたからといってその罪が消えるわけではない。殺意を持って振り上げられた凶刃の記憶は、これからも被害者たちの心を切り刻み続けることだろう。まずはそれと向き合うこともせず、ただ声高に息子が死んだ悲しみばかりをわめく女の姿は、裕子の眼には滑稽に見えた。

(ま、だからって判決に関係はないんだけどね)

 それでも、ついAIポリスの動きをじっと見守ってしまう。裁判は滞りなく、弁護人弁論も終えて最終陳述へと進もうとしている。くだんのロボットは金属製の体を無機質なもの特有の複雑な音を立てて裁判官の前に進もうとしている。

 もちろん、表情はわからない、そんなものは最初から装備されていないのだから。それでも裕子は、その機械が何らかの感情を見せるのではないかと、目が離せずにいた。

(あの機械は、これでいいって思っているのかしら……)



   ◇◇◇


「被告人は何か述べることがありますか?」

「ありません」

「では、陪審員の方は審議を始めてください。くれぐれも最初にお話ししました通り、あなたの『心』が正しいと思うように、よろしくお願いします」


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