1・冷
とうとう先生が狂いだします。
淡い初恋、虐め、復讐・・・。
徐々に見えてくる人物の関係性、全貌が見えた時、先生は・・・。
「・・・」
えもいわれぬ空気が冷たく二人を包む。
教室ってこんなに寒かっただろうか。
否、暖房が入っていないのだ、この時期は冷え込むというものである。
「九十九木、単刀直入に聞くぞ。
・・・お前の母親、詩央って名前じゃあないか?」
・・・コクン。
やはり声を出さず、顔のみで答えた。
楓旗は表情が希薄である。読みづらいどころの話ではないので、どう会話を続けていいか悩む。
「そうか・・・やっぱりアイツ、九十九木って苗字になってたのかぁ・・・」
俺は正直、出来ればこの話をしたくはなかった。
何故ならば、その人・・・旧姓 政所詩央は俺の初恋の人、そして虐めの黒幕だったからである。
俺は最初、彼女との出逢いを文学的にロマンチックだと思った。
虐められていた俺を他と平等に見ていたその眼は、ぱっちりとした二重。長くさらりとした黒髪を後ろで束ね、少し度の強い眼鏡を掛けていた。
華奢な体ながら丈夫で、バレーボール部の部長を務める程だった。
そんな彼女はある日、学校の図書室で倒れてきた本棚に敷かれそうになるという事態に巻き込まれた。
俺は彼女を突き飛ばし、身代わりになった。
骨折と五六針縫う程度の怪我はしたが、そんなのがちっぽけに思える程の見返りがあった。
俺は片想いしていた彼女のお近づきになったのである。
が、俺は虐められっ子。人生が変わる事はなく、むしろより酷い方向へと動いていった。
『ねえ、理保くん』
『何?』
『私ね、言わなきゃいけない事あるの』
『はっきり言ってよ?』
『私ね、・・・あなたを虐めてるの』
『・・・は?』
彼女は黒幕だった。
最初から俺の事を弄んでいたのだ。俺の、まだ青臭い《好き》という気持ちを。
精神をズタズタに引き裂かれてからは、かえって楽だった。
もう誰だって信じない、ネチネチと長い時間を掛けてでも復讐してやる、と思っているうちは、どんな凄惨な虐めでも耐えられた。
そして俺は耐え抜いた。学生という冬を生き抜き、誰よりも高い場所に来たのだ。
俺を虐めていた奴らの大体はろくな仕事に就けなかった。
そりゃそうさ、俺は教師全員の心を掌握して、奴らの悪行を暴き、晒しに晒したのだから。
人心の掌握、上司への媚び、虐めっ子の徹底的成敗。・・・俺は高校時代で、そんな社会でも使えるあらゆる《グレーな生存方法》をマスターしたのだった。
・・・思い出して、俺は目の前の少女に詩央の面影を見た。憎い憎い、誰よりも憎い宿敵の顔。
嗚呼・・・。この手でそこの、奴の娘をズタズタに出来たら、どれ程心地が良いのだろうか。
人を踏み台にして幸せに家庭を築いた悪人と、踏まれてとことん捻れてしまった悪人と。
果たしてどちらが本物か、奴の娘で試そうか。
「・・・詩央ォ。俺は手前ェのせいで壊れちまったんだぞォ・・・っ!!!」
がばっと飛び掛かり、細い首に掴みかかる。
「・・・っ」
始めて、楓旗が表情を変えた。
それが苦悶の表情だった事で、嗜虐心が燃えた。
「なぁ・・・、もっと苦しめ!もっと悶えて見せろよ!なぁ!!」
教師のくせに、という反抗の眼差しが俺を差す。が、最早俺はそれでさえも燃料に、加虐の限りを尽くす。
ジワジワと首の脈動が緩くなり、ジタバタしていた手足もブラリと垂れていた。
「・・・あ・・・・・・ああああっっ」
狂いそうだ。狂いそうになる程狂っていた。
何故俺は笑っているのか。
目の前で、俺の手で息を止めた少女の姿が、あまりに無惨で美しかった・・・と感じたからか?
虐めの黒幕へ復讐を果たしたからか?
・・・違う、これこそ俺の本性なのだ。
それに気が付くまでに、俺はまだ相当の時間が必要だった・・・。